エンドウ、そら豆を 片付けて
法 を きれいに刈りこんで
トウモロコシ、茄子。
紫陽花は二色、 支柱に這わせた南瓜に雌花
人工 ・ ・ ・ はしないのでちゃんと受粉するか気になるところだが。
ま、 成り行き だね。
今年の 梅雨入り は少し早かった。
エンドウ、そら豆を 片付けて
法 を きれいに刈りこんで
トウモロコシ、茄子。
紫陽花は二色、 支柱に這わせた南瓜に雌花
人工 ・ ・ ・ はしないのでちゃんと受粉するか気になるところだが。
ま、 成り行き だね。
今年の 梅雨入り は少し早かった。
今年の 干支 は癸巳(みずのとみ)
干支について説明は・・
年に甲乙丙の十干と子丑寅の十二支が決められてますね
で、10と12の最小公倍数は60だから同じ組み合わせは
60年に一回 と。
はい、ここまでの説明で50%の方々は 「 なに? それ 」
な~ んとなく聞いたことあるなぁ・・・ の方は こちら が
解りやすいかな。 かくいう自分も学生のころに試験に備えて
暗記した程度、特別 陰陽道 に見識があるわけではありません。
干支なんかまるっきり ? な子どもが赤い鞄を買ってくれた。
メデタイ。
かばん
以前 『 センセイの鞄 』 という単発のドラマがあった。
ずっと 向田邦子 と思っていたが・・ 違うらしい。
小泉今日子、柄本 明 。
いわゆる 行き遅れ のツキコさんと恩師のちょっといいはなし。
あの 鞄 は ・ ・ ・ ・ ・ なんでもいいか。
終焉の春菊。
春先、鳥にだいぶ痛めつけられたが 何事も無かったように この華やかさ。
相性悪いネギ類だったが 湘南レッド。
秋に植え付け、 1月に追肥一回、 時々草取り。
これは鳥も手(?)が出せなかった ザマアミロ・・・・・
スライスして2~3回水替えて晒すと かすかな甘味。
季節は確実に巡り
芽吹いた柿の葉の陰を見ると早くも柿の花
レモンだって。
気分は 夏 へ切り替えて
かぼちゃ苗は貰いもの、トウモロコシは自前で育苗。
どちらも作るのに面積取るんだが、 かぼちゃは立てちまうか・・
『 根津神社 』 の額の上に 卍 のマークがたくさん。
『 神仏習合 』 があたりまえであった時代の名残り。
早くも 夏木立 の趣き。
つつじまつり
黄色いつつじは珍しいとか。
夕焼けだんだん
降りたら 谷中ぎんざ
似ている ・ ・ 鎌倉の小町通り、50年前の小町通りに。
肉屋、八百屋、自転車屋、足袋屋 ・ ・ ・ 商店構成も人通りも ・ ・
ちょうどこんな生活感ある通りだった。
谷中の寺町をぬけると
東京国立博物館
噴水池のそばには スターバックス
お帰りは JR上野公園口 へ 。
古墳 です と言われれば ふ~~ ん。
桜の大木の左奥が “ 円墳 ” 右手前が “ 方墳 ”
と いう言い方はしない。 正しくは合わせて “ 前方後円墳 ”
“通信” 初期 にここに触れたことがあった、 もう8年 ・ ・
疎林と下草の緑がなんとも綺麗なこの季節
ちょうどよく手入れされたいい散歩コースだ。
一定間隔で下草を刈らなければ 笹 が密生してしまうので
この景色には 予算 がかかっているはず。
“ 復元 ” だ “ 整備 ” だの構想もかつて聞いたが
史跡指定にとどめて ま、 このままがいいと思うな。
復元整備って想像力を制限しますからね、
目に見えるとその後ろがなかなか見えにくくなる。
将来、我々よりずっと想像力の優れた科学の目が
きっと現れます、 そのひとの “ 感 ” によって
タマトタケル や 鎌倉の別 の姿が見えて来る ・ ・
楽しみなことです。
古墳から、散歩コースを10分ほど下ると時代は1500年ほど下って
徳川16代 家達 の別邸であったという
下の道路から ( 元の逗子デニーズそば ) 上がってくると結構息が切れる。
家達氏 足腰の丈夫な方だったよう。
今日はベビーバギー持参で親子連れがひと組、お疲れ様。
庭からの景色は ・ ・ ・ ・ ・ 説明より ぜひお出かけ下さい。
ひとつ気になるのは、当時、上下水道はどうしていたのだろう
水道、今でこそ送水圧が上がってこのくらいは水圧確保できそうだが、
大正・・ まだ 井戸 か、 それにしては高すぎて水脈まで相当ありそう。
下水、 生活排水は “ 浸透 ” で充分処理可能だったと思われるが 問題は
屎尿 ね。 大正 ・ ・ 肥桶担いで誰かがこの坂下りたんだねきっと。
お疲れ様。
天秤棒で ・ ・ ・ ・ を担ぐのを想像しながら郷土資料館下ると田越川。
その名も 『 富士見橋 』
海岸まで出ないと富士は見えない(たぶん)
富士見橋から見返すと先程の 長柄桜山古墳 の山が
このように見える。
「 俺の墓は あの山に造るべ ・・」
この辺り(当時は湿地の真ん中か)で考えたんだろね、 気持は解る。
散歩の終わりは 逗子海岸。
海が荒れた翌日は 桜貝 が寄っていることがある。
徳富蘆花はある日、小説の構想に疲れて夫人と逗子の海岸を散歩していた。
夫人が貝を拾って 「これは何という貝?」 と蘆花に尋ねた、 蘆花は貝の名に造詣が
無かったようで、適当に 「 『 波の子 』 だろ 」 と答えた。 答えながら naminoko
という 音 がひどく気に入った。 「 そうだ、次の小説のヒロインの名は 浪子 にしよう 」
そうして出来たのが 明治のベストセラー 『 不如帰 』 である。
昔 父に聞かされた話である。
因みに亡父の名前は 武雄 といった。