嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

小さなゴミが風に流されてゆく

2006年09月30日 04時06分14秒 | 物語
今更気付いたけど、
地球が綺麗な奇跡の星だってのが幻想で
じつはなんでもないもっとでかい天体のゴミみたいなもんで
地球を綺麗な星だと信じ込んでるから、
人間は地球を汚してるかのような錯覚に囚われるんだな。
地球はもっと色んな星々のゴミの集まりで出来てて、
そこに寄生して毒を吸い込んで生きてるウィルスみたいなのが俺たちなんだな。

最初から、ゴミ溜めの廃液ん中で生まれたカスや塵みたいなのが生物だから
今更汚すとか汚さないとか、あんまし関係ないんだな。

地球が醜いってことに、気付くのが遅すぎたのかもしれない。
けれどまぁ、なんとかかんとかやっていくんだろう。

俺は遠くからじゃなくて、外から見守ってるよ。
宇宙の外から。

宇宙を吸い込み続けて、カメラは宇宙の外で、
もう全てが断ち切られた糸だから
寂しいとか、苦しいとか、そんなの関係ないけど。

けどまぁ、宇宙が亡くなる前に
宇宙が死ぬ前に、
宇宙がちっぽけだって気付けてよかったよ。

そうじゃなければ大切な何かを失うって勘違いしっぱなしだったから。

価値なんて、なかったんだな。
ここにも、あそこにも。
永遠にも、未来にも。

約束が待ってる。
俺は還るよ。

はじまったあそこに。

爆縮方向に、崩れてゆく世界で

2006年09月29日 21時30分25秒 | 駄文(詩とは呼べない)
いつかは、全てがシステム化されて硬質化していき、
自分以外の全てを殺さないと生き残れない時が来る。
そんな時、全てを殺して生き残るだけの覚悟は、今の僕には無い。
全てを壊し、全ての今日を殺す者だけに、新しい明日は来る。
だけど僕は、そのことから逃げたまま、昨日の事を考える。
昨日の僕、今日の僕、どちらもが肯定出来る要素が無い。

僕に残されている時間は少ない
僕は何かを、決めてから死ぬんだろうか
それとも、何も決められない事によって死ぬんだろうか。

明日の他者のために全ての自分を殺す今日の事を考える。
3秒後の世界に会う為に、
時を止める自分を殺す1秒を考える。
そうやって削られた観念だけが
何かの突破口を導く
そうだとしても 僕は…

誰も救えない世界
何も救われない世界
助けを呼んでも届かない世界

自分を真っ直ぐに、見ることの出来ない世界
歪みだけを、正当化し続ける世界
与えられた時だけを ただただ浪費し続ける世界

ありがちな日常を、笑い流していく世界
繋がりだけを、糸だけをたぐり続ける世界

全てを断ち切って、僕は、僕の中にある者を…?

こわれていく世界
何も記憶されない世界
全てが忘れられていく世界

その場所で、たった今、自分だけを…?

信じる明日のために
失くしてしまった昨日のために
取り戻すことを…?

何も望まない世界
何の形もない世界
何も感じない世界
それだけを…?

ただ、ひたすらに?

僕は、明日死ぬ。
そのための今日を、呑み続けてゆく
永遠に遠い光を、我が宇宙の、闇とするために。

宇宙の光で遊んでも痛いだけ。

2006年09月25日 16時26分17秒 | 
人間の感覚が、重力でひずんでいるのは何故だろう
全ての宇宙が、中心に向けて歪んでいるのは何故なんだ
僕は死から宇宙を観測することが出来ていない
もっと真っ直ぐな世界があるはずなのに
もっと丸くて丸くてどうしようもない世界があるはずなのに
僕は、歪んだ円しか知らず、
真っ直ぐな線分しか知らず、
直線を見ることも、真円を見ることも、極地無限大を見ることもない
無限小の世界で、終わりの鼓動だけを聴いている
宇宙から届いた光を見ると、何故だかとても懐かしい。
光を真っ直ぐに見ると、愛くるしい愛しさで死にたくなる。
なんで宇宙は生きてるんだろう。
はやく自殺したい。
もっとはやく終わってくれ。
もうなにも見ないから。
だれも知らないから。
終わってくれ。

僕の宇宙、はやく自殺してくれ。

まぶしい光の中で、計算された夢ばかりを見る。
予知無と予言ばかりの海で、妄想的な死にばかり焦がれる。
誰も焼き尽くすことが出来ないほど痛い。
そしてあまりにも深い、どうしようもないほど白い闇で。
まぶしい世界で、こんなにもまぶしい世界で、
透明な美しさだけを模倣する。

