『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

隠岐の島探訪-姿沢闘牛場・銚子ダム

2018年05月25日 | 旅行










 

隠岐では古くから闘牛が行われているようで、隠岐郷土館の近くに姿沢闘牛場と表示された闘牛場があり、島内を周回する途中にも闘牛場入口の表示があった。国分寺に隣接して隠岐モーモードームがあり観光牛突きが開催されているようである。壇鏡の滝に行く途中と西郷岬灯台近くで牛が放牧されていたが闘牛用の牛であるのかは定かでない。
巨樹の
かぶら杉を見に行く途中に銚子ダムがありダムマニアではないがダムカードを貰い、見島ダムに続いての離島ダムカードとなった。

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隠岐の島探訪-露国軍人戦没者墓地・西郷海軍望楼跡

2018年05月24日 | 旅行




 

 

西郷小学校に隣接の墓地の一角に露国軍人戦没者墓地があった。碑文によると明治38年(1905)5月の日露戦争日本海海戦での戦死漂着者8遺体を埋葬供養したようである。以前紹介した見島の露兵漂着碑は露兵乗組員がボートで漂着し地元の人達は手厚い治療・救護の後に送還したようであるが、ここでは戦死漂着者を埋葬供養したようである。
日露戦争当時に先日紹介した西郷岬灯台の近くに西郷海軍望楼が設置されており、望楼跡は発掘調査が行われて説明碑が設置されているのみであった。ここの望楼では223度40分の範囲の望見をしていたようである。(潮岬海軍望楼跡)(絵図-アジア歴史資料センター)

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隠岐の島探訪-隠岐郷土館(旧周吉外三郡役所庁舎)

2018年05月23日 | 建築












 
看板表示によると明治18年(1885)に隠岐四郡(周吉・隠地・知夫・海土)連合会によって周吉外三郡役所庁舎として西郷町に建築され、その後島根県隠岐島庁・隠岐支庁庁舎として使用されていたが、昭和45年(1970)に郡の地に移築され隠岐郷土館として使用されているようである。
屋根は古来の入母屋造りであるが窓は上げ下げ窓やファンライト窓、ファンライト欄間、ケラバの円型換気孔、軒蛇腹、胴蛇腹などと明治期の洋風建築を模した擬洋風建築である。かつて当市にも擬洋風建築の佐伯郡役所があった。

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隠岐の島探訪-隠岐の民家

2018年05月22日 | 建築

億岐家住宅


都万目の民家


佐々木家住宅




玉若酢命神社に隣接の億岐家住宅(国重文)は神職家の住宅で、屋根は茅葺屋根であり建物正面に三か所の出入り口がある。郡地区の隠岐郷土館脇にある都万目の民家は都万目地区にあった豪農の民家を移築されたようで茅葺の屋根で建物正面に三か所の出入り口がある。億岐家住宅、都万目の民家の屋根棟に馬乗り型の千木のようなものがあり、隠岐ではバンジャと言われているようである。かつて中国地方ではカラスオドシ、ホテギ、ウマノリ、ウマキその他数多くの呼び方があったようである。釜カス谷地区にある佐々木家住宅(国重文)の屋根は杉皮葺きで石置きがしてあり、建物正面に三か所の出入り口がある。
これらは何れも旧家や豪農の建物でありこれらの民家形式は隠岐造り民家と言われているようである。茅葺屋根や杉皮葺き屋根の昔ながらの伝統的な民家が残されていないかと島内を周回したがもう残存していないようである。

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隠岐の島探訪-スヤ

2018年05月21日 | 旅行


郡地区


大城地区


卯敷地区


飯美地区

墓といえば墓石が積み上げられた石塔と思うが、隠岐の島を巡っていると所々にある墓地の中に見たことがない墓上施設のスヤといわれる小さな祠がみられた。スヤは土葬されていた頃に埋葬地の上に置かれていたようであるが、火葬される現在でも墓碑が建立されるまで仮の墓標や供物などを収める祭壇のような役割で昔ながらの墓制を踏襲しているようである。

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関東の一宮参詣

2018年05月20日 | 旅行


香取神宮





鹿島神宮





氷川神社





大洗磯前神社

 靖国神社

昨日と本日、千葉県香取市の下総一宮香取神宮、茨城県鹿島市の常陸一宮鹿島神宮、埼玉県さいたま市の武蔵一宮氷川神社と茨城県大洗町の大洗磯前神社、東京都千代田区の靖国神社を参詣した。宿泊先からタブレット送信がうまく出来なかった。画像紹介のみ。 

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隠岐の島探訪-隠岐造の本殿

2018年05月18日 | 旅行


玉若酢命神社





水若酢神社





伊勢命神社





賀茂那備神社

 
隠岐の島にある神社の本殿で隠岐造といわれる隠岐地方独特の様式を有する下西地区の玉若酢命神社(国重文)、郡地区の水若酢神社(国重文)、久見地区の伊勢命神社、加茂地区の賀茂那備神社を参詣した。隠岐造は切妻造妻入の身舎正面に片流れの向拝を設けたもので、向拝の屋根は身舎の屋根と連続していない構造の隠岐独特の様式のようである。伊勢命神社の境内に祀られている境内社の小祠も隠岐造であった。

