いかにも ご飯食べるぞっ! のおかず。
豚ロースとエバラ焼き肉のたれ。
チョイとからめて ザッと焼いて
仕上げにもうチョイ・・・
ご飯が炊けたら ワシワシ 食べる。
健康診断? 知ったことか・・・・
これでもかっ! と言うほど種類あるけど
元祖 は これ。
少人数でも2~3回で使い切れる
このサイズがいい。
いかにも ご飯食べるぞっ! のおかず。
豚ロースとエバラ焼き肉のたれ。
チョイとからめて ザッと焼いて
仕上げにもうチョイ・・・
ご飯が炊けたら ワシワシ 食べる。
健康診断? 知ったことか・・・・
これでもかっ! と言うほど種類あるけど
元祖 は これ。
少人数でも2~3回で使い切れる
このサイズがいい。
あ ちゃ~~~~・・・
強風と真夏のような豪雨で
そら豆が 倒壊
実が入るにはまだ少し早いのに・・・ な
陽のよく当たるところだけ収穫。
このへんはよく実が入っている。
枝数をもう少し間引いたほうが
陽も入るし、風にも強かっただろな。
気を取り直して。
ブロッコリーの跡、 草取りして
このくらいは鍬で耕すのが丁度いい。
マルチは 草除け。
ピーマン苗
三角の筒 は風除け
春先なら防寒なんだが、今年はもうこの暑さ・・
逆に蒸れてしまうので裾を少し開けた。
牛タン、食べられますか?
ええ、いただきます。
食べられないものとか、嫌いなものは・・?
全然、有りません。 Mさん、好き嫌いは?
ハハ・・ 無いなぁ・・ 蜂の子とかも 平気ですよ。
蜂の子 食べたことあります、長野のお土産だったかしら
びん詰でね、甘辛かったですよ。
はは、そんな由緒正しいもんじゃないんですよ、
アシナガバチの巣、落としてね 焚火で焼いたり
幼虫ほじって、フライパンで煎ったりして、
しょう油かけてね・・ さなぎになりかけが旨い。
スズメバチのは不味かったな、脂っこくてね。
食べたんですか・・スズメバチ って 危ないでしょ?
ええ、刺されるとね、 軒に巣作られてしまって、
私の友達が刺されたんです・・・
父が、棒の先に灯油しみこませたボロ付けて
火で追っ払いながら巣落としてね・・
「 蜂の羽根ってのは火に弱いんだ 」とか言いながら
飛んでるのがポタポタ 落ちてね・・・
昔はそんなもんですよ。
今だったら? いや、いや とんでもない、
三共消毒 頼みますよ。
へえ・・ タン元って グリエ? ソテーしてオーブン・・か
その他 はビール煮、 タンシチュウ と。
国産の牛タンなんて今、売ってないですね、
みんなアメリカ産、国産は業者向けに買い占め
られちゃうんですかね。
地下鉄 センター北から南へ5分。
地下鉄開通から20数年、大きな街になった。
グリーンラインには ”架線” が有って・・・
へぇ 方式がブルーラインと違うのか。
横浜市歴史博物館
エントランスは「役所の分庁舎」風で殺風景だが中に入ると、
受付はカウンター式でフレンドリー。
見学について簡単なレクチャーをしてくれる。
「 展示品の写真撮影はフラッシュ使わなければOKです。
なにかこのような割引対象になる資格をお持ちですか?
・・・はい、横浜市で・・・・はい、無料になります、
どうぞゆっくりご覧下さい こちら入口になります。」
こうして画像に切り取ってみると、まるでドローン撮影に見える。
素晴らしい・・・・
目からウロコ・・・ の説明。
『出土品はすべてがこのような完成度の高いもの
ばかりではありません・・・・・ 中には・・』
『このようなものもあります・・・』
なるほどなぁ~ 発掘現場ではアタリマエなんだろうが
博物館でしか ”土器” 見ないで「こんなもんか」と思ってる
のは「出来のいい土器」だけで、当時の実生活の中には
「使えりゃ充分」のうつわがたくさんあったことだろう。
博物館も変わって行く。
新しい展示姿勢を見た。
昔々、学校で「東洋史特講」と講座名を記憶しているが、
4世紀の東アジアの情勢についての授業があった。
30半ばの助教授は長身で、いつも身体に合ったスーツを
きちんと着こなし、いかにも ”新進気鋭” といった感じで
あった。 一方、講義は「滔々と持論を展開する」という
タイプではなく、「・・・・ でしょ? ・・・・だと
考えてるんです よ ん~~ 違う かなぁ~・・」
独特のメリハリがあって人気があった。
「ん~~・・違うかなぁ・・」という話し方に我々が学んだのは
『 ”学説” は今日のものであって明日には(新しい発見によって)
変わるべきものです』 という科学者の姿勢であった 。
長身の助教授 ・・・・ 現 横浜市歴史博物館館長 鈴木靖民 氏 である。
「順路」のように遺跡公園に案内される。
ここはよく見る 復元住居跡 。
摩耗を防止加工した” 竪穴 ”だけの展示もある。
お隣は「都築民家園」
時代は一気に下って近代の「長沢家住宅」
江戸中期 ~ 後期の農家 と。