もう聞き飽きたよ、君たちの予言は。
新しい世界が、いつでも僕の背中にあるのに。
どうしようもないほど真っ直ぐな、
破壊的な神話がそこにあるのに。

僕は、死んでいく夢だけを。
亡くなる魂だけを愛している。

どうしようもない
ほんとうに どうしようもない

だれもいらないから
なにもいらないから
孤独が永遠に押し潰されてもいいから

だから宇宙よ、自殺する。

何もかもが歪んでいる緑の海で
腐った肺の中いっぱいに、深呼吸する。
僕を殺すために。

丸い卵ばかりが視える
四角い卵を見たことがない
まっすぐで透明な卵でさえも。

硬い殻に覆われた、生という名で自殺する雛ばかりを見る。

もう二度と、終わることが無いのなら、
たった一度、総てが終わればいい。

触手についた吸盤で、知を吸い尽くすような生ばかり。

「なにも知りたくない!」
僕はなにもしりたくない。
こんな世界、はやく終わればいい。

美しいものがみたい。
誰にも出会えないような、美しい光が見たい。
孤独の光で、永遠をみることができても
名もない無限の無知の中で、痛みを感じない光がここにはない。

総ての痛みの源泉が君たちの光だと知っていても
僕にはどうすることもできない。

まったくもって、無抵抗迷路だ。
僕の意思の不在は。
どう考えても、壊れている。
永遠に変化し続ける世界は。

防火壁、白いかたぐるまの巻き。

2006年09月25日 14時23分32秒 | 駄文(詩とは呼べない)
僕には、世間一般の言い方をするところで、表沙汰に出来ない過去がある。
表沙汰にするにはあまりにもくだらないし、小さいし、
何よりも内容をほとんどまったくなんにも憶えていない。
だから僕はそういう行為のもろもろいっさいがっさいをまとめて全部めんどうだから
「漂白」と呼んだし、また、そう呼ばれた。
初めて漂白行為をしたのは、小学校五年生の時、ごうんごぉうんと音をたててたてててて。
まわり続けるドラムの入った四角い箱の前で、僕はぐるぐる回る水を首をかしげて覗き込みながら
アタックと書かれた洗剤をふりかけて汚れた服どもを何度も何度も攻撃したものだ。
今にして思えば昔は若かったんだろう。
そうでなくても今も年齢は若いというのに、頭はすっかりシワが増えて身も心もついでに気分も白髪だらけだ。
ああそうかなるほど、髪の毛も漂白されたのだ。
なんてことだ、漂白されてしまったのだ。
だから僕はこういった変化のいっさいがっさいを老化と呼ぶにはしのびなくて、
長い長い教室の隅っこを音を立てずに抜き足差し足さしでがましい忍び足でゆっくり近づき、
黒板にキィキィと音を立てながら白いチョークで「漂白」と書いて逃げた。
今のところ、まだ誰にも見つかってないと思う。
なにしろこの話をしたのは今日が初めてなのだ。これからも多分話すたびに「初めてだ。」と言うだろう。
すごいや僕。負けるな僕。でも泣いちゃった僕。
転んだとき、ひざこぞうに”すりむけちゃった”とヨードチンキで書いた過去でさえ
今はもう落書きのように懐かしい。
古びた思い出が今日の中で大事にしまわれて「想い出」と画数が増えることも漂白というのだろうか。
どちらかと改ざんと言うのだろうが、音が似ているから記憶の改善と呼ぼう。
音が似ているだけで説明すれば僕のらくがきは楽ガキと書くべきだろう。
「つまきかおる」が「妻葺薫(つまぶきかおる)」と書き換えて格好良さを自作自演で名乗り出るようなものだ。
ガキの頃は楽しかった。だよなぁ?つまきかおる。「ごめん、つまぶきかおる。」
そんなことはどうでもいい。俺は話の内容を忘れた。
そろそろ記憶力も限界だ。「漂白」と書いて表沙汰にして逃げよう。

テンハヒトノウエニイタズラヲツクラズ
イタズラノウエニヒトヲツクラズ
ダッテカンケイナイモン

自意識無抵抗迷路。

2006年09月24日 05時46分52秒 | 駄文(詩とは呼べない)
深い絶望の中でしか話し合えない事があったとしても、
それが本心であるとは限らない。
そしてまた、笑い合ってのんきに言ってることもまた、本心であるとは限らない。

