嘘の吐き方(うそのつきかた)
人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。
 



不自然さとふたたび不自然さと不自然な動きの中で
言葉と感情の乖離に苦しむ時代はいつから始まったのだろうか
言葉の海で溺れ続ける心の嘆きは
壁の向こうへ突き抜ける一瞬の光を届けるだろうか

今、どうしても書かなければならないと感じる事
それは僕のいまひとたびの一瞬の安らぎの中に含まれる不安の要素
暖かい空気に包まれた誰にも届かない言葉の海にある
なんのへんてつもない
きわめて日常的な
誰にでもある

錯覚としての言葉たち

すなわち予感を言語化する事の
罪と呵責と変容について
きわめて個人的に
あるいは一般的に
なんのためらいもなく
書けるかどうか、
書かれたかどうか
かけくけかこかこ

まぁ、そんな感じ。

もう一度、呼吸する言葉を──

原点回帰だなんだかんだということじゃなく
いつもいつでもおかしいと感じる
この呼吸のリズム
忘れるように思い出せば
刻まれた変遷の中へ
言葉の生まれた時空へ
身投げするイメージで…

僕は思い出したかった
予感の中にある
最初の、言葉のオリジンの、生まれた場所を。


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やは!
で始まる文章はいったいいくつ書けるのか
そして書かれたのか
あるいは書かれようとしてるのか

このように始まる文章を
きっと僕がネットのどこかで見たとしたら
読み終えた後0.5秒で閉じるだろう

特に致命的なのは2行目だと感じる
2行目があまりにも書き言葉を意識して書かれているため
もうそれだけで謎の満腹感が発生し
僕を勉強嫌いの猿に変える

一体僕は言葉を通して誰に何を伝えようとしてるのか
そしてまた、その事にどんな意味があるのか
再び問わねばならなくなった。

また、気付けば僕の文章にはほとんど意味を成さない
抽象的な言葉があまりにも増えすぎた
それが何なのか
そしてまた、書いても書いても言葉にならない
この満たされなさは一体何なのか
そこについて考察していかねばならないだろう

問いの本質は我が人生に置いて
いかに切実な命題であるか
そこが問われてこそ、問いに力がみなぎるのでは?

あるいはエネルギーの無い空論と
オタク的妄想の決定的な違いは
小難しい事を書いたところでそこに何の笑いも含まれていない
絶望感じゃないのか?

そんな気がして
僕はピタリとキーボードの指を止める
目を瞑って肩を落とす

呼吸する言葉の意味を、考え直さねば──


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僕は誰かに言われた何かが嬉しくて
あるいはもうどん底のような気分で死にたいような恥ずかしさの中で
いてもたってもいられなくなって
コートを雑に手にとって
適当に羽織って外に出た

いい加減な道をあてもなく適当に歩きながら
ダイヤの原石をハンマーで叩き割りそうな予感がして
怖くて苦しくて寂しくて嬉しくて
わけわかんないまま歩き続けた

風が冷たいとか考えてるような余裕は無かった
僕はとにかく余裕が無かった

迷子になるために家を飛び出したのかもしれなかった
とにかく僕は、自分がどうしようもないほど
無力で自己保存出来ない人間だと知りすぎていた

それでも人は多分、僕を見ている
遠くから、あるいは近くから、
僕を眺めたり触れたりする
それがつらくて、たぶん僕は逃げ続けているんじゃないかって
そんな気がする

胸が苦しくて
泣きそうなんだけど
どこにも立ち止まりたくなかった

誰かの声を聞きたくて電話したけど
怖くて電話を切った
あるいはこんな時でも僕は自発的でない、
向こうからの声を待っているのかもしれなかった

世界の果てからの糸が
僕を動かして続けて
僕はもう操り人形になりそうだった

僕は多分、もっと伝える事に真剣に取り組まないといけないんだと思った
そんな事を思いながら
既に走り書きの書き殴りをやってる僕は
本当にどうしようもない奴かもしれないけど
今書かなければこの気持ちは消えて無くなりそうだ

僕はもっと早くタイピングしなくちゃいけない
僕はもっと素早く記さないといけない
心だけが先走りすぎてもう口も思考も追いつかない

言いたい事はいっぱいあるけど
言えない事もいっぱいあるけど
だけど何かを書きたいことだけは事実だった

僕は声が聞いて欲しいんじゃなくて
多分光の糸を一瞬だけ、ほんの一瞬だけ
誰かに突き刺したいんじゃないかって
そんな気がして
なんだか暖かい自己嫌悪に陥る

壊れそうなんだ
誰かと話をしないと
何かが終わりそうなんだ

助けて欲しいんじゃなくて
誰かを助けられる自分になりたいんだ
そんな気がして
そしてフッっと自分を冷たく見つめれば
そんな力は自分には無いってすぐに自分でわかるから
だからきっと僕は死にたくなるんだと思う

