嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

虚無ごっこ

2002年04月22日 18時07分20秒 | 駄文(詩とは呼べない)
気が付けばいつも独りだった。
一人で何かを成していたわけでもなかったが、
何も成していないわけでもなかった。
ただただ、心の澱みを楽しんでいたようにも思えたが、
苦しんでいただけなのかもしれない。
一人が好きなわけでは無かったが、
僕の心を満たしてくれるほどの他人が身近に居るとも思えなかった。
一言で言えば孤独。
誰かを求める事が寂しさだとすれば、
その誰かが何なのかすら解らない僕ははたして寂しいのかどうかもわからない。
退屈が人を殺すと聞いた事があるけれど、
死んでしまえばもっと退屈になるような予感がざわざわとして
とてもじゃないが死ぬ気にもなれなかった。
何かをする気にはなれなかった。
面白さが何なのか解らなかった。
心臓の鼓動音が耳障りなほどうるさかった。
吐息の音でさえ苦痛であるような気がした。
世界の有り様を呪ってる人は終わりを望んでいるような気がするけど、
僕はどちらかというと停止する事を願っているんだと思う。
自分の居場所を求めて彷徨う人が居るらしいけど
僕は自分の居場所は此処だと勝手に決めて落ち着きたかった。
安心を求めていたのかもしれない。
僕の心を満たしてくれるもの、
僕を満足させてくれるもの、
それが何なのか考えてみた。

母親の愛?
羊水?
体内回帰?
その前は?
僕は、どこから来た?
そもそもこの思考はどこから?
知性や思考は外部からの反応によって育っていくとしたら
この世界そのものが僕に知性をもたらした事になる。
僕の知性は僕以外のモノを知る事によって育っていく。
ならば最初の僕はなんだろう。
遺伝子の操り人形ってやつか?
人形なら自分から動くはずがない。
最初に動かした者は誰だ?

これは本物の自我なのか?
ただの物理的反射の繰り返しなんじゃないのか?
死体が思考しないのは血液が流れないからなんだろうか。
心の奥底の記憶を無理に振り絞ってみても
何がなんだか解らない。
やはり僕らには考えても解らない事が多すぎる。
考えるから解らなくなるのだ、という考え方もある。
ち゛ゃぁ何も考えないようにすればいいんだろうか。
何も考えないようにするって事は
動かないようにするって事だ。
動けば何かを考えてしまう。
移動すればそこに無駄な感情は必ず発生する。
やっぱり僕は停止する事を望んでいる。

進化しなくてもいい。
世界を好きにならなくてもいい。
余計な事は知らなくてもいい。
無に至る病。
0への憧れ。