本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクさえ提示しています。
現在、日本では城ブームらしいですね。
- 天空の城、天守めぐり、などなどがあり、例の「歴女」も増えているらしい。
- 落語家の春風亭昇太も城を好むらしく、語り始めたら止まらないとも。
こんな時に
- 熊本で巨大な地震が起り、しかもかつての松代地震を思い出させるほど、長引いているようです。
- 大昔のことですが長野県松代群発地震(まつしろ:1965~)では死者は出なかったものの、不気味な余震が5年も続き、住んでいる人たちには恐怖が続いたことでしょう。
- ことし熊本では巨大地震が起り多数の死者が出たようで、松代群発地震より悲惨だったと言えます。
- 熊本城も例外ではなく、この地震が発生する前の熊本城の勇姿と、地震後の崩れた城壁を比較していました。加藤清正の改築や宇土櫓の姿などが特集されているのを見た方もきっと多いでしょう。
- こういった自然災害などで崩壊する可能性が常にあるため、映像は撮っておくものだと実感しました。その地域に住む人にとって復興のシンボルでもあり続けたらしい「城」や「城壁」。
今回は、そんな「城壁」についてまとめてみました。お好みの記事があれば幸いですが、さてどうでしょうか。
中国の多くの都市を城壁で囲む確たる理由は、政府が人民を信用していないことにある。・・・・・・
中国の歴史は、反乱の歴史である。その反乱のほとんどは、政府が即座に適切に対応していれば明らかに防ぐことができたであろう。だが、政府は対応しようとはしない。おそらく、対応することを望まないか、対応を妨害されるためだろう。・・・・・・
他の東洋の都市も同様だが、中国人のあらゆる屋敷を囲む高い塀も、相互不信という特徴を表す実例だ。
ロンドンやニューヨークという都市について、それらが(城壁で囲まれている都市)ではないということを中国人に説明するのは困難なことなのだが、それと同様に、西洋諸国では人々が屋敷に塀をめぐらさない理由を理解させるのも容易ではない。中国人は、西洋にはいかなる種類の悪人もいないのだろうと早合点をするに違いない。
:P.270-275 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行
120年も前の著述からの引用ですが
現在の中国共産党の妄言があまりにもひどすぎるため、やむを得ず「古典」から引用しました。中国では昔と何も変わっていないことを示し、私の今の判断にもいくらかの根拠がある、と言いたいのでしょうか。
これらを通して中国人の本質が何も変わっていないことが分かり笑ってしまいますが、それは中国共産党の報道官が「真剣に顔を引きつらせ」て語っているのをみるとき、より一層の「笑い」の効果を生んでいます。
「あくまでも自分たちの歴史が最善」であり、それ以外は考えられないという信念が根底に見えてきます。
それを具体的に示す例の一つが「世界のどの街も、城壁で囲まれている(はずだ)」という「中国人の常識」です。
自分たちの考えることが一番正しいと思うほどの「うぬぼれ」が見えてきて、現在をみる時にも何かを暗示していると思いませんか(大笑)。
中国では
「教育」とは、あくまでも「政治的な解釈」に過ぎないということが伝わればそれでいいかと考えています。中国では決して、「歴史」も「教育」も、「学問」ではないのでした。
だからこそ「学問」であるはず、と考えている人からみれば、中国共産党の表明には、あまりにも「妄言」が多過ぎると感じられるのでした(笑)。
外国人が河を調査すれば、貴重な金属を探していると考える。外国人は地中を見ることができ、持ち去るに値するものを見抜く目があると思われている。もし外国人が飢饉の救済に携わったとすれば、その最終目的はその地方の住民の大多数を連れ去って外国で売り払うに違いない、とさえ考えかねない。・・・・・・
