『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

極楽寺山登山

2018年11月19日 | 「廿日市地区」ぶらり













 


昨日、久々に極楽寺山に登山して紅葉している極楽寺を参詣した。宮島サービスエリア脇から廿日市参道を登山したので里程碑は18丁碑から極楽寺の37丁碑まで13基がみられる。これらの里程碑は天明元年(1781)に廿日市町の町人衆によって寄進建立されたものである。 (里程碑参照:極楽寺道三十七丁ぶらり登山-廿日市の文化第21集・廿日市のいしぶみ)

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広がった橋・狭まった橋-出合橋

2018年11月18日 | 「佐伯地区」ぶらり





 


スパ羅漢を過ぎて国道186号から分岐して中道・羅漢山方面に向かう県道119号の小瀬川に架かる出合橋で、国道側から進むと橋が途中で広がっており、反対側からだと狭まった変わった橋である。橋を渡ると直角な道となっており、かつてバスやトラックなどの往来でカーブを緩やかにするため、当初は狭い幅員の橋であったものを後の時代に拡幅したものと思われる。

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帯岩・帯石の紅葉

2018年11月17日 | 「佐伯地区」ぶらり

 


岩倉地区の県道沿いにある帯岩・帯石周辺のモミジの紅葉が綺麗であった。江戸期の地誌には帯岩・墨嶽山・帯石とあるのみであるが、佐伯町の民話・伝説には、「帯掛明神と重なり岩・・・その昔、市岐姫命が乳飲み子を背負い、出雲から厳島までを旅する途中、ここで休息され、 岩に帯を掛けたことから「帯掛岩」とされ、市岐姫命を祀って帯掛明神とした。
この岩についてはその昔、大地震が起こり下の路上に落ちた際や、 参勤交代で通りかかった殿様が危険であるとして上から落とした際も、 翌朝には元の位置に戻っていたという伝説が残っている。」とある。

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往還道(西国街道)近道

2018年11月16日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


潮音寺の裏手にある小道は中世末期頃の土手跡とみられ、江戸期に沖側が埋立てられたようである。江戸後期頃には潮音寺の裏手から串戸通りは往還道より約2町(約218m)位近いので近道として西国の大名も通っていたということであり、威厳を示す大名行列が脇道であるこの小道を通っていたとは・・・

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速谷神社の紅葉

2018年11月15日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


速谷神社参道のモミジや楼門脇のイチョウの葉などが色づいて見頃となっている。儀式殿の脇ではOld man倶楽部有志の人達で注連縄づくりの準備作業として稲藁のアクタ取り除きを3日間行った。昨年までは長老一人でなんと1ケ月もかけてされていたのである。

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広田神社の神輿

2018年11月14日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


串戸地区にある広田神社の幣殿入口脇に神輿と俵神輿が安置されている。江戸期の地誌によると「神輿御宿院ヘ遷座ス」とあり、かつて御旅所まで御幸、還御にこの神輿が使用されたものとみられる。

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豊後路ぶらり-臼杵の石仏

2018年11月13日 | 旅行







 


臼杵の石仏を訪れるのは三度目であり前回訪れて何年ぶりであろうか。ホキ石仏第二群は工事中のため見ることが出来なかった。最初に訪れた昭和55年(1980)当時は古薗石仏の大日如来像の頭部は下に落ちた状態であった。観覧途中に石造五輪塔の表示があったので徘徊癖が疼き出し観覧コースから外れて五輪塔に向かった。看板表示によると大きい五輪塔は嘉応2年(1170)、小さい五輪塔は承安2年(1172)と刻されているようであり平安末期に造立されたようである。

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米俵づくり

2018年11月12日 | その他














 


今秋は比較的に好天に恵まれ秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。藁のくずをアクタと親から聞いているが、地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというそうである。俵の胴体部のコモを編む機具で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。
編みあがったコモを筒状に編み紐で結ぶ。コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていく。片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。
米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。
2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成である。
新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・

