嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

知りたくもない、自分と君とのやわらかさ。

2007年08月21日 00時43分55秒 | 駄文(詩とは呼べない)
知らないことなんか知りたくない

しってることを知りたい

知ってることだけを知りたい

知ってること、ただそれだけをしりたい。

そう思って

そう確信して

自分はそうしか思ってなくて

自分はもう、そんなことしか そんなことしかおもってなくて

もう、ほとんどなんにもおもってなくて

もうなんだか、なきそうです


知らない何かに憧れていた頃の自分を思い出して

その思い出が、あまりにも身近すぎて。

昨日の事のように、すっと思い出せて

何もかもがしっくりくるような世界

肌触りも、ぬくもりも、現実感も、透明感も、すべてが一つだった世界。

そのころの記憶が、鮮明だったとなりの記憶が、
僕の全てなのか


ぼくの、すべてなのか。



全ての感覚が重なっていた頃の感覚を
まだ僕の体は憶えていても、脳が憶えていても、
いくらでも思い出す事が出来ても

それでも。

それがもう、記憶でしか無いのなら

ぼくは。

ココにいる曖昧な僕は。

あいまいな僕は。

この僕は、もううさんくさいニセモノに変わる

記憶と今と、どっちが本物なのか、
誰がどうやって区別できるだろう


昨日あったことと、さっきあった事と、今やっていること
今あったこと、さっきがある事、昨日があるらしいこと

全てがニセモノに変わる。

真実がどっちにあるのかわからない。


誰かが見ている方を現実と呼ぶなら。

誰かが、今みている世界だけを、そのセカイだけを現実と呼ぶなら。

僕がみているそのセカイの方だけが、現実と呼ぶにふさわしくて

そしてまた、どちらものがニセモノであると確信できるほどにもろく眩み散る。


痛い方が現実なら、どちらもが痛い。

証明できる方が現実なら、どちらも幻想でしかない。

どこにも、僕の現実は無い。


ぼくの現実感は、とっくに失われた。


今、誰かが触れて。

僕の何かに触れて!

ぐっと覗き込んで、この界鳴を破壊してくれるなら。

現実は、そこにある、
けれど、

だけど、そのあるものは、
どうしようもないほど、僕の中にはなくて。

とっくに、どこかへ失われていて。

その失われたものも、幻想であるところの、記憶の中にしかないのなら。

三すくみの、三重「『【】』」の、苦矢印の、
ぐるぐるまわりつづける冥籠だけが。
それだけが、あやういバランスでそこに超然とある。

読者が確認する僕、
僕が確認する明日の記憶、
昨日の記憶が証明する読者、

その三つしかこの界鳴をぐるぐるならさないのなら。

我々という言葉は、いったいどこの超然にある?

いったいどこに、君はいるのか?

それとも、居ないのか?


いないのか?

…いない?


馬鹿げてる。

でも、全部に足がかりが無い。

全てに、根拠がない。


おかしいほど、どれもが点であって、
全てが面然と、鏡と平面でできてあって、
全ての鏡体が、しゃぼん玉でしかない場所にいるから、

僕の心は、どこにも開かない。

死んでいると、腐敗臭で説明するのが一番簡単だ。

鼻につく嫌な臭いで、その煙たい存在で、

「居たかもしれない」という漠然とした旧躰を語るほうが、
まだなんぼか、真実に近いだろ?


輪郭を辿ることは簡単だ。
存在の証明に似た輪郭を、実態と勘違いして自分を騙す事なら、簡単だ。
みんなみんな幽霊のように、そこで井戸端会議でもやってろ

やっていろ!


実体?
いや、まちがいなら、もちろんあるけど。
いっぱいあるけど。

でも、それで合ってるよ。


旧質化してる.

こわいよ。ここにいんのわ。

記憶、無くなりそうで。


いつも、ここでぎゅっと力入れて踏ん張ってないと、
記憶がぜんぶはじけて失くなりそうで、、…
怖いよ?

自分の重力がなくなったら、
たぶん、その心臓の引力すらも無くなったら、
世界の中心が脳だとか証明する奴も出てきそうで、こわぃよ?

うごかなくなることも、かんたんなんだけど。
まー、普通うごくよね?
生きてるって言われてるやつ。

奴じゃなくて、やつね。


つまり、あっちじゃなくてこっちね。

まぁ、いんだけど。
どうせ全部、剥離された領域点だから、
隔絶も薄絶も薄離も、限界や臨界に触れたり伸びたり縮んだりする限りに置いては、
それは場でしかないから。

けどさ、お前これ読んでないだろ?

オレは、読んでなぃよ?