僕の屁理屈地獄も自己肯定も正当化も
結局は僕自身の自由の牢獄でしかなかった

そんな事をいきなり示されても
あるいはゆっくり示されても
僕にはどうしようもなくて
結局出来る事なんか無くて
僕はただただ今を必死で繋ぎ止めるように書き続けるしかなかった

だから僕の書いているこの駄文は
きっと誰にも何の意味もなくて
日記にもならなくて
きっと大きな濁流にのまれて小さく消えていくんだろう

シャボン玉の美しさに還りたいと思った
あの割れてしまうシャボン玉になりたかった
僕の人生は口笛を吹いた瞬間にできる汚い唾液のシャボン玉の1秒で良かった

僕はシャボン玉のはじける一瞬を30年もかけてムリヤリ呼吸で拡大しないといけないのか
僕はもう壊れてるんじゃないのか
というか僕に僕なんてあるのか
そんなこともはやしったこっちゃないんだ

僕はただ、今だけが、今だけが欲しくて
この一瞬だけが僕のような気がして
そしていつもいつでもこれからも
嘘を吐き続けてはじけていく

石鹸で心を洗おう
もっともっとごしごし洗おう
風に乗って割れてしまおう

僕は誰かのシャボン玉


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僕がその発音を知ったのは、6歳の時だった
甘美な言葉だとは、全く思わなかった。
無機質な、新しい表情とセットでしか憶えられない言葉だった。

田舎は空気が美味いって事、僕は別に認めてないわけじゃない
だけど、だからと言って都会の空気が不味いとは思わない
ただ、都会で生きてる事を、恥ずかしいと思う事はある。

都会に潜む輝きの一つ{久徳星雲}そのちぎれ雲の一つ一つを
僕は痛みによって、まさに時計の針が突き刺さる痛みによって
認識として切り分けていった

僕の朝は6つの鐘で始まる
腹筋百回、背筋百回、腕立て百回、柔軟運動
そして公園にジョギングに行く
「運動するのは良い事だ」
「うんどうするのは良い事だ」
「うんどうするのはよいことだ」
「ウンドウスルノはよいことだ」
「ウンドウスルノワヨイコトダ」
君が今読んでる事に、僕は吐き気がしそうだよ。
こんな文章で伝えられるものなんか、何もない。

わかってるから、わかってるけど、わかることなんかなにもないって
わかってるけど
それでも僕は、何かをわかって欲しくて
しかたなく書いてる。
他に方法を知らないほど馬鹿なんだ、しょうがないさ。

日課の準備運動が終わると僕は
栄養価が計算されたご飯と、味噌汁と、魚と、漬け物と、海苔と卵
この中で卵が一番新鮮で美味しい。
を、食べる
生まれたばかりの卵にボールペンで日付を書いた。
卵の殻に字が書けるってすごい発見だ。
インクの匂いには、嫌悪感を感じるけど。
染みたインクも、食べる事になるのだろうか

朝食が終わると大量の薬を渡される
もちろん飲めという命令なのだけど
「これ飲んでね」とお姉さんに優しく言われて受け取る
飲まなかったら、フェルトペンで日付が書かれて廊下の掲示板に張り出される。
掲示板はちろりんとこちらに目をやって「悪い子成績表だよー」と呟く。
たぶん、僕にしか聞こえてない。

長い事この星雲に住んでる宇宙人と話をする機会があったので
ここに当時の記録を載せておく

「クワガタ飼ってるんだね」
「そうだよ、もう死んでるけどね」
「動かないね、ところでこの切り屑みたいなのは何?」
「樹を削って入れるんだよ、蜜が塗ってある」
「鉛筆削りの削りカスに似てる!」

僕は手回しの鉛筆削りでじょりじょりと削りまくった
大量のゴミが出来たので
二人で喜んでクワガタの透明な虫かごに入れた。
死んだクワガタがこれを食って元気になるといいんだけど。
木で出来たスポンジのような、わたあめのようなものを見ていた

いくつかの他愛のないやりとりがあって、
そして宇宙人はげらげら笑いながら僕にこう聞いた。
「せっくすって知ってる?オレこないだ岩谷くんに体で教えられた。」
と奇妙な話を始めた

アルファベッドのSで始まる事もXで終わる事も
僕にはきっと想像もつかなかった。
カタカナで憶えたのかどうかもわからない
きっと、ひらがなが彼の表情にやらしく貼り付いていたんだ。
それがどんな事なのかは、もちろん今でもわからない
わかりたくもない
わかろうとしない
そんなこと、わかってる

