嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

仕事の反省点や雑感など2日目

2015年10月28日 14時01分08秒 | 仕事
最近、風邪をひいて初めての突発休を使ってしまった。
有給休暇とは違うので、使ってしまった、と表現するのは変かもしれないけど。

人と会うために一か月前から申請していた計画休暇で休んだ事は過去に二日あったけれど
自分の体調管理が至らなくて突然休んでしまったのは今回が初めてだ。

それでも、休みを使ったのは一日だけで済んだし
飲み会の時に風邪でゴホゴホやっていた人は今も長引いているので
風邪の引き始めに風邪薬(漢方薬)を飲んで
一日中家で静かに寝ていた判断は正解だった。

相変わらず仕事では失敗を繰り返している。
以前に注意された事を何度も指摘され、
そのたびに、俺は忘れっぽくなってしまったなぁ、と思う。
老化には勝てないが
もう少し記憶力を保持する事は努力次第で出来るだろう。

だいたいからして
僕は印象深い事以外を忘れすぎる。
あまり反省していないと思われているようだが
そもそも、自分で気付いた事以外は
ほとんどすり抜けていってしまっているような気がする。
「自分で直そうとしないと直らないよ」
とよく言われるが僕は仕事の改善を望んでいるのであって
別に若返りたいわけでもなければ別人になりたいわけでもない。
ただとにかく上司から指摘される様々な問題点がありすぎて多すぎて
正直覚えきれない。

それでも。
一つずつ、少しずつ直していくしかないんだろう。
「お客様の方を向いていない」
「無責任だ」
「一辺倒に考えすぎだ」
「難しく考え過ぎなんだ」
というのはよく言われる
僕は僕自身で自分の欠点に気付けていないようだ。
根本的になんの話をしているのか、
一時間ほど説教くらっても、
時には数時間とくとくと教育的指導を受けても
結局要点はなんだったのか、さっぱりわからないことが度々ある。
相手と同じ感覚を持つことが出来ない事はたびたびある。
その違いは、経験によってしか埋まらない気がするときもある。
異なる経験を、僕自身の想像力によって補う事が出来ていない。
相手への思い遣りがない事が原因だと言われるけれど
別にお客さんのことを考えていないわけではない。
「お客さんの言う事を真に受けて信じ過ぎ」という怒られ方をすることもある。
結局のところ、判断力のマズさを後になって振り返って説教受けているので
理由はあっちだったりこっちだったり、一つの原則に安定したりはしない。

要するに、正しさの無いところで、判断力や匙加減のマズさを怒られているのだから
そんなものに正論で向き合ったって仕方ないんじゃないか?
という感じがしてくる。
大事なことは1と0の間にある、というのがBUMPの歌詞に出てきた気がするが
(>知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間)
僕は白黒思想がヒドイらしいので
その指摘があっているかどうかはわからないが
もっとグレーの部分での相手の感情に沿った適切な判断力を養わなければならないんだろう。

それにしても人から言われたことを素直に受け入れられないという欠点の指摘は
一朝一夕で直らないからやっかいだ。
「そもそも直す気があるのか?」
というのを何度も怒られるが
僕が別人のように変身することを望んでいるわけではない。
どちらかといえば仕事上では+αの足し算を続ける事で改善していきたいと思っている。

もっとも、そのプラスαのやり方でさえも、
きっちりと失敗を記憶して次回の改善に繋げられていないのだけれど。
付箋紙をモニタ画面の隅に何枚も貼っているが
そもそも視界に入って気付くのは最初のうちだけで
毎日の慣れた視界になってくると、付箋紙の効力も薄れてしまうという酷さだ。
仕事上で大きな嘘を吐くことは要求されていないが、
たまに小さな嘘を吐くことが要求されるので
そういった会社のやり方がこのまま悪化していかないか
少しだけ心配になることもある。
本音と建前の二枚舌を使うように激しく上司から要求されるようになってしまったら、
きっと僕にはこの仕事は続けられないだろうと思う。

今のところ、僕に大きな課題としてのしかかっているのは
「お客様相手に対しての思い遣り、
 周りのみんながハッピーになるように、
 出来るだけ周りの負担を減らすように、
 もっと自分で考えて他人の気持ちに気付ける人間に成長して下さい!」
ということなので、すぐに反論してしまう癖や
「でも○○… 「だって●●…
という感じに出来ない事の言い訳をして自己保身に走ってしまう癖をやめるようにというのが
当面の目標である。

正直言って難しい。
頭でっかちな空論で生きてきた人間に
感情的な気持ちの汲み取りや思い遣りの話を何度もされるのは
正直キツイ。
はっきり言えば説教の最中でさえも
ぐるぐる頭のなかを言葉が巡って
無意識に反論を開始してしまうためだ。
「考えるな、感じろ!」みたいな話は
そもそも僕にあまり適合しないので
結局上司がわかりやすく噛み砕いて
僕にわかるように欠点を具体的に要点を抑えて説明することになるわけだけれど
その説明が、何回聞いてもほとんど意味がわからない事がある。
一人前のオペレータになる道はまだまだ遠い。
特に諦めてるわけではないが
たまにこっぴどく叱られると仕事場に向かう気持ちが沈んで後ろ向きになることもある。
それでも多分、この地域では僕はずいぶんと恵まれた職場にいるので
当面は課題の克服に向けて頑張らないといけない。

