『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

厳島神社管弦祭御座船

2021年01月31日 | 廿日市関連

 

 

呉市倉橋町の桂浜を通る県道35号音戸倉橋線沿いに厳島神社御座船を格納した船屋があり3艘の御座船がみられる。看板表示によるとこの御座船は昭和37年(1962)と昭和61年(1986)に建造使用されたもののようである。旧暦の6月17日に行われる厳島神社の管弦祭に使用される御座船は江戸期から倉橋御用講の有志によって奉納されているようである。

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砲台山からの遠望

2021年01月30日 | 登山

 

 

呉市音戸町の中央に伸びる通称砲台山の尾根の一部を歩き展望岩場から南側の遠望で、手前には先奥の集落、奥の内港がみられる。その先には情島とずっと先には四国の山々が遠望できる。標高330.83mの三角点の点名は毘沙門とあり、近くに早瀬砲台があったため通称砲台山と呼ばれているようである。

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遊びの菜園-廿日市16代目桜島大根・廿日市6代目切葉松本地大根

2021年01月29日 | 農業

 

 

廿日市16代目桜島大根(上画像)と廿日市6代目切葉松本地大根(下画像)の現在で、正月の寒波で下葉が凍みて枯れ葉となった。桜島大根、切葉松本地大根とも本来の形状から変わって両方とも似たような形状になったようにみられる。
桜島大根と切葉松本地大根はそれぞれの地を旅行した際に種を購入して育て、その種を毎年採っているもので、食もせず手間暇かけてこの地でどのように育っていくのか見るだけの遊びの菜園である。

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白日峠の呉軍港境域標石・標札板

2021年01月28日 | 近代戦争遺跡

 

 

 


呉市の広地区と仁方地区とを結ぶ旧仁方トンネルが出来る以前の山越え白日峠に大正15年(1926)11月に建立された呉軍港境域標石が残されており、その脇にコンクリート製の標札板がみられる。標札板には下画像のような禁止制限事項が表示がされていたのである。(下画像-海軍諸例則)

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コンクリート船(武智丸)

2021年01月27日 | 近代戦争遺跡

 

 

 

 

 

「かちかち山」の狸が乗せられた泥船ならぬコンクリート船を見るために呉市安浦漁港に向かった。漁港の先端部にコンクリート船2艘を連ねて防波堤とされており、手摺が設けられて一部の船内なども見物できるようになっていた。
このコンクリート船は呉海軍軍需部に所属していた重油船(700屯積)5隻の内の2隻で、昭和18年(1943)12月には雑役船に編入されている。舞鶴海軍工廠において武智造船所にて委託製造されたようであり、当初は公称番号で呼ばれていたようであるが現在は製造所名を採って武智丸と呼ばれている。

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トッピン

2021年01月26日 | その他

 

子供の頃の飲み物といえば昨日紹介したラムネかサイダーとトッピンがあった。トッピンとは肉桂水で田舎の貧乏暮らしではなかなか口にすることがなかった。画像のものは懐かしかったので数十年前に買っていたもので、赤いニッキ水はハタ鉱泉、緑のニッキ水は四国明治飲料、空瓶のニッケ水はオーパイが製造していたものである。昔の蓋はコルク栓だったように記憶しているが・・・

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ラムネ瓶

2021年01月25日 | その他

 

 

 

一昨日「瓶ラムネ製造90年に幕」と新聞報道されており、広島市域ではラムネ製造工場は無くなったようである。最近見かけるラムネ瓶は上部がプラスチック蓋としてある。上画像のラムネ瓶は昔から通常みられるリサイクル瓶で、ビー玉が落ちないようにくびれがありその上部分に2ケ所の凹みが付けられている。下画像のラムネ瓶は特注品のもので瓶には「カネ吉 ラムネ製造所」反対側には「山崎商店」とあり、くびれ上部分に4ケ所の凹みが付けられているがこの凹みは何のために付けられているのであろうか。

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文字の蔵飾り

2021年01月24日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

玖島地区を走っていると民家土蔵の蔵飾りで福寿と表されているものがみられる。当家の幸福で長寿を祈念して表示されたものであろう。他所の蔵飾りでは福の字・寿の字のみのものもみられ何れも縁起の良い漢字でありこの字が用いられたものとみられる。

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金尾松山の陸軍輸送港域標石

2021年01月23日 | 近代戦争遺跡

 

 

 