自由時間が終わって会議室に全員集合する
机の上に洗面器が人数分並べられ
一人は時計係になる。
洗面器に水をはって誰かが時計を秒読みする
「10秒経過…20秒経過…30秒経過…40秒経過…」
僕は水で満たされた洗面器に顔を浸して、必死に息を止める
息を止める事なんか出来ないから、呼吸を我慢するって書くべきなのだろうか
気が遠くなって
「ぶわっ!」って顔を上げる
「50秒!」って誰かが言う
これをみんなで何度か繰り返す
タオルで顔を拭いて次は発声練習。
「あいうえお、あお、かきくけこ、かこ、さしすせそ、さそ、たちつてと、たと、なにぬねの、なの、はひふへほ、はほ、まみむめも、まも、やいゆえよ、やよ、らりるれろ、らろ、わいうえを、わを、ん、
あかさたな、はまやらわ、いきしちに、ひみいりい、うくすつぬ、ふむゆるう、えけせてね、へめえれえ、おこそとの、ほもよろを、ん」
この発声練習も結構馬鹿馬鹿しい。
紙に書かれた地図がカッターで縦横に切り裂かれただけだ。

公園に行って缶蹴りをやった。
どこに隠れても発見されてしまう。
缶を蹴っ飛ばすんならすぐ近くに隠れて鬼より早くダッシュした方がいいと知った
僕は、誰にも見つからないように自分を透明化しようと試みた。
だけど出来なかった。
僕はきっと隠れながら叫んでる。
「誰か見て!誰か見つけて!」って赤い心臓が喋ってしまう。
息を殺すなんて、できっこない。

ドッチボールをやった
僕は小刻みにチョロチョロ動いて最後までコートを逃げ回っていたけど
僕の投球力では相手チームの誰も倒す事が出来なかったから、
結局僕のチームは負けた。
相手チームの岩谷くんに「インベーダーみたいな奴だな」
と言われた僕はケラケラ笑って喜んでた
喜んだら、駄目だったのかもしれない

月曜日の夕食はカレーライスだった
お茶が無くなって、僕は醤油を水道水で薄めた。
お茶と同じ色にすれば、同じ味になると思った。
醤油を薄めて透明化すればお茶になる
それは僕の発見でもあったが、発見とは呼べないかもしれない
何故なら、「お茶の味がするよね?」と聞いてみても頷いた人は一人も居なかったから。
夕食後、風呂に入って体を洗った
あるいは、洗おうとしていた?
よく思い出せない。

何人かの男に風呂場で取り囲まれた
仰向けに寝かせられた
足を押さえられた
腕を掴まれた
人工呼吸をされた
腕を引っ張られて、上半身を起こされたり倒されたりした
視界がぐねぐねと揺れた

僕の世界は揺れながら…幼稚園のブランコを思い出していた
僕は右のブランコを漕ぎながら
何かをぽそぽそと途切れ途切れに話していたのを思い出す。
左のブランコには同じ梅組の女の子が座っていて
彼女はブランコを漕がずに鎖と板をゆらゆらと揺らしていた
外は寒かったのに彼女のほっぺただけは丸っぽい暖かみを帯びていた。
その時僕は、彼女の目を見ていたような気がする
いや、マツゲを見ていたのかもしれないし
黒い髪の毛を見ていたのかもしれなかった
たぶん、吸い込まれそうな赤い場所は見なかった
そんな気がする

気が付いたら、風呂場には誰も居なかった
僕は何故か、その日だけはどうしてもいつもと違う場所を通りたくて
緑のライトが灯された非常階段を駆け上った
クリーム色の階段だった
わくわくするような、どうでもいいような、不思議な気持ちだった。

最上階まで上がったら大人に見つかった
耳を掴まれて鼓膜が破れるほどでかい声で何かを怒鳴られた
何を叱られたのかはもう思い出せないが
ルールを破った事だけは憶えている

あれからざっと数えて6万秒以上経っている
こんなに時間がたっているはずなのに、まだまったく思い出せない事が山ほどある
それはきっと、僕が大事な大事なルールを知らず知らずのうちに破っているからだと思う
例えばみんなが急に静かになったら息を潜めて周りの様子をジッと窺うとか
僕だけが、誰からも教わってない、秘密のルールがまだまだある

