カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

中国に関する醜聞 176 「回帰」に揺れ動く

2016年12月30日 14時49分48秒 | アジア

本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。ここでは主に中国に関係した最近の「回帰」を集めてみました。


  • フィリピンが中国へ回帰

前の大統領アキノ時代に、アメリカがフィリピンへ回帰することにしたのは「かつてアメリカがフィリピンから撤退したため中国の海洋進出を招いた」という反省があったからであり、またフィリピンは中国を仲裁裁判所へ訴え中国の主張はすべて退けられました。

しかし2016年に誕生した新しい大統領ドゥテルテは、一転して「反米・親中」路線を歩みそうで、仲裁裁判所の結果に触れないで中国にすり寄ることで、中国からの経済支援を得ようとしています。中国共産党がいつどのように豹変するか理解できていないようです!

いずれにしてもアメリカのアジア回帰が実現するのかどうか、2017年1月にトランプ大統領になってから決まってくると思われます

トランプが、親ロ・反中路線を取ると、フィリピンから20年前に引き上げた米軍を今年再度フィリピンへ駐留させましたが再び引き上げるかもしれません。もしもトランプが、反ロ・反中ならば、フィリピン基地にこだわるかも知れません。

オバマ大統領の最後の仕事なのかどうか、ロシアが2016年11月の大統領選挙時に民主党へサイバー攻撃を加えた証拠をつかんだようでロシア人35人を国外退去処分にしました。ロシアは否定するはずで、すぐに報復追放するでしょう。

  • 米グーグル社の中国への回帰

グーグルは2010年にあまりにも一党独裁的だったため中国市場から撤退しました。しかし何らかの一致点があったのか、再参入するらしいという声がありますが、グーグル社は否定しています〔日経 2015/10/2〕。

  • 沖縄の中国志向

中国の領土野望はロシアの領土野望と共に、「異常」です。

何かと批判のある青山繁晴の記事〔2015年9月28日〕をまとめてみました。

反米(基地反対)・反日(日本政府から金を巻き上げるだけ)の無法地帯を目指すかのような沖縄県知事の翁長は、どんなに中国が横暴であっても、中国には何も言えないままで、自治体の長としては「不適切」と言えますね。

沖縄のメディアもまた、「翁長の動きを「無視」するらしいので、多くの沖縄県民も知らないまま。

異論を許さないと自らがキャンペーンをはる地域は、中国・韓国同様に、たいへん危ないと言えます。

ただし青山がかなり前から「中国が沖縄を狙っている」と主張するのを、記事にした沖縄タイムス、これを無視した琉球新報、という違いがあるとのこと。似たような2誌にも、微妙な違いがあるのでしょう。私も4年になろうとしている石垣島在住のおかげか、沖縄タイムスと琉球新報のちがいが微妙にあるような気がしています。いずれにしても朝日新聞が右翼新聞に思われるというほどの沖縄のメディアですが・・・・・・。

とにかく中国とは全く違って、日本には言論の自由があるわけで、そこに、いいも悪いも青山の存在価値があります。こんな人物は、中国にはあり得ず、存在そのものが許されません。そんなことをしている中国共産党は、やがて滅びるしかないのでしょう。

中国共産党は、言うことを聞かない仲井真を見捨てて、那覇市長だった翁長を後押ししたようで、確かに翁長は、中国の横暴に対してまったく何も述べていないようです。仲井真も中国系らしいのでそうとう悩んでいたようですが、翁長には悩むという「知的な姿」など、まったく見られません。

中国共産党が「沖縄」を琉球として独立させ、そのあと取り込もうと考えていることは沖縄本島の老人でさえ理解しているらしい。

しかし翁長は、まだ理解できていないか、または理解する能力を欠いているか、に見えます。

どうやら今の翁長、中国へ回帰しています。何とかして中国から分離独立したいという地域があるのに、沖縄はなぜか中国に接近しようとしています。限りなく中国に接近したのに今や経済制裁されている韓国を知っているはずなのに、目覚めよ法を軽視する知事翁長!

  • 日韓関係と日本の回帰
日本では15年ほど韓流ブームが続きましたが、韓国のペテン体質が表面化したため、ブームはおちつき始めたようです。まだまだテレビでは「韓流ドラマ」がたくさん見られるようですが、識者はすでに、日本では韓流ブームが去りつつあり日本への回帰が始まっている、とみているようです。