三角点がある金尾松山山頂から少し西側に下がった所に陸軍輸送港域標石が建立されており、標石には「陸軍輸送港域第二区標」「昭和十五年六月十日」「陸軍省」「第五一號」と刻くされている。先に公布・施行されていた宇品港域軍事取締法が昭和15年(1940)に陸軍輸送港域軍事取締法と改称されており、陸軍輸送港域内は一区と二区に分けられた。この標石は下画像の赤丸ケ所で、陸軍輸送港域内の区域によって色々な禁止事項や制限などが行なわれていたようである。(陸軍輸送港域図-アジア歴史資料センター)

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金尾松山登山

2021年01月22日 | 登山

 

 

 

旧石州往還道を泉水峠方面に登っていると金尾松山の隣接山林が広く伐採されて開けていた。伐採地を登って久しぶりに標高656.06mの金尾松山山頂に向かった。山頂には4等三角点があり点名は大谷山となっていた。山林字名は金尾松山であるが・・・  下画像は伐採地上部からの撮影で下方の谷部分に旧石州往還道があり、正面の山の向こうが野貝原高原である。

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旧石州往還道(県道294号・虫道廿日市線)探訪

2021年01月21日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

 

 

泉水峠付近で林道工事が行われていることを以前紹介した。玖島方面から車が通れる道で泉水峠との中間付近から藪化した旧石州往還道(県道294号・虫道廿日市線)が残されている。林道工事で消滅してしまうかも知れないので探訪してみた。往還道跡は小笹や雑木が茂ってほとんど藪漕ぎ状態であり一部画像のようなところもみられた。途中で松の倒木に大きなサルノコシカケが生えていた。

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室浜砲台跡

2021年01月20日 | 近代戦争遺跡

 

 

 

 

昨日ふれた広大宮島自然植物実験所敷地内にある室浜砲台は、明治29年(1896)5月に呉港を含む広島湾の防禦計画が確立して各砲台建設の準備開始となり、室浜砲台は明治31年(1898)10月に起工し翌年3月に竣工している。明治35・36年(1902・03)には砲座改築や弾蔽、兵舎、野営床増設などが行われている。
大正15年(1926)6月に軍令陸乙第9号で広島湾要塞は廃止となっており、10月に宮浜砲台跡は内務省に移管し、昭和38年(1963)に広大宮島自然植物実験所の所管となったようである。(室浜砲台之図-アジア歴史資料センター)

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広島湾要塞第三地帯標石

2021年01月19日 | 近代戦争遺跡

 

 

大野鉱山跡に向かう途中の林道脇に地蔵堂があり、その隣に陸軍省と刻された標石がみられる。標石には「陸軍省」「広島湾要塞第三地帯標」「第五号」「明治三十二年六月」と刻されている。(現在は埋め込まれて一部しか読み取れない)一部では大野鉱山との関りを記されているものもみられるが全く異なった目的で建立されたものである。この標石は要塞地帯法の第三区域を示すもので大野瀬戸に設置された室浜砲台(現広大宮島自然植物実験所ケ所)からの距離2250間(4095m)の区域線上に建立されたものである。参照「呉要塞区域標石

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大野鉱山跡 ②

2021年01月18日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

 

 

当ブログ主が小学校高学年の頃、同級生数名と理科の得意な先生に連れられて大野鉱山跡を訪れた。鉱石を探しながら高見川を遡って行く途中に階段状の構築物があったことと同級生が大きな水晶をみつけリックサックに入れて持ち帰ったことを鮮明に記憶しているのである。
この階段状の構築物が選鉱場跡であり、十数年前調査に訪れてからの久々の探訪であるが雑木や羊歯が繁茂して藪漕ぎ状態で一部の探訪で撤退した。この段状の平坦地で鉱石が順次破砕分離されて有用鉱物が最下段の集積槽に集められ林道脇の石積みのある集積場に運ばれたものとみられるのである。

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大野鉱山跡

2021年01月17日 | 「大野地区」ぶらり

 

 

 

 

 

 

襄ケ嶽にある坑道は高見川支流の右岸に二ケ所、左岸に一ケ所みられ坑道の中には当時の坑木が残っている。何れも崩壊の恐れがあり坑道内を伺うことは出来ない。右岸の高い位置にズリがみられるので坑道があるものとみられるが急斜面で羊歯が生い茂って近づくことが出来ない。かつて坑道から左岸に設けられていたトロッコ道で鉱石を選鉱場に運ばれていたようである。土石流で流されたトロッコレールの残骸が巨岩の間にみられる。坑道がある手前には石積みの平壇がみられ鉱山の作業施設跡とみられるのである。「参照-大野鉱山

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