娑婆の空気は美味い。
都会の空気は不味い。
まったく意味が解らない

きっと、そういう難しいことがわからないと
殺されるように出来てるんだろう

「アイツラに殺されるくらいなら死んでやる」
多分これが、誰にも言えない僕のルール

今はただ、口をつぐんで静かに目をつぶる。

       西暦2005年1月17日、午後5時25分57秒の僕。


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TV  


電源を切ったままでTVを見る
番組を見ると、終わるのが悲しくなるから
だから僕は画面に映り込む僕の部屋を
ボーッと眺めてるのかもしれない。

今日の番組はすごくドキドキして面白かった
切れそうで切れない糸が
僕をそうさせるのかもしれない。

ありがとう。


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鉄の匂いに導かれて
僕は思い出し続けていた

三歩進んで二歩下がるような歩き方は
何かに向けて進みすぎている
三歩進んで五歩下がる必要があった

僕は前へ前へとバックする事で
自分を壊しながら圧力をかけ続ける必要があった

死ぬ前にどうしてもやらなければならないこと
それは過去を思い出す事だった
あるいは思い出し続ける事

今日(こんにち)僕らが生きている時代背景
そんなものは僕にはどうでも良かった
ただ、僕は自分が生まれる前に何者であったのか
どうしても知りたかった

そしてそれを知る為に
未来を調べ続ける
僕らがいつも未来へ向けて歩き続けるのは
新しきを尋ね、古きを知るためだと誰かがどこかで言い続ける
思い出せないんだ、あの頃、何があったのか
記憶が無限に刻まれた形状記憶である限り
僕の生は既に刻まれた形で存在する
ならそれは悟性に祈るように
あるいはありもしない存在を願うように
透き通った、まるで透明な、呼吸に委ねるように
何かを現し続ける

焼かれ続ける鉄の焦げた匂いの炎が燃え広がり
小さな生はいつだって僕の中で死に続ける
悲鳴が聞こえる限り
僕は幻聴に耳を傾け
何かと会話し続ける

伝わりの連鎖が駆け抜けて
未来を思い出し続ける僕らの生は
いつかきっと永遠を飛び越えて
光よりも速い闇の中へと還っていく

背後で爆音が聞こえて
冷たい息をふぅっっと吐いて
静かに目を瞑って

続けるかい?
続けようか
もう少しだけ


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痛みの剣で刺し合って
傷つけ合う事でしか
何かに気付けないのだろうか

不確定な未来を引き寄せる力は
光の伝わりに命運が握られる

もうすでに爆縮し始めた宇宙の中で
新しい境界はカオスの中に封じ込まれる

冷たい心理の中からしか
真理を見出せない僕の宇宙は
沸点が高すぎて始まりへ戻る

シャボン玉を膨らまそうか
中に夢をつめこんで
いつか爆発する力に変わるだろうか

もっと虚数でいいのだろうか

一歩一歩
前へ前へとバックしようか

生まれる前の世界へ


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第一章②アメリカ人の眼、アフガン人の眼


9.11同時多発テロの後、アメリカによるアフガン空爆が始まりました
ここで「空爆」と書いて「攻撃」と書かなかったのは
どちらがどちらを攻撃しているのか、にわかには判断しがたい
という中立的な物事の見方が、すでに私達の中で常識化しているからです。
アメリカ人の眼から見た景色とアフガン人の眼から見た景色はそれぞれ違っているはずだから
「ブッシュのテロ対策もわかるがアフガンの市民達の苦しみにも配慮しよう」
とすぐに考えられるのは、それが常識として私達の間に浸透しているからなのです。
しかしこの常識観は結構近代になってから立てられた若い常識観で
例えば団塊の世代より高齢な人と話をしていると最初はとりとめもない軽い話題だったのが
だんだん話が一元的になっていくという性質にもよく現れています。
いわゆる頭が固いというやつで、「何いうてまんねん、世の中色々でんがな」と
言えない雰囲気がカチカチと構築されていくどっひゃー感に繋がります。
たーすけてー。あ、妄想だった(ただいま)

構造主義は人がある限定された空間に束縛され、その環境条件が基本的にその人の見方、感じ方、考え方を決定しているという構造の特性に気付き、自立的主体のあやうさに触れています。
それゆえに、私達の属する集団が無意識的に排除してしまったものは
私達の視界に入る事すら無い為、私たちの思索の対象にならない事に警鐘を鳴らします。

うしろの百太郎に気付くのは難しいって事に似てますね。
あ、だから子供の頃にやってた「だるまさんがころんだ」が面白かったのか…。

{前の項へ戻る}{次の項へつづく}

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【はじめに】
これから書いていく記事、書こうとしていく記事は
文春新書から発行された本「寝ながら学べる構造主義」についての個人的な読解であり、
僕自身の読み取りをまとめる事によって僕の問題と向き合うという一つの試みでもあります。
従って作者(内田 樹さん)の構造主義に対する見解に離れたり寄ったりしていくかと思いますが
それらも一つの流れとして読んでもらえれば、と思います。
記事に書かれている文章や内容について何か思う事があれば
コメントやトラックバックにてどうぞ。
何か面白い事出来るといいな、と思っています。


第一章 先人はこうして「地ならし」した──構造主義前史
①私たちは偏見の時代を生きている

私たちがごく自然に、ほとんど何も考えずに常識だと思っている事、
それらは多くの場合その時代背景や地域性によって判断を左右されています。
こうした事に気付き始めたのは割と近代になってからの事で先人の哲学者達が
「人は自分の属する場所によってそれぞれ違った風に物事を判断しているらしい」
という事に気付いたからでした。
私たちは自分では判断や行動の自立的主体であると思っていますが
その構造を分析し、自明なものを改めて考え直してみれば
決して自由に思考出来ているわけではない事に気付かされます。

