一昨日からのミステリーツアーで昨日は長野県諏訪市の諏訪大社を参詣した。先日報道されていた御柱祭の御柱のうち二本を拝見、他は時間の関係で見ることが出来なかった。
昨晩は群馬県嬬恋村の日本最高地温泉、万座温泉に宿泊した。 今日はどこに行くのでしょうか????
昨日からミステリーツアーに参加しており、昨日は山梨県笛吹市の石和温泉に宿泊しています。例の如く周辺を徘徊していると八田家御朱印屋敷跡、八田家書院があった。武田家家臣であった八田氏は武田家滅亡後に徳川家康に仕えて拝領した用材で構築した書院のようである。表門は石和陣屋表門を移築したようである。
ホテルから慣れぬタブレットから更新しています。今日はどこに行くのでしょうか???
吉和地区では見たことがないような六角枠と筋付け合わせたような効率的な民具が使用されていたようで、引っ張って行くと縦筋と交点の跡が付いていくものである。
下画像は吉和地区の他所にある民家跡の軒下に同じような民具の残骸がみられたので吉和地区ではこの民具が普及していたもののようである。
上画像は以前宮内地区でみかけた筋付けで引っ張って筋を付けていたものであるが、下画像(廿日市町史)の筋付けは押して筋を付けていたものである。
縦筋の上に植えていくので早乙女(近所のおばさん)によって間隔が不揃いになるが、この頃から手刈りから手押しの稲刈り機が普及してきたので筋植えとなったのではなかろうか。
以前に各地でみかけた六角枠で上画像は原地区、中画像は宮内地区、下画像は津田地区で保管されていたものである。
昨日紹介した三角枠では後下がりに回転させながら植えていたが、六角枠は田植え前の田んぼに回転させて枠の跡を付けてその交点に前進方向で早乙女が苗を植えていくので効率的になったのである。
上平良地区ではぼちぼちと田植えの準備をしている田んぼもみられる時期となってきたが、隣接の朽ちはじめた木納屋の上から田植え用の三角枠が出てきた。(下右画像は原地区で撮影)
当ブログ主が子供のころから三角枠を使用しており田植え縄や田植え枠(下左画像・廿日市町史)などを使用していたのは記憶がない。この三角枠で田植えをする姿を写真に撮りたいが早乙女が・・・
高松市一宮町にある讃岐国一の宮の田村神社で旧社格は速谷神社と同じ国幣中社であったようである。当神社の御神体は奥殿内の出水の淵で珍しいものである。
境内には多くの末社が祀られておりその中に安芸国厳島神社を分祀して市杵島姫命を祀っている宮島社があり芸能の神様とされている。
大麻比古神社の境内地にはアーチ状の2ケ所の石橋がみられる。本殿裏側を流れる谷川に架けられたドイツ橋と心願の鏡池に架けられためがね橋がある。
第1次世界大戦時、中国青島で捕虜になったドイツ兵士が近隣の坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごし、地域との交流の中で大正6年(1917)から大正8年(1919)にかけ地元への感謝を込めてめがね橋やドイツ橋などが築造されたようである。
初夏を思わすような昨日、平良小学校の運動会が開催され将来を担う平良っ子たちが元気良く競技をしていた。日陰が少なく炎天下での応援もいささかくたぶれた。
平良小学校を卒業してから何年になるだろうか今秋同期生が集う予定であるが・・・ 1年ぶりに平良小学校校歌を歌った。
♪ 平和を心のまもりとし たがいに仲良くむつまじく 学びの道にいそしみて 文化の華につちかわん ♪
昨日紹介した大麻比古神社の拝殿前には江戸期の宝暦12年(1763)に寄進された赤い前掛けをした狛犬がある。(左画像上下)
境内手前にも慶応4年(1868)に寄進された狛犬があるが前足部分には仙人ではないかと思われる像が刻されている。像をみると杖を持ち口から五色の雲を吐き風や雨を起こし眼は千里を見、急速に飛び上がって変化し咒水によって人の病気を治すことができたという《列仙全伝》にある玉子(章震)を表しているのではなかろうか。
鳴門市大麻町にある阿波国一の宮の大麻比古神社で旧社格は速谷神社と同じ国幣中社であったようである。境内には樹齢約1000年の大楠の御神木があり鳴門市の天然記念物に指定されている。
社伝によると麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産し殖産興業の基を築き国利民福を進めた太祖である天太玉命(大麻比古大神)を阿波国の守護神として祀ったようである。
昨日紹介した伊弉諾神宮にある手水鉢は、豊臣秀吉の大坂城築城の際に運搬中海没していたものを幕末期に引き上げて手水鉢に加工し嘉永3年(1850)に奉納されたようである。
境内にある茅葺の神輿庫は江戸期文化5年(1808)に阿波藩主が造営寄進したようで中には六角鳳輦型の御神輿が格納されている。
昨日は淡路市多賀にある淡路国一の宮である伊弉諾神宮を参詣した。古事記、日本書記の神代巻に創祀の記載がある最古の神社のようで、イザナギノミコト、イザナミノミコトが祀られているようである。
宿泊ホテルから慣れないタブレットから更新、本日は阿波国、讃岐国一の宮に参詣予定である。
高梁市中心部を流れる紺屋川にはこれまで見たことがない橋の上に恵比寿神社が2ケ所も祀られていた。(上画像で川上流にみられる樹木手前にもう1社祀られている)
高梁七恵比寿として城下町の繁栄していた頃に祀られたものであろうが、現在ではこのような川上の鎮座は不可能と思われ珍しい神社ではなかろうか。
紺屋川付近の町並みを歩いていると元醸造家の大きな町屋があり2階の虫籠窓が特徴的であった。
木瓜縁で縦格子とした虫籠窓が手前に2ケ所とずらりと並んだ縦格子の虫籠窓があり、画像では見えにくいがその向こう側に木瓜縁で縦格子とした虫籠窓が1ケ所ある大きな間口の町屋である。