現に今しがた提出された他人からの
一言のさもしげな言葉を
私は客観と見立てて受け入れるならば
すでに私はそこに立ち、
それはすぐさま客観ではなくなる
ならばさっきそこに居た私からの目線が客観なのか
いや、それとて客観ではあるまい
では私は私の言葉の外側に立たねばなるまい
私の中に潜む言葉から、そのように意味を感じ取るか?
いや、それは主観だ。
想像によって外に近寄るか?
私の後頭部を眺めて笑うか?
私を棄て、あなたの目線を手に入れるか?
そのような事は、ありそうでないのだろう
しかし現に今、
ある特別な見方をすれば
既に私はさっきまでの私で無い事も事実なのだ
ではそもそも客観とは何なのか
誰が客観という言葉を思い付き、作成する事に成功したのか
あるいはそのような概念を獲得するに至る背景は何なのか
それを知る事が
ある特別な小さい偏見としての
客観視ではあるのだろう
他者への憧れ
天才出現願望
これらも客観視と繋がってはいまいか?
ある一つの世界に関する絶望的な終わりの予感
それ自体が、主観の終わりではないのか?
終わる事を拒んでいる限り、前には進めない
終わらせる為に進むのだ
そしてまた僕は
言葉と言葉を引き合わせる
崩壊していく時代の価値観の中で
僕は他者の夢を見る
いつか僕は夢の中で僕に会い
その時僕は僕だったと気付くだろう
希望に満ちた終局の構図に立ち会い
誰かに会って何かを言う為に
今はただ、歩こうか。
左手の小指が少し痛んだ
涙は出なかった
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