ベイバー氏〔第6章注3〕は四川省のある山では、「阿片は地表で育ち、石炭は地中で育つ」という俗諺(ぞくげん)がある、と述べている。これは無学な者だけの見解ではない。というのは、採掘速度の増化率は不明なのだが、北京の高官の1人が石炭をあまりにも速く採掘しすぎることに反対する論拠〔採掘のスピードが速いと地中での石炭の生育が間に合わなくなる〕としてこの俗諺を述べた、とパンペリー教授が語っているからだ。
:P.287-296 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書
中国為政者の矛盾でしょうか
- 愚民政策をとる限り「教育」の効果は期待できません。人々の相互不信が極限に達しており、何をやろうとしても頓挫するしかないからです。
- しかし中国為政者がまともな「教育」を施して頓挫を避けようとすると、せっかくの愚民政策の意味がなくなるでしょう。
美しい言葉で現実をごまかそうとするのは漢族の特徴ですので、そのまま信じてはなりません(大笑)。
俗諺を紹介したのは、この特徴を強調する意図があったからであり、俗諺そのものに大した意味はありません。
ヨーロッパの都市名の語尾にもいくらか関係しそうです。詳しくは、それぞれのリンクをあたって下さい。
-burg〔ブルク・ブルグ〕
ゲルマン系の城壁都市に関係していたようですが、次のような地名がどう関係しているのでしょう。
ドイツの「ハンブルク hamburug」やアメリカの「ピッツバーグ Pittsburgh」は城塞都市・砦が名前の元になっているようです。
またトルコの イスタンブール Istanbul〔コンスタンティノープル Constantinople〕 も関係しそうですね。
ただし詳細は不明ながら、ブルガリアの先祖は遊牧民らしいので関係がなさそうです。
-grad〔グラード・グラート・フラード〕
ロシアの「レニングラード州」などスラブ系の城壁都市に由来するのでしょう。
セルビア語の「ベオグラード 」もありますね。
-kent〔ケント〕
「タシ(ュ)ケント Toshkent Tashkent」などトルコ系の都市などで見かけますが「石の町」という意味らしく、やはり城壁に関係していたのでしょうか。
また日本でも「城」に由来した地名があるのかどうか、郵便番号データ2016年10月31日版によれば・・・・・・
▲都道府県名に「城」が含まれるのは
宮城県、茨城県
▲市区町村名に「城」が含まれるのは
- 宮城県多賀城市(たがじょうし)
- 茨城県結城市(ゆうきし)
- 東京都稲城市(いなぎし)
- 愛知県安城市(あんじょうし)
- 愛知県新城市(しんしろし)
- 京都府城陽市(じょうようし)
- 大阪府大阪市城東区(じょうとうく)
- 奈良県葛城市(かつらぎし)
- 熊本県宇城市(うきし)
- 宮崎県都城市(みやこのじょうし)←長い名前
- 沖縄県南城市(なんじょうし)
- 沖縄県中頭郡中城村(なかがみぐん なかぐすくそん)
などなど。
こう見ると、けっこう多いですね。ただし合併の時の改名例も多いため、「本当に由来のある城」なのかどうか分かりません。
「じょう」「き」「しろ」「ぐすく」などがみられます。
特に沖縄県という狭い島では、「城」を「じょう」や「ぐすく」とするなど揺れがみられます。
一般に日本では
総構え(そうがまえ)と呼ばれる都市全体を城壁で囲う例は、とても珍しいらしく、秀吉が京都に築いた「御土居(おどい)」が残っているだけのようです。土塁や山城の原形もあったようですね。
もし間違いがなければ、私がかつて「京都の北野天満宮」を訪れたとき、その確か西側あたりで「御土居」の遺構を見たはずです。確か20年以上前かも知れず、まだ城壁について興味をもっていなかったからでしょうか、写真にも残さず気にしていなかったのだと思います。たぶん京都の北西の方向だったと記憶しているのですが、北野天満宮だったかどうか・・・・・・
と思っていると次が見つかりました。
たぶんこれだと思うのですが・・・・・・自信はありません。
さてさて、皆様はどう思われますか。