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豊後路ぶらり-洞雲寺孫寺・大善寺

2018年11月11日 | 旅行

 



 安楽院・東光寺(平成25年4月探訪)

 
昨日紹介した宇佐神宮の呉橋が架かる寄藻川を少し遡ると洞雲寺の孫寺である大善寺がある。洞雲寺17世の基外嶺雄は長府(下関市)の功山寺の5世となっており、法嗣である星岸伝寿が大善寺を開いて師の基外嶺雄を開山とし自らは2世となっている。境内の禅堂内には宇佐八幡宮の神宮寺であった弥勒寺金堂の本尊薬師如来像が神仏分離後に移されている。
宇佐市内には星岸伝寿が開いた洞雲寺孫寺が大善寺の他に安楽院、東光寺がみられる。 

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豊後路ぶらり-宇佐神宮呉橋・鉄鳥居の沓石・大宮司屋敷

2018年11月10日 | 旅行








 


宇佐神宮のかつての表参道(勅使街道)には屋根付きの優美な呉橋があり、呉橋前には鉄鳥居の沓石が残されている。看板表示に鉄鳥居とあったので鋳造の鳥居かと思ったが木部を青銅板覆いであったようで、寛保3年(1743)に建立されたが戦時中金属類回収令により供出して沓石のみ残されたようである。
参道の神橋を渡ってすぐの左側に壕を巡らせた大宮司屋敷があり、以前の神主表札が掛かっていたが荒れ気味である。鎌倉末期頃、宇佐氏が宮成家、到津家の2家に分かれこの2家が交互に大宮司職を継いでいたようで、戦後は到津家が継承し祭祀を行っていたようであるが・・・

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豊後路ぶらり-宇佐神社の本殿

2018年11月09日 | 旅行











 


宇佐神宮の本殿は前殿と後殿の2棟の社殿を前後に連結させた八幡造りという様式のようであり、実見してみたいと思っていたが、廻廊が巡らされているので見ることが出来なかった。廻廊の向拝部分から一之御殿と三之御殿の前殿の一部が見えたのと、廻廊上から棟部分の一部が見えただけであった。

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豊後路ぶらり-宇佐神社の鳥居

2018年11月08日 | 旅行








 


宇佐神宮境内には多くの鳥居がみられるが、神額がなく額束もみられない。笠木が黒色に塗られ柱上には台輪があり貫と島木の間隔が広くこのような形式の鳥居を宇佐鳥居と言われているようである。
散策した範囲の鳥居は朱色に塗られた鳥居であったが、境内社の八坂神社・養蚕神社と表示されたところの鳥居は石造の鳥居であった。

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豊後路ぶらり

2018年11月07日 | 旅行

 

 

昨日は地域の人達と豊後路を観光旅行。宇佐神宮を参詣したがタブレットでの撮影を忘れた。豊後高田市の昭和の町並みを探訪。別府のホテルより慣れないタブレットにて更新。

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広田神社の奉納額

2018年11月06日 | 「廿日市地区」ぶらり




 

 

串戸地区に祀られている広田神社の幣殿入口上には明和7年(1770)広島の三筆と云われる林守満の筆になる奉納額が掲げてある。林守満は円治、為龍と号し家老の上田家に仕えており、また、大谷貞雄、吉川禎蔵など共に広島藩の祐筆を勤め、かつ能書家であった。ここ串戸には家老上田家の串戸御茶屋、津出御引請御役所、御炭納屋(炭納屋役所)などの施設が設けられており、上田家の関係者によってこの扁額が奉納されたのではなかろうか。

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広田神社の三十六歌仙額

2018年11月05日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


串戸地区に祀られている広田神社の拝殿には明治27年(1894)1月1日に奉納された三十六歌仙額が35面掲額されており1面失われているようである。現社殿になる以前の拝殿も吹き晒しであったものとみられ、退色剥落のために歌もみられず誰を描いているのかも確認することが出来ないような状態である。

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