サボってきた人生の宿題を一気に片付けないといけないようなものだろう。
そんな予感は、以前からずっとしていたのだから、まぁ仕方ない。
割り切れるような性格ではないけれど
割り切って頑張るしかないんだ。
そう言いながらも、ずっと余りを計算し続けるような僕がいる(笑)

通りすがりの君へ。

2015年10月28日 13時01分01秒 | 考え事
混然一体となっている悩みの最中にこうしたアドバイスが適切なのかどうか
あまり定かではありませんが
伝わるかどうかを別にしても、僕自身の為にもなるかもしれないので
一応問題と向き合ってみます。

・努力を怠っている為に幸福感を感じられない
・心を満たすにはどうすればいいか

朝起きて居られるかどうかについては、
ちょっと問題の大きさが違うような気がしています。
人との約束が午前中にあれば早起きしますし
始発の電車で旅行に行きたい時は眠くても早起き出来ますが
遅番の仕事の翌日は昼近くまで寝ていても
(ありゃしまった今日を無駄に過ごしてしまった)
という程度にしか受け止めていません。

充実した一日を送ることと
真剣な今を生きる事は等しく等価な問題では無いからです。
もちろん、今の自分の形が変わることで
早寝早起き腹八分
という健康の原則をキッチリ守る自分にすることは可能です。

僕はもしかするとあなたと同じ問題を抱えたままで
それを乗り越えていないのかもしれませんが
努力を怠っている自分と
努力家の自分を両方知っています。
真剣に高い目標に向けて毎日努力していた時は
目標に到達した時、腹の奥底から胸の奥を通って自然に言葉が出るように
学校のクラス担任の教師に「ありがとうございます。」という言葉がこぼれたこともありました。
その時の達成感はとても充実した幸福感と近い感覚のものでしたが
一人の努力によって達成される達成感と
他者との繋がりによって得られる幸福感は
仮に脳で分泌される興奮物質が同じ組成のものであったとしても
私は別の問題として考えるべきではないかと思います。感じています。考えられます。

簡単に言えば憧れのハードルを自分で設定して越えるという事です。
少しズルい比喩を使いますが
自分で設定した目標のハードルは、理想や幻想は、色の着いた空間です。
どのような時系列を辿ろうとも時空を超えようが
長距離移動しようがどうだっていいのです。
やり方はなんだっていいのです。自分の決めたルールの中で
自分がそこの枠に到達してその理想的な瞬間を通り抜ければいいのです。

それに対して、他者との繋がりによって得られる感覚は
もっと真っ白な世界と向き合うことです。
もっとも弱い自分を覗き見ることでもあります。
色はありません。
真っ白な、と書いておきながら透明でも白でもありません。
自分では色がわからないし、測れないのです。
今までの自分が今まで見たこともない色を初めて見るという事でもあります。
この世界を、物理現実を、これまで全く異なる方法で生き残ってきた他者と
初めて出会うことです。
それは超越した外を見ながら、同時に自分の内側を開くように見ることでもあるので
単純に「向き合う」と表現する方が適切かもしれません。

僕が今求めている幸福感は、おそらく後者の方では無いかと思うので、
「達成感」と「幸福感」は分けて考えた方がいいのかなぁ、
と今は二つを提示しておきます。

絶望は、未来が真っ黒な状態です。
明日なんか来なければいいのに、
もう生きていてもしょうがない、
誰も信じられない、
そうした思い込みによって死ねるほど、
人間は生物として結構バカなくらいに脳が発達していますので
自分の作り出した思い込みに支配されないように
「未来は自分ではない」「未来は他者の方角にある」という変化の原則を悟ることが
肝要かもしれません。

心という表現も
此処路という書き方も僕は好きです。
今、此処に全方位の道がある。
それを選ぶことの出来る自分に気づきながら、まだ選んでいない自分
すべてを選ぶことが出来る贅沢さの中で
何もかもを得るほどには強欲でない自分を感じている
だからきっと一つを選ぼうとして
一つを選んだことで手に入らない、進むことの出来ない方向についても考える
可能性を選ぶことで可能性を捨てることに、
自分で自分の人生に責任を負えない

他人の言う事に惑わされすぎでしょう。
彼らはどれだけ真剣に生きたとしても、
あなたの代わりの人生を生きることは出来ない。
自分で考えて、自分で気付くしかない。

もっとも、僕らがセカイ全体の中の一部分、
個が全で全が個なら、
そうした様々なアドバイスさえも、
自分自身が考え出した誤認識の一過性に過ぎないのかもしれませんが。