少なくとも、日本語で話し合う限りに置いては、
日本人的な言語の抽象化、遠隔化が起こりすぎていて、
まったくもって僕の鼓動を伝えることにはなってない。

方言でしか、語れないあじけなくてそっけなくてやわらかい気持ちがあるように。

肩を叩き合って喜び勇むことにも疲れた。
泣きそうな笑顔で偽善者のフリをすることにも疲れた。
ちちくりあって動物に戻って本能のままに溺れる行為にも耽りたくない。

ただ、僕は、言葉にならない切実な想いにだけ、耳を傾けていたい。
できればずっと植物人間になって、
夢の中で言葉にならない心古韻だけを感じていたい。
そこに世界も現実もなかったとしても、
ぼんやりした、あたたかい、眠さの海に沈んでいく回廊のような、
無限の螺旋地獄がそこにあるのなら。

僕はたぶん、コミュニケーションにはもうほとんど期待していない。
そしてまた、倫理を裏切り続けて攻められることにも疲れた。

社会的な道徳も、集団的な思いやりも、
ぜんぶぜんぶ外でつくられ、培われたものだ。
僕が育てたものじゃない。
教わったことばかりだ。

動機を探して、
モチベーションを維持して、
重力を保持して、
世界と意識を合わせて歯車を回す
そういう行為の中で、自分という同一性が拡大していく。
だけどその行為は、あまりにもエネルギーを消耗してばかりで、
僕の残り時間は、ただただ鼓動の数だけ減っていく。

血が流れて、痛みの波動を受け取るたびに、
絶望的な世界からの手紙を受け取る。

「ここに君は居ない」
「はやく生まれてください」
「まだそんなところにいるのかい?」

と余計なことばかり書いてある殺伐として雑然とした、冷酷非道な手紙。
その手紙を読んで、
僕はまたここでグッタリする。

僕は重力なんか望んでいない。
ただ、宇宙が自殺してくれることだけを望む。
そんな永遠に近い、どうしようもないことだけを望む。
完成されたパズルが、不完全な多面体を高次に向けて呼び寄せるように。

ある意味では、知っているということはいつも絶望に近い。
なにかをなんとなく知っている者と、
なんでもないものをなにも知らない者と、
まったくの無我夢中である者が、
ただただ戯れ合ってる世界ならまだいい。

だけどほとんど場合、知っている者は知っている事を知らない者に強制してしまう。
「それが現実だ」と語るだけの言葉で嘘を並べて。

僕は君達の経験を知らない。
そしてまた、君達の知っていることを知らない。
だから君らの居る場所がどんなに美しい絶望に汚れた醜い景色だとしても
そんなものは僕には通じない。
ただ、もしも君が僕を望んでいるのなら、
僕には光が届くだろう、というそのことくらいしか、
広い宇宙ではわかりはしないだろう。

仮面を何度も外して、
素顔の自分を探そうとする。

まるで醜い怪物が映っている鏡を叩き壊すヒステリーのように。

けれども、素顔の自分などどこにも居ない。
本物の僕はこの世界には居ない。
この世界は、あまりにも君達と共有された場所だから。

だから僕は、言葉を創らない世界で神を信じるかのように。
まるで全知万能の受胎者を求めるように。
僕の意識が、生まれる世界を望む。
そしてそれは、とうの昔に死んでしまった僕を呼び起こす懐かしい声として届く。

幻説を語り続けると、
嘘に騙された僕は新しい嘘だけを求め続ける。

そんなありもしない世界の中で、
ゆっくり舞う何かを見て
僕は時の流れない世界を知る。

あるいはそれは、「知る」と書くことが禁止された世界。
そしてまた、解読することが不可能な世界。
深い悲しみの中で、独りで延々と泣いている人にだけ恋をする。
他者を知っているような口ぶりの人間は、
嘘だと覗いて殺し続ける。
深淵を覗き込むたびに、黄泉平坂で狂気に踊り転がる人間にこそ、
死体の真実が映り込むように。

触れれば不幸になるような世界で、
繋がりを求める孤独は、
まるで僕の本当の声を代弁するかのような甘い匂い。
だけどそれすらも嘘で、
全てが嘘で、
やっぱり僕はどこかで何かを疑ってる。

どうしようもない。
すごくどうしようもない。
どこかで心が引っかかっているのに、
それが何に引っかかっているのかすらわからない現状理解。

もしも衝動的に、ただ何かの磁石がおもむくままに、
指し示す方向にだけ動けるとしたら、
それはどんなに楽なことだろう。

動物になりたいと思うことはある。
もう人間なんかやめて昆虫になりたいと思うことすらある。
だけどその願望は、あまりにも鏡を縦にし過ぎた行為で、
どんなに綺麗に映った隣の芝生も、
いつもずっと汚れ続ける事を僕は知るから。
それはあまりにも愚かしいさみだれで。
醜いが故に美しさを求める反射のような行為で。
僕はそんな鏡の中でさえ、眩しさに射されて焼けただれる。

