『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

桜満開

2021年03月31日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

ウォーキング途中のふれあいライフ原(元国立原病院)の門柱脇にある桜の老樹は満開であった。また時々紹介している伊勢神社境内の桜の老樹も満開であり、色褪せたボンボリが吊り下げられているが夜は点灯されるのであろうか。

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平良小PTA新聞-せんだん

2021年03月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

昨日、平良小学校のPTAが発行している「せんだん」が届いた。このPTA新聞は校区の各戸に配布されているようである。当ブログ主が小学生の頃には校庭の隅に大きな「せんだん-栴檀」の木があったが(上画像赤丸)、昭和46年(1971)に新校舎の建築に伴って伐採されたようである。みんなの憩いの場所であった「せんだん」の木を偲んで昭和50年(1975)にPTA新聞の題字とし、かたちは変わっても平良小を見守り続けている。(画像-我が平良小百二十九年より)

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北村湖春の句碑

2021年03月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

住吉神社の境内に芭蕉(はせを)の葉が彫られた北村湖春の句碑が建立されている。芭蕉の葉が彫られた句碑には「にょきにょきと 帆はしら寒き 入江かな」と刻されている。この句碑は弘化3年(1846)に建立されており、同様の句碑が横須賀市の叶神社境内にも建立されているようである。

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住吉神社の神額

2021年03月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 



先日紹介した廿日市港近くにある住吉神社の神額で「弘化五年戊申正月七十七翁三石澤喬書」とある。弘化五年(1848)正月に広島藩御年寄の沢三石(喬)が77歳の時に揮毫している。厳島の千畳閣に下画像の沢三石の墨書額が掲額されている。(下画像-平成絵馬鑑より)

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春爛漫

2021年03月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

原地区をウォーキングしていると立善寺境内の桜が満開であり、橋本集会所(旧原村役場跡)の老木の桜も満開であった。橋本集会所裏手で長野川沿いには新緑と濃いめのビンク色(樹木名不明)と桜の花の色合いが綺麗である。

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広電宮島線の駅-山陽女学園前駅

2021年03月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

山陽女学園近くにある当駅は昭和25年(1950)に山陽女学園駅として開設され、昭和38年(1963)頃に山陽女子大前駅と改称しているようである。平成31年(2019)に山陽女学園前駅と改称している。上下線のホームは低床ホームとなっているが、かつての鉄道車両の高ホームの名残りであろうか上屋に段差がみられる。(Wikipedia参照)

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高尾山遺跡探訪

2021年03月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

一昨日、高地性集落遺跡に興味を持った人達6名を何度か紹介している高尾山遺跡に案内した。遺跡と言っても現在は普通の山であるが、立地は中世の山城のような所である。かつて数度の山崩れで標高267mの最高所から丘陵尾根筋約200mの範囲の斜面から弥生土器を採集しており、分布試掘調査も行われて、弥生中期末頃から形成され後期終末まで存続した中心的な高地性集落遺跡とみられている。(廿日市町史通史編(上)参照)

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広電宮島線の駅-地御前駅

2021年03月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

大正14年(1925)広島瓦斯電軌の宮島線終点として地御前駅は開設され、翌年に新宮島駅まで宮島線は延長されている。昭和62年(1987)にホームが移設されており、地御前踏切を挟んで広島側に上り線ホームがあり、宮島口側に下り線ホームがある。両ホームにはかつての鉄道車両専用の高床ホームが残されている。(広電社史参照)

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枝垂桜満開

2021年03月23日 | 「廿日市地区」ぶらり

 


ウォーキング途中にある枝垂桜がほぼ満開であった。毎年紹介している河野原大歳神社の桜は6~7分咲きぐらいであろうか。春爛漫、巷ではウグイス嬢が・・・

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速谷神社の今

2021年03月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

速谷神社では令和6年(2024)の創建1800年大祭を前に順次改修工事が行われており、社殿を囲む板玉垣には儀式殿に向かう門が新しく新築されていた。鳥居も老朽化のために建替え工事が行われるようで地盤調査のボーリングが行われていた。

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広電宮島線の駅-地御前海岸臨時駅跡

2021年03月21日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

地御前神社の石鳥居前を通る広電宮島線にホーム跡が残されている。ここは地御前海岸臨時駅の跡でこの前面の海岸はかつて海水浴場であった。昭和33年(1958)夏には広島~宮島間に海水浴直通電車が運転されていたようであり地御前海岸臨時駅にも停車していたものと思われ、管弦祭の日も臨時停車していたようである。
下画像をみると何時ごろか不明であるが7月7日から8月31日まで開設されていたようである。この画像では高床ホームのようであり現状は低床ホームになっているので、高床車両の時代から低床車両の時代になってからもこの臨時駅は使用されていたようである。(広電社史参照)

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広電宮島線の駅-阿品東駅

2021年03月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

昭和6年(1931)に宮島線の開通時に阿品駅が開設され、昭和29年(1954)に地御前県病院前と改称された。昭和47年(1972)に病院は廃院となったため阿品駅に再改称し、平成13年(2001)先日紹介した田尻駅が広電阿品駅と改称のため当駅は阿品東駅と改称した。上下線ホームの宮島口側にはかつての鉄道車両専用の高床ホームが残されている。(広電社史参照)

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街路畑口寺田線整備工事の今

2021年03月19日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

時折り紹介している都市計画街路畑口寺田線整備工事の進捗状況で、佐方川と鴨原踏切北交差点上の佐方大橋の橋梁工事は終わっているようであり、現在佐方側の斜路部分と接続道路部分の工事が行われていた。

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明治天皇御駐蹕遺跡

2021年03月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

 

廿日市町並みの天神地区にある廿日市招魂社境内には明治天皇御駐蹕遺跡碑と明治天皇御用品奉置殿がみられる。昨日紹介した御上り場に着御上陸された明治天皇は陸路御馬車で広島に向かわれる途中、現廿日市招魂社の地にあった岩尾沢太郎家で御小休された。明治天皇御用品奉置殿は篤志家の浄財で元郡役所の奉安殿を譲り受け、御小休時の御遺物が安置されているようである。

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御上り場-西幸記念碑

2021年03月17日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

広電宮島線沿いの海岸に「おあがり場公園」があり、公園内に西幸記念碑が建立されている。明治天皇は明治18年(1885)7月31日山口、広島、岡山三県の巡幸で三田尻(防府)から御召船横浜丸(運搬船敦賀丸)で宮島に着御、厳島神社を参詣、大聖院が行在所であった。翌8月1日に行在所を発し御召船横浜丸でこの場所に着御上陸されたところで、昭和6年(1931)に西幸記念碑が建立されたようである。

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