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隠岐の島探訪-社殿のない神社

2018年05月18日 | 旅行


大山神社




岩倉神社





御客神社


 

隠岐ユネスコ世界ジオパークHPの島後の神社マップには90社位表示されているが、これらのうち巨木信仰や巨磐信仰など自然信仰の形を伝え社殿のない珍しい神社を探訪した。布施地区にある大山神社は鳥居をくぐると御神体である杉の巨木があり、その御神体にカズラを巻き付けた神事の跡が残されていた。
大満寺山の中腹にある岩倉神社も鳥居をくぐると乳房杉といわれている御神体の杉の巨木があり、乳房状に根が垂れ下がっているのが特徴的である。銚子地区にある御客神社は鳥居をくぐり、巨樹切株の中に生えている二世の杉の木に注連縄を架け渡して結界とし、その先の御神体である巨磐に注連縄が張られている。訪れたこれらの神社は一般的な神社のイメージとは違ったものであり当ブログ主は初めてみるものである。    

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隠岐の島探訪-ババ・ハデ

2018年05月17日 | 旅行










隠岐の島を一周したが各所で田んぼの代掻きが終わった所や田植えの終わっている所がみられた。隠岐郷土館の展示民具の中にある田植え民具で筋付けがババと呼称されているようであり、当地ではババ引きと云って碁盤の目のように筋を引くようである。(ババ引き画像-隠岐経済新聞記事より)
田んぼがある周辺には稲束を掛ける画像のようなハデが各所でみられ朽ちてやり替えまでそのまま立てられているようである。現地での呼称を聞き取りをすることが出来なかったので観光協会に問い合わせハデと呼ばれていることを教示して頂いた。

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隠岐の島探訪-舟小屋

2018年05月16日 | 建築


都万の舟小屋



卯敷の舟小屋


飯美の舟小屋

 伊根の舟小屋・三方湖の舟小屋


隠岐の島では冬期の積雪量や降雨量が多いようで木造の舟を守るために小屋が設けられており、地域色のある舟小屋のある集落を探訪してみた。都万の舟小屋は昭和62年(1987)に農道建設のために移転再建されたようであり、21連棟の洋小屋組で屋根は伝統的な杉皮葺きで石置きとしてあるが、風情さに欠ける舟小屋である。
卯敷の舟小屋はかつて20棟もあったようであるが現在は7~8棟の舟小屋が所々にみられるのみで、画像のような状態であり消滅も近いかもしれない。飯美の舟小屋はかつて27棟あったようであるが現在では21棟の舟小屋がみられ、比較的いい状態で残されている舟小屋もみられる。伊後の舟小屋はかつて7棟あったようであるが現在は1棟のみで屋根がスレート葺きであり絵にならずパスした。
かつて訪れた京都府伊根の舟小屋や福井県三方湖の舟小屋とは少し違っており、地域によって建築的な特徴があるようである。 

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隠岐の島探訪-灯台

2018年05月15日 | 旅行


西郷岬灯台


西郷岬灯台


白鳥埼灯台

沖ノ島灯台


隠岐の島島後の南端白崎にある西郷岬灯台で銘文によると初點大正10年(1921)3月31日とあった。灯台は時代を感じさせるようなレトロな建物でありかつては吏員退息所などがあったようである。
訪れた時は雨と霧で周囲は見えず上画像のようであったがリベンジで帰る寸前に再度探訪した。下画像は島の北端にある白鳥埼灯台で昭和31年(1956)12月に点灯したようであり、さらに最先端部にある沖ノ島には沖ノ島灯台がみられる。

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隠岐の島探訪 

2018年05月14日 | 旅行




昨日は雨天の中を例の如く島中を徘徊・・・雨と霧で景観はさっぱりでタブレット撮影もできなかった。最初に訪れた玉若酢命神社の画像速報のみ。

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隠岐の島に向かって

2018年05月13日 | 旅行

 




本日は島根県七類港からフェリー(おき)にて隠岐の島に・・・生憎の雨天、どこに行こうか・・・

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御手洗川の橋-北山橋

2018年05月12日 | 「廿日市地区」ぶらり





 

市道の宮内越通り線で御手洗川に架かる北山橋で小字を橋名とされたようである。北山橋の上流側には歩道橋が架けられている。このルートは江戸期地御前村八ツ面地区に通じる村内の往還道だったようで御手洗川には土橋がかけられていたようである。

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不法投棄防止啓発看板

2018年05月11日 | 「廿日市地区」ぶらり




 


原地区の国道433号線歩道脇の柵に不法投棄防止啓発看板(下画像)が取り付けられている近くに手作りの同様な啓発看板が柵に取り付けられていた。
うちわに張り付けられた赤い監視眼人(?)が「私は見ている ここを汚すな」と・・・

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