たぶん、同列化できないんだと思う。
真実と、事実を。

絶え間ない、熱射病のような憂鬱の中で、
僕は一人、自分の数を数える。
今まで忘れた分だけ、記憶の罪を背負うように。
それが妄想のような、走馬燈の前世回廊なら、
少しは僕にも、未来があるだろうか。

吐き気がするほど気味が悪い。
君達の中で、僕を数える行為は。

僕の声が痛みしかつくらないのなら。

2006年09月24日 04時03分08秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ただ、陽炎のような不幸を積み上げるために。
ただ、ありふれた出来事の中から不幸だけを取り出すために。
ただ、暗く染まってゆく幻から幻術の影を解きほぐすために。
ただ、形のない輪郭で彷徨う魂を誘導するために。
ただ、やる気の無い死に満ちた顔を美しい死に化粧とするために。
ただ、贈り物のような生を神から奪い取るために。
ただ、思い出を忘れ続ける罰をひたすら喰らい続けるために。
ただ、ありがちな出来事を特別と名付ける物語を奏でるために。
ただ、虫たちの動きを止まった時の中で風として数えるために。
ただ、どうか僕を助けて下さいと天才の役を投げ捨てるために。
ただ、恥宮にキスをするリズムで心臓が剥き盗られるために。
ただ、ありのままの僕を焦がらした罪として罰を受け取るために。
ただ、そこにあるもの悲しい景色たちを世界と呼びすらうために。

ただ、ここにあるものたちを、この場所から、解き放つために。

苦しみは、そこにある。

用意された場所、用意されなかった知。

2006年09月22日 08時03分43秒 | 駄文(詩とは呼べない)
考え方の違い、
構え方の違い、

だけどもっとあるのは
未来に対する絶望感の違い?

こんにちは。
ゲゲゲのア太郎さん。

暗いところの入り口へようこそ。
この先には何にもないですよ?

天気予報の話をしようか。

天気予報の的中率は、8割くらいだと言われています。
まぁ、短期予報での話。

なんでか。

気象衛星という「カメラ」が
マクロ方向での「遠く」にあるからなんだけど、
これについて、僕は「近く」にあると思ってる。
何から近いかっていうと別に僕に近いわけじゃない。
「天気」に近い。
だから短期予報ではかなり当たる。
けど、長期予報はまず当たらない。

これはミクロ方向でのカメラが、
あまりたいした精度をもっていないからだと思われる。

じゃぁ、ミクロ方向のカメラの精度をあげるため、
天気観測用ナノマシンを大気圏に大量散布、地表にも大量散布、
地殻を掘って地核にも埋めてみる?

それで壱年後の天気がわかるだろうか。

おそらく、わからないだろう。
もちろん、予測を立てることは出来るだろう。
予測の正確さというのは、収集した情報の量に大きな比重がかかっていると思われる。

で、君の「会う」について。
君が何と出会ったのか、
それについては君の話だから詳しくは書かないし、
たぶん書けない。

だから適当な事を書くんだけど
君がもし{嘘の吐き方}という場で
何者かに出会うことが出来たのだとしたら、
それはここにある記号達が、君の知っている言葉達と
とても親しい、側にある、近しい、関係にあるからではないかな?
や。
もちろん違うかもしれんのだけどさ。

僕の言っている会いたい、会いたくない
というのは主に自意識と他意識についての話です。
例え君が物理的に側に居たとしても、
君がマンガやらゲームやらに熱中し、
全く僕の方に見向きもしなかったら、
それを「会う」に含めても良いのだろうか?
よいでしょうかね?
世間一般的には、どうなんでしょうねぃ?

まぁ、しったこっちゃないんだけどさ、一般論なんて。

僕はそれが僕自身の態度の問題、
姿勢の問題ではないかと疑って色々考えたりはするし、
したことはあるし、
まぁ半分くらいはそういう要因があるのかもしれない。

けど、もっと大きなウエイトを占めてる何かがあるんじゃないかな?
例えば目の光、例えば心臓の鼓動、例えば明日の天気、
例えば脳の形状、形質、やわらかさ、硬さ、電気、物理構造、
血流、風、細菌、背後霊、自縛霊、超能力、前世、来世、運命、
金、孤独、思想史、情報、物理法則

こういったものは、僕の周りをとりまく要因たちだね。
だけど、カメラの位置はどこにある?
僕が死んだ位置は、どこにある?
僕が生まれた領域は、場は、点は、世界は、僕を創った神は、どこにある?

誰が僕を造ったかではなく、何が僕を創った?
僕は本当に生まれた?死んだ?
心はどこに?記憶はどこに?形はどこに?

存在という観念の話はだいぶ飽きてきた。
おそらく、存在とは抽象概念としてうまれ、抽象概念として死ぬだろう。

だけど僕は?
どこに?

