黄砂混じりの大風が吹き荒れて 数日
掃除をして
寝袋を 干す
昼は
(お馴染み)チキンラーメン
檸檬の木に
檸檬の花
ツツジの木に
ツツジの花 咲く
ナニゴトノ 不思議ナケレドモ
黄砂混じりの大風が吹き荒れて 数日
掃除をして
寝袋を 干す
昼は
(お馴染み)チキンラーメン
檸檬の木に
檸檬の花
ツツジの木に
ツツジの花 咲く
ナニゴトノ 不思議ナケレドモ
昨年の白アジサイの ”花殻”
隣地の桜から盛んに花が散りかかっている。
『 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ ひともひとなれ 』
細川ガラシャ辞世の句 とされる。
桜の散り際の潔さを称える気持ち わからんじゃ無いけど・・
葉桜になっていく桜を下で見ている(去年の)白アジサイは
甲斐姫、小田原派遣軍の石田三成と戦ったあと・・紆余曲折、
太閤秀吉の側室となり、最後は大坂夏の陣で助命された豊臣
秀頼の娘(天秀尼)に付き従って鎌倉の東慶寺に入り、天秀尼
没後東慶寺で没した と。
ひとは大体が甲斐姫系、みんながガラシャ系だったら
一億玉砕じゃん・・
ま、 花殻は切らなきゃいけないんだが・・
コートを捨てた。
20歳、 実家を出る少し前 ”家で買ってもらった” 最後の衣類だった。
裏地の全く無い本格ダッフルコート、未だダウンジャケットの
無かった時代 最強の防寒着だった。
20代の10年余り、冬は旅行も外出もこれ1着で乗り切った。正月の
竜飛岬に青函トンネルの工事を見に行ったのは1975年、ダッフル
コートに足許は登山靴、雪まじりの強風の中、対岸の北海道渡島
福島が時々銀色に光って見えた。さすがに少し寒かった。
15~6 年着たころ、トグルの革紐が根元で切れかかったままクリー
ニング屋に出したら「作業中に革紐切ってしまいました」と4か所
全てのトグルを交換してくれた。 革紐の他どこも傷んでいなかっ
たので目出度く振りだしに戻ったが、ダッフルはほとんどの重みを
肩で着ることになるので、重い・・ 普段あまり着る機会が減って
その頃から ”箪笥の肥やし” になった。
高校に入った子どもに半分冗談で「あげるよ」と言ったら、
「これ、着る!」
通学に着始め、とうとう3年間着通した。
「父のって言ったら、『かわいいおとうさんなんだね』って
お友だちに評判いいよ」 と。
高校生は孝行者であった。
下の子どもも姉のマネして通学に着始めたが、こちらは根っからの
体育会気質、そもそも滅多にコートなんか着ていなかったようだ。
50年 親子二代、三人が着たダッフルコート。
肩のあたりの起毛が少し薄くなって、地の織り目が見えている。
箪笥の中で場所取っているだけなのも・・・・ んなわけで
感謝して丁重に
捨てた。
お花見にお出かけ下さい。
ん~~~・・ 50年ねぇ 一度も会わなかったね
仕事? ああ、まだ行ってるよ、そう 月~金 普通に
身分は一年更新、4月にまた一年契約したところ。
なに? 週三日 そのくらいがいいな。
へぇ 奥さん・・退職 あら、たいへんじゃん
兼業主夫 要らなくなる・・
大丈夫、第一種兼業主夫から第二種兼業・・に格落ちするだけ。
意味わからん・・・
あの豆は実に成るのはいつ頃?
ふーん、20日くらい・・か 採りに来るよ。