洞雲寺本堂の西側廊下脇にある金岡水囲いで、その中に当寺開山の金岡用兼が厳島明神の啓示をうけて得たという金岡水がこんこんと湧出している。
金岡用兼は荒廃していた永平寺の伽藍復興を成し、その功績をたたえるために金岡水と呼び霊水として尊んできたもののようである。
昭和26年(1951)10月14日に来襲したルース台風により中国地方各地で甚大な被害をもたらした。
戸数60戸の中道地区でも家屋の全壊、半壊、埋没など17戸、死者、重傷8名、田畑流失、埋没、道路損壊など多くの被害を受けており、これらの災害復旧を記念してこの石碑が建立されたようである。
極楽寺山の駐車場から極楽寺に向かう参道の脇にある樹が、傍にある樹枝が障害となり枝を食べているようになっている。
以前に看板を食った樹、金網を食った樹を紹介したことがあるが、樹が樹を食っているのははじめてみた。
以前紹介した天神地区の旧西国街道沿いにある西洋様式を思わすような明治天皇御用品奉置殿の前に「皇太子殿下御播種松」「大正15年5月」と刻された石碑が建立されている。
昨日紹介した皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)は大正15年(1926)5月27日御召艦長門で呉港から宮島に着いて厳島神社に参詣、弥山に登られ、翌日山口県内を行啓されている。これらから廿日市への来訪はなく、日付もないので御召艦上か広島で松の種を播かれたものを当地に移されたものとみられる。
宮島桟橋広場から厳島神社に向かう商店街手前に宮尾城跡への石段があり、その脇に皇太子殿下行啓記念碑がある。
皇太子殿下裕仁親王(後の昭和天皇)は大正15年(1926)5月に岡山・広島・山口県内を行啓された。5月27日御召艦長門で呉港から宮島に着いて厳島神社に参詣された。その後帰艦して軽服装に整え弥山に登られ、夜は灯篭流しをご覧になり帰艦された。
皇太子殿下は御召艦長門御座所の御寝室で休まれ、岩惣には東宮侍従、近衛将校が、錦水館には記者、写真班が宿泊している。
翌日宮島口駅から御召列車で岩国駅に向かわれ以降山口県内を行啓された。
20日は梅雨の合間で極楽寺山には多くの中高年登山グループが見られ、極楽寺本堂にお参りしていた。
極楽寺本堂の屋根は江戸期には茅葺きであったようで、明治期に桧皮葺きとなった。
当ブログ主が中学生のころは無住で屋根が傷んでいたが、昭和45年に杮葺きに葺き替えられた。近年傷みが進んだために現在は銅板葺きとされている。
極楽寺山に向かう国道433号線沿いの山には、白い花が咲いたようにマタタビの葉が白くなっている。
花をつけるころに葉の表が白化して受粉をしてくれる昆虫を誘うためということであり、葉の裏側は普通の緑のままである。
マタタビという名前は、「疲れた旅人が、マタタビの果実を食べたところ、再び旅を続けることが出来るようになったということから、「又旅」から名付けられた」とのようである。
極楽寺山にある蛇の池ではピンクや白など色とりどりの睡蓮が池全面に咲きはじめている。
先日水不足で蛇の池の睡蓮や鯉が・・・と報道されていたが昨日の状況ではそれほど深刻な状態ではなかった。余水吐堰から越流するほどの満水ではなかったが尺八型取水樋から農業用水が流出しているようである。
今頃から夏にかけて睡蓮は見頃になるので避暑をかねて足を運んでみられてはいかがでしょうか。
宮島の対岸の大野地区は「宮島・大野景観指定地域」とされて「景観の保全誘導や創造に積極的に取り組んでいく」と定められているようである。
しかし、阿品地区の旧ナタリー跡地には高層マンションが屏風のように林立しており、丘陵地のゴチャゴチャを高層マンションでのカーテンON。
標高509mの駒ケ林から右側は宮島口、青葉台・阿品台団地から左側は宮島高校のある物見団地までの大野東地域を俯瞰する。
大野東地域の海岸寄りの地域は山が少なくなっていることがよくわかり、山の中に位置する宗教団体の建物もよく目立っている。
宮島の最高峰である弥山の西側にある駒ケ林一帯は厳島合戦の古戦場のひとつである。
標高509mの山頂は巨石群のテラス状で、周辺はすくむような高い石崖でここからの眺望はすばらしい。
古い時代にはこの巨石群には神が宿ったり、降りたりする盤座(いわくら)の遺跡を思わすような景観である。
廿日市の街から吉和通りの石州往還で、この前紹介した鶏石から2~300m吉和方面に登って行くと馬庭峠がある。
馬庭峠は標高900mの尾根筋にある峠で、峠の東側には平地広場があり峠名の馬庭から小荷駄馬(背に荷物を載せた馬)をここで休ませていたものであろう。(3月15日探訪)
廿日市駅北土地区画整理などの整備事業で洞雲寺山門前の田畑が掘削されていた。
桜の樹々の間からかいま見える四季折々の洞雲寺・・・冬の雪景色、春の参道の桜、田んぼの菜の花やレンゲ満開,秋の紅葉、駅裏とは思えない街の喧騒から隔絶された美しい景観は終焉した。