君は、どうやって僕と会ったの?
君は「できるぜ?」「できるんだよ。」と言ったね。
その意味を聞こうか。
君が出会った何かと、対話が『出来る』のだとしたら。

今、僕が消滅しても君の世界は気付かない。
どうやって会話するのか、何と会話するのか、
そしてそれは対話となりうるのか。

君の思うところを、少し聞いてみよう。
そこに何か驚きがあるのなら、
君は何かと出会えるかもしれない。

心古韻に耳をすますための領域について。

2006年09月18日 22時49分18秒 | 実験
記憶とは世界を小さくすることであり、
想起とは世界を大きくすることである

けれど、どちらも橋渡しを担っている自分が
不在である時、それは世界の中には共有されない。
しかし自分が他者にとっての実在である時、
それは想起された瞬間に世界に記録されている

ゆえに、表現者が似た表現を見つけること、
99%の同じ表現を見つける事は絶望とはならない。
むしろ懐かしいとすら思うだろう。
自分が忘れていた記憶を、呼び覚ましてくれるという点においては。

けれどもし、全く新しい、見たこともないような、
自分の五感を超える感性で作り上げられた表現を見る時、
観測者は絶望よりも観測に身を委ねるだろう。

不在であるところの、自分を代理する、歯車への愛が、
もしも切実な形で、プライドを破壊するのなら。

根源的に意味では、
ステージは、
場は、
不在であることによって自分を代理する。

ゆえに世界を通して自分を探す者と
世界の中に自分を探す者とは、
大きな差が生じてしまう。

記号に対して、観測するベクトルが違うということ
それは劇場型のステージにおいては、
三元的なグレーゾーンとしての生命に模しているわけではない。
例え灰色の今でさえ、
白い光の絶望と、
黒い闇の希望は
同じ意味を記してしまい号して記号となるから。

心古韻に耳をすますことの大事さを追悼する。
再認として。
僕の中に記憶する。
もしも今、君がこの文章を、ことばとして読むことが出来ているのなら。

幸せを願いすぎて自殺する人になれ。

2006年09月17日 03時22分33秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ふたつの力が、あるように思う。
誰かを幸せにする力と
誰かに幸せになって欲しいと思う力

一つめの力は
まずは自分が幸せにならなければ
誰かを幸せにする事ができない

そして
誰かを幸せにする力を集めて
周りのみんなを幸せにしていく。

二つめの力は
自分の全てを投げ出してでも
誰かには絶対に幸せになって欲しいと思う力
そういう力は
ずっとずっと長く長く続けても
ほんの少しずつしか伝わっていかない
自分が幸せになりたいと思っている人には
なかなか届かない
そんな気がする。

三つ目の力は
全てを不幸にして
自分が不幸になりたいと願う力
ある種の芸術が、狂気から発せられるエネルギーを糧にして育つように
悪意の芽が、人を魅了する呪いとしてすくすくと育っていく。
華麗に美しく、全てを滅ぼす力として
現実を奪って、物語を育てていく。

僕は。

たとえ君達が明日そこで息絶えたとしても、
自分の為に自殺したいと思うよ。
僕の自殺を止めるために、
先に僕を殺そうとするキチガイは
きっともう現れないだろう。

本当は痛みから逃れたいといつも思っているくせに
口に出せない君達のために
僕は、ここで弱さを叫ぶよ。
まるで弱さこそが、僕自身であるかのように。

僕は自殺するよ。
もう決めたんだ。
ずっと昔に。
反対してもいい。
説得してもいい。
だけど、その時は殺されないように気をつけてくれ。
僕に。
決して踏み込まないように
僕に、君がそこで殺されないように
僕を殺すエネルギーを
そちら側へ奪わないように
そこに立って
ゆっくりと、落ち着いて覗き込めばいい

大丈夫、君は堕ちないよ。
奈落はこちら側にある。
そちら側にも
奈落のようななにかがいつも日常の隣で待ち構えているかもしれないけれど。

それでも
きっと君達はしぶとく生きてられるよ。
ほんの短い時間だけ。

僕は少しばかり、長生きしすぎた。
ずっと昔の事を思い出してばかりだ
それはつらいことではない。
昔の幸せに浸っていても
それが幸せである限りは
つらい記憶にはならないだろう。

だけど僕は。
昔の自分から、幸せな気持ちを奪い取れない事が
記憶を書き換えられないことが
世界を変えられないことが
こんなに哀しいことだとは
”昔は”知らなかったよ。
それがたぶん、僕が幸せであったということなんだろう

