ウォーキング途中、川末方面の山をみると工事をしている掘削ケ所がみられ、上画像の左側は以前紹介した泉水峠付近の林道工事であるが最近の状況は定かでない。右側の掘削場所は川末側の林道工事が行われており、市道の上田尾線から分岐しての工事が行われていた。工事個所入口付近の樹木になぜか水天(水神)のお札が吊り下げられていた。
ウォーキング途中、川末方面の山をみると工事をしている掘削ケ所がみられ、上画像の左側は以前紹介した泉水峠付近の林道工事であるが最近の状況は定かでない。右側の掘削場所は川末側の林道工事が行われており、市道の上田尾線から分岐しての工事が行われていた。工事個所入口付近の樹木になぜか水天(水神)のお札が吊り下げられていた。
原地区を流れる長野川沿いの荒れ地に繁茂している葛の葉が黄葉していた。葛の繁茂は旺盛であり蔓は草刈り機に巻き付くなど厄介な植物である。根には澱粉が含まれており山地では猪が葛根を掘り返しているのが良く見られる。
時折り広島はつかいち大橋の下り線側橋脚の工事進捗状況を紹介しているが、現在コンクリート・ミキサー船がみられるので廿日市側海上部分2基の橋脚にコンクリート打設工事が行われたか、行われるものとみられる。陸上橋脚に接続する道路部分の築造工事も始まっているようである。
以前に西広島バイパスにある佐方サービスエリアの上下線で休憩施設の建設工事が始まっていることを紹介したが、上下線共に施設建物の建築中であった。施設建物ではコンビニが営業されるようで、工期は12月30日までと看板表示されていた。
時折り紹介している上平良地区にある河野原大歳神社のイチョウの葉が綺麗に紅葉していた。イチョウの葉の絨毯にはずらりと並んだ石燈籠の長い影が写っていた。この石燈籠の中には女剣劇で一世を風靡した地元出身の不二洋子の寄進したものもみられる。
原小学校横にある民俗芸能伝承館のイチョウの葉が綺麗に紅葉していた。ここ伝承館では本日午後、説教源氏節人形芝居「眺楽座」の「石井常右衛門高尾頼みの段」の公演があるようであるが、原地区の人対象の公演のようである。
速谷神社の境内一帯は紅葉真っ盛りで、昨日は今年秋に収穫された新穀を供えて感謝の奉告を行う新嘗祭が斎行された。祭日でありお子さん連れの七五三お参りの方々が多くみられた。
現在、平良地区の西広島バイパスから宮島サービスエリア間の山林(上画像)を開発する平良丘陵開発土地区画整理事業の計画が進められており、中画像のような地区計画案の説明会が近く行われるようである。予定地区内ではすでに地質調査は終わっており、現在は無縁墳墓等改葬公告看板が建てられていた。(上画像-Google Earthより)
須佐に向かう途中の山口市徳佐のJR山口線徳佐駅から津和野寄りの沖田川に架かる橋梁であるがなぜか徳佐川橋梁と呼称されている。鉄道橋梁ではプレートガーダーをよく見かけるが、この橋梁は見たことが無いようなラチスガーダーであり大正11年(1922)に架橋されたようで、土木学会選奨土木遺産に認定されている。
須佐に向かう途中の阿武町福田下の寺ヶ浴という山あいに佐々木小次郎墓の墓があった。看板表示などによると佐々木小次郎は慶長17年(1612)4月13日に巌流島の決闘に敗れ、キリシタン信者の妻ユキは夫の遺髪を携え寺ヶ浴の正法寺仏門に入り墓を建て冥福を祈ったようである。墓の上の段には伴天連墓であろうか六面石が安置されていた。
萩市江崎港内の小島にある西堂寺の地蔵堂で、すべて六角柱で六角堂に造られている。この地蔵堂は当所四面の堂で江戸初期に藩の有力者により修築が行われ、その後六角堂となり江戸末期に再建されて現在に至っているようであり、山口県の重要文化財に指定されている。
江崎港は北前船の寄港地であり、この地蔵堂は地元の人々や遠く北陸路の人々の信仰を集めたものとみられている。(平面図-山口県文化財要録より)
車で遠出をするのを少し伸ばして萩市須佐方面を訪れ、何十年ぶりであろうか灰白色と黒色の縞模様が美しい須佐オルンフェルスを探訪した。須佐漁港はケンサキイカ漁が盛んなようで、漁協では「須佐 男命いか」というブランド名で売り出しているようである。漁協の「須佐 男命いか」認定店で活きたままの状態で刺身にしたものを食することができ、噛むほどに甘みが広がりコリコリ感がたまらなかった。
厳島神社の平舞台前に2基と火焼前に1基の鋳造燈籠が建立されている。左門客神社横の燈籠(上画像)は文久4年(1864)に白市鋳物師の伊原政義(義孝)が鋳造をし、右門客神社横の燈籠(中画像)は天明5年(1785)に大坂の山本源右衛門が鋳造している。火焼前の燈籠(下画像)は寛文10年(1670)に洛陽三條の近藤宗次・小兵衛尉が鋳造している。
今年の稲作は助っ人頼みであったが、まずまずの収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。俵の胴体部のコモを編む機具で紐の上に藁をのせて紐を法則的に交差させ順次編み上げ、編みあがったコモを筒状にし、端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていき片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。
米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げ胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。2本の縦縄を飾り十の字として横縄部分で一回りして他端中央で縄束の突起にし、横縄を中央部に回して突起の縄部分に飾りをして完成である。 新米の米俵は今年も元気であった証として・・・