嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

寝ながら学べる構造主義を読む

2005年01月20日 09時14分27秒 | 読書
貴重な体験があったのでちょっくら後ろの項目に突然飛びます。
引用は赤字で書きます。

第六章 「四銃士」活躍す その四──ラカンと分析的対話


ぼやけた世界がくっきりと見える現実感
それを成立させている条件はなんだろうか。

ラカン [Jacques Lacan](1901-1981)の鏡面段階論によれば
「まだ動き回ることができず、栄養摂取も他人に依存している幼児的=ことばを語らない段階にいる子どもは、おのれの鏡像を喜悦とともに引き受ける。それゆえ、この現象は、私たちの眼には、範例的なしかたで象徴作用の原型を示しているもののように見えるのである。というのは、〈私〉はこのとき、その始原的な型の中にいわば身を投じるわけだが、それは他者との同一化の弁証法を通じて〈私〉が自己を対象化することにも、言語の習得によって〈私〉が普遍的なものを介して主体としての〈私〉の機能を回復することにも先行しているからである。」(私の機能を形成するものとしての「鏡面段階」)

とりあえず第二の鏡面段階について語ってみよう。
自由な社会活動ができず、生活の拠点をわどさんに依存している幼児的はにゃ(まともな言葉を語らない)は、批判されると何故か喜ぶ。それゆえこの現象はブロガーの目には、駄目な人生のお手本として反面教師の一例を示しているもののように見えるのである。というのは、<私>はこのとき、その言葉の中にいわば妄想的に成り代わるわけだが、それはそれとして僕はこの文章の真面目さに飽きてきましたすいません。

本やテレビやネットや会話で得た知識から人はそれぞれ自分専用に知の宇宙を構成していき、そこには世界モデルと呼ばれるものが出来ていくわけですが、このように言語で形作られたソフトウェア的な世界というのは非常にあやういもので、現実の変化があまりにも急速な衝撃的場面に遭遇した時にゃぁあんぐりと口をあけてポカーンって言うしかないよね。

僕はわどさんから批判をどどどーっと一気に言われて正直ビビったのですが、まぁ基本的な事に関しては言ってる事はわかるのですよね。こないだ南無さんに言葉でぐるりと囲まれてカチャンと何かにハメ込まれたた時と似ていてやはりここでも僕は「父の像」に近いものを感じました。主体というものは、自己自身について語りつつ、知らず知らずのうちに他者となり、「他者の欲望」をもって自己に近づくというラカンの言葉通り、僕は一瞬何か自分に気付けたような気がしました。批判を受け取るのを拒否してしょっちゅう屁理屈論理防壁を張っているので基本的に僕は誰の言葉もあまりまともに受け取っていないのですが、引力が強い人というのがたまに居て、僕は特定の人から特定の条件で特定の言葉を受け取った時のみ、外部への扉が開かれます。

他人の意見の無茶な要求や不条理というのは論理性が破綻しまくってますが、これはこれでなかなか面白いもので、自分で普段言うような「はにゃ像」と他人の見ている「偏見はにゃん像」の矛盾を融合させ、新しく両者を包含するスーパーはにゃっちに昇華する事でレベルが1上がります。音楽も流れます。ちゃりらりらーん♪

で、現実っつーのは他者による認識の集合体みたいなもんで、現在は様々な細分化された境界線が引かれている事と思います。
ぼんやりした人には認識の曖昧な混沌宇宙があるんですが、それはまぁ、寝てる時の夢みたいな感じです。ネバーランドへようこそ♪

今後も適当に続きます。

匠の技ってなんだろう

2005年01月20日 04時12分19秒 | Weblog
もし、なんの悩みもなく快適に生活を送れているのならば
僕は多分、BLOGを書き始める事も無かっただろう

BLOGの特性の一つ、愚痴の宝庫ってのは
良い事なのか悪い事なのか面白い事なのかつまんねぇ事なのか
そういうのは知ったこっちゃないんだけど
愚痴をしゃかしゃかと手軽に書ける土台ってのが
ある意味では基盤として重要ななんじゃないかなぁって思ったりする。

あ、そういえば水道管工事の職人さんの様子を
ぼんやり眺めてたらなんとなく面白かった。

「お仕事、長いんですか?」
「ずっとこれで飯食ってるねぇ。」

僕はどうやら曖昧な言葉をそのまま受け取らずに
精度を気にしてしまう性格のようだ
「ずっとって何年くらいなんですか?」
とはさすがに聞かなかったけど。

チェンソーのような工具で床板を切り開いてるところを見たら
床板の厚みが2cmにも満たない事にビックリした。
材質もあまり固そうには見えない。
改めて、僕は普段何も見てないんだなって思ったり
自分を支えてる土台はあやしいと感じたりした。

配管同士を繋ぐ接着剤の匂いを感じながら
仕事と生活の繋がりとか
熟練の手早さや安心感とか
そういう事をもわもわ考えた。

まだ塞がっていない四角い床穴から土や石が見える。
寝てる間に虫が入って来そうだな、とか妙な心配をしてみたり。
自然を見ると安心する心が無くなるのは、あと何年後なのだろう。