『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

洞雲寺鐘楼門の『洞仙園』扁額

2011年06月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

洞雲寺鐘楼門に掲げてある『洞仙園』とある扁額で、芸備日々新聞記事や額の落款を見ると頼山陽の号で襄の字が認められるので筆者は頼山陽であることがわかる。

明治24年(1891)に今はなくなった門前向かいの山(向山)が公園地として整備され、洞仙園と呼ばれて同園の前門に『洞仙園』の扁額を掲げたということであるが、頼山陽と少し時代的なずれがあり詳しいことは不明である。

門前の道路は佐方方面に片側2車線で暫定通行できるようになっていた。

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自然の森モニュメント

2011年06月29日 | 「大野地区」ぶらり

 

深江地区に昭和25年(1950)に設置されたとみられる日の丸産業㈱大野寮自然の森とあるレトロなモニュメントがみられる。

日の丸産業のサイトによると昭和2年(1927)に日の丸練炭の特許を取得したようであり、このモニュメントは日の丸と練炭をイメージして作成されたものであろうか。

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電線に白鷺が

2011年06月28日 | その他

 

近所の田んぼの中に白鷺4羽がみられオタマジャクシなどを食べているのだろうか。そのうち1羽が電線に止まった。

電線には多くの鳥が止まっているのを見ることがあるが、白鷺のような足が長く首の長い鳥はなんか危なっかしい。重心が高いのでバランスを取るのが大変そうにみえるが・・・

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十王堂

2011年06月27日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

津田地区にある西福寺の脇にある十王堂で、かつて津和野街道沿いにあったが県道拡幅に伴って現在地に移設されたようである。

十王堂があった所は津和野街道沿いで江戸期の地誌によると十王堂市とあり、ここより山代街道が分岐しており津田村の中心地として繁栄していたものと思われる。現在佐伯地域自主運行バスは十王堂が基点のものもあるようだ。

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廿日市の文化 第24集 出版

2011年06月26日 | 廿日市関連

 

このほど廿日市市郷土文化研究会(廿日市市市民活動センター内)より「廿日市の文化」第24集が出版された。

目次をみると◎厳島合戦前夜の山里合戦と「山里要害」◎西中国山地の木地屋-木地屋の足跡探訪を中心にして-◎江戸期の廿日市本陣周辺の町並み復元◎古の厳島考◎「廿日市のいしぶみ」補遺◎地御前神社の祭典と神事に関する一考察-伝統文化の継承について-◎大野くらしあれこれ等の論考が掲載されていますので、興味ある方は御味読されてはいかかでしょうか。

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宮島SAスマートICアクセス道路の今

2011年06月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

時折宮島SAスマートICへのアクセス道路の拡幅について紹介しているが、現在山が掘削されて法面の築造がされているようである。

向こう側の谷部分は谷川水路の溜舛工事や盛土工事が行なわれているようである。

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河津原の馬頭観音

2011年06月24日 | 「佐伯地区」ぶらり

 

河津原地区の県道30号線河津バス停付近にある馬頭観音像で、嘉永4年(1851)に建立されたもので像には彩色がしてあったものとみられる。

この場所はいつも通っているところであるが、県道に山が迫っているのでこの馬頭観音像には気が付かなかった。「動物園ではたらく」サイトさんに御教示して頂いて探訪したものである。

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永慶寺跡薬師堂

2011年06月23日 | 「大野地区」ぶらり

 

下の浜地区の永慶寺跡にある薬師堂で小住宅と間違いそうである。江戸期の地誌編纂頃には永慶寺はすでに廃寺となって小堂があったようである。

永慶寺は真言宗の寺で大頭神社の供僧寺であったようである。堂内には旧永慶寺の遺物といわれる本尊薬師如来像が安置祀られている。

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モリアオガエルの卵塊

2011年06月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

原・川末地区にある民家裏の田んぼの畦脇にある茂った木の枝に「モリアオガエル」の卵塊が数ヶ所みられた。

このうち高い竹の枝に一ヶ所卵塊がみられたがこのような高い所にあるのは初めて見た。また田んぼの向こう側の低い木の枝にも数ヶ所の卵塊が見られた。

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マタタビの白い葉

2011年06月21日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

国道433号線を極楽寺に向かっていく途中の山には、各所で白い花が咲いたようにマタタビの葉が白くなっている。

花を付ける頃に葉の表が白化して受粉をしてくれる昆虫を誘うためのようで、葉の裏側は普通の緑のままである。果実が実る頃には場所が分からなくなってしまうのであるが、今年は是非ともマタタビ酒を造ってみたいものである。

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極楽寺山蛇の池の睡蓮

2011年06月20日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

梅雨の中休みの昨日極楽寺山にある蛇の池を探訪、池ではピンクや白など色とりどりの睡蓮が池全面に咲きはじめていた。

池の周辺では多くのカメラマンが傑作をと思い思いにシャッターを切っていた。一部では池の鯉に餌を撒いて誘き寄せてシャッターを切るカメラマンもいたが・・・

睡蓮は今頃から夏にかけて見頃である。睡蓮まつりの垂れ幕が掲げてあったので何か催しがあるのだろうか。

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膏薬が

2011年06月19日 | その他

 

宿泊地の下呂温泉では懐かしい膏薬があった。昔、親が黒い膏薬を火にあぶって軟らかくして貼っていたのを思い出した。

奥田家の下呂膏は黒の下呂膏、白の下呂膏、緑の下呂膏があるようで、画像上は看板で下左側は白の下呂膏の袋、右側は黒の下呂膏で昔の膏薬のように和紙に黒色の生薬が貼り付けてあるものである。

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飛騨路ぶらり

2011年06月18日 | その他

 

飛騨高山のまつりの森、民俗村飛騨の里や町並みを探訪した。画像上は国重文の旧田中家で板葺き屋根を石で押えてあり、木材が豊富にあったこの地方のかつての民家が想像できるのである。他の民家の中で原木を薄く剥ぐ剥ぎ(クレヘギ)の作業をされていた。

画像下は重要伝統的建造物群保存地区の町並みで、黒い木格子で庇は出桁造りなど特徴的な町並みである。

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琵琶湖畔ぶらり

2011年06月17日 | その他

 

琵琶湖畔に宿泊して早朝の散歩で琵琶湖疏水の流入口付近を散策した。琵琶湖疏水は京都の水道、水力発電所利用やインクラインによって舟で物資の運搬などをしたようである。

第一疎水口と第二疎水口があり画像上は三井寺観音堂下の第一疎水トンネル口で、画像下は大津閘門で琵琶湖より京都、また琵琶湖に向かう舟の水位調整をしていた施設のようである。

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本願寺門前町ぶらり

2011年06月16日 | その他

 

西本願寺の門前町を散策すると京都の伝統的な町並みにエキゾチックな近代建築があった。

この建物は明治45年(1912)に真宗信徒生命保険会社の社屋として建築されたようで、現在は本願寺伝道院と呼ばれているようである。

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