朝9時30分の電車に乗って北へ。
かなしみのいちにちです。
当事者関係から写真を撮らないでと言われたので
カメラは持たずにでかけました。
ケータイでも撮らず、
一枚も撮りませんでした。
皆 無口で静かにすごした一日でした。
7時には帰宅。
・・・・・・・・・・・・・・・・
愛する人に聞かせるハーモニカには涙がながれました。
朝9時30分の電車に乗って北へ。
かなしみのいちにちです。
当事者関係から写真を撮らないでと言われたので
カメラは持たずにでかけました。
ケータイでも撮らず、
一枚も撮りませんでした。
皆 無口で静かにすごした一日でした。
7時には帰宅。
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愛する人に聞かせるハーモニカには涙がながれました。
長く患っていた人はもちろんですが、お元気な日常を送っていた人が突然いなくなる、それは身近な人にとっては言いようのない大きな悲しみでしょう。
写真を撮っておれば思い出を振り返ることが出来ますが、どこか心が離れた感じになりますものね。
撮りたい、残したいという気持ちは自己満足な行為かもしれません。
撮られたくないことや人がいるなら
撮らないほうがいいのですね。
写真がなくても
記憶にどこまで残るか、
残るものは
何がなくても残るのでしょうね。