昨日紹介した洞雲寺の孫末寺である安楽院境内には宇佐八幡大宮司宇佐公通の供養五輪塔と安徳天皇の供養十三重塔があった。
安楽院一帯は大宮司宇佐公通の館跡だったようで、都落ちした安徳天皇が平家一門との繋がりの深かった大宮司館を行在所としていたようである。
大分県宇佐市内には当市洞雲寺の孫末寺である安楽院(上左)、賢勝寺(上右)、東光寺(下左)、大善寺(下右)の4ケ寺があり探訪してみた。
洞雲寺17世の基外嶺雄は洞雲寺を去って長府巧山寺の5世となっており、法嗣である星岸伝寿が安楽院、賢勝寺、東光寺、大善寺を開いて師である基外嶺雄をこれら4ケ寺の開山とした。
当ブログ休止中に所用で小倉まで行ったついでに足を伸ばしたので種切れを補うために紹介します。
行橋市にある御所ケ谷神籠石を訪れてみた。神籠石は北九州から瀬戸内に分布している古代山城の一種とされている謎の多い遺跡である。
御所ケ谷神籠石には列石のほかに東門、中門、西門、建物跡礎石、石塁などが確認されており、画像は中門と西門の遺構で加工された石が積み上げられている。
栗栖方面への県道30号線から分かれて295号線を所山方面に向かって行くとまさきの垰があり、その近くの道路脇に巨大な六本杉がある。
少し立ち上がった根元から六本に分かれており、根元付近は5.3m位あるようである。道路側からはガイドレールが障害となって根元画像は撮りづらいのである。
夏夜鳥集落跡の山林の中に氏神であった河内神社が残されており、平成6年(1994)7月に寄進された木造鳥居は腐食して倒壊寸前である。
集落は消滅しているが本殿の土台部分が新しくなっているので縁故の人々によって改修され祀られているものとみられる。
夏夜鳥集落跡に6年ぶりに訪れてみたが集落跡付近で木材の伐採が行なわれたので夏夜鳥林道両側の雑木や雑草がきれいに刈られて整備されていた。集落跡には最後までこの地で生活をされていたものと思われる廃屋が一軒残されている。
前回訪れた時には集落跡の田畑は自然に戻り林道両側からは雑木や雑草が迫り出して訪れがたい状態であった。
夏夜鳥はほとんど知られていない地名であるがなんと素敵な地名だ・・・
極楽寺への廿日市参道26丁碑脇にある手無し観音ケ所から佐方地区を中心に俯瞰してみると、町並みの中に3ケ所の緑の島がみられる。
これらは中世の城跡があったところで左側は元岩戸尾城跡、中央は元桜尾城跡、右側は元篠尾城跡であるが、現在いずれも遺構は残されていないので元城跡である。
昨日は極楽寺の縁日と極楽寺山安全祈願祭など山開きの行事が行なわれたようである。午後から孫達と汗して参詣したが境内は閑散としておりかつての賑わいは夢のようである。
本堂内では祈祷が行なわれていたようであるが、正面扉は閉ざされて本尊を拝顔することはできなかった。かつての「かんのんさん」は春の風物詩であり多くの露店が軒を連ねて大勢の参詣者がみられたのであるが・・・
大虫八幡神社の拝殿に三十六歌仙額が36面掲額されており、これらのほかに誰を描いているのか不明の2面も一緒に掲額されている。
これらの三十六歌仙額は明治38年(1905)に奉納されたものであるが、誰が描いたものかは定かでない。
大虫八幡神社の本殿周囲に巡らされている高欄の突き当たりの両側隔て板には装飾彫刻が施されている。
何時ごろ彫刻されたものなのか不明であるが、猛々しい獅子と華麗な牡丹を配した取り合わせの良いとされる図柄である。
虫所山大虫地区にある八幡神社で江戸期の地誌には大歳大明神相殿とあり、八幡神と大歳神が祀られているようである。
大虫地区は超限界集落で平成6年(1994)頃の氏子は8戸とあり、現在は5戸居住されているようであるが集落や神社の先行きが危惧されるのである。
虫所山大虫地区の三叉路にある地蔵堂で謂れは不明であるが、行き来する人達の安穏を祈念して祀られたものとみられる。
右手方面に行くと湯来町大谷、雲出方面に、左手方面に行くと雲出や吉和方面に通じた古道の分岐点に安置された辻地蔵と思われる。
昨日、虫所山大虫地区にある大虫観音堂脇のしだれ桜を見に行ったが少し遅かったようで花びらは散りかけて葉が出始めていた。21日には大虫さくらまつりが開催されるようであるがさくらのほうが・・・
かつてこの地には新蔵寺という禅寺があったようであるが、江戸期の文政2年(1819)頃には廃寺となって小堂となっていたようである。
時折宮島SAスマートICへのアクセス道路工事について紹介しているが、上り線側のICゲート近くの山の樹木が伐採されており工事が始まるものとみられる。
高架水槽脇の上り線側ICゲートから大きくS字型のカーブを描いて画像手前のほぼ完成している道路に向う工事が始まるようである。
時折紹介している廿日市8代目桜島大根の花が散りかけて、一部種が出来かけておりもうすぐ実っていくものとみられる。
実った種をうまく保管して今秋に蒔いて廿日市9代目の桜島大根を栽培する予定である。廿日市で栽培されている大根と交配しながら8代目であるが、まだ桜島大根の性質も受け継いでおり今後どのようになるのであろうか。