カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

情報の整理整頓

2016年12月18日 07時16分45秒 | 科学技術

入り乱れる「情報の荒波」を目の当たりにして

これに翻弄(ほんろう)され逃れるように立ち去る人もいれば、これらこそ金儲けの源泉だと考える人もいます。

これら「情報の荒波」を分析することは

日常生活での分別や図書館での図書分類にも関係しており、必要な人にとってはとても大切なことですが、自分ができる範囲の処理に留まっている人には、どうでもいいこと、でした(笑)。

  • 出版される書籍は、ある一定の基準に従って分類されるべきだ、という考えがあります。だからこそ初めて入った図書館であっても、大分類から中分類へと順に進めば、だいたいは並んでいる書架から自分の読みたい本を見つけることができます。見つからなければ、或いは探し方が分らなければ、係員に聞くことですね。また書籍店にも、売るための特有の陳列方法があるのでしょうが、概して何らかの「並べぐあい」があるはずなので、店ごとのその「並べぐあい」を素早く把握することです。もちろん自分が選ぶ書籍があるかないかの最後判断は、自分がするしかありません。
  • 日常生活でも、時々刻々と入ってくる情報を、人はそれぞれ自分の基準で分類しています。その分類方法は実に多彩で、どれも「いざという時に即座に対応」できるようになっており、複雑に入り組んだ人間関係やものごとの関係を、その人なりに分かりやすく把握していると言えます。

しかし、ものすごく多いとまでは言えませんが、まれに

どういった所へ分類すべきか、迷ってしまうような「情報」や「書籍」が、必ず出てくるものです。せっかく分類方法を決めたのに、どこへ分類すべきか迷うような「新製品」が、たまにですが、必ず出てくるのです。両方の分類の境界上にある場合のことで、相当悩むでしょう。この頻度も人によって大きく変わるでしょう。ある人なら、そんなことはまずないでしょう(笑)。

ただしPCの処理速度が上がってきた現在、自分のPCのHDD内のどこかにあるはずなのに、その題名(ファイル名)をつけ間違ったために、永久に探し出せないことが、増えていくことでしょう。これを防ぐのが「賢いPCの使い方」になります。

分類方法を

  • あまり細かく決め過ぎていても、よく使うものとまったく意味がなくなったものに分かれてしまうことがあります。それを決めた段階で意味があったはずですが、それぞれの人の複雑な日常生活で、未来にわたっても通用するとは限らないのですね。
  • かといって、あまりにも大ざっぱに決めていても、いざという時に必要な情報を探し出すことができないばかりか、どこにも分類できず「保留中」とするため、これが増えて大混乱に陥ります。

どんな人にも、程度の差こそあれ、この種の悩みがあるものです。 


分りやすくするため、ある落語好きの人を、例にあげましょうか。ほかの例でも同じことですが・・・・・・

様々な落語を、「演者」別に整理整頓することで、雑多な情報を分りやすく整理整頓でき、何かが見えてくることでしょう。場合によっては、師匠ごと、或いはその弟子ごとに分けておけば、さらに分りやすくなります。

しばらくすると、大ネタである「らくだ」とか「芝浜」を、多くの落語家が演じていることが分ってきます。

同じ題名でも、演者によってマクラが異なりますし、本題に入っても、登場人物の描き方や会話形式や内容さえ大きく異なるものです。

ですから下図の例では、「演者(列C)」ではない「演目(列G)」ごとに並べ替えたい、というのも自然な要望です。

この両者の望みをかなえてくれるのが「並べ替え」の機能でした。

つまり縦と横の関係で整理整頓しておき、縦に演者である落語家を並べ、横の項目に生年月日・師匠・演目などを書いておきます。この選びかたはまったく自由です。

こうすれば、通常は演者ごとの情報を把握できますし、演目(列G)題名で並べ替えると、同じネタを誰がやっていたかが、一目で把握できるのです。

そして今述べた手法の欠点なのですが・・・・・・

「どういう使い方をするか」がまえもって分っている場合に、この手法が役立ちます。

しかし、使い方が分らないまま情報を収集することが誰にもあり、この場合、この表形式の整理整頓は、ほとんど役に立たないのです。

せっかく今、その使い方を決めておいたとしても、3年後にはまた別の使い方をするかも知れないのです。

一度情報を集め始めたら、その形式は、しばらく、つまり10年以上は変えたくないのが、人情というもの。

上の例で言えば、横の項目をどう設定すればいいかは、時代と共にかわるのです。今必要だと思っても3年後はわからないのです。

またどこに分類すべきか、ちょうど2つの分野にまたがるような書籍が、必ずでてくるものなんです。古い図書分類に従って一度どこかに入れてしまえば、もう二度と探し出せなくなるかも知れません。

これを避けるために、図書館では「文字検索」というものを用意しています。

しかしそれでさえ、「本の題名」や「著者名」の中に含まれる文字でしか検索できないのが現実です。

本の内容で探せるようにするには、書籍全体をデータ化して、「全文検索」できるようにしなければならないでしょう。

そうなると大変な作業になり、著作権の問題もからんでくるでしょうから、そう簡単にはできません。

解決方法の一つとして「要約」という項目を作っておき、これの全文検索を考えるかも知れません。しかし一体、誰がこの「要約」を「どういう基準で作る」のか。その要約のでき次第で、うまく検索できたり、そうでなかったりというバラツキが起こるでしょう。

コンピュータの処理速度が爆発的に向上し

  • 天気予報:複雑な計算が必要
  • 将棋や囲碁:膨大な過去の棋譜が必要

将棋ソフトでは

私が、飛角はもちろんのこと、香桂を落としても勝てたのは30年前の話。「ちょっと油断している間?」に、もう手に負えないほど強くなりました。

どんなコンピュータの使い方が一番いいか、なんとも言えませんが、私は、ものによって使い分けています。

  • 「そうひんぱんに更新しない」ものに関しては、並べ替えの機能を応用。例えば各国首脳の在任期間や有名人の名簿や地名辞典など。
  • 「情報を日々更新・追加する」ものに関しては、検索の機能を応用。例えば毎日の新聞記事など。

することにしております。

いや「膨大な情報からの検索にはインターネットがあるではないか」、と反論するかたに・・・・・・

  • まず信憑性の問題があります。大手だから信頼できるとも限らず小手(?)だから信頼できない、とも言えません。それぞれの「信仰」に従って何かを主張しており、その信憑性は自分で考えるしかないのです。中国や韓国が独善的な「でっちあげ」という名の信仰に従って何かを述べておりますが、ほとんどに「正当」な根拠がないというのが明確な証拠と言えます。
  • いつリンク切れになるかわかりません。よって興味のある記事を取り込んでおかねばならないのです。あとは自分のPC内部での検索になり、かなり膨大な量であっても、近年のPCの技能を考えると実用的に利用できます。ただしその情報がどの程度正確かは、相変わらずそれを利用する人の腕にかかっています。
  • たしかにインターネット上には、表形式のデータもあれば、検索にふさわしいデータもあるでしょうが、上記のような限界があることに注意したいものです。

それぞれの皆様が

日常生活で情報の大きな波を受けていて、それらをうまく活用していらっしゃることでしょうが、本ブログの記事が何らかのお役になったでしょうか。

あすの暮らしに役立つ」ことなど

まったく考えたことなどありませんが、できれば何かのお役に立てればと思っております・・・・・・。

こういったブログ記事に対してでさえ、受け取る人によっては大いなる違和感をもたらすでしょうし、場合によっては共感する人がいるかも知れません。

さてさて、皆様はどう思われましたか。