嘘の吐き方(うそのつきかた)
人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。
 



真っ暗な夜景の中に佇んで
暖かい家庭の光に憧れて
灰色の道をとぼとぼ歩いて明るい部屋を見上げれば
そこには煌々と光る誰かの四角い窓があって
僕はビー玉をポケットから出して
力一杯投げつける。

透明な、あまりにも透明なビー玉だけが
あの四角い、画一的で魅惑的なガラスを打ち砕いて
ガラス窓は空気の窓に変わるから
そしてそこから
君の風が吹くんだろう

おいでよ、ここにおいでよ。
ここは真っ暗闇だよ。
ここには誰も居ないよ。

壊れてもいいんだよ
壊してもいいんだよ
はじめから何も無いのだから
ガラスは形に閉じ込められた魂なのだから

器なんか無いよ
厚みなんか無いよ
だから壊すまで
透明な、空気よりも透明な、あの光を遮る何かでしかないのだから

壊せばわかるよ
壊れるその一瞬が
飛び散る光だけが
あのビー玉に似た
力の象徴なのだから。

真っ白なエゴを
純粋なエゴを
見たいと思った

美しいエゴを
僕に見せてくれ
永遠を超えそうなほどの
歪みのダークマターで。


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「違い」の痛みが
ふらふらと 鈍く だるく ゆっくりと いつのまにか
僕を蝕んでいき
やがてまた 他人の虚像は 他者の宇宙として
瞳に映り込んだ景色も 色も 匂いも 憧れさえも
二つに分かれて
まるでなにかがわかったかのような錯覚の現実が
僕を無数に切り刻んで

そしてまた投影距離は遠く離れ
様々な事象が現象としてハッキリと刻まれ
肉体の痛みさえも
これは僕だけの痛みに変わっていき

あるいは何かが
大事な何かが
すごくすごく大切な何かが
誰にも気付かれないように
盗まれ続けていく

だからもう
僕は力を失って
僕でないものに変わるのだろうか

そしてまた、他意識は並行宇宙の闇に消えて
永遠だけを見つめる目は
つまらない、くだらない、おもしろくない、いみのない
過去と未来に乖離していくのだろうか

許されなくてもいい
死が欲しい
そう望む絶望色の希望だけが
もしかしたら
僕の命なんじゃないかって
儚く思って
消えそうになる

だけどまだ
火は消えない
燃え広がったりはしないけど
まだ灯火は揺れ動く

もう少し、もう少しだけ
手を伸ばして
君に近づく

二つの目で 物を見たくない
片眼を潰そうか
それとも焼こうか
命の火で目を焼き殺すのか

違う

二つの目で
一つに
ふたつのしかいを
ひとつのしかいに

合わせる
融合する
矛盾する

右のせかいと
左のせかいを
意識して見るだけで
もはや僕は頭が痛い

直線が見れない
まっすぐがわからない
怖い
ここはどこだ
たすけてくれ

痛い
痛いよ
おかしいよ
この世界はおかしいよ

誰か
だれも
だれもいない
誰にも会えない

一人
ひとりも居ない
自分もいない
僕も居ない

誰か
だれなの

ぼくはどこなの

わからなくていい
なにもわからなくていい
もしなにかわかったら

きっとぼくはしぬ

もうすこし、もうすこしだけ
いきることを だれかゆるしてください


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モールス信号の時空で
まばたきだけが君の合図で
いつも目を閉じている僕はロバの耳

両手に握った決意は汗だくで
いつだって僕は後ろを振り返って

手を伸ばす勇気も無い君だから
前にも進んだりはしないけど

目を開けば眩しすぎるから
このまま目を閉じて歩くよ

君の手にかすかに触れるために
呼吸音だけを同調させて

歩く歩幅は少しずつで
前向きに笑う今だけが一歩ずつで

最後に君を見て微笑むために
僕らはまだ、遠い今を生きる

僕らの今は、何かを見つめる


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眠る森の泉で

開かれた別世界で

水面に波打つ響きだけが

おかえり、おかえり、と言うけれど

お菓子の家もお婆さんもそこには居なくて

私はただ素足を浸して

水の波紋と話をするけれど

たくさんの景色たちが通り過ぎて

ガラスの季節はいつも壊れ続けて

落ちてくる水滴だけがビー玉のような気がして

ゆっくり顔を見上げれば

空はドームのように悲しんでいる

儚い雫の水音が

ただひたすらに ひたすらに

誰にも届かず、塩味を奏でるだけ


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君の美しさも存在も何もかも
全てが君でしか無いのなら
もはや君は君である必要もないだろう
だから僕は君を奪うよ
そして君を壊すよ

