本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示しています。
中国では
- 共産党に都合のいい過去なら何回も政治的に利用
- 共産党に都合の悪い過去ならなかったことにする(歴史に関心を示した庶民を罰し触れさせない)
これが「歴史を直視できない」中国の実体ですが、なんとその中国が日本に対し「歴史を直視せよ」と落語のようなことを・・・・もう支離滅裂!
そこで儒教文化は、プロテスタンティズムの倫理と同じレベルで論じることができないばかりではなく、経済発展の遅れの主因であり、中国2千余年来の社会・文化の停滞の主要原因なのである。なぜ中華民国以後の中国の知識人が「民主」と「科学」を叫び、「54運動」をやらなければならないのか、その理由は、まさにここにある。:P.218 黄文雄「儒禍 中国2000年の呪縛」2014年9月20日初版第1刷発行 光文社
人は、「自分に欠けているものを必要とする」ようです。
中国共産党に限れば・・・・・・
- 「欠けている」から自画自賛するのです。決して「豊富にあるからそう言っている」のではありません。
- 「まったく存在しない」のに、「偽装」してまるで実在するかのように発言しますが、断言することのすべてが「単なる目標」であると思っておきましょう。
しかも中国には、支配を強化するため、民衆が要求したと装った「スローガンのねつ造」という伝統があります。
- 中国人が「民主」と「科学」を叫ぶのは、それが社会に行き渡っているからではなく、それが社会に存在しないから。
- そして支配者たちが「取り入れるふりをして支配を強める」という構図。実際に取り入れることはあり得ない!
ペテンとは、こうして生まれるものですね。何も商取引でのペテンだけではないのでした。
「中国人のほぼ全員に、正直さが見られない」ことなど、大昔から広く知られた真理でした。
そういった
中国の儒教をそっくりそのまま受けついだ韓国が、尋常な国でないことなど、火を見るよりもあきらですね。以下の例から「正直さ」が見られないとお分かりでしょう。
朴槿恵(パク・クネ)が退陣を示唆したようですが、「退陣を求める整然としたデモが韓国の民主主義を象徴している」という自画自賛は、「とんでもない勘違い」、あるいは「悪意に満ちたでっち上げ」でした。
- デモが整然としていたことは事実で、トラブルなど対立は報道されていません。かといってそれが「民主主義」だというのは、あまりにもひどいうぬぼれです(笑)。
- まず「整然としたデモ」というのは、けんか・対立が好きな韓国人としては、ありえない異常なことなのです。つまり「警察側も賛成していた」ので対立がなかった、というだけなんです。
- 一色に染まったことなど北朝鮮のマスゲームを連想させるだけで、民主主義とは何の関係もありません。
- むしろ今回の事件では「国政を占い師に相談・チェックを依頼」という韓国の非民主性が表面化しただけ、と私はみています。大統領の強すぎる権限という法的な欠陥がみられます。
- つまり「整然としたデモが韓国の民主主義の成熟度を示している」というのは単なる「でっち上げ・うぬぼれ・勘違い」です。ほとんどの韓族に見られる火病(憤怒調節障害)というのがあることからも分るとおり韓国には、99%以上の確率で、言論の自由も、民主主義の理念も、ありません。あるのは「民主主義風味」だけです。これを世間では「韓族の不正直さ」と言っておりますが、もちろん「漢族の不正直さ」の延長上にあります。
「パンをよこせ、さもなくば血を!」という革命のスローガンを聞き慣れている西洋から来た外国人には、家をなくした流民や、飢えて絶望的になった避難民が、洪水や飢饉によって荒廃した地域を彷徨うばかりで、なぜ団結して被災地区の知県を責め立てて、何らかの援助を要求しないのか理解し難い。・・・・・・
それなのになぜ、大飢饉に際して中国人は、そうした要求をしようと考えなかったのか。
この質問をしつこいぼどに繰り返しても、中国人の返答はいつも決まって「敢えてしない」なのだった。
この返答に対して、「餓死するくらいなら、不当とはいえ反乱の罪で殺される方がましだ、いや、ずっと良いではないか」と言ったところで無駄である。その返事はやはり「敢えてしない」「敢えてしない」なのだ。:P.180 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行
このように西洋人には
「混乱を覚悟」の上で、我慢のならない支配を許さないというスローガンがデモの中で生まれます。
しかし中国では
そういった混乱をもたらす反政府運動は120年前でも見られなかったようで、その後の中国共産党政府の暴力性を考えると、中国の「デモ」は「政府主導の組織化された親政府デモ」だったのです。
- 中国人は、混乱を生じる運動よりも、「だます」ほうに魅力を感じます。
- また支配者の残虐さを熟知しているため、「混乱」程度ではおさまらないだろうと考えます。〔分りやすく言えば、抵抗するものは全員抹殺〕
- 「無関心を装う」「敢えてしない」伝統がここにあるのでした。
上記引用文の末尾で
「敢えてしない」が2回も繰り返されていますが、これは誤植ではなく、著者が「中国人がデモを避けている」ことを強調している部分です。
これによって、「歴代中国支配者の残忍さ」と「デモによる反政府よりも、だますほうを選んだ中国庶民の本質」が、よりよく伝わってくるでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。