嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

寝ながら学べる構造主義を読む

2005年01月13日 21時20分46秒 | 読書
第一章②アメリカ人の眼、アフガン人の眼


9.11同時多発テロの後、アメリカによるアフガン空爆が始まりました
ここで「空爆」と書いて「攻撃」と書かなかったのは
どちらがどちらを攻撃しているのか、にわかには判断しがたい
という中立的な物事の見方が、すでに私達の中で常識化しているからです。
アメリカ人の眼から見た景色とアフガン人の眼から見た景色はそれぞれ違っているはずだから
「ブッシュのテロ対策もわかるがアフガンの市民達の苦しみにも配慮しよう」
とすぐに考えられるのは、それが常識として私達の間に浸透しているからなのです。
しかしこの常識観は結構近代になってから立てられた若い常識観で
例えば団塊の世代より高齢な人と話をしていると最初はとりとめもない軽い話題だったのが
だんだん話が一元的になっていくという性質にもよく現れています。
いわゆる頭が固いというやつで、「何いうてまんねん、世の中色々でんがな」と
言えない雰囲気がカチカチと構築されていくどっひゃー感に繋がります。
たーすけてー。あ、妄想だった(ただいま)

構造主義は人がある限定された空間に束縛され、その環境条件が基本的にその人の見方、感じ方、考え方を決定しているという構造の特性に気付き、自立的主体のあやうさに触れています。
それゆえに、私達の属する集団が無意識的に排除してしまったものは
私達の視界に入る事すら無い為、私たちの思索の対象にならない事に警鐘を鳴らします。

うしろの百太郎に気付くのは難しいって事に似てますね。
あ、だから子供の頃にやってた「だるまさんがころんだ」が面白かったのか…。

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寝ながら学べる構造主義を読む

2005年01月13日 18時03分15秒 | 読書
【はじめに】
これから書いていく記事、書こうとしていく記事は
文春新書から発行された本「寝ながら学べる構造主義」についての個人的な読解であり、
僕自身の読み取りをまとめる事によって僕の問題と向き合うという一つの試みでもあります。
従って作者(内田 樹さん)の構造主義に対する見解に離れたり寄ったりしていくかと思いますが
それらも一つの流れとして読んでもらえれば、と思います。
記事に書かれている文章や内容について何か思う事があれば
コメントやトラックバックにてどうぞ。
何か面白い事出来るといいな、と思っています。


第一章 先人はこうして「地ならし」した──構造主義前史
①私たちは偏見の時代を生きている

私たちがごく自然に、ほとんど何も考えずに常識だと思っている事、
それらは多くの場合その時代背景や地域性によって判断を左右されています。
こうした事に気付き始めたのは割と近代になってからの事で先人の哲学者達が
「人は自分の属する場所によってそれぞれ違った風に物事を判断しているらしい」
という事に気付いたからでした。
私たちは自分では判断や行動の自立的主体であると思っていますが
その構造を分析し、自明なものを改めて考え直してみれば
決して自由に思考出来ているわけではない事に気付かされます。

思想史としての区分によれば現代はポスト構造主義の時代と言われています。
一般には構造主義以後期と訳されますが
簡単に言えば構造主義の考え方にうんざりし始めた時代だと
言う事も出来るでしょう。

近年、漫画やアニメ映画などで「セカイ系」と呼ばれる作品が登場してきていますが
これらも偏見によって分析していけば
自意識の及ぶ範囲の世界を偏見によってセカイという一つの象徴として表現し
セカイが崩壊していく終焉を見せる事によって
偏見の価値観で出来た世界を克服していこうとする大きな流れのようにも見えます。
代表的な作品で言えば「最終兵器彼女」「新世紀エヴァンゲリオン」「雲の向こう、約束の場所」
などがこれにあたるかと思います。

また、私が遙か昔の時代に書かれた本を読む時
大きな思想の違いを感じ、そこに嫌悪感を抱く時が多々あります。
それは文体や仮名遣いの仕方が現代と違う事によって読みづらいという点だけではなく
そこには私が現代の常識的な思想の中に閉じ込められている事で
文章に書かれている内容をするすると楽に読み解く事が出来ない
めんどくささやいらだちの障壁が横たわっているからだという事が出来ます。
ここには、自分のわかりやすい言葉に翻訳し、自分なりの解釈に繋げていくという
私の自我中心主義的な思想が潜んでいるのですが
それについては別の項で書きます。

ひとまず今回の項は
「私達の思想はある狭い集団での常識に支配されている」
という事を頭の隅に置いておく事が大事であり
それこそが構造主義という知見がもたらした功績であり
重要な切り口だという事が書いてあります。

そして構造主義という思考上の奇習について改めて考え直す時にも
現代に生きる私達は構造主義で考えてしまうという
パラドックスの中に居る事も忘れてはならないでしょう。

{次の項へつづく}