第一章②アメリカ人の眼、アフガン人の眼
9.11同時多発テロの後、アメリカによるアフガン空爆が始まりました
ここで「空爆」と書いて「攻撃」と書かなかったのは
どちらがどちらを攻撃しているのか、にわかには判断しがたい
という中立的な物事の見方が、すでに私達の中で常識化しているからです。
アメリカ人の眼から見た景色とアフガン人の眼から見た景色はそれぞれ違っているはずだから
「ブッシュのテロ対策もわかるがアフガンの市民達の苦しみにも配慮しよう」
とすぐに考えられるのは、それが常識として私達の間に浸透しているからなのです。
しかしこの常識観は結構近代になってから立てられた若い常識観で
例えば団塊の世代より高齢な人と話をしていると最初はとりとめもない軽い話題だったのが
だんだん話が一元的になっていくという性質にもよく現れています。
いわゆる頭が固いというやつで、「何いうてまんねん、世の中色々でんがな」と
言えない雰囲気がカチカチと構築されていくどっひゃー感に繋がります。
たーすけてー。あ、妄想だった(ただいま)
構造主義は人がある限定された空間に束縛され、その環境条件が基本的にその人の見方、感じ方、考え方を決定しているという構造の特性に気付き、自立的主体のあやうさに触れています。
それゆえに、私達の属する集団が無意識的に排除してしまったものは
私達の視界に入る事すら無い為、私たちの思索の対象にならない事に警鐘を鳴らします。
うしろの百太郎に気付くのは難しいって事に似てますね。
あ、だから子供の頃にやってた「だるまさんがころんだ」が面白かったのか…。
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9.11同時多発テロの後、アメリカによるアフガン空爆が始まりました
ここで「空爆」と書いて「攻撃」と書かなかったのは
どちらがどちらを攻撃しているのか、にわかには判断しがたい
という中立的な物事の見方が、すでに私達の中で常識化しているからです。
アメリカ人の眼から見た景色とアフガン人の眼から見た景色はそれぞれ違っているはずだから
「ブッシュのテロ対策もわかるがアフガンの市民達の苦しみにも配慮しよう」
とすぐに考えられるのは、それが常識として私達の間に浸透しているからなのです。
しかしこの常識観は結構近代になってから立てられた若い常識観で
例えば団塊の世代より高齢な人と話をしていると最初はとりとめもない軽い話題だったのが
だんだん話が一元的になっていくという性質にもよく現れています。
いわゆる頭が固いというやつで、「何いうてまんねん、世の中色々でんがな」と
言えない雰囲気がカチカチと構築されていくどっひゃー感に繋がります。
たーすけてー。あ、妄想だった(ただいま)
構造主義は人がある限定された空間に束縛され、その環境条件が基本的にその人の見方、感じ方、考え方を決定しているという構造の特性に気付き、自立的主体のあやうさに触れています。
それゆえに、私達の属する集団が無意識的に排除してしまったものは
私達の視界に入る事すら無い為、私たちの思索の対象にならない事に警鐘を鳴らします。
うしろの百太郎に気付くのは難しいって事に似てますね。
あ、だから子供の頃にやってた「だるまさんがころんだ」が面白かったのか…。
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