「 後悔って する? 」
「 しない 」
「 ふ ~ ~ ん 」
「 後悔って、だいたい結果論だし、もう一回元に戻したって・・ ひとが変わってなけりゃ
また同じことする 」
「 そう・・・・・ か 」
ひとつだけ “ 後悔 ” と言うのがある。
父方の祖母はわたしが5歳の春、自宅で亡くなった。
年末に胃癌が判ったが、当時総合病院では 「 70を超えた方は・・・・ご近所の先生に
診ていただいて下さい 」 と所謂 さじを投げられた そうだ。
祖母は普段の位置に布団を敷き一日横になっていた。 近所のかかりつけ医が一日一回
往診にみえ、おそらく鎮痛剤の投与がされていたいたと思う。 それでも祖母は午後に
なるとお腹を抱えるようにして、低い唸り声をあげていた。
春先の大雪が降ったある日、小康を得た祖母は通りかかったわたしを枕元に呼び
「 Mちゃんよう、あそこの鶏小屋の屋根の雪、少し茶碗かなにかに取って来てくれないか、
ちょっと食べてみたいんだ 」
困ったな ・ ・ ・ と正直思った。 雪を取って来ることは多分できるが、病気の祖母に
雪なんか食べさせて、祖母の身体が心配というより 「 なにやってんのっ!? 」 あとから
おとなに怒られるのが怖かった。 「 おばあちゃんがね・・・・・」 わたしは大人に祖母の
頼みを伝えた ( 伝えてしまった ) 案の定おとな達は 「 え~・・雪なんか・・・ のど渇いた
んなら ・ ・ ・ そうだねぇ ・ ・ これがいいか 」 蓋の開いたパイナップル缶を持って来て
シロップを匙で祖母に飲ませた。 『 違う! おばあちゃんはのどが渇いたんじゃ無い、
雪が、あそこの雪が食べたかったんだ ・ ・ 』 支配的なおとなの中でそうは言えなかった。
祖母は黙って匙のシロップを飲んでいた。 それを見てわたしはおとなに言ってしまった
ことを強く後悔した。 祖母は、おとなは聞き入れないだろう依頼を子どものわたしに期待
したのだ。 それが分かったわたしは自分のおとこ気の無さが悲しかった。
それから一ヵ月くらいして祖母は亡くなった。
翌朝 「 もう、要らないからね 」 と父に言われ、枕元に残った大きな瓶に入った水薬を
捨てに行かされた。
春の陽射しの明るい朝だった。
台所の先の植え込みの下に水薬を捨てた。
祖母の枕元で見慣れた茶色の液体がゴボゴボ ・ ・ と音を立てて流れ出し、大きな透明の
薬瓶だけがわたしの両手の中に残った。
わたしは、また強く雪の日のことを後悔した。