北京暮らしを始めてみれば ふたたび

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2024.1本帰国しました。

敦煌の旅その5 漢の長城などなど敦煌郊外の名所をめぐるよの巻

2014-07-22 21:03:21 | 中国国内旅行 2014.7 敦煌

敦煌の旅2日目。

朝、敦煌市内を出て“陽関” → “雅丹”と観光し、次に向かうは。

 

 

“漢の長城”

 

 

 

長城と言えば。

 

 

 

北京の万里の長城。

 

 

 

 

管理の行き届かない横道に逸れた部分ですらこれだけ残っているのだから、秦より後の漢の時代なら保存状態はさぞかし・・・。

 

 

 

 

さぞかし・・・・・?

 

 

 

って、これ?

子供でも乗り越えられそうな、これ?

 

 

 

 

などと侮ってはいけない! 

 

 

 

漢の時代と言えば、日本では卑弥呼とか弥生時代とか卑弥呼とか(あ、卑弥呼かぶった)、とにかくそんな時代の遺跡が。

 

 

 

 

しかも、北京の長城と異なり砂とか植物っぽいので作られてる遺跡が、砂漠のど真ん中にまだ存在していることそれだけに驚愕なのであります。

 

 

 

 

もはや所々にしか残っていない漢の長城に沿って、てくてく、てくてく・・・。

 

 

 

 

見たところ一番大きいのが、烽火台。

 

雨は少ないとは言え、砂嵐も吹き荒れるこのエリア。

あとどのくらい、この姿が残ってるんやろ・・・。

 

 

 

 

次に向かったのは。

 

 

 

 

砂漠の中にぽつ~んと四角いの。

 

 

 

 

“玉門関”

 

 

 

 

関所としての役割であるこの場所。

三蔵法師も通った・・・ということだけど、国禁を犯す越境だけに本当にここを通過したかどうかは???

 

 

 

 

 

 

・・・にしても、見渡す限り砂漠のこの地域において。

 

 

 

 

なんと、緑!!!

しかも、河まで流れておるっ!

 

 

 

 

ちょっと視線を外しただけですぐまた砂漠・・・という具合なのに。

 

 

 

 

 

自然って不思議やな~としみじみ。

そして、そのエリアにちゃ~んと関所を作っちゃう昔の人もすごいな~と、またまたしみじみ。

 

 

 

 

さて。

朝から動いた敦煌郊外遺跡めぐり。 最後に向かった先は。

 

 

 

 

“西千仏洞”。

こちらも石窟。 莫高窟の西側にあるからこう呼ばれるのだとか。

 

 

 

チケットくださいな~と売り場へ向かうと。

 

 

「人数が10人集まったら案内を始めるから、それまで待て」

 

 

 

 

・・・って、このパターン、多いな。

その時点で私たち以外には、中国人2人のみ。

こんなんで10人集まるんか?

 

 

 

と思っていたら。

 

 

 

「15分後、10人集まらなくても案内するから」

 

 

 

・・・って、じゃあ、今すぐ始めてくれ!

 

 

 

 

そんなこんなで15分後。

中国人ファミリーがやってきたおかげで、びみょ~に10人に満たない9人で参観開始。

 

 

 

ちなみに、ここの入場料も外国人価格があるのだけど、中国語のガイドしかいないからということで若干お安く買えました(*^_^*)

 

 

 

 

さて、こちらも莫高窟と同様、ガイドがひとつひとつ鍵を開けて中を見せてくれるスタイル。

とは言え、保存状態は圧倒的に莫高窟が素晴らしいので、あれを見た後では少々盛り上がりに欠けるかも。

 

 

 

途中、壁画の説明にはちょっぴり怖い内容もあり、中国人ファミリーのちびっこたちは。

 

 

 

 

びびってた。

 

 

 

以上、敦煌郊外をめぐった一日でした。

 



2 コメント

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Unknown (あめぶら)
2014-07-23 11:55:50
湿気の少ない、乾燥した地域の遺跡って、
保存率が高いですよね~。
フリーズドライの食品が、長持ちするのと同じ理屈かも?(笑)

だから、逆に湿気が異様に多い日本で、
それも木製の神社仏閣が、何百年もそこにあるってことに、
欧米や西アジアの人たちは、びっくりするんだとか(笑)
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コメント有難うございます! (かっちゃん)
2014-07-24 23:54:46
あめぶらさん

すごいですよね。2000年以上もず~っとあの土地に残っていたなんて・・・。

そうか・・・。湿気は遺跡にとっては大敵ですよね。
言われてみればそうですね。
ならば、なおのことこれまで残ってきた貴重な日本の遺跡を守らないと!と思いました。
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