韓族を考えるとき、どうしても避けられないのが「差別」と非論理性でして、避けて通れない問題ですね。
- 異なる意見に対しては、瞬発的に何でも感情的に反発します。何も考えることなく即座に「違う」とだけ発して・・・・・・。
- 自分と異なる意見に対しては、このように絶対に話を聞かずに、即座に「反対」します。
- 「言われたことに対して、冷静に考えて反応できない」のが長年培ってきた民族性なのでしょうか。
- こうして対話ができない体質が、長年にわたって醸成されてきました。
- にもかかわらず、いつも自分が差別された、と感じてしまうのです。
- 差別と非論理性は、同じことの両面なのでしょうか。
たとえば、すべての韓国人がそうだとは言えませんが
何らかのことで「非難」されると、即座に相手のことを「差別主義者だ」とか「右翼だ」とレッテルをはるようです。そこでは、「非難」の内容や自分の反論など、どうでもいいらしく、即座に「違う」ということが大切らしいのです。
こういった直情径行が原因と思われる言動を非難されると、まさに直情径行にふさわしく「差別主義者だ」と叫びます。もうドラえもんにポケット、鉄腕アトムにエネルギーという「無敵の世界」ですね(笑)。
北朝鮮のマスゲームに似た「一色」を好む韓族は、反論されるとじっくり考えるのではなく、とっさに、情緒的に、「一色」になってしまい、相手を「差別主義者」「右翼」にしてしまうのです。これこそ「差別主義者」ではありませんか(笑)。
もういい加減にしてくれ、と言いたいところですが
冷静に受け止めて、論理的に反論するという基礎訓練ができていないことを認めた上での、何らかの対応が必要なんでしょうか。まるで赤子をあやすかのようですね。
ハングルの「語彙」に問題があるためか、それとも地政学的な長年の伝統なのでしょうか。
このように一番こまるのは
「不可解な意見」を述べ、これに反論されると、「差別された」と叫ぶことなんです。互いに差別し合うという「差別が蔓延している韓国社会」ならば、やむを得ないのでしょうか。
自らの非を指摘される≒差別されたと叫ぶ
こういった「パブロフの条件反射」がある限り、もう誰も指摘してくれないようになり、かといって韓族が自らの欠点を自分で克復できるとも思えず、よって「永久に更生できないまま」ではないかと、思ってしまうのです。
- ひょっとしたら韓族は、反論されて「しょげかえる」欠点を避けるために「まえもって攻撃に転じることにしている」のかも知れません。ここで韓族がとても「攻撃的」であることを思い出すのは、妥当なところでしょう。
- どうやら、自分が不利になったと思った瞬間に「差別された」と叫べば、物事が丸くおさまる、と考えているようです。なんとまた幼稚なことか。
こういった「差別された」を金科玉条にする韓族の手法が日本では広く嫌われ、回り回ってそれが「差別された」という印象につながるのではないか、と考えています。
安易に「差別された」というもんじゃないでしょう。
習慣の違いを考えず、対話を拒否して、強引に「自分の正しさを通そうとする」ので、それが嫌われることになります。
そうすると当然、あっちっこっちから反発されるでしょうが、それが「差別だ」と叫ぶのが本当に正しいやりかただと思いますか?
情緒的な反応しかできないと
いつまでたっても「自分が常に一番正しい」として、他の意見を認められないので、この人から永久に「差別された」という意識は、なくならないでしょう。まずは自分の意識を変えなければならないことが多いのではありませんか。
国同士の対話でも、「自分が常に一番正しい」のであり、他国はそれに従うべきだ、だけだといつまで経っても関係は好転しないでしょう。中国・韓国をみていると、しみじみそれを感じます。
前大統領だった朴槿恵が、あれほど敵対している北朝鮮とは無条件で話し合う用意があるとしながら、日本に対しては自分の主張を認めるなら会談してもいい、と条件を付けるなど、愚の骨頂ですね。
日本と韓国の、一体どちらが差別的なんでしょうね。
さてさて、皆様はどう思われますか。