伊吹堂亀屋佐京商店
伊吹堂のもぐさ
柏原宿歴史館(旧松浦氏住宅)
信州の桜探訪からの帰路犬山城の次に中山道の柏原宿跡の街並みを探訪した。柏原宿には天保14年(1843)頃にはもぐさ屋が9軒あったようであるが現在では伊吹堂亀屋佐京商店のみのようである。
子供の頃悪いことをすると「ヤイトウ」をすえられたことがあり、腹痛の時に足の指に「ヤイトウ」をすえてもらったことを思い出した。もうすぐ農作業が忙しくなり肩が凝ったらお灸をしてみよう。
伊吹堂亀屋佐京商店
伊吹堂のもぐさ
柏原宿歴史館(旧松浦氏住宅)
信州の桜探訪からの帰路犬山城の次に中山道の柏原宿跡の街並みを探訪した。柏原宿には天保14年(1843)頃にはもぐさ屋が9軒あったようであるが現在では伊吹堂亀屋佐京商店のみのようである。
子供の頃悪いことをすると「ヤイトウ」をすえられたことがあり、腹痛の時に足の指に「ヤイトウ」をすえてもらったことを思い出した。もうすぐ農作業が忙しくなり肩が凝ったらお灸をしてみよう。
信州高遠城跡の桜探訪からの帰路に愛知県犬山市にある国宝5城の内の一つである犬山城を二度目の探訪をした。土曜日であったためか城も城下町の街並みにも大勢の観光客がみられた。
本町通りから一つ東側の通り沿いにある慶長2年創業とされる和泉屋小島醸造の累代家伝の秘宝といわれる荵苳酒をと購入に訪れた。小島住宅主屋・座敷・北蔵・寄付などは登録文化財に指定されているようである。
長野県の珍味であろうかいなご甘露煮、蜂の子佃煮、さざ虫佃煮などがあった。いなご甘露煮を求めてみたがじっくり見ないで食べればなかなか美味しいものである。昔は田んぼにいなごが沢山いたが食べれると思ったことはない。
駒ケ岳SAから見た中央アルプスの残雪であり山名表示板があったが写し損ねた。極楽寺山には年に2~3度位冠雪があるがすぐに消えてしまう。
箕輪町で見た火の見櫓
南箕輪村で見た火の見櫓
中央自動車道の伊那ICに向けて国道153号線(三州街道)を走っていたら箕輪町と南箕輪村内で廿日市市域や周辺では見られない火の見櫓があった。
伊那市内を通過中も火の見櫓を見かけたが後続車などによるタイミングで通り過ぎた。長野県内には多くの火の見櫓があるようで「透明タベストリー」さんが数多く紹介されている。
本陣跡
脇本陣跡
昨日紹介した諏訪大社下社には下調べもなく急遽探訪したがこの地は中山道と甲州街道の分岐点で温泉のある下諏訪宿跡のようであった。諏訪大社の手水舎や公衆便所の手洗いに温泉が・・・
下諏訪宿の街並みには本陣跡や脇本陣跡など古い町屋が多くみられたが予定していない場所でありゆっくりと探訪することが出来なかった。
神楽殿
拝殿
御柱(右側一之御柱、左側二之御柱)
高遠城跡の桜を堪能してホテルには少し早かったので足を延ばして諏訪湖の北側下諏訪町にある諏訪大社下社秋宮を参詣した。昨年5月に諏訪大社上社本宮を参詣しており諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社のようである。
正面に大きな注連縄が架けられ賽銭箱があるので拝殿かと思っていたら神楽殿のようである。神楽殿の後側に二重楼門造りの拝殿、さらに両側に拝殿が並んでその奥に二殿の宝殿がある。
高遠城跡の桜遠望
先日、旅先からブログ更新していた高遠城跡の桜をもう一度。訪れた日は満開であったが生憎と曇天であり桜と南アルプスの残雪の構図はうまく撮れなかった。
金曜日でも車が渋滞していたので土・日曜日は大変な人出であったろう。
一昨日の長野県伊那市高遠城跡の桜見物から昨日は犬山城、中山道の柏原宿、鳥居本宿から彦根城を探訪した。彦根城は現存天守閣12城の一つで今回3度目の探訪となった。
大河ドラマの影響で彦根城は多くの観光客で賑わっていた。ホテルからなれないタブレットからの送信です。
昨日は信州伊那(長野県伊那市)の高遠城跡の桜見物をした。遠距離でいささかくたぶれたが「天下第一の桜」と称される城跡の約1500本の桜樹林は満開であり疲れも吹き飛んだ。
高遠町内には沢山の桜の木が植樹されており街中桜色に染まっていた。今日はどこを徘徊しようか。
匹見町側から石州往還の痕跡を探訪しようと赤谷林道を入って行くと林道脇に何の樹であろうか巨木があり根元には大きな樹洞があった。
樹洞の中で熊が冬眠しているのではと覗くことをせずビクビクしながら早々に立ち去った。
佐伯区白川地区にある民家土蔵の蔵飾りで当家が益々繁栄して財産が増えることを祈念し「財盈」の文字を表しているようである。
以前に紹介した湯来地区にある民家土蔵に表してあった「貨殖」も当家が益々繁栄して財産が増えることを祈念したもので似たような蔵飾りである。
匹見町山根地区にある浄土真宗本願寺派の龍光山善正寺で石見匹見町史によると元吉和村にあったが匹見に檀家が多かったので近世の初めごろ当地に移転したという。
江戸期の吉和村地誌をみると「廃寺、善正寺、右何宗□而いつ之頃退転仕候哉相知不申尤旧地者今ニ善正寺と唱来」とあるが旧地はどこであるのか定かでない。古い時代には石州往還を経て当地と交流のあったようである。
益田市匹見町千原地区にある民家でかつて草葺屋根であったものが薄鉄板葺きとされており棟妻の三角部分に当家の苗字か屋号の一字であろうか丸に久の字と日月文が表されている。
かつて草葺屋根の頃には棟妻の三角部分は煙出しとなっていたものとみられ、薄鉄板葺きの際に棟妻飾りが施されたようである。石燈籠では日月文はよくみられるが屋根の棟妻飾りでは初めてみるものである。
上平良地区、国道433号線の山陽自動車道速谷高架下交差点から宮内黒折地区に通じる一般県道の廿日市環状線道路改良工事が始まった。速谷高架下交差点から可愛川までの片側に遣り方杭が設置されており側道の工事がされるのであろうか。
工事は先日始まったばかりであるが表示看板にはなぜか工期、自平成29年1月31日、至平成29年6月30日、請負金額¥15,120,000-と表示してあった。
匹見町茶屋地区の国道488号線(益田~廿日市線)沿いににある民家で、かつてこの民家は2階建ての草葺屋根であったようである。屋根形状から茅・稲藁・麦藁の何れかで葺かれていたものに薄鉄板葺きとされている。
2階建ての草葺屋根の民家をみるのは当ブログ主は2例目で、以前岩国市美川町で見たことがあり当ブログで紹介したことがある。