宮内天王社拝殿に掲額されている絵馬で大正12年(1923)に氏子によって奉納されたもののようである。
絵馬の画題は源平合戦の名場面である一ノ谷の戦い「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」を描いたものであろうか定かなことは不明である。
宮内天王社拝殿に掲額されている絵馬で大正12年(1923)に氏子によって奉納されたもののようである。
絵馬の画題は源平合戦の名場面である一ノ谷の戦い「鵯越(ひよどりごえ)の逆落し」を描いたものであろうか定かなことは不明である。
宮内天王社の拝殿に掲げてある神額で八阪神社とあり、神額には厳島神社宮司男爵浅野忠純謹書とある。
明治7年(1874)に宮内村内の小祠が天王社に合祀され八阪神社と称されたようであるが、昭和44年(1969)に宮内天王社と改称された。
宮内天王社は宮内村上組の氏神でかつて串戸の藤掛山麓にあったが、津波で損壊したものとみられそれ以降現在地に遷座したようである。
古くは厳島社の摂社で江戸期の地誌によると厳島社の神官によって祭事が行なわれていたようであり、社殿造営の材木は厳島より伐り出されたようである。
宮内天王社の脇にある民家の擁壁と建物の壁に色んな種類のアニメ漫画キャラクターが描かれていた。
ドナルドダック・ディジーダック・ミッキーマウス・ミニーマウス・アトム・ウラン・ジュエルペット-ルビー・ドラエモン・ドラゴンボール・アンパンマンなど孫はすらすらと教えてくれた。
宮内地区北山にある北山観音堂で延享3年(1746)の紀年銘がある十一面観音坐像が祀られている。
江戸期の地誌によると中世、厳島社の神領であった頃の年貢徴収をしていた所務職の屋敷跡であったとの伝承があったようである。また古寺跡ではとも記されているが詳しい由緒は不明であるが古くから信仰されていたようである。。
原地区にある老人保健施設ふれあいライフ原にある建物の壁に描いたような蔦カズラのアートがみられる。
国立療養所原病院時代の建物で現在は使用されてないものだろうか、蔦カズラはすごい繁殖力と生命力でブロック壁にへばり付いている。
昨日は新宮中央公園で毎月20日に開催されている廿日の市が催され、農産物から鉢植え、果物、海産物、手作り小物、衣料品、骨董品等々出店されており多くの買い物客で賑わっていた。
中世頃、天神下の集落においては三日市、七日市、十日市、廿三日市、廿八日市などと不定期に度々市立てが行なわれており、このうち廿日の市立てには市神であるえびす様の御開帳もあり、信仰心の深い近郷近在の人々や商人から廿日の市は特別なものとして著名となって、それが廿日市地名の起源となったものとみられるのである。
原地区にある老人保健施設ふれあいライフ原(旧国立療養所原病院)近くの標高236.2mの山頂に国立療養所と刻されたコンクリート杭がみられた。
点名森宗の四等三角点の脇に建立されており旧国立療養所原病院の用地は山林を含む広い範囲であったようである。
可愛町の福佐売神社本殿裏にある小祠で、当神社社名となった古代の人で節婦榎本福佐売の古墓とされている。
節婦榎本福佐売は古代の文献にみられ安芸国佐伯郡の人であったようで、江戸期に当地にあった福島明神が節婦榎本福佐売を祀った神社であるとされ福佐売神社と称すようになったようである。
可愛町の福佐売神社境内にある稲荷神社で江戸期の地誌にも境内社としてみられる。
稲荷神社に掲げられている神額には藤稲荷大明神と記されているが、江戸期の地誌には稲荷のみ記されているので近代になってからの呼称のようである。
五日市町並みにある五つ神社といわれている小社で、町誌には五祭神が祀られているとされているようであるが、古くから「えびすさん」として親しまれていたようである。
江戸期の地誌には戎社がみられるので、近郷の定期市場の市神として祀られて五日の市開催日には御開帳もあって賑わっていたものと思われるのである。近代になって市神である戎社の存在が忘れられて、五祭神・五つ神社とされたようである。
佐方八幡神社前の道路脇にある石燈籠で、慶応元年(1865)9月に佐方村の若連中によって建立されている。
石燈籠の火袋のみが加工された石が使用されているがその他の部分は大きな自然石を利用した燈籠であり、青年達の奉仕活動によって建立されたものであろう。