可愛川河口付近の土手道脇にある駐車場の片隅に旧国鉄の貨車を利用した倉庫が設置されている。
この貨車は有蓋車ワム66733形とみられ、『ウィキペディア』によるとワム60000形は、旧国鉄が昭和36年(1961)から製作した 15 t 積の貨車(有蓋車)で、昭和59年(1984)の国鉄ダイヤ改正の貨物輸送体系転換で運用は停止されたようである。
当ブログで何度か紹介している旧一茶苑が生まれ変わった庭園れすとらん「ふじ田」が3月いっぱいで廃業されていた。宮島を借景とした日本庭園を観ながらの穴子料理「穴子まぶし膳」は美味しく楽しむことが出来たのだが・・・
前庭には昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓の碑や高松宮、三笠宮殿下、秩父宮妃殿下などの御成の碑が残されておりかつての一茶苑を偲ぶことができる。
以前紹介した1050年祭紀念碑がある津田八幡神社の拝殿で、拝殿新築記念碑によると昭和41年(1966)10月に改築されたようである。
この拝殿は伝統的な床組方式でなく土間となっており、椅子席で参拝出来るようになっている。早い時期から時代を先取りされているが当時は少々抵抗がある人もいたのではなかろうか。拝殿内部にはずらりと奉納絵馬が掲額されている。
昨日は呉市川原石埠頭に寄港していた海上自衛隊所属の砕氷艦「しらせ」を探訪した。
艦内の操舵室、居住室、理髪室、コンテナ置き場、南極の氷、石、隕石などを見物し、以外だったのは艦内神社で富士山本宮の浅間大社の分祀が祀られていたことである。ネットによると歴代の「宗谷」、「ふじ」、「初代しらせ」にも浅間大社の分祀が祀られていたとのことである。
11月中旬には第52次南極地域観測隊を乗せて南極の昭和基地を目指し来年4月に帰国する予定のようである。
冠高原のスキー場跡にある山の家の廃墟脇に残されている自販機で、スキー場が営業していた頃には多くの人が利用したであろう。
飲料の値段が110円なのでネットによると平成4年(1992)から平成10年(1998)の間のものとみられるが、スキー場の営業は何時までされていたのだろうか。
報道によると10月からタバコが値上げされるようであるが、畑口地区の民家軒先にレトロなタバコ自販機が残されている。自販機には230円の銘柄が多く240円、250円、260円、280円のものもみられる。
当ブログ主はタバコに縁がなかったので詳しいことは不明であるが、ネットによると平成9年(1997)4月の煙草税増税施行から翌年(1998)12月に施行されたタバコ特別税の間に設置されていたもののようである。
毎年桜島大根の生育状況を時折紹介しているが、今年で廿日市6代目の桜島大根の芽が出てきた。
当ブログ開始の前年、平成17年に鹿児島旅行した際に桜島大根の種を購入し蒔いて毎年種を取り育てたもので、今シーズンはどのようなものが出来るか楽しみである。
昨日は仲秋の名月であったが二重原地区にある八幡神社では例年のごとく14日のヨゴロに放生会が催された。
天文16年(1547)の大願寺領所務帳(尊海文書)に「へらにゑ原領之事」として「ほうしやうゑニ白さけ五升あり」と記されており、戦国時代の頃から八幡神社の氏子によって連綿と放生会が催されてきているのである。
津田八幡神社境内入口付近に建立されている満一千五十年祭紀念碑で、何と仁和3年(887)に鎮座されてから1050年祭の記念に建立されているのである。
史的根拠には乏しいが神社伝や江戸期の地誌には仁和3年(887)に鎮座とあり、昭和62年(1987)には鎮座1100年祭が行われたようである。
以前に吉和中学校校庭の片隅に左手を添えて立ちションしている小便小僧の像を紹介したことがあるが、すでに中学校校舎や小便小僧像もすべて無くなっていた。
吉和小・中学校は平成21年4月1日から元小学校の地で小中一貫教育(一体型)が同じ敷地・校舎のもとで始まったためのようである。
存光寺脇から今伊勢神社に向かう長く急な石段の途中にある鳥居で厳島神社の大鳥居と同じ両部鳥居が石造で建立されている。
紅葉谷にある四宮神社の鳥居は岩惣の当主夫妻が寄進建立したものであるが、この鳥居は明治40年(1907)に夫人の寄付にて建立されている。
佐方小学校付近の高台から見た洞雲寺門前で行われている廿日市駅北土地区画整理事業の現在の進捗状況である。ここには山や田んぼがあったのだが・・・
洞雲寺門前では配水管ブロックや擁壁ブロックのようなものが真っ直ぐに設置されており、道路に関連する施設であろうか着々と整備が進められているようだ。
JR宮島口駅の跨線橋でこの跨線橋も耐用年数の過ぎたレールが再利用されているが厚い塗装により鋳造年を表す刻銘は確認できなかった。廿日市駅や大野浦駅の跨線橋骨組みとは少し異なっている部分があるので築造された年代は少し違っているのかも知れない。
宮島観光の玄関口である駅の跨線橋支柱部分や階段支柱は雑然と複雑に組み合わされて、ロープでの進入禁止など少し美観を損ねているようである。
当ブログ休止中に臼杵の石仏群を30数年ぶりに訪れた。
当時各石仏群は雨ざらしであったが現在は上屋が設けられており、臼杵の石仏群で著名な大日如来像の頭部はかつて下に安置されていたが本来の姿に復旧されていた。