※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」へ「ロマンティスィズム」(その3-2)(297-299 頁)
(75)C「道徳性」の第3段階(続):c「良心」②「美魂型の良心」(or「批評型の良心」、後述)!「断言」(「言葉」)は「内面の主観的な考え」に「普遍性」を与える!②「美魂型の良心」は「実行」せず内面の「美魂」に留まる!
★c「良心」には、①「実行型の良心」(「悪心」となりうる)のほかに、②「美魂型の良心」がある。(298頁)
★さて①「実行型の良心」から②「美魂型の良心」への移り行きを「媒介」するものとして、ヘーゲルは「断言」を置く。(298頁)
☆即ち「実行型の良心」にたいして、「良心」がじつは「悪心」であることを指摘すると、「自分がこうすべきだ」と信ずるその「良心の声」は「神の声」であると「断言」し、このように「断言」・「公言」するそのことによって、「行為」に「個別性」のほかに「普遍性」を与えようとする態度がある。(298頁)
☆つまり「言葉」というものは「内面の主観的な考え」に「普遍性」を与えるという「マジカルな力」をもったものだ。(298頁)
☆「実行型の良心」にもとづく自分の「行為」や「意見」に「普遍性」を与えようと、「『言葉』(『断言』)の魔力」に頼ろうとする態度が出てくる。(298頁)
☆とは言え、これだけでは(「実行型の良心」にもとづく)自分の「行為」や「意見」が、「主観的」・「個別的」たることをまぬがれない。(298-299頁)
★そこで同じく「良心」でも「普遍性」を重んずる立場が生じてくる。それが②「美魂型の良心」だ。(299頁)
☆しかし「現実に『行為』をする」となると、実際には「個別性」・「主観性」を、つまり「罪」をまぬがれえないから、「美魂」の立場を守り抜こうとすれば、結局のところ「なにも『行為』をしない」ことにならざるをえない。(299頁)
☆だが「なにも『行為』をしない」のでは人間は生きていけないし、人生が無意義になってしまう。(「行為」によって「外」に働きかけてこそ人生は意義あるものとなる。)(299頁)
☆この②「美魂型の良心」については、ヘーゲルは「内面の清らかな思い」のうちに閉じこもって若くして逝ったノヴァーリス(1772-1801)(ドイツ・ロマン主義の詩人)のことを考え、かつ批判している。(299頁)
☆なおヘーゲル(1770-1831)は、フランクフルト時代の『クリスト教の精神とその運命』(1800、30歳)という手記で、「美魂」の悲劇を「罪なき罪」としてイエスにおいて見ていた。(299頁)
★かくて①「実行型の良心」でもいけなければ、②「美魂型の良心」、即ち「『実行』せずにいたずらに内面の『美魂』にとじこもろうとする良心」でもいけないので、これら2つの立場が結合される必要があり、結合されて初めて、「ヘーゲル自身の良心道徳」(Cf. 「やわらぎ」Versöhnung、後述)が生ずる。(299頁)
Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」
Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」へ「ロマンティスィズム」(その3-2)(297-299 頁)
(75)C「道徳性」の第3段階(続):c「良心」②「美魂型の良心」(or「批評型の良心」、後述)!「断言」(「言葉」)は「内面の主観的な考え」に「普遍性」を与える!②「美魂型の良心」は「実行」せず内面の「美魂」に留まる!
★c「良心」には、①「実行型の良心」(「悪心」となりうる)のほかに、②「美魂型の良心」がある。(298頁)
★さて①「実行型の良心」から②「美魂型の良心」への移り行きを「媒介」するものとして、ヘーゲルは「断言」を置く。(298頁)
☆即ち「実行型の良心」にたいして、「良心」がじつは「悪心」であることを指摘すると、「自分がこうすべきだ」と信ずるその「良心の声」は「神の声」であると「断言」し、このように「断言」・「公言」するそのことによって、「行為」に「個別性」のほかに「普遍性」を与えようとする態度がある。(298頁)
☆つまり「言葉」というものは「内面の主観的な考え」に「普遍性」を与えるという「マジカルな力」をもったものだ。(298頁)
☆「実行型の良心」にもとづく自分の「行為」や「意見」に「普遍性」を与えようと、「『言葉』(『断言』)の魔力」に頼ろうとする態度が出てくる。(298頁)
☆とは言え、これだけでは(「実行型の良心」にもとづく)自分の「行為」や「意見」が、「主観的」・「個別的」たることをまぬがれない。(298-299頁)
★そこで同じく「良心」でも「普遍性」を重んずる立場が生じてくる。それが②「美魂型の良心」だ。(299頁)
☆しかし「現実に『行為』をする」となると、実際には「個別性」・「主観性」を、つまり「罪」をまぬがれえないから、「美魂」の立場を守り抜こうとすれば、結局のところ「なにも『行為』をしない」ことにならざるをえない。(299頁)
☆だが「なにも『行為』をしない」のでは人間は生きていけないし、人生が無意義になってしまう。(「行為」によって「外」に働きかけてこそ人生は意義あるものとなる。)(299頁)
☆この②「美魂型の良心」については、ヘーゲルは「内面の清らかな思い」のうちに閉じこもって若くして逝ったノヴァーリス(1772-1801)(ドイツ・ロマン主義の詩人)のことを考え、かつ批判している。(299頁)
☆なおヘーゲル(1770-1831)は、フランクフルト時代の『クリスト教の精神とその運命』(1800、30歳)という手記で、「美魂」の悲劇を「罪なき罪」としてイエスにおいて見ていた。(299頁)
★かくて①「実行型の良心」でもいけなければ、②「美魂型の良心」、即ち「『実行』せずにいたずらに内面の『美魂』にとじこもろうとする良心」でもいけないので、これら2つの立場が結合される必要があり、結合されて初めて、「ヘーゲル自身の良心道徳」(Cf. 「やわらぎ」Versöhnung、後述)が生ずる。(299頁)
Cf. ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」
Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」