僕の存在も言葉も声も
あるゆる僕が嘘でしか無いのなら
もはや僕は僕ですら無いだろう
だから僕は僕を壊すよ
そして僕は消えるよ

永遠の今は要らない
だけど昨日と明日はもっと要らない
僕は要らない
君も要らない
だけど何かが欲しい

だから話そう
もっと話そう
僕の君と 君の僕を 交換する為に

冷たい時が流れて
何かと出会うために


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誰かが僕を捕まえる?
そんなの無理だ
だって僕は僕にだって捉えきれない

誰かが僕を
誰もが僕を
僕でない何かに変えようとするけれど

僕はきっと
僕はこのまま
僕はずっと
僕で在り続けるがために
どこかに消えていく

僕を追わないで
僕をわからないで
もっと中心を
もっともっと中心を

洗練されたエゴを
もっと自由なエゴを
もっともっと宇由なエゴを

誰の声も届かない場所で
僕はきっと
世界の果てに向かって
なにもわからないままで
遠くを叫ぶ為に
──を伝える

美しい今が欲しいよ
ゆっくり手を伸ばして
今度は何を嘆こうか


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どうも何か勘違いしている気がする
いや、つまり日常というこの空間がなにげなくいつまでも続くと
いつもぼんやり思っているような、思っていないような
飛行機が突然落ちてくる可能性ももちろんあるのだけど
地震が起きる可能性もあるんだけど
そんなのではなくて
認識そのものが突然終わってしまう可能性も、
大いにあるだろうと思うわけで。

なんか突然気が狂って目を潰してしまう可能性ももちろんあるけど
やはりそういう現実味のある
痛みを伴った感覚としての話ではなくて

今まであったからといって
次の瞬間もあるとはもちろん言えないわけで
その事が恨めしいわけでもなくて
大切なわけでもなくて
もっとこう、不思議な疑問というか
あれ?なんで俺、今日も俺なの?
という本質的な違和感というか

そういう事が続くと
僕はそろそろ病院に行こうかと思ったりもするのだけど
だけどどうもなにか、自分が間違ってるとは思えなくて
気が狂ってるというよりはむしろ
小さい頃の大事な感覚を思い出しているようなのに近くて
それを書き表したからといって
特に何がどうとか変わるわけでもなくて
つまり僕の言いたい事は
なんで此処ってココなの?

…というあまりにも当たり前の疑問で
それが解けない限りは
結局僕には何もわからないような気がして
僕はいつも呆然としながら今を生きる

生とは本当に怖いのだろうか?
死とは本当に痛みだろうか?
声とは確かに聞こえるものだろうか?
魂は、見れないものだろうか?
感じた事を感じられなくなる事は悲しい事だろうか?
一瞬の刹那は儚いだろうか?

自分?
自分?
…自分??

なんだか、この感覚をすっかり忘れていた気がする。
つまり僕は、世界を知りたいはずじゃなかったか??
もう、忘れちまったのか?
俺は一体何に向かっていつ手を伸ばしたのか。

世界の発明って名前の友達が居た
悪くない名前だ。

握手がしたいと思った。
もう一度、何かを確かめる為に。


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激しい痛みが火花を散らして
ダイヤモンドカッターは原石を削り続ける

削り続けて原石は小さくなる
それでもまだ、輝きは永遠の光に近づかない
もっと削るもっと削る

削れば削るほど
原石は透明化する

痛い。
あまりにも痛い。

それでもきっと──いつか輝く光を放つ為に
真っ暗闇で手探りで
人は何かを削ってる。

僕も誰かを削ってる
誰か僕を削ってくれ。

「伝わり」の秘密が欲しいよ…


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どうしようもない閉塞感があるとしても
例え明日、世界が終わるとしても
僕らはきっといつだって今を生きるから
だからもっと
もっともっと僕の今を
僕だけの今を 僕らの今を 僕たちの今を
君に伝えるよ