思想史としての区分によれば現代はポスト構造主義の時代と言われています。
一般には構造主義以後期と訳されますが
簡単に言えば構造主義の考え方にうんざりし始めた時代だと
言う事も出来るでしょう。

近年、漫画やアニメ映画などで「セカイ系」と呼ばれる作品が登場してきていますが
これらも偏見によって分析していけば
自意識の及ぶ範囲の世界を偏見によってセカイという一つの象徴として表現し
セカイが崩壊していく終焉を見せる事によって
偏見の価値観で出来た世界を克服していこうとする大きな流れのようにも見えます。
代表的な作品で言えば「最終兵器彼女」「新世紀エヴァンゲリオン」「雲の向こう、約束の場所」
などがこれにあたるかと思います。

また、私が遙か昔の時代に書かれた本を読む時
大きな思想の違いを感じ、そこに嫌悪感を抱く時が多々あります。
それは文体や仮名遣いの仕方が現代と違う事によって読みづらいという点だけではなく
そこには私が現代の常識的な思想の中に閉じ込められている事で
文章に書かれている内容をするすると楽に読み解く事が出来ない
めんどくささやいらだちの障壁が横たわっているからだという事が出来ます。
ここには、自分のわかりやすい言葉に翻訳し、自分なりの解釈に繋げていくという
私の自我中心主義的な思想が潜んでいるのですが
それについては別の項で書きます。

ひとまず今回の項は
「私達の思想はある狭い集団での常識に支配されている」
という事を頭の隅に置いておく事が大事であり
それこそが構造主義という知見がもたらした功績であり
重要な切り口だという事が書いてあります。

そして構造主義という思考上の奇習について改めて考え直す時にも
現代に生きる私達は構造主義で考えてしまうという
パラドックスの中に居る事も忘れてはならないでしょう。

{次の項へつづく}

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もっと馬鹿にならないといけない

どうやらだいぶ色んなものに呑まれているようだ

洗練されたエゴはどこにあるのか
探さねばなるまい
美意識と偏見の狭間で
万物を冷たく眺めねばなるまい

感動は流れの中にこそ存在し
存在は冷たい今の中に伝わってはじけ

僕は遠くに、もっと遠くに
手を伸ばす事で
きっと静かに消えていく

ネバーランドが遠くなる
もっと夢を見なくちゃ


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埋め尽くされた全方位の窓から
竜宮城の景色から
季節を感じる空の色から

誰も居ない台風の中心に
上から降りたり
下から登ったり

そんな事を繰り返しても
風を感じられない

進まなきゃ

楕円の雲
白い雲
突き抜ける伝説

冷たい心が結露した汗は
もう涙とは呼べない

何も伝わらないから
何から伝えようか


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「しょうがないなぁ」
と彼は言った
一体何がしょうがないの…

だけど私は彼にそれを問えなかった
まだ行ってない所もしてないことも私達にはたくさん、たくさんあるのだから。

「ねえ、あたしのどこが好きなの?」
「んー、全部。」
彼はいつもそんな事を言う
だから私はいつも彼を見張り続けなければならなかった
疲れてもやりきれなくても、ジッと見張り続けなければならない
あの時、そう心に誓った。

12月から冬が始まる
けれど11月から街はすでにクリスマスの準備にとりかかる
ウキウキしている人もいるけど寂しそうな人もいる
彼と一緒に街を歩く時、彼は落ち着かなさそうにキョロキョロしている
私は彼に話しかけた
「みんな、何を勘違いしているのかしら?」
「勘違いって?」
彼はすぐさま聞き返す
私は彼の疑問に答えるというよりは私の家の間取りを説明するように私の話をする
「だって、サンタクロースはみんなのものじゃないのよ。私のサンタクロースなの。」
「そうなの?じゃぁ僕の夢も希望もサンタさんも全部君の物?」
「でも、それも終わり。クリスマスは今年で最後よ。」
「なにか、あった?」
「何も。何も無いわよ。なんにも、無いの。」
「…そっか。」
彼はそれっきり黙ってしまった。
多分彼は何もわかってない、いや、わかるどころか本当は話を聞く気も無いんだって私にはわかってる。
でもいいの。彼、とっても背が高いから。私と並んで歩けば凄く絵になるから──

私はサンタクロースに思いを馳せる
小さかった頃の、私だけのサンタクロースに。

私が小さかった頃
私はよくいじめられていた。
クラスメートの黒岩さんが事あるごとに私に絡んできたのを思い出す

ある日近所のスーパーに買い物に出かけようと
坂道を下っていたら下から偶然黒岩さんが歩いてきた
彼女は会うなり私にコーラを頭から浴びせてきて
満足そうに嫌味っぽく笑った
私はびっくりするとともに
一体私の何がいけなかったのだろう、と反省した
私が上から歩いてきて彼女が下からだったから
見下されていると感じたのだろうか
あるいは私の髪の毛がいつも黒かったから
茶髪の彼女は私の髪を茶髪にするためにコーラをかけたのだろうか
なにがなんだかわからないけれど
きっと私が悪いのだろう
私の髪から流れ落ち、排水溝に流れていったコーラを見て
なんだか私は自分はゴミなんだと言われてるような気がした