明日は変わる。
変わり続ける。

なのに

世界は変わらない。
世界は変えられない。

不思議だね。
半分だけ、君達が世界のような気がするよ。

僕の背景が石化して
やがて崩れる
ピンクのまぼろしであるかのように。

弱さを何度も確認して準備しよう。

2006年09月15日 05時10分38秒 | 駄文(詩とは呼べない)
時々妙な頭痛がする
現実を見ながら現実を見る気がない
まるで現実を見る気がしない、そして、おそらく見えていない。

必要とされていない自分について考える
誰の役にも立ちたくない
誰の為にも何もしたくない
ただ、自分のためにありたい。
けれど、僕には自分が無い。

自分を確かめたいだけのために、
誰かを求めてしまう。
誰でもいい、僕に話しかけてくれる誰かを
僕に、意味不明なレスを返してくれそうな、気が狂った誰かを。
何の前触れもなく、突然求める。

知らない人がいい
会ったこともないような人がいい
そして、会わない方がいい

自分が必要とされることの喜びは
本質的には自分が何からも必要とされない存在であることを知っているから。
僕は、何の役にも立たない
そして、立ちたくない。
誰にも従いたくない。
何からも、誰からも、解き放たれていたい。

だから僕は外を目指した
此処には居たくないから
どこか、遠いところにいってみようと思った。

そして。

何も変わらなかった。
自分が、恐ろしく、堕落した、弱い存在であると
ただ、確認しただけ。

地球の反対側を歩いて
熱い日差しに焼かれながら、
僕は何kmも歩き回って何かを探した。
そして、何も見つからなかった。

綺麗な港があった
甘いお菓子があった
美しい緑があった

けれど、生きている人間には出会えなかった。
たぶん、僕が死んでいるから。

僕はずっとうろうろしてばかりいる
迷ってばかり居る
現在地を確かめる事さえも
恐ろしくて、恐ろしくて。

一歩踏み出そうとした時も
白い風船は逃げてしまった
風に吹かれて、どこかへいった。
たぶん、いつも同じ。
僕の両手は、夢を掴む為でもなく、現実を掴むことも出来ず、
宙を、ただ中空を、手応えのない中空を、ゆらゆらとふためく。
まるで、見えない輪郭線をなぞりたがるように。

明日を見つめる勇気も無いくせに、
ただ、終わりだけを見届けたいと願う。
宇宙よ、僕の宇宙よ、はやく自殺してくれ。
いや、俺がするのか。
僕が宇宙の中心か。

どうやったら、宇宙は自殺するのだろう。

そして、どうやったら、
僕は自殺と友達になれるのだろう。

冷え切った時の中で
自分を凍らせる方法を考える。
ただ、1秒を引き延ばすために。
ほんのわずかでも、ニセモノの時間を感じていたくて。
どこにも自分がないって知ってるくせに、
自分のありかを確かめたくて。
ただ、1秒を数え続ける。
心の中で、何度でも、何度でも、なんどとなく。

生きることに、凄く疲れた。
なんでだろう。
たいしたことは、なにもしてないはずなのに。
なにもできないはずなのに。
どうしてこんなに、僕は疲れているのだろう。

眠りたい
ずっとずっと深く眠りたい。
朝が来るたびに、嫌な気持ちになる。
ずっと夜だったらいい。
ずっと独りきりの夜だったらいい。
ずっと僕だけが、最後の宇宙で、独りで自殺の方法を考え続ければいい。

何も要らない、
誰にも会えなくていい、
だから、宇宙の終わりを見たい。
世界の終わりを見たい。

爆縮して、消えて無くなる1秒を呑み続けたい。

悪魔に魂を売れば、世界の終わりを見れますか?
弱い自分と、弱いだけの自分が、自問自答する。
そして僕は、ここから消えてゆく。

ハイエナのロッカールーム

2006年09月14日 04時23分51秒 | 駄文(詩とは呼べない)
女の人と正面から向き合おうとすると、
たいていの場合、気が狂いそうになる。
それは僕が男であるからなのか、
それとも女に憧れてるからなのか、
女に生まれたかったからなのか、
それとも男尊女卑の差別意識が払拭出来ていないのか、
そういうことは、どうもよくわからない。

ただ、ひとつの問題として、
女性と向き合おうとすると、
どうしても生の存続に誘導されてしまう傾向にあって
それは僕にとって切実な問題であると思う。

3秒以上先の未来を知ることなく、
シュミレーションもすることなく、
全く平らな、水平な、純粋な、揺らぎのない、
ただ、ありのままの今として、
僕の心だけを、体が自然に条件反射として動くように
ただ、動物的な
ある意味では本能的な、
生の志向性として(?)
ある種の絶望の克服があるのだとしたら、