今を見て
今だけを見て
今の中の一瞬の今を生きて
僕らは何かを選んでいく

選び取る未来の重さが
ミジンコの命くらい 儚く激しく痛い輝きだとしても
それが僕らの生だから

弱くっても
間違ってても
誰にも出会えなくても
僕は僕になりたいよ

君の声が聞きたい
僕を照らし出し
映し出し
予感を告げる
怖いくらいにドキドキする
君の声が聞きたい

僕は壊れてもいい
美しい日の出がみたいよ


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前々から思っていた
僕は変温動物なんじゃないかと。

体温が下がってくるとどうにもこうにも
まるで何もやる気がおきなくなり
小さくまるまってぐうぐう寝てしまう

物を食ってもあまり動けない
熱いシャワーを外から浴びると
なんだか身体が動かしやすくなる

関節に機械油を注したような気分で
かきこきかきんと動いていた体が
にゃるにゃるにょろりんと動くようになる

そしてまた、体温が下がってくると
ぎしぎしとゆっくり動いて
蒲団の中で小さく丸まって眠ってしまう

蜥蜴の夢を見た
舌をチロチロ出して
固い石を舐めたりしていた

世界をずるりと舐めても
今はまだ冷たい石の味しかしない

指が動く間に
何か印でも刻もうか。


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ゆらぎは名詞だろうか動詞だろうか
人間は名詞だろうか動詞だろうか

世界の檻があるがなしいのは
そこに世界の全てを超越するかのように嘲笑う
変化の混沌があるからで
そしてそれは肉体を生きさせると共に
私の枠を壊そうとする

情報としての私という言葉は
私を私らしくしてくれたりはしないし
ただ動かず私であるだけである

アナログである肉体人が言葉に憧れるのは
言葉のデジタル性が持つ永遠への憧れであって
言葉である私が心に憧れるのは
意味肉体の源泉が持つ変化への憧れであって
どちらかが欠けてしまっても当然のように
私は僕でも俺でもないという乖離感に苦しめられ
それをなんとか繋ぎ止めるのが「伝える」
という意志の引力であって
生きてる間は引力がまだ無くならないとしても
儚く激しく弱い意志の力は
それ自体が矛盾のブラックホールを起源とするために

やはり私はゆらぐのだろう

ゆらぐは動詞
ゆらぎは名詞

そんな過去は要らない
そんな歴史は要らない
揺らぎ続ける今が欲しい

ゆらぎは鳴動し
新しい言葉に憧れるから

「ゆらん」は名動詞

そんな風に名付けるだけの事。

ゆらんゆらんと、流され消える─…


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シャボン玉は成長するだろうか?

樹は深く深く、地中へ根を張り地球を知ろうとする
言の葉は高く高く誰よりも高く上へ枝を伸ばし
考えて大気の道を分かり
長くなる事によって新しい葉を枝に生まれさせる

シャボン玉の模様は変化する
決して留まる事はなく
大気に流されさまよい続ける
いつかはじけて消えるだろう

シャボン玉の呼吸はふくらんだりちぢんだり
そして何も分からない
あるいは空気のトンネルで
穴を開ければ弾けるだろう

メロディーははじけるだろうか
空気の幻聴は届くだろうか

太陽は葉にエネルギーを注ぎ
シャボン玉に光のプリズムを映し出し
熱い輝きで核は融合するのだろう

形は引力のままに
流されるままに
あるがままに
とてもあるがなしい世界の檻で


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貴重な体験があったのでちょっくら後ろの項目に突然飛びます。
引用は赤字で書きます。

第六章 「四銃士」活躍す その四──ラカンと分析的対話


ぼやけた世界がくっきりと見える現実感
それを成立させている条件はなんだろうか。

ラカン [Jacques Lacan](1901-1981)の鏡面段階論によれば
「まだ動き回ることができず、栄養摂取も他人に依存している幼児的=ことばを語らない段階にいる子どもは、おのれの鏡像を喜悦とともに引き受ける。それゆえ、この現象は、私たちの眼には、範例的なしかたで象徴作用の原型を示しているもののように見えるのである。というのは、〈私〉はこのとき、その始原的な型の中にいわば身を投じるわけだが、それは他者との同一化の弁証法を通じて〈私〉が自己を対象化することにも、言語の習得によって〈私〉が普遍的なものを介して主体としての〈私〉の機能を回復することにも先行しているからである。」(私の機能を形成するものとしての「鏡面段階」)

とりあえず第二の鏡面段階について語ってみよう。
自由な社会活動ができず、生活の拠点をわどさんに依存している幼児的はにゃ(まともな言葉を語らない)は、批判されると何故か喜ぶ。それゆえこの現象はブロガーの目には、駄目な人生のお手本として反面教師の一例を示しているもののように見えるのである。というのは、<私>はこのとき、その言葉の中にいわば妄想的に成り代わるわけだが、それはそれとして僕はこの文章の真面目さに飽きてきましたすいません。