誰かに助けて欲しかった
だけど誰も私の話なんか聞いてはくれない
私はいつだって私しか話し相手がいないのだから。

それでも私はやっぱり誰かに私の話を聞いて欲しかった
だから私は国語の授業で作文が課題に出た時
密かにいじめ問題を題材にしたのだった
国語の吉川先生はその作文をとてもとても褒めてくれたけど
その後で困った事が起きた
こっそり先生に提出するだけではなく
作文コンクールに出せと言うのだ

そんな事をしたら黒岩さんにバレてしまう
そもそもあの作文の内容がいじめられっこの立場で書いてある事
吉川先生なら解っていると思ったのに
この先生は一体あの作文から何を読み取ったのだろう
私はただ、大人にがっかりしただけだった
大人は生徒の気持ちなんかわかってくれない
大人はたぶんきっと、大人の世界で大人の事情で大人のために
私をおだてているだけなんだ
だから私の価値なんて排水溝に流れていくコーラのように低く汚く
そして私の心はいつまでもドロドロと醜いままなんだ

だけど私は吉川先生の申し出を断れなかった
「お前がこの作文をみんなの前で読む事で新しい道が開けるんだ」
なんだかよくわからないけど必死な剣幕で
私には断るなんて選択肢は無かったし
そんな権利も余裕も自由も何もかも
私には一切何も与えられてはいなかった

作文コンクールの日が来た
壇上に向かう私の足取りは重く、
身体はブルブルと震えていた
駄目だ、とても勇気が足りない
私には荷が重すぎる
こんなこと絶対できっこない
私は回れ右をして保健室へ行こうとした
振り返ったすぐ側に、吉川先生が居た
私が驚いて立ちつくしていると
先生は私の頭をそっと撫でて
「大丈夫だ、俺が守ってやる」
と小さく耳元で言った
その言葉がなんだかとてもこそばゆくて
私はポワーっとしたまま、壇上へ上がってしまい
夢遊病のようにフラフラしながら
何も考えず無我夢中で棒読みし続けた

その日の帰り、黒岩さんに見つからないように
私はそっと非常口から帰ろうとした
非常口の戸を開けたらそこに誰かの足が見えた
私は瞬間的に(逃げなくちゃ!)と思ったけど
その人影は立ち止まったままで
よく通る低いしっかりした声で
「今日はよく頑張ったな、家まで送っていくよ」
と静かに告げたのだった

顔を上げれば吉川先生がこっちを見つめていた

吉川先生の車に乗り
とりあえず今日だけは安心して家に帰れるんだと思っていたら
なんだか見慣れない繁華街に着いた

ネオンが眩しい繁華街だった
見た事も無い夢の国のようでもあり
思い出さなくちゃいけない誰かの名前のようでもあった

「ネバーランド」
と書かれた建物に二人で入った
ハート型の回転ベッドやテレビやシャワー室がある
小綺麗な、薄暗い部屋に入った
何の物音もしない代わりに、私と吉川先生の心臓の音だけが
大きく大きく鳴り響いている気がした
この広い世界には狭い狭い二人だけの秘密の場所があり
その場所を通して世界を見渡せば
私と吉川先生の心臓だけが世界の全てだった

長い熱いシャワーを浴びて
二人で抱き合ってベッドに寝た
先生は私に「羽音、俺を信じろ。俺だけを信じろ。今はそれだけでいい。」
とがっちりと固い声で言った
私は先生の目を見て
「ねぇ、サンタクロースって居るのかしら?」
と聞いた
その問いがあまりにも突拍子もなかったのか
先生は噴き出して
しばらく笑い続けた後、
「羽音、俺がサンタクロースだよ。」
と優しい目をして言った

私はなんだか熱い物が込み上げてきて
その想いに耐えきれず、
近くにあった電気スタンドを掴んで
目の前の男を何度も殴った

「返して!返して!私のサンタクロース!
返してぇぇぇええええええええええええええ!!」

ぐったりと動かなくなった男の財布を抜き取り
私は走って逃げた

ネバーランドから泣きながら走り続けたら
外は真っ白な世界だった
この白い世界で私の周りだけ、赤い点がポツポツと垂れていた
その赤い点を見ていたら
どうしようもなく自分が惨めに思えて
その場にへたりこんだ
そして赤い回転灯の車が来るのを待った

