昨日紹介した河野原川水系最奥部の田んぼ跡一帯は市有林管理委員会が各戸の分け山とし貸付ている山であり、なぜ谷間の中にぽつんと個人の田んぼがあったのか不思議である。
田んぼ跡から轆轤木谷に残っているかつての山道跡を辿って尾根筋を登って行くと極楽寺道25丁付近(碑はないが)に出た。登っている途中に大蛇が木に巻きついているのではないかと思うような樹木がみられた。今は山に入って手入れすることもなく厄介なカズラもこのように太くなっているのである。
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