本やテレビやネットや会話で得た知識から人はそれぞれ自分専用に知の宇宙を構成していき、そこには世界モデルと呼ばれるものが出来ていくわけですが、このように言語で形作られたソフトウェア的な世界というのは非常にあやういもので、現実の変化があまりにも急速な衝撃的場面に遭遇した時にゃぁあんぐりと口をあけてポカーンって言うしかないよね。

僕はわどさんから批判をどどどーっと一気に言われて正直ビビったのですが、まぁ基本的な事に関しては言ってる事はわかるのですよね。こないだ南無さんに言葉でぐるりと囲まれてカチャンと何かにハメ込まれたた時と似ていてやはりここでも僕は「父の像」に近いものを感じました。主体というものは、自己自身について語りつつ、知らず知らずのうちに他者となり、「他者の欲望」をもって自己に近づくというラカンの言葉通り、僕は一瞬何か自分に気付けたような気がしました。批判を受け取るのを拒否してしょっちゅう屁理屈論理防壁を張っているので基本的に僕は誰の言葉もあまりまともに受け取っていないのですが、引力が強い人というのがたまに居て、僕は特定の人から特定の条件で特定の言葉を受け取った時のみ、外部への扉が開かれます。

他人の意見の無茶な要求や不条理というのは論理性が破綻しまくってますが、これはこれでなかなか面白いもので、自分で普段言うような「はにゃ像」と他人の見ている「偏見はにゃん像」の矛盾を融合させ、新しく両者を包含するスーパーはにゃっちに昇華する事でレベルが1上がります。音楽も流れます。ちゃりらりらーん♪

で、現実っつーのは他者による認識の集合体みたいなもんで、現在は様々な細分化された境界線が引かれている事と思います。
ぼんやりした人には認識の曖昧な混沌宇宙があるんですが、それはまぁ、寝てる時の夢みたいな感じです。ネバーランドへようこそ♪

今後も適当に続きます。


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もし、なんの悩みもなく快適に生活を送れているのならば
僕は多分、BLOGを書き始める事も無かっただろう

BLOGの特性の一つ、愚痴の宝庫ってのは
良い事なのか悪い事なのか面白い事なのかつまんねぇ事なのか
そういうのは知ったこっちゃないんだけど
愚痴をしゃかしゃかと手軽に書ける土台ってのが
ある意味では基盤として重要ななんじゃないかなぁって思ったりする。

あ、そういえば水道管工事の職人さんの様子を
ぼんやり眺めてたらなんとなく面白かった。

「お仕事、長いんですか?」
「ずっとこれで飯食ってるねぇ。」

僕はどうやら曖昧な言葉をそのまま受け取らずに
精度を気にしてしまう性格のようだ
「ずっとって何年くらいなんですか?」
とはさすがに聞かなかったけど。

チェンソーのような工具で床板を切り開いてるところを見たら
床板の厚みが2cmにも満たない事にビックリした。
材質もあまり固そうには見えない。
改めて、僕は普段何も見てないんだなって思ったり
自分を支えてる土台はあやしいと感じたりした。

配管同士を繋ぐ接着剤の匂いを感じながら
仕事と生活の繋がりとか
熟練の手早さや安心感とか
そういう事をもわもわ考えた。

まだ塞がっていない四角い床穴から土や石が見える。
寝てる間に虫が入って来そうだな、とか妙な心配をしてみたり。
自然を見ると安心する心が無くなるのは、あと何年後なのだろう。


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どうしようもないほど
僕はパラパラとページをめくった

あくびをする気は無かったが
真面目に読む気にもなれなかった

なんのメロディーも流れてこなかった
僕はため息を吐きそうでつかなかった

僕には感受性が欠けているのかと疑ってみたが
言葉で考えても仕方がなかった

「ん」という言葉が日本語の中で
独特の響きと意味を持っていたのは
何か変だとは思いながらも
僕は昨日まで大事な事に何も気付いていなかった

他の言葉は口で喋るのに対して
ん、だけは鼻で喋っている
そこには鼻から吸った空気を口から出す流れに
戸を立ててせき止めるだけでなく、
逆流させようとする
一種の反逆が含まれるからである

口笛と鼻歌はどちらが自分の寿命を縮めるのか
一概には言えないと思う

だからきっと言葉の意味も
誰かが決めるまでは何も決まってなかったように
きっと一概には言えないのだと思う


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