何時間待っても赤い回転灯の車は来なかった
私は世界の全てから置いてけぼりで
もうどうでもいいやと思いながら
遠い記憶の父の事を思い出していた
「パパー、パパはどうしていつもお家に居るの?」
「パパー、健太君ん家はお肉屋さんだけど、うちは何屋さんなの?」
「パパー、どうしてクリスマスの時だけおうちに居ないの?」
父はいつも優しげな目をしてにっこり笑っていた。
一度だけ、無口な父が私に何かを教えてくれた事があった
「羽音、この広い世界に伝わるとっておきの秘密を教えてあげよう。いいか羽音、
誰にも言ったら駄目だぞ。誰かに漏らせば消える世界があるんだ。だから羽音、約束だぞ。」
「うん、約束!羽音ぜったいぜぇーったい誰にも言わないよ。」

お願い、誰か私を犯して…

その声は降り積もる雪にかき消され、誰にも届かなかった。
何もない静寂の銀世界で雪だけが彼女を暖かく包み続けていた。


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冬虫夏草の花が咲く
荒れ果てた荒野に 曇り無き一点の 不思議さと共に

冬虫夏草の花が咲く
ピンクの花びらを青紫に縁取る
黄色いめしべは
光を帯びていない
光が芽吹いている

冬虫夏草の花が咲く
冷たい大地から
怒りの大地から
優しさの可能性を探して

冬虫夏草の花が咲くのを見た


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妄想の中にある認識が
ハッキリとした境界線を持って認識されるには
そこになにがしかの意志を込めて
曖昧に見える世界を自分のナイフで切り分けていく必要があるって事なんだろうか?

そもそも知覚される世界が
理解可能/理解不可能
という二つに切れない事はおろか
知ってる/知らない
の二つに切断する事さえも出来ないほど曖昧にもわもわしているのは
やはり大問題なのではないだろうか

僕という人は広い視界の中でも
見えるもの以外は見ていない
視線は眼球によって制御されるが
視点は拡大したり縮小したりする

背後にあるものを気配によって感じるのは
それ自体が思い込みなのか推論なのかそれとも実感なのか

幽霊を実感するという言葉はあるのだろうか?
書いてみても文章が矛盾するように感じない
あるということになるだろう

設問1
万有引力を記憶に頼ることなく説明しなさい。

僕は幼少の頃、おそらくは3歳くらいの頃に
家の階段を登ったり降りたりしていた
その時に世界は見えたり見えなかったり
また、自分は居たり居なかったりした
そして視界は開いたり閉じたりし
音も聞こえたり聞こえなかったりした
鉄階段に刻まれた手裏剣のような十文字の形は
印象によって縦になったり横になったり
その色さえも赤なのか緑なのかオレンジなのか判別がつかなかった
そういえば古い公園にある滑り台の階段にとてもよく似ていた

私が最初の私を手に入れたのはその時であり、
思えばある意味で私の知覚はその時完成していたとも言える
自覚チャンネルはその時開いた
何番目の感覚なのかはわからない

設問2
現実と妄想はどちらが先に知覚されるか区別しなさい。

これはじつに不思議な事なのだけど
私にとって最初の主体性は既に動的であり
静的ではなかった
すなわち生き物という言葉を知った時
世界の全ては生き物であり
世界こそが生き物であり
また、それによって私は私を生き物であると仮定した

生を死によって証明する形
死を生によって崇める形

形とは変容するものだろうか
また、意味が変容するのは
たった一人きりの孤独世界においても
常識の中に組み込まれるか否か
必要性のフレームワークを除外し形とは何であるかを問わずして
形が形として認識出来る事自体がすでにおかしいのではないか

死を体験していない人間が
どうやって死の概念を会得したのか
そこにどうしても繋がってしまう
肯定も否定もない
絶望でも希望でもなく、思考において
連絡はどうしても繋がる
粒子性のせいなのか、波動性のせいなのか
そんなことはまだわからない

設問3
自分を舐めた時の味を自分以外の人に説明しなさい。

味についての言葉は少なすぎる
毎日食事しているのにじつに少ない
まったくもってけしからんと思う
お米には神様がいる、と聞いた事がある
神様はいない
でも神様はある
不思議な話だ
無たりえぬものは有たりえない
無から有が発生し
有によって無を想起できる

自分があるかないかを問う前に
有があるかないか
無があるかないか
それすらも問わねばならない
まったくもって矛盾
けしからんとは思わない

多分矛盾を受け入れすぎている

そもそも僕は自分のこの文章を誰に向けて書いているのか
それすらもわからぬままに書いている
きっと千年後の自分
最後の自分に向けて書いている
最後に自分を自分と認識可能かどうかもわからないが
千年後に自分という概念が使われているとは到底思えない
自分という言葉が伝承されていくことにさえ
僕は祈らねばならない

