昨日紹介した元車庫の軒下にはかつて田植えの時に使用していた六角ワクが吊り下げられていた。
田植え前の田んぼに六角ワクを回転させてワクの跡を付けてその交点に苗を植えていくので、三角ワクでは後下がりに植えていくが六角ワクの使用で前進方向に植えていくようになった。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
川末地区にある元車庫の軒下に負い子、足踏み脱穀機と上にはムシロかカマスがみられるが何れも朽ちかけている。
子供の頃足踏み脱穀機を踏んで脱穀を手伝っていたのをかすかに思い出した。負い子はニコとも言っていたような気がするが・・・親たちがよく使用していたものだ。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
天神山の石段を上って行くと法面保護されている部分に沢山の不思議な突起物がみられる。
これは地山にアンカーを埋め込んで固定させてその張力でコンクリート井桁を安定させており、締め付け部保護の突起物のようである。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
中央市民センター(中央公民館)正面に「ありがとう~中央公民館~」と横断幕が掲示されており、昭和47年(1972)に建築された現在の中央市民センターは今年度末で取壊されて新中央市民センターとして建替えられるようである。
この地にはかつて擬洋風建築の佐伯郡役所建物が残されていたが、この中央公民館建築のために昭和46年(1971)に取壊されている。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
昨日紹介した横道をそれて四季ケ丘小学校上方面に下っていると山の斜面に見たことがない装置が設置されていた。
この場所は四季ケ丘公園(ポポロの森)の上流域に砂防堰堤が沢山設置されて砂防堰堤銀座であると紹介したさらに上流部であり、土石流の検知をする装置のようであり砂防堰堤が設置される以前のものであろうか。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
昨日紹介した鉄塔がある尾根道から横道山・折敷畑山の中腹を横切って黒折地区に抜ける道が中世の石州道で、交通機関が発達するまでは利用されていた道であった。
この横道を通って黒折地区まで探訪しようと思ってみたが・・・中電の管理道として使用されているところまでは簡単に行けたがそこから先は道筋が細くなって途中から見失った。そのまま樹間を進んで行くと横道とは違った山道に出たので踏破は諦め下って行くと四季ケ丘小学校隣のもみじ公園上に出た。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
宮園上地区にある廿日市変電所上で平良と宮内境の尾根筋にある高圧線鉄塔を下からみるとなんと複雑な骨組みとなっている。
主柱は4本であるが上部では小部材が縦横無尽に配置されており、鳥が小枝を集めて巣を作っているようにもみえる。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
昨日、原矢ノ崎地区をウォーキングしていると猿の群れが畑方面から道路を横切って竹薮に向って逃げていった。
遠くからなので分からないが小猿が何かを抱えており、この付近は山に近いので丹精込めて野菜を栽培しても色々な動物の被害をうけるのである。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
山陽自動車道高架下の側道から時折紹介している長野川の架橋工事をしている間の改良工事が始まるようである。
予定地内には工事の遣方杭が各所に設置されており、昨日現地説明会が開催され工事概要の説明があった。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
串戸地区にある広田神社の玉垣脇に「東方ヨリ抽籤番」「大正十年辛酉一月建之」と刻された標石がある。
誰しも寄進した玉垣に刻された名前が良く見える位置に設置してもらいたいと望むであろうが、大正10年(1921)に建立された玉垣は東方から抽選順番に建立されたようである。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
下平良可愛地区にある広電の柳庵2踏切り(中画像)であるが、柳庵1踏切りは見当たらない。
しかし、柳庵2踏切りの近くにはかつて踏切りがあったと思われる通行禁止表示がみられるので、里道がとぎれたところに柳庵1踏切り、柳庵3踏切りがあったものとみられる。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
川末地区の元車庫外壁に吊り下げられているスキで前日に紹介したものよりは新しい時代のものである。
右側のスキには鉄製の犂先と土を犂いて反す犂ヘラが付いており木製のものより進化している。左側のスキは二段犂でより進化したもので土を細かく耕すことが出来たものと思われる。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
下平良地区の民家納屋にかつて馬や牛に引かせて田畑を耕していた古い時代のスキを保管されていた。
以前紹介した原地区にあったものと同時代のもので柄の部分とトコ部分及び引き棒部分は木の曲りをうまく利用したもので、トコ先には金属製の鋤先を付けないで耕していたものと思われる。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
下平良小野地区の市道脇にいいさん水と名付けられた湧水場があり近くに水神さんが祀られている。この隠れた名水を汲みに来る人が多いそうである。
かつて湧水池があったようであるが市道の拡幅に伴って埋没したので湧水をパイプで現在場所に流出させているようである。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~
廿日市スポーツセンター南側の駐車場隅に建立されている旧平良村・宮内村境標石であるが植木に隠れて誰も気付かないような所にある。
かつて平良地区から宮内地区へ通じていた越峠垰(こいとうだお)道に建立されていたが、県道247号線廿日市港線の築造で個人が保管されていたものを現在地に建立したものである。
今日も元気で徘徊。。。。 ~~~