明治のころの文学にも、ヨーロッパ志向と日本回帰があったようで、常に社会はこの2つ「外国志向・国内志向」の間を揺れ動くものなんでしょう。

  • 中国の回帰
まるで日本の江戸時代へ回帰するような中国の「反スパイ法」ですが、裁判や法が機能していない中国は、極めて危険な地域になってまいりました。

独裁政権である中国共産党が「スパイだ」と判断すれば、誰でもいつでも、拘束・逮捕・投獄できるようになったのです。

そうでなくても危険きわまりなかった中国が、文字通り「危ない最低国家」へと転落してしまったようです。:newsweek 2015年10月9日  

また孔子学院を世界各地に創立するなど、毛沢東や孔子という過去へ戻りたがるのもまた、中国人でした。

さまざまな意味をもつ「回帰

いい意味でも、悪い意味でも、「回帰」は避けて通れない道です。

しかし、「回帰しかない」、すべてが古典にあるとする中国には、大いなる違和感がある、と申し上げておきたいのです。

なぜかといえば、新しい時代をどう切り開くかの問題に直面したときに、新しい思考ではなく、過去の中に正解があるという発想が極めて危ないと思うからです。

現在の中国共産党のペテン体質を見ていると

間違いなく「中国の古典」にもペテン体質がある、と容易に想像できます。いくら「一貫して昔から」と言っても、今のペテン体質が過去のペテン体質を想像させるのに充分だからです。かりに現在の中国共産党が「信頼できる」ならば、過去の中国もまた「信頼できそう」なのですが、今どこにも信頼性がないのに、どうして過去の中国だけが信頼できるというのでせうね。

つまり、こうこう古文書に書いてある、といくら中国共産党が主張しても、今現在の主張があまりにもいい加減なので、きっと過去もそうであったと思わせるのです(笑)。

さてさて、皆様はどう思われますか。

韓国の醜聞176 ふたたび「差別」

2016年12月30日 09時27分26秒 | アジア

韓族を考えるとき、どうしても避けられないのが「差別」と非論理性でして、避けて通れない問題ですね。

  • 異なる意見に対しては、瞬発的に何でも感情的に反発します。何も考えることなく即座に「違う」とだけ発して・・・・・・。
  • 自分と異なる意見に対しては、このように絶対に話を聞かずに、即座に「反対」します。
  • 言われたことに対して、冷静に考えて反応できない」のが長年培ってきた民族性なのでしょうか。
  • こうして対話ができない体質が、長年にわたって醸成されてきました。
  • にもかかわらず、いつも自分が差別された、と感じてしまうのです。
  • 差別と非論理性は、同じことの両面なのでしょうか。

たとえば、すべての韓国人がそうだとは言えませんが

何らかのことで「非難」されると、即座に相手のことを「差別主義者だ」とか「右翼だ」とレッテルをはるようです。そこでは、「非難」の内容や自分の反論など、どうでもいいらしく、即座に「違う」ということが大切らしいのです。

こういった直情径行が原因と思われる言動を非難されると、まさに直情径行にふさわしく「差別主義者だ」と叫びます。もうドラえもんにポケット、鉄腕アトムにエネルギーという「無敵の世界」ですね(笑)。 

北朝鮮のマスゲームに似た「一色」を好む韓族は、反論されるとじっくり考えるのではなく、とっさに、情緒的に、「一色」になってしまい、相手を「差別主義者」「右翼」にしてしまうのです。これこそ「差別主義者」ではありませんか(笑)。

もういい加減にしてくれ、と言いたいところですが

冷静に受け止めて、論理的に反論するという基礎訓練ができていないことを認めた上での、何らかの対応が必要なんでしょうか。まるで赤子をあやすかのようですね。

ハングルの「語彙」に問題があるためか、それとも地政学的な長年の伝統なのでしょうか。 


このように一番こまるのは

「不可解な意見」を述べ、これに反論されると、「差別された」と叫ぶことなんです。互いに差別し合うという「差別が蔓延している韓国社会」ならば、やむを得ないのでしょうか。

自らの非を指摘される差別されたと叫ぶ

こういった「パブロフの条件反射」がある限り、もう誰も指摘してくれないようになり、かといって韓族が自らの欠点を自分で克復できるとも思えず、よって「永久に更生できないまま」ではないかと、思ってしまうのです。

  • ひょっとしたら韓族は、反論されて「しょげかえる」欠点を避けるために「まえもって攻撃に転じることにしている」のかも知れません。ここで韓族がとても「攻撃的」であることを思い出すのは、妥当なところでしょう。
  • どうやら、自分が不利になったと思った瞬間に「差別された」と叫べば、物事が丸くおさまる、と考えているようです。なんとまた幼稚なことか。

こういった「差別された」を金科玉条にする韓族の手法が日本では広く嫌われ、回り回ってそれが「差別された」という印象につながるのではないか、と考えています。

安易に「差別された」というもんじゃないでしょう。

習慣の違いを考えず、対話を拒否して、強引に「自分の正しさを通そうとする」ので、それが嫌われることになります。

そうすると当然、あっちっこっちから反発されるでしょうが、それが「差別だ」と叫ぶのが本当に正しいやりかただと思いますか?

情緒的な反応しかできないと

いつまでたっても「自分が常に一番正しい」として、他の意見を認められないので、この人から永久に「差別された」という意識は、なくならないでしょう。まずは自分の意識を変えなければならないことが多いのではありませんか。

国同士の対話でも、「自分が常に一番正しい」のであり、他国はそれに従うべきだ、だけだといつまで経っても関係は好転しないでしょう。中国・韓国をみていると、しみじみそれを感じます。

前大統領だった朴槿恵が、あれほど敵対している北朝鮮とは無条件で話し合う用意があるとしながら、日本に対しては自分の主張を認めるなら会談してもいい、と条件を付けるなど、愚の骨頂ですね。

日本と韓国の、一体どちらが差別的なんでしょうね。

さてさて、皆様はどう思われますか。