言葉は悲しい

だから僕は言葉の情報を読まない
見えもしない背景の透明な部分を読む
勝手に感じる

主体そのものの透明性は
主体の亜空間移動を可能にする
自分はどこにも居ないからこそ
感情移入が可能で、より妄想的な宇由を感じる

私は宇宙
自分の中心はブラックホール
自信は無くてもいい
引力がある限りは。

設問4
設問の意味を答えなさい。

僕は自分の事をわからない三元論者だと思っているけど
三元論を体系的に説明するためには
四元的に考えないといけない事がある
物事を
知っている/知らない/矛盾/わからない
の四つにおおまかに区切る時
わからないのグループがじつにくせものである
ダークマターの引力によって
様々なものが吸い込まれてしまうため
わからないより先に思考が進む事自体に危険性があるからだ

だから二元的に言えばそこには
理解可能/理解不可能
と似たような壁が存在している
その壁についての話はまたいずれいつかそのうち

知っている事は
知っている事同士の結びつきにおいて
ある種の理解と同じ錯覚を引き起こします
知ったと解ったの違いは例えどこにも繋がっていなくても
知覚した時には「知った」と感じるし
どこかに繋がった時には「解った」と感じます
理解不能でどこにも繋がらない情報が
あまりにもたまりすぎると不快感を引き起こします
これも不思議

知らない事にぶつかった時
知らないと言えるのは矛盾です
「今知ったはずだ」と言う事が出来る
知らない事はまだこの世界にない事
自世界の境界の外側にある「まだ知らない事」
が知らない事なのだけど
知らないのに「外側」だと書いている事自体がおかしいです
一体どうやって自分に内側とか中とかの概念を感じているのか
そして考えているのか
そこも謎が多いです

矛盾は基本的には同軸上の二つ以上の概念を重ね合わせる事で
それを矛盾として包含する事ができます
白いカラスではなくて
真っ黒なホワイトでもなく
「黒い白」「赤い青」「正しい悪」「生まれたばかりの婆さん」
などが基本構成なのですが「ダサカッコイイ」という言葉もあったりたり。

集中力が切れてきたので今回はこのへんでー。
存在の原点が無いのに邪推だけで思考してんのって
すっげぇ不思議な話だよねー。
でゎ♪


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読者タン読者タン、やはやは!
元気してっかー?

はにゃですよー。

新年の挨拶を書こうか書くまいか書いたフリしようか
書かなかったフリしようか書きかけて挫折しようか
色々迷っていたけど
どうやら書く方向で落ち着きそうなんですよ。

というのもですね、
1月1日に書くといかにもって感じじゃん?
中には9月頃に年賀状出す奴も居るらしいから
俺もそういうのを目指してみようかと思って6.7秒でやめましたよ。

だいたいからして年賀状ってお年玉くじが無かったら
それだけでもう楽しさ半減ですよ。
官製ハガキに赤ペン先生が年賀って書いて
宛先に「うさこ引き出し型ボールペンプレゼント係」
なんて書いた日にゃぁ耳の長い一年を
万年筆で耳掻きしながら鬱々と過ごさにゃなりませんがなアイテテテこれは身体に悪そうだポイポイ。

まぁ僕は相変わらず妄想にふけって元旦から
お雑煮を思い浮かべながら普通にご飯と味噌汁食ってましたよ
7代遡ればレッキとした日本人ですよこれでも!
あ、ごはんですよおかわり。

まぁ要するにさ、
俺の言いたい事は貧乏暇無し起きて半畳寝て一畳わびさび地獄で今年もダラリズム
ってそういう事なんだけどさ、わかる?

わかれよ!
あ、俺はわからんけどね。
つまり振り返れば2004年はハイデルゲプリカーな妄想超特急が
どっぎゃらばかりーん!って言いながら
ハイスペックな刺激が人生トンネル脱線事故の暗闇ヤッホウ
っていうくらいにすんげぇ一年だったわけよ。(結構なんども死ぬかと思ったw)

2005年をこれよりデンジャラスティック右向け右にしようと思うと
やっぱりそこにはさらに立ちはだかる常識かべかべよじ登るよりも周り道妄想ドリルでぎゃりこぎゃりこ。

ってな事になるわけで。
あー疲れた。
今年も残すところサンビャクロクジュウニチダヨ
ふー、やれやれ。

せっかく駄文書いたんだから今年の抱負でも書こうかねぃ。
今年の目標は人間になること!
コレですよコレ。
やっぱね、このままユーレイごっこしてても駄目なんじゃねぇかなぁ
ってちょっとは自爆霊なりに思ったりするわけで。

そしたら足の無い幽霊は座禅組む事もできねーじゃん、ありゃ?
って悟っちまったのよ!(すごいでしょエヘヘ)

なんかはにゃっちセンス無くなったな文章がつまんねぇよと思ったアナタ、
とっても鋭い!
じつはあんまし元気無いのよ。空元気で書いてんのさ。

「元旦の癌は元気のゲン!元旦のタンは痰壺婆さんのタぁぁぁン(@_@!!」


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