まゆつば通信

良心に従い真実を述べ何事も付け加えない「まゆつば通信」

袖ヶ浜海岸

2009-06-22 | Weblog

 

 

 

新聞記事にさそわれて、平塚袖ヶ浜海岸。

 

 

   湘南平と高麗山の姿が無ければ、日本海か・・・と見紛う渺渺とした景色。

 

 

   真冬の吹雪なんか・・・似合いそうだなぁ~

 

 

   好天だったのでもちろん湘南らしい若者や親子連れもワイワイ・・・

 

 

   それら敢えて景色からカットすると、こうなる。  趣味の問題  だね。

 

 

   地元のみなさん ゴメンナサイ。

 

 

 

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0.09乗

2009-06-21 | Weblog

母のホームから自己負担金(介護保険外の入居費用)値上げの予告が

 

あった。

 

曰く 「 自己負担額の0.09乗程度の増を見込んでます。云々 」

 

0.09 ・ ・ ・ ふ~ん そのくらい、仕方ないか ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

半月ほどして送られて来た新料金表には 旧料金 \159,000 が \174,000

 

になる旨明記されていた。 9.43% の値上げ、年間18万円の負担増である。

 

介護保険一割負担を含めた5月分の費用に当てはめると要介護度4の母は

 

現況 \187,081 が今月から \202,081 となる。

 

 

9.43% の値上げ / 0.09乗程度の増 ・ ・ ・ ・ ・ 算数は大体合っているん

 

だが ・ ・ ・ ・ ・ ・ 小役人的な姑息な物言いを感じた。

 

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2009-06-07 | Weblog

 

 

 

お誕生日のケーキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

93歳のお祝いのケーキをいただく母の手である。

 

 

 

 

 

 

ずいぶんときれいにしていただいていると思う。

 

 

「目は心の窓」 ・・・・・・ 手もまた、こころの窓である と思う。

 

 

 

 

 

いろいろな人が いろいろな事を 言う。

 

 

スプリンクラーを設置しなさい! 

 

 

・・・・・・  まぁ それも大事なんだろうけど 

 

 

 

 

 

私は、この手を見て 「 これはありがたいことだな 」 と思う。

 

 

 

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 Y先生

2009-06-01 | Weblog

Y先生は高校時代の“恩師”である。教科は世界史。というより私たちはワンダ

 

フォーゲル部顧問としての先生により大きくお世話になった。

 

 

 

 特別面倒見のいい先生というのでは無いが、飄々としながら、ここぞという時

 

私たちのそばに先生が居た。先生は山行以外、普段の部活に顔を出す事

 

かった。しかし冬山と岩登りが禁止されていた高校登山の中で  「 いつか

 

役に立つから 」 とザイルワークの基礎である “懸垂下降” の技術だけは

 

グランドわきの崖で毎年自ら指導された。

 

 

 

 先生は進路指導担当となると、それまでの社会科研究室を出て、進路指導

 

に棲むようになった。しばらくすると進路指導室に学校には不釣り合いな

 

りっぱな応接セットが運び込まれた。 「 先生、これって校長室のよりりっぱ

 

なんじゃありませんか?」 からかう生徒に 「あ~ そうだよ、ここでねえ

 

人間一生の大事が語り合われるんだ、このくらいのものがあってしかるべき

 

でしょう はははははは・・・ 」 

 

 

 見識 とはこういう事を言うのだと思った。

 

 

 

 

 先生は4年前に脳梗塞の発作を起こして左半身にマヒが残った。

 

翌年の年賀状でその事を知ったが私は母の事や自分の病気の事で先生に

 

会いに行く機会を逸したまま今日まで来てしまった。 

 

 

「 はい、主人は一昨年から近所にできました ・ ・ ・ という老人ホームに入

 

っております。 はい、マヒはよくはなりませんが、元気は元気で食欲もあります

 

し・・・ ただUさんのことを・・・憶えているかどうか・・・ 記憶が少し・・・  はい

 

憶えていなかったらごめんなさい・・・ そうですか・・・ ありがとうございます。

 

 私は午後は毎日ホームに居りますのでいつでも・・・ はい、お待ちしており

 

 ます。」

  

 

 先生は三浦の海を目の前にした明るい部屋でベットに横になっていた。

 

  「 お父さん、昨日話したZ高校のMさんとUさんよ、わかりますか?」

 

  「 ああ・・・・ そうですか 」  

 

先生はそう言うと、少し首を起こして私たちを見た。

 

  「 左半身がきかないんです、目も左は少し歪んで見えるようで・・・ 今、車

 

  いに座らせますね。」

 

 

 

夫人は先生が倒れて一時は生命の危険があった事、その後のリハビリで

 

七沢の施設に入所した事、帰宅後二年余り自宅で療養した後ホームに入居

 

した事。 かいつまんで話された。

 

 

 「 まだ74でしたからねぇ、 少し残念だったと思いますよ。あと10年、 絵だ

 

 ってこんなに上手になったのに・・・ そう85~6まではねぇ、元気で過ごさせ

 

 てやりたかったです・・・   ヤクルト好きでね、毎日こうやって一本づつ

 

 持って来るんですよ。 食べる事だけ楽しみみたいで・・・・・・・」

 

 

 

 

 「 そうですね、でも最初の発作が命にかかわるようなものだったとしたら、

 

 ここまで回復されたらりっぱじゃありませんか。」

 

 私の言葉を聞くと、それまで少し虚ろな目をしていた先生がスッと首を上げて

 

 「 そうだよ、欲を言ったらきりは無いんだ・・・・・」   そう言うと先生は突然  

 

 「♪菜の花畑にぃ~・・・・・    と一人で唱歌を歌いした。 

 

 夫人とMさんも私も ♪入り日薄れぇ~・・・・・ 」  と それに合わせた。

 

 三浦の海に四人の歌声が流れた。

 

 

 

   

 先生に私たちの事がわかったかどうかはどうでもいいことだった。

 

先生には先生の、その夫人には夫人の、MさんにはMさんの、私には私の、

 

その日その時がそこにあった。 

  

 

 そういう事だと思った。

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