まだ充分住める・・・・
近世~近代の ”茅葺屋根” の構造は基本的に縄文、
弥生の” 竪穴住居 ” の屋根と変わらない。
先ほどの復元住居の屋根を四角い土壁の上に載せれば・・
そのまま山村の農家に見えるのではないか。
もうすこし勉強すれば、解ったことなんだろうが・・
『 竪穴が壁に・・変化したのはいつの時代だろうか? 』
” 壁 ” ができることで内部空間が広くなり、掘り込み
の竪穴が ”床” に変わることで乾燥した住空間になる。
そこを変化させたのは 平安時代? ん~・・まだ
竪穴 だな・・。 鎌倉時代? 専業の武士なんて
階層が出現するくらい農業生産性が上がってきてる
から・・・ いろいろ農作業も住宅内でやる仕事増えて、
裕福な家は ”壁” のある家を建ててみたら・・・・
「おお、この方がいいじゃん・・・」
このころ かな。
孟宗竹の竹林
よく手入れされている。
孟宗竹は最近まで農家の屋敷内によく見かけた。
竹の子採るのため、というより農業資材として使って
いたようだ。 資材としては真竹のほうが優れていた
(竹馬も竹槍も真竹)だろうが、孟宗のほうが強い。
因みに、孟宗竹の日本への渡来は9世紀ころと言われて
いる、弥生時代には生えていなかった(多分・・)
右、弥生の遺跡。 左、開発25年目の都市。
時代を分ける道路。
左側の都市は2000年後 どのような残り方を
しているのだろう。
さより、 今の時季には淡泊な見た目よりずっと
濃厚な味が楽しめる・・・と 書かれることが
多い。 たしかに脂がのっていて旨い。
自分で卸したんだ、 やれば出来るじゃん、
お刺身も売ってたけどね、面白くないじゃん
簡単だよ、 手綱寿司なんて出て来る家は
うちくらいだよ ほら出来た 。
面白いかどうかってのも・・
確かに 味のうち か。
小松菜、ほうれん草、かき菜、スナップエンドウ・・・
春野菜を片付けて、
夏を待つ 15m の畝 。
作付けるもの毎にマルチするのは面倒なので、
一度に耕して 苦土~堆肥、元肥 もいっぺんに 。
端から一気にマルチ掛け・・・
うなぎの寝床 だな 、 法の下に ベンチ も作った 。
もうじき(トッキョキョカキョク・・) ホトトギス が鳴き出す。
ウラシマソウだ、日なたでもよく育っている 。
この紐みたいのが釣り糸に ” 見立て ” なんだろな 。
へえ~~ じゃこっちのうえの方~に糸伸ばしてるのはルアーやってるんだ
そう、こっちの長~く垂らしてるのは ” 底魚 ” 狙ってる 。
青面金剛像だ、庚申塔 だね 。
コウシントウ って?
ん~~・・道祖神みたいなもんで村の境界で
悪いモノが入って来ないように守ってる 。
顔が欠けちゃってる・・・
んん~~ 地蔵? じゃ・・ 三猿を踏んでるのが変だし・・
(庚申塔とセットで考えると・・猿田彦 か?)
なんでミザルキカザルイワザルが居るの?
お~っと・・ 質問が深くなって来た 即答出来ん・・
( 庚申信仰の ” 三尸(さんし)の虫 ” を猿に見立てたと
考えると納得し易い・・かな )
いろいろ考えると、この像の顔が欠けている事情も
人為的に欠いた? と考えることもできそう な 。
明治維新以降行われた ” 廃仏毀釈 ” 運動は神道原理主義による
神仏習合の排除と神道の純血化であったわけで、庚申講なんて
神道、仏教、道教(お酒が飲めれば)なんでもありの ” 信仰 ”
は 真っ先に ゴツン とやられたんじゃないか・・ と想像する 。
峠の鎌倉側は水が路面を流れてしまって歩きにくい 。
滑川の源流のひとつ 。
両側に側溝がきちんと出来ているから時々流れを直して
やれば路面を守れるのだが、街道としての役割を終えて
以来、” 道普請 ” をやる習慣も廃れてしまった結果か 。
散歩の終点は ” お約束 ” スタバのテラス 。
現代の道祖神みたいな気がする 。
” 店 ” で食べるものになってしまった にぎり寿司、
むかしは普通に家庭で作っていた 。
ひとが来るとか、だれかの誕生日だ・・とか 。
昆布で普通にごはん炊いて
( 特に固めに炊く必要・・無いと思う )
すし酢打って、ざっと冷まして
これは冷ましたほうがいい 。
あとは見よう見まね で 。
先にしゃりをずらっと握っておいて
寿司だね 乗せて、仕上げにぎり・・
の工程が ” 家庭的 ”
家庭の寿司は 手巻き が普通になったが
誰かに握ってもらった 握り はまたいいものだ 。
いや、もちろん握ってあげても・・いいんだが 。
一気に出来てしまった エンドウ。
早くも うどんこ病 が出て少しシミ・・ が
水換えてきれいに洗う。
” 改元 ” のテレビ、横目で見ながらスジを取る。
って これが一仕事。
畑なんて きれいにして食べられるようにして
初めて(少~し)喜ばれる。
大鍋でゆでて
こんな もんかな。