宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

太宰治(1909-1948)『女生徒』(1939、30歳)(その1):そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来る!ほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない!

2022-06-15 20:51:57 | Weblog
ある女生徒の1日の物語。
(1)朝は「しらじらしい」、「灰色」、「意地悪」!
あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。「かくれんぼ」で見つかった時のような気持ち。「箱」の中に「箱」があって、その「箱」の中にさらに「箱」があって、8つ以上開けていって、ついにさいころぐらいの「箱」に行き当り、それが「からっぽ」、あの感じ。そして朝は「しらじらしい」、「灰色」、「意地悪」。
(2)婆さんがひとつ居る!
「よいしょ」と掛声して蒲団をたたむ。お婆さんの掛声みたいだ。私のからだの中に、どこかに、「婆さんがひとつ居る」ようで、気持ちがわるい。
(3)「眼鏡」をとって、遠くを見るのが好きだ!
他の人には、わからない「眼鏡」のよさも、ある。「眼鏡」をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚いものなんて、何も見えない。
(4)可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやる!
可哀想な犬「カア」。カアは「片輪」。カアは、悲しくていやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやる。私は「カア」だけでなく「人」にもいけないことをする子。ほんとうに「厭な子」なんだ。
(5)何年かたって・・・・「コトン」と、感じたことをきっと思い出す!
過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられる様な、変な気持ちがした。こんな事は、時々ある。遠くの田舎の野道を歩いていても、この道は、いつか来た道、と思う。何年かたって、この、いま何げなく、手を見た事を、そして見ながら、「コトン」と感じたことをきっと思い出すに違いない。そう思ったら、なんだか、暗い気がした。
(6)そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来る!
結局は、私「ひま」なもんだから、「生活の苦労」がないもんだから、毎日、幾百、幾千の見たり聞いたりの感受性の処理が出来なくなって、ポカンとしているうちに、そいつらが、「お化け」みたいな顔になってポカポカ浮いて来るのではないのかしら。
(7)ほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない!
私は、「本に書かれてある事」に頼っている。一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけて見るのだ。人のものを盗んできて自分のものにちゃんと作り直す。かくてほんとうに私は、どれが「本当の自分」だかわからない。読む本がなくなって、「真似するお手本」がなんにも見つからなくなった時には、私は、一体どうするだろう。
(8)目立たずに、「普通の多くの人たちの通る路」をだまって進んで行くのが、一ばん利巧!
「お父さん、お母さん、姉、兄たちの考え方」(家族)、「親類」、「知人」、「友達」、またいつも大きな力で私たちを押し流す「世の中」というものがある。自分の「個性」を伸すどころの騒ぎではない。まあ、まあ目立たずに、「普通の多くの人たちの通る路」をだまって進んで行くのが、一ばん利巧なのでしょう。
(9)学校の「修身」を絶対に守っていると、その人は「ばか」を見る!
学校の「修身」と「世の中の掟」が、すごく違っている。学校の「修身」を絶対に守っていると、その人は「ばか」を見る。「変人」と言われる。出世しないで、いつも「貧乏」だ。「嘘をつかない人」なんて、あるかしら。あったら、その人は、永遠に「敗北者」だ。
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