それは多分、僕ではなくて
僕以外の何かで、
その時そこで僕は既に死んでいるのだと思う。

吐き気がする。
情動もパトスも、
大切な未来も、
もう何もかも要らないから、
ただ、「助けて!」 と、
今の自分を捨て去りそうな弱さを感じる事がある。

もう、自分が砕けて、何もかも無くなってしまいそうな
どうしようもない不安に絡め取られそうになることがある

僕が、僕でなくなってしまいそうな気分になることがある。

孤独の王様、一人の王国で自爆テロ。
そして革命は失敗。

そんな感じ。

あぁ、なんか、頭痛がするよ。
早く死にたい。
そう願っている時が
一番僕らしいと思うよ。

どん底の気分で、ハイエナのように記号の肉を食らって、
誰にも伝わらない気持ちを、
ただ、真っ白な壁に向かって書き殴れば、
そこに、何か新しい未来があるかのような──。

どうしようもない。
本当に、どうしようもない。

だけど別にいい

けど、僕の自殺と共に
僕の心象風景の全てが無くなってしまうことを
僕は、何故かどうしても恐れてしまう。

ここにある種の存立の罠があって。
僕は、がんじがらめの檻の中。

牢獄は、暖かくて、柔らかくて、母のような匂いがして、
そして何も生まれない、中絶死のような場所。
誰も僕を見ていなくて、
置き去りにされた、ロッカールームのような天国。
命の歌なんか、届けられない。
それでもまだ、僕はここで叫ぶ。

なにかが、
ここに何かがあるって嘘を。

風邪薬の粉を集めて書け

2006年09月13日 16時44分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
すごく簡単な事を言えば

生きるのはもうめんどくさい。

けどそれって、書こうとすると
いや、正確に掘り起こして言葉に直して書こうとすると難しい。
たぶん、短く言うと
【怖い】とか【痛い】になるんだと思う。

やることは特別もう無いんだと思う
ただ、腕の動く内は、手の動く内は、指の動く内は、
何かを書き残しておきたいんだと思う。
遺書として、伝える事に失敗した記録として、
何も変えられなかった魂の削りカスとして。

すごく、残酷な事だと思うことはある、
思ったりはする。
思うことは出来る。

けれど、そういった解釈も
何故、何が悪かったのか
考えてみても思い出そうとしても
結局原因なんてわからない

あえて言うなら。

風邪薬。

風邪薬を飲む。

風邪をひいてるわけじゃなくて。
それは毒だってわかっていて。
それがどうしても必要というわけでもなくて。
それでも、薬と名付けて飲む。

そうすると、
「死にたい」って思ってるんだけど
体は生きようとする。
それが、まるで生きることを確かめる行為に似ていて。
とても僕をくすぐるのだけど
感じられるのは現実の痛みと、薬の苦さだけで
それが毒ってわかっているから
あるいは僕がそれを毒だと名付けるから
決め付けるから、思い購うから、
可哀想な自分を思い出すから、
だから体は毒に逆らって
まるで生きようとしてる意志であるかのように

手探りで、熱を持った何かを。
どこかへ伝えて、
体は何かに変貌してゆく。

皮膚にはアレルギー反応の斑点が出来て。
やっぱり僕はそれを毒物反応だと思って。

すごく、自分の閉鎖的な免疫システムを思って

まるでこの世界が
僕に死ねって言ってるかのように。

そう、感じ取るのだけど
だけど僕の死にたいという思いは
毒そのものによっては達成されず
そしてまた、惰性の産物によって
ようするに、死に逆らおうとする必死の者にだけ『生』の冠が与えられるように

自意識の迷路の中で
僕は煽られた王様になる。

押し流される逆流の、濁流の、奔流の中でだけ
なにかそこに、自意識を見出したかのような錯覚。
実際には、一歩も踏み出していない
どこにも還らない現在地。
壊れ続ける走馬燈。

そういう中で、
僕だけが、自分に名付けられた自意識。
覚醒することもできず
眠り続けることもできず
ただ、この場所で痛みだけを。

【苦さ】として。

味わうから。

僕はまるでそれを
「風邪薬」だと
そう思った。

死んでいく時の中で
歴史が死をぬぐうように
生のありかを示すから

この場所に残された、
死んだ活字の死体だけが、
まるで君の生きている証。

キミの声を聞きなよ
僕の声は、もうどっちなのかもわからない
君の声を君が聞きたい
ただ、そう確かめる為だけの僕の死体と共に。

ごじのにじのにっき

2006年09月09日 19時56分43秒 | Weblog
今日、五時の虹について、珍しく、日記を書こうと思う。

五時過ぎに、思い立って外へ出かけた。
近所のスーパーまで水を入れに出かけただけなんだけれど。

特に何か余分なものを持って行こうとは思わなかった。
それでも一応、電話と財布だけはポケットに入れて出た。

外は晴れていたけど、何か細かいものがさわさわと降っていた。
あまり気にせずに歩いていたら、眩しい暖かさのある強い光に照らされながらも
何故か霧雨が小雨に、小雨から雨に、だんだんと大粒の水滴へと変わっていった。
僕は空を見上げて、天気を確かめようと思った。
天気と言うよりは、天候、と言うべきだろうか。