僕は迷っているあなたを羨ましく思います。
あなたには自分で自分を決める選択肢があり、
可能性があります。

僕は今、自分で決めた事の中で
悪戦苦闘したり試行錯誤したりして
自分の欲求を探し出そうとしています。
正しさが、幼少期に環境からセットされた常識の罠、
単なる枷に過ぎないのなら、
僕はもっと心の奥にある本当の自分を思い出さなくてはならない。
ハードウェア的に重なって此処に存在している人間は居ない。
この位置で、この世界を観測出来る人間は僕だけなんだ。
新しい僕は僕が決める。
それでも、心は君の方に開いておくよ。

仕事の反省点や雑感など1日目

2015年10月21日 23時01分56秒 | 仕事
今日から再び日記を書くことにした
動機についてうまく書き表す事が出来ないのだけれど
仕事場の上司から日々の仕事についての失敗や至らない点を
改善するための具体的な行動や工夫を求められたのがきっかけだ。

潜在的な理由を探せば
日々流されていくだけの自分の生活の中で
何も生産的な事を生み出していない自分
消えていくような錯覚を
少しでも紛らわしたかったのかもしれない。

一つ目の目的は文章を書き起こすことで
もう一人の客観的な自分を呼び起こす事が出来るかもしれないと考えたから。

二つ目の目的は
以前からこのblogを読み続けてくれている読者が
一人くらいはまだ残っているかもしれないから
その読者に向けての、生存証明や
近況報告がしたかったのかもしれない。

最近の僕を知らない人のために書いておくと
今の私は某エヌ社のオペレーターとして
接客の仕事をしています。

数年前の僕しか知らない人が働いている僕の姿を見たら
何か少しくらいは、驚いてくれるかもしれない。

僕は自分を見失っていると同時に
新しい自分を構築している
家に引き篭もって何もしないで悶々と悩んだ日々も
人とぶつかってばかりで自分の気持ちの持って行き場も
感情のコントロールも出来ない自分を
亡くしてしまった事を思い出すと
なんだか泣きそうな気持ちになるけれど
それほどまでに、僕は自分の事が好きで好きでたまらなかったのだろうかと思うと
なんだか嘆きと悲しみと後悔と不甲斐なさと哀悼のような
とても形容しがたい複雑な感情が湧き出てくる

それは多分、僕が僕自身を殺してしまったこと
僕が人生を諦めてしまったこと
僕が何もかもをどうでもいいと思いながらも
ただ生きている方の世界の方にしがみついてしまったことの
大人になりそうな自分を見ている後悔の先取りなんだと思う。

大人になったとは到底思えない
でももう、子供でも居られない
一人で生きることに慣れ始めている
誰もいない孤独の中に孤独を感じる時間さえも減ってきた
誰かと話さなくても平気な自分がいる
友達が一人も居なくても苦しくない
恋をしていなくても何も辛くない
家族がいなくても寂しくもない
ただ僕はもう、僕自身を大切にすることも、世界と戦うことも、心の本質と向き合うことも
何もかも、もう忘れてしまった。
半分くらいは、自分の人生や時間がどうでもいいと思っている。
それでも自暴自棄にはならない。
誰も恨んだりはしない。
一人暮らしはそれなりに楽しい。

僕は今、北海道の隅っこで
寒さを楽しみながら、平穏無事な生活が続くことを願っている
少しずつ貯金しながら、
無為な毎日を過ごしている。

それでも。
人から何かを批判されると
防衛本能みたいな何かが働いて
自分を守ってしまう
自分の殻を捨てられないでいる
相変わらず、僕は脱皮しないままのセミの幼虫だ。
ただもう、あの暑い夏の中で盲目の土の世界に眠っているわけにもいかないんだろう
人を殺すような決意も覚悟も無いし
出来れば誰とも関わらずに貯金だけで生きていたいような気分だ。

それでも僕は日々、仕事をしている自分を通して
いつもいつも毎日知らない人を十人くらい相手にしている。
引きこもりだった自分を思い出せば、
ありえないようなすごい事を毎日している。

上司からは毎日一時間くらい怒られる
説教もされるし、色々とショックな事も言われる
その事に動揺することも減ってきた。
メンタルが強くなったとは思わないけれど
少しだけ、否定される事にも慣れてきた。
謝るばかりの接客の仕事の中で、一割くらいは感謝してくれるお客さんが居るのも嬉しい。
本物のありがとうなのか、形式的なありがとうなのかはわからないけれど、
何十人かに一人くらいは、すごく大喜びしてくれるし。
それを思うとおそらく俺は、きっと恵まれているんだと思う。
毎日仕事の愚痴を飲んだくれて発散するようなサラリーマンとは違う。
そもそも今の仕事は、僕が自分で選んだのだから。
ここで生活することも、今の仕事も、僕が自分で選んだ。
その選択が、今の僕を支えている。

責任感とは違う。
僕は僕の選択を信じたいんだと思う。
今日は一日目なので、あまり具体的な事を書くのはよそう。
それにあんまり具体的な事を書きすぎても、
誰の参考にもならない変な文になるだろうし。

僕は多分、新しい自分を欲しがっている
それが、君と出会えるような
何か新しい未来への架け橋に繋がっていたら、
それはとても幸せなことだと思う。

またここで会おう。
次に僕が文章を書いた時に。