
gooブログを利用させて頂き昨日丸19年を終えることが出来ました。トータル訪問数1959415UU、トータル閲覧数7210015PVと多くの方々の御来訪、閲覧をして頂きまして大いに励みとなり何とか継続することが出来ました。
gooブログ様、御来訪・閲覧者の皆様どうも有難うございました。
これからは移転先のAmebaブログ(https://ameblo.jp/n3491/)で更新をしていきますのでどうぞ宜敷くお願い致します。
尚、当gooブログは11月18日の消滅までこのまま残しておきますが、これらすべてAmebaブログに移転されています。



昨日紹介した自室前の田んぼに別のグループのコサギとアオサギかがやってきた。コサギは昨日のものより大きく成鳥のようであった。
※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。
移転先のAmebaブログでも同様に更新をしています。 https://ameblo.jp/n3491/




ウォーキング途中、道路脇から河川に向かって繁茂しているウツギの小さな白い花がびっしりと咲いていた。ウツギの茎は小竹のように中空であり子供の頃に笛を作っていたことを思い出して作ってみたがうまく鳴らなかった。
※6月22日が19年目の開設日なのでこの日まで当ブログを更新していきます。
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現在大阪・関西万博が開催されており、毎日動静が報道されている。
本棚の片隅に昭和45年(1970)に開催された時の「万国博オールガイド」冊子があった。訪れたパピリオンには印を付けており2日間で外国館37ケ所、国内館10ケ所と記しているが何を見たか覚えていない。若かったのだなあー もう行く元気はない。



今日の一服飲む茶碗は宮島口の窯元である川原厳栄堂の川原陶斉の抹茶碗で、ちょっと見た感じは萩焼かと思うような茶碗である。
宮島焼は宮島の砂を混ぜて焼くことから御砂焼、神砂焼とも言われているようである。



ハエブチと言ってもわかる人はほとんどいないのではなかろうか。ハエ叩きのことで現在はハエを見ることは少なくおれば殺虫剤を使用している。
物資のない時代に親たちが作っていたハエ叩きを作ってみた。棕櫚の葉を利用したもので後にプラスチックで出来たハエ叩きを見るようになった。


一昨晩NHKラジオの深夜便で「昭和100年~大衆を魅了したSPレコードの世界」と題して蓄音機でのSPレコードの音源が流されていたが途中から寝てしまった。
当方懐かしいSPレコードを数十枚所持しており、先人から保存するよう託された蓄音機があるので何時か聞いてみたいものである。



物置の片隅に今では見ることもないソノシートがあった。1964年10月10日に開催された第18回の東京オリンピック協賛のソノシートのようであるが、どのようにして手元にあるのか覚えていない。
ソノシートが一般的な呼び名であろうが「コロムビア コロ・シート」と記されていた。



若い頃には萩の城下町を度々訪れており、各所に多くの萩焼の窯元がありぶらりと訪れていた。
窯元天寵山を訪れて七代兼田三左衛門の茶碗を求めプレゼントしていたものである。この茶碗がなぜか現在手元にあるが・・・



物入れの片隅に大東亜戦争国庫債券・戦時報国債券・報国債券・戦時貯蓄債券・貯蓄債券・福券があった。とお―の昔に時効になっているので換金はできそうにない。
これらは戦争資金を調達するために、臨時に債券を売り出し償還期時に利息を付けて返す国債の一つだったようである。



今冬一番の寒さで暖房器具は手放せない日が続いていますが、懐かしい暖房具を紹介しよう。上画像は子供の頃に使用していた陶器製湯たんぽ、中画像は手あぶり火鉢でヤカンを架けていた大火鉢はなくなってしまった。下画像は以前ウォーキング途中で見かけたコタツでコタツ櫓の中に置いて櫓上に布団を掛けたり、直接布団をかけていた。



若い頃には萩の城下町や大内氏の遺跡のある山口には度々訪れており、各所に多くの萩焼の窯元がありぶらりと訪れていた。
萩焼松緑窯は明治期に山口市宮野に移って作陶活動をされている山口萩窯元で、訪れた記念に松緑窯10代の大和正一の萩焼茶碗を求めていた。



若い頃に松江城や菅田庵・明々庵などを見物した際に楽山公園近くにある楽山焼の窯元を訪れて求めたもので、11代長岡空権の得意としていた伊羅保写の茶碗である。
長岡空権は平成12年(2000)に島根県指定無形文化財に認定されているようである。
※ 昨日、当ブログを開設してからトータル閲覧数700万PVの大きな節目を迎えることができました。当ブログは老化防止のために見たままを記した万人受けするものではありませんが、多くの方々に御来訪閲覧して頂き大いに励みとなっております。可能な限り継続していきますので御来訪して頂きますようお願い致します。



上画像は若い頃に技術計算に使用していたSEIKOパーソナル・コンピュータの本体・モニター・プリンターなどの各機器を接続していたUSBケーブルで、左側の細いものが現在のものである。四角の部品は切り替えスイッチである。中画像はコネクタ部分で下画像はコネクタ今昔でびっくりするような大きなものであった。