山口県と島根県境に架かっている深谷大橋から深谷川を遡って行くと吉賀町金山谷集落があり、ここの民家土蔵の蔵飾りで西洋建築の装飾を思わせるようなすばらしいものである。土蔵のケラバ部分にライオンと植物の枝葉が表されており、通常の蔵飾りは漆喰で施されているが、ここでは漆喰にセメントを混ぜたものか石造装飾のようにみえる。更新の活力になります! ポチッとね!
原地区は古い時代には原野であったところを先人達が営々と開墾を進めて石垣を積み井出を作って現在の棚田が作られてきた。元原病院の手前には原野を開墾した当時を思わすような田んぼがあった。出土した大きな岩は石垣に利用し傾斜地であるために小さな田んぼとなっており、原野を開墾した当時のままの田んぼのようである。更新の活力になります! ポチッとね!
はつかいち文化ホール(さくらぴあ)の壁面に落成記念で設置されている彫刻家円鍔勝三の作品で題名は『和合』である。はつかいち文化ホールの道路側は壁画が奥まって通路状になっており、ここの壁面に設置されている。更新の活力になります! ポチッとね!
先日紹介した鳴川の石畳があるところには弾丸鉄道用地の範囲を示すコンクリート杭がたくさんみられるのであるが、歴史的な史跡なので杭の大きさなど配慮がほしかった。弾丸鉄道は日中戦争に伴う軍事輸送の激増に対処するために計画された高速新幹線で、用地買収もされていたが後に別のルートで現在の山陽新幹線が開通したのである。更新の活力になります! ポチッとね!
大野インターから国道2号線に至る大野中央地区は都市整備が進んでおり、大野中央交差点の一角に中央地区複合ビルが建てられており、門柱代わりか石造彫刻が設置されている。右側は飛躍を表しているものとみられるが、左側はなぜかパンダ像でありアンバランスな取り合わせである。更新の活力になります! ポチッとね!
JR大野浦駅前にある武将で歌人でもある今川了俊の歌碑で、応安4年(1371)に九州探題として下向途中、この付近で詠った「おほの浦を これかとゝへば 山なしの 片枝の紅葉 色に出つゝ」の歌碑が建立されている。大野浦駅名はこの歌の「おほの浦」から命名されたようである。更新の活力になります! ポチッとね!
大野地域を循環している“おおのハートバス”の上の浜バス停前にマンガ絵がずらりと並べられており、これは何かと・・・趣味で作成されているようでベニヤ板にマンガ絵を描いて切り抜いて、作業場の周囲や畑の先の山裾にもずらりと並べられている。更新の活力になります! ポチッとね!
西国街道は大野地区の鳴川集落を横切り、小さな流れである鳴川を渡って大竹市玖波町鳴川(現在玖波3丁目)に至り、鉾の垰に向かう坂道となり道崩れの防止のために石畳が敷かれている。石畳道を登りきった鉾の垰には広島元安橋から7里目の一里塚が設けられていた。更新の活力になります! ポチッとね!
津田十王堂はもと津和野街道沿いにあり県道の拡幅で現在の西福寺の脇に移転したようである。十王堂は津田の街の中央にあったようで高札が立てられた御制札所があり、ここから山代道が別れていたところであった。また、十王堂御制札を基準にして各村境までの里程が記されている。更新の活力になります! ポチッとね!
上平良地区で昭和20年代後期から昭和40年代前期に使用されていた荷車式の霊柩車がまだ残っていた。各部が朽ちかけているが車輪上には懸架重ね板バネが使用されており、さぞかし仏は乗り心地がよかったのでは・・・この霊柩車が通るために各地から火葬場までの狭い農道を地区の人々が総出で1間道に拡幅し、この道は焼き場道といわれていた。更新の活力になります! ポチッとね!
はつかいち文化ホール(さくらぴあ)の壁面に落成記念で設置されている彫刻家円鍔勝三の作品で題名は『深山』である。うっそうとした深山の樹木にフクロウが2羽とまっているようすが表されているようだ。更新の活力になります! ポチッとね!
JR宮島航路の連絡船で平成8年(1996)に就航した4代目の「みせん丸」と上の絵葉書は宮島桟橋の厳島丸(手前)と大瀬戸丸(向側)である。絵葉書には大瀬戸丸とあり同船は大正9年(1920)に宮島航路に転属となり大正14年(1925)6月に弥山丸Ⅰと改名している。厳嶋丸は大正10年(1921)11月に高松港に転属となっているのでその頃の写真であろうか。更新の活力になります! ポチッとね!
昨日の疣観音堂の傍に武将で歌人でもある今川了俊が、中山の地で詠った歌碑が建立されている。応安4年(1371)に九州探題として下向していた今川貞世(了俊)は地の御前という社(地御前神社のこと)の西ひがたより山路に入って中山に至り、「とにかくにしらぬ命を思ふ哉わが身いそぢにおふの中山」と「昔たれ影にもせんとまくしゐのおふの中山かく茂るらん」の歌を詠んでいる。更新の活力になります! ポチッとね!
中山地区の平等大慧会への三叉路付近で旧西国街道沿いに新しくなった疣観音堂がある。近くの戸石川橋の架け替え工事に伴って建て替えが行われたようである。いぼ落としの観音様で線香に火を付けいぼが落ちるのを念じ、燃えた線香の灰をいぼに塗るといつの間にかいぼが無くなるという霊験あらたかな観音様のようである。 更新の活力になります! ポチッとね!
JR宮島航路の最新の連絡船で平成18年(2006)に就航した4代目の「みやじま丸」と上の絵葉書は明治後期の宮島桟橋と厳島丸である。この「みやじま丸」はエンジンで発電機を回し電気を起こしてモーターで推進するために振動や騒音が少なく従来の連絡船より乗り心地がよいように感じる。更新の活力になります! ポチッとね!
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