教龍寺の鐘楼に懸かっている梵鐘で寛政11年(1799)に広島妙慶院の鐘として船越村の鋳物師植木直昌が鋳造したものである。
妙慶院の古鐘は福島正則が大坂から広島に帰る途中、播磨灘で薬師如来と梵鐘を引上げたものを当院に納められたもので、その後火災にあった毀損梵鐘に他の材料を合わせて鋳造したものがこの梵鐘ということである。この鐘もどのような経緯で当寺のものになったのかは定かでなく流転の梵鐘である。
教龍寺の梵鐘で明徳5年(1394)に筑前州遠賀庄(現福岡県遠賀郡)の黒山千手寺の鐘として鋳造されたものであるが、現在は当寺の所蔵で広島県の重要文化財に指定されている。
この鐘はいつの時代かに黒山千手寺から京都の西本願寺に移り江戸末期に太秦広隆寺の鐘となった。その後どのような経路を辿ったのかは定かでないが、当寺に辿りついた流転の梵鐘である。
教龍寺は吉和集落の東部にある寺で境内のモミジがきれいに紅葉していた。
山門に覆いかぶさるような枝垂れモミジの紅色、経堂裏手の山モミジの黄緑からオレンジ色に紅葉しつつある景色は雪に覆われる前の最後の彩りである。
少し早いのではないかと紅葉狩りを兼ねて山間地を徘徊・・・羅漢渓谷の道の駅スパ羅漢周辺では紅葉が始まっており、コウヤマキの樹々の間にある広葉樹は錦色に染まりつつある。
手前にあった温泉スナック羅漢荘が休業していることを以前紹介したが、この温泉建物は撤去されて更地になっていた。
田中原地区にある速田神社は旧吉和村の総氏神で、古い時代に上平良地区の速田神社(現在速谷神社)が分祀され祀られたものとみられる。
御神体が薬師如来であり大般若経を蔵しているので神仏習合が窺われ、また中世の棟札があることなどからこの社の歴史があることがわかる。江戸時代疫病が流行したときには大般若経を転読して祈祷をしていたようである。
上川上の集落が終わったところから右手のツヅラガ谷を登っていくと大峯山と西大峯山の尾根筋にある西のたに至り、昔はこの山道を通って大虫、大谷、雲出方面に行き来していたようである。
ツヅラガ谷の途中に南無阿弥陀仏と刻された石碑と古七人賊難と刻された石碑が建立されている。大正8年に夢のお告げで建立されたようであるが、定かなことは不明である。
伝説として大峯1050サイトに「のた超え、七人墓、さんのう(山王)さん物語」があるので参照してみて下さい。
地御前漁港に設けられている内側の防波堤で当初は大正5年(1916)に築造されたが、台風により何度か崩壊し復旧工事が行われて現在に至っている。
防波堤はきれいに石積みされたもので、途中の犬走りの上端や堤頂部の上端には面取りがしてあり、海面への石段は長方形の石を使用するなど当時の石積技術が窺われる。
可愛川の最下流にある福佐売井手の跡でJR山陽本線平良踏切のすぐ下にある。
大正15年の地誌には「福佐売井手ハ可愛町民ノ主要ナル用水路トナリ居レリ」とあり、可愛町の人達はこの頃雑用水に福佐売井手の水を使用していたようである。
平成10年アルカディア・ビレッジが造られた時に、廿日市は古くから木工業が盛んであり“木工のまち廿日市”のシンボルとしてこの巨大コマ「童心」が作られた。
鳴り物入りで作られたこの巨大コマは当初中央ロビーに設置されていたが、シンボルのコマも陰が薄くなったものとみられ現在はロビーの片隅に追いやられている。
洞雲寺の向かい側にあった山裾に佐方小学校への通学路があって、その道脇にはミニ四国八十八ヶ所の石仏が安置されていた。
廿日市駅北土地区画整理事業に伴ってこれらの石仏は洞雲寺墓地の前面に造られた新しい通学路の脇に移転安置されていた。
昔からの参道や佐方小学校への通学路は通行止めとなっており、現在は仮設の迂回路を通るようになっている。
地御前神社前の海岸沿いにある建物物で窓すべての上部が尖がっている一風変わった建築物がある。
何の用途かは不明であるが通常のサッシュでなくすべてオーダーメイドの窓枠であり、入口も上部が傾斜した変形ドアーとなっている変わった造りの建築である。
上平良地区の最奥部に河野原溜池があり、その堤防下に周囲をフェンスに囲まれたDog Run Hatsukaichiがある。
ドックランは犬をノーリードで自由に遊ばせることができる専用の広場で、愛犬と一緒に走り、遊び、くつろぐ施設である。
大峯山の三角点から西大峯山方面に向かってしばらく下っていくとブナの巨樹「峯太郎」への表示がありすぐに「峯太郎」はみられる。
ブナの巨樹「峯太郎」の幹周りは約4mもあり、これぞ大峯山の主ではなかろうかというような巨樹である。
大峯山東端にある岸壁上のテラス状になっている部分で、「カムロ懸崖」「縁のタキ」「廻り縁」などと呼ばれているようである。
断崖上から下を見ると股間がスゥーとし目もくらむような高さであり、腰が退けて先端部の真下は見ることができなかった。大峯山頂は山岳信仰の修行霊場を思わすような怪岩奇岩の山である。
大峯山最高所の巨岩の上から周囲をみているとホオノキの実が生っているのがみられた。落下している実をみると異様な形状をしているけれど木に生っているのは始めてみた。
朴の木は版画の版木に使用されており年賀状版画で毎年使用している。また地方に行った時に朴の葉を使った朴葉寿司や朴葉焼きを食したことがある。