まゆつば通信

良心に従い真実を述べ何事も付け加えない「まゆつば通信」

 皐月尽

2013-05-31 | Weblog

 

 

     エンドウ、そら豆を 片付けて

     法 を きれいに刈りこんで

     トウモロコシ、茄子。

     紫陽花は二色、 支柱に這わせた南瓜に雌花

     人工 ・ ・ ・  はしないのでちゃんと受粉するか気になるところだが。

     ま、 成り行き だね。

 

     今年の 梅雨入り は少し早かった。

 

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 癸巳(みずのとみ)

2013-05-18 | Weblog

 

今年の 干支 は癸巳(みずのとみ)

干支について説明は・・ 

年に甲乙丙の十干と子丑寅の十二支が決められてますね

で、10と12の最小公倍数は60だから同じ組み合わせは

60年に一回  と。

はい、ここまでの説明で50%の方々は 「 なに? それ 」

な~ んとなく聞いたことあるなぁ・・・ の方は こちら が

解りやすいかな。 かくいう自分も学生のころに試験に備えて

暗記した程度、特別 陰陽道 に見識があるわけではありません。

 

干支なんかまるっきり  な子どもが赤い鞄を買ってくれた。

メデタイ。

 

     かばん  

    以前 『 センセイの鞄 』 という単発のドラマがあった。

    ずっと 向田邦子 と思っていたが・・ 違うらしい。

    小泉今日子、柄本 明 。  

    いわゆる 行き遅れ のツキコさんと恩師のちょっといいはなし。

    あの 鞄 は ・ ・ ・ ・ ・    なんでもいいか。

    

 

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 気分は夏へ

2013-05-18 | Weblog

     終焉の春菊。 

     春先、鳥にだいぶ痛めつけられたが 何事も無かったように この華やかさ。

 

 

 

     相性悪いネギ類だったが 湘南レッド。

     秋に植え付け、 1月に追肥一回、 時々草取り。

     これは鳥も手(?)が出せなかった ザマアミロ・・・・・

     スライスして2~3回水替えて晒すと かすかな甘味。

 

 

 

     季節は確実に巡り

     芽吹いた柿の葉の陰を見ると早くも柿の花

     レモンだって。

 

 

 

     気分は 夏 へ切り替えて

     かぼちゃ苗は貰いもの、トウモロコシは自前で育苗。

     どちらも作るのに面積取るんだが、 かぼちゃは立てちまうか・・

             

 

     

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 根津、谷中 ダイジェスト

2013-05-07 | Weblog

 

『 根津神社 』 の額の上に 卍 のマークがたくさん。

『 神仏習合 』 があたりまえであった時代の名残り。

 

 

早くも 夏木立 の趣き。

 

     つつじまつり

     黄色いつつじは珍しいとか。

 

          

夕焼けだんだん 

 

 

降りたら 谷中ぎんざ

 

似ている ・ ・  鎌倉の小町通り、50年前の小町通りに。

肉屋、八百屋、自転車屋、足袋屋 ・ ・ ・ 商店構成も人通りも ・ ・

ちょうどこんな生活感ある通りだった。

 

 

 

 

谷中の寺町をぬけると

東京国立博物館

 

 

 

噴水池のそばには スターバックス

お帰りは JR上野公園口 へ 。 

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 桜山から逗子海岸 へ

2013-05-01 | Weblog

     

古墳 です   と言われれば   ふ~~  ん。

 

桜の大木の左奥が “ 円墳 ” 右手前が “ 方墳 ”

と いう言い方はしない。 正しくは合わせて “ 前方後円墳 ”

“通信” 初期 にここに触れたことがあった、 もう8年 ・ ・

 

 

 

疎林と下草の緑がなんとも綺麗なこの季節

ちょうどよく手入れされたいい散歩コースだ。

 

一定間隔で下草を刈らなければ 笹 が密生してしまうので

この景色には 予算 がかかっているはず。

 

 

“ 復元 ” だ “ 整備 ” だの構想もかつて聞いたが

史跡指定にとどめて ま、 このままがいいと思うな。

 

復元整備って想像力を制限しますからね、

目に見えるとその後ろがなかなか見えにくくなる。

将来、我々よりずっと想像力の優れた科学の目が

きっと現れます、 そのひとの “ 感 ” によって

タマトタケル や 鎌倉の別 の姿が見えて来る ・ ・

楽しみなことです。

 

 

 

古墳から、散歩コースを10分ほど下ると時代は1500年ほど下って

徳川16代 家達 の別邸であったという

逗子市郷土資料館

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下の道路から ( 元の逗子デニーズそば ) 上がってくると結構息が切れる。

家達氏 足腰の丈夫な方だったよう。

今日はベビーバギー持参で親子連れがひと組、お疲れ様。

庭からの景色は ・ ・ ・ ・ ・  説明より ぜひお出かけ下さい。

 

ひとつ気になるのは、当時、上下水道はどうしていたのだろう

水道、今でこそ送水圧が上がってこのくらいは水圧確保できそうだが、

大正・・ まだ 井戸 か、  それにしては高すぎて水脈まで相当ありそう。

下水、 生活排水は “ 浸透 ” で充分処理可能だったと思われるが 問題は

屎尿 ね。  大正 ・ ・   肥桶担いで誰かがこの坂下りたんだねきっと。

お疲れ様。

 

 

 

天秤棒で ・ ・ ・ ・ を担ぐのを想像しながら郷土資料館下ると田越川。

 

その名も 『 富士見橋 』

海岸まで出ないと富士は見えない(たぶん)

 

富士見橋から見返すと先程の 長柄桜山古墳 の山が

このように見える。

「 俺の墓は あの山に造るべ ・・」

この辺り(当時は湿地の真ん中か)で考えたんだろね、 気持は解る。

 

散歩の終わりは 逗子海岸。

海が荒れた翌日は 桜貝 が寄っていることがある。

 

     徳富蘆花はある日、小説の構想に疲れて夫人と逗子の海岸を散歩していた。

     夫人が貝を拾って 「これは何という貝?」 と蘆花に尋ねた、 蘆花は貝の名に造詣が

     無かったようで、適当に 「 『 波の子 』  だろ 」 と答えた。  答えながら naminoko

     という 音 がひどく気に入った。 「 そうだ、次の小説のヒロインの名は 浪子 にしよう 」 

     そうして出来たのが 明治のベストセラー 『 不如帰 』 である。

 

     昔 父に聞かされた話である。

     因みに亡父の名前は 武雄 といった。 

 

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