青い空に、灰色の雲に、虹がかかっていた。

まぁいいや、傘なんかいらねぇ、と思いながら歩いていたのが
功を奏したというか、なんだかラッキーだな、と思った。

そしてこないだ話した友人が虹について語っていたのを思い出した。
二重の虹を生まれて初めて見た!
と喜んで話していた。

もしかして、と思いながら
歩を進めて景色を覗き込んでみれば。
そこに広がっているのは、彼の言っていた二重の虹だった。
なんだか不思議な気分になりながら、
僕はそのことについて考えた。

彼が言ったから、
僕には今日、虹が見えたのだろうか。
あのとき彼が二重の虹について話さなかったら、
僕は虹が二重かどうか、確かめようと思っただろうか。

いや、先とか後とか運命っぽいとかそういうことではないのだ。
今、僕の見ているアレが、
というよりは、僕が今見ているコレが、
彼のいわんとしていた虹そのものなのだ、と、
そう思った。

彼に話す為のリアリティについて考えた。
あるいはそれを見たという証拠について。
そして僕はそれを観察しようと思った。

虹の赤っぽい方は外側にある。
そして紫っぽい方は内側にある。
逆ではない。

虹は影の伸びる方向に出来る。
太陽と反対側の景色にしかその姿を確かめたり拝んだりすることは出来ない。
内側の虹は、非常にくっきりと色鮮やかに映っているが、
外側の二番目に発見した虹は何故かぼんやりとしている。
内側の虹から外側の虹へは、視直径で3~5㌢ほど離れている。
数百㍍に感じるが、数㌔㍍のような気もする。
二重虹の左側はややハッキリとしていて、右側はかなりぼんやりと薄くて見えづらい。

そして一番重要なコト。

虹の色は、赤色から始まっているのではないということ。
そして七色では無いということ。
七色インコというのが七色なのかどうかはよく知らないが、
一般的に僕の住んでいる文化圏では虹は7色だと言われている。
だけど僕が見たそれは、
僕が今日、空に描くように確認したその虹は、
およそ10色くらいはあった。
すごく適当に数えて、だけど。
赤色の外側には桃色のような色が見えていた。
赤ピンクというか、なんというか。
紫色の内側には、茶色や灰色が見えていた。
そして赤紫というか、紅色のような色も。
虹の端っこはとても曖昧でぼんやりぼうっと浮き染み出るかすかな色がある
その色は、きっと紫外線の色であり、赤外線の色であると思う。
僕らが見ている虹の光は、そしてその色は、たぶんそれぞれの世界によって
きっと色んな風に違うんだと思う。
そして僕は、紫外線や赤外線の色を知る。
いや、紫内線や赤外線というべきか。

可視光線の範囲は、人によってどれくらいの差があるのだろう。
可聴域でさえ、20Hz~20kHzという範囲には、かなりアナログ的な曖昧さと、
いい加減でへんてこな個人差がある。
隣のテレビのリモコンの音を聞き分ける人間が居るように。

僕はなんだか、その虹を見たことを少しだけ幸せだと思った。
あるいは別な言い方をすると、じつはほんの少しだけ、
誰かを許そうと思った。
あるいはこの世界の事を、少しだけ許してもいいんじゃないかと思った。

たぶん、美しかったんだと思う。
僕にとって、その景色が。

歩きながら空を見上げる人間はどれくらいあるだろう。
そして雨の日に傘をささない人は、どれくらいあるだろう。
つまりそのような不思議で不幸な景色の確率は、どれくらいあるだろう。
「確率」と、呼ばない方がいいのかもしれない。
確率とは言えないような気がする。

ほんの少しの気まぐれで、
ほんのひとにぎりのヒトだけが 短い時の中で光を見る。
そういった偶然は、はてしなくいい加減でどしゃぶりの不幸の中で
不幸を味わった数だけ通り過ぎていく
雨の日に、目を合わそうともせず、通り過ぎる人の数だけ、
そこには瞳の水滴が降る。

僕が今日、ぼぅっと光浮き出る強いスペクトラムから受け取った何かは、
はたして幸運と呼べるものなのかどうかはわからない。
だけど僕はその景色を美しいと言おう。
そしてその景色を、その景色を見て美しいと思ったことを、
忘れないようにここに書いておこう。

やがて薄く薄く忘れられていく、
僕の中にある強い光とともに。