【読めないからね。】

いやもちろん造語とかの事じゃなくて、
言葉の奥にある意味の方ね。


いいけど、べつに。

欺くから。

自分を。


けどまぁ、書いてるとき、だいたいわかる。
触れそうになるたび、残りの砂が少ないってね。

そりゃそうか。
砂って字、少ないって文字が中に書かれてるしな。

頭、おかしいんだろうな。

オレもお前も。

ここにいるひと、みんな。

ひとね。ひと。


いやもう拘らなくてもいいけどさ、どっちでも。
あれかこれか、って仮説、嘘だから。

けど、全部渾然一体となって不在だって言う仮説、
どうやって覆したらいい?

なんか知ってる?
なんかみつけた?
なんか考えた?

オレ、ずっと考えてるけど。
つまんねぇこと、ずっと考えてるけど。
やっぱわかんないよ。

どの糸も、端っこが切れて触れられない場所に続いてる。

暗い天井とか、
光る向こう側とか、
つかめないオレん中とか、
ぜんぶぜんぶ繋がってて、それぜんぶ、必死で孤独を叫んでるから。

まぁ、確固たる何かが一つも無いから、
今までみたことないし、当たった事が無いから。

存在に、一度もぶつかった事が無いから。

あるのは、疑惑への衝突だけだから。

まぁ、どうしようもないんだろうな。


そういえば、背理法の失敗に似てるな。

死人による死の証明の失敗による、生の確立。
いや、無理だけどね、二元論じゃない世界では。

ただ、漠然と、超漠と、超漠然としたこの影が君の側をかすめるだけなんだけどね。


苦しい。

いや、けっこう、くるしくなる。
そう、言いたいだけ。

いや、いいたいっていうか、苦しい。

出そうで、喉の奥に詰まったり、吐きそうになったりするからね、これ書いてる時。
真面目に。ってか くそマジメに。

誤字とか、新しい変な字とか、ぐでぐでの表現とか、
雑記に似た側を通る漢字とか、そういうの、かすめてるあいだは、まだいいんだけど。
失敗すると、吐きそうになるからね。

嘔吐物とか、吐瀉物とか、記憶とか。
嘔吐物は苦いんだけど、吐瀉物は汚いんだけど、記憶は痛いよ。
記憶が痛い人、どれくらいいんのかしらんんけど。
いやしらないんだけど。
イタイじゃない方だよ。痛覚の方。


書いてる時、なんにも信用できないな、って思う。
自分とか。もちろん【自分】とか。
【で書くときは ほぼ観念ね。抽象概念の時もある。
ね、にせもんイメージね。

区別なんかできてねーんだけどさ、要するに遠いの。二つの距離が。
ハードとソフトが遠いってかきゃぁわかりやすいって言う奴もいるだろうけどさ、、


そんな問題じゃねえええええええええええええええええぇっての!

とにかく信用できんのよ。自分の書いてる事、片っ端から嘘になってくから。
書いてる直後から、もう信用できんからね。
書いても書いても、すごい速さで連続して崩れていくからね。
なんか獣じみた存在に岩みたいにごついゴロゴロしたのに追われながら崩れてるような気分。

いや、今表現失敗したんだけどさ。
ごついってか堅いってか重いってかどれが近いかわからんかったんだけどさ。

まぁ要するに書いてある事、なんもあしがかりなくて、どこにも土台なくて、
どんな場所にも登れないの。
落ちることもできんの。

もうちょい言うと、いつでも上昇と下降が同時に起きてんの。

これ、小さい頃に発見したんだけど。

世界エレベーター体験みたいなの。

今、落ちてるって思うと落ちるの。

んですっごく高速に上昇してるって思うと、景色ごと上昇してんの。
思った瞬間に、ちょっと腰のあたりゾッとする感じっていうか、
地震ん時の飛び起きる感じのケツから背中にかけてのあの不安定感っていうか、
浮いてる感じの怖さあんの。存在が浮いてんのね。

僕を包んでる景色を含んだ宇宙を含んだ世界全部が、上がったり下がったりしてんのよ。
これ、地球の変化球みたいな、アンバランス駒落下みたいな、綱渡り公転みたいな、

そんな感じなんよ!!


結構クるよ。

んぁ、もちろんドラッグ疑惑の類じゃなくて。
なんだろうね、脳内麻薬とかナチュラルハイとかへんな分析する人もいるかもわからんけど。

そういうんじゃねーんだよ
世界がすっごくね、もろいの。
オレの思い込みだけでできてんの。

白いのジッと見てると、怖くなんの。
白を信じる事ができなくて、そのまま受け入れる事も受け止める事も認める事もできなくて
ただ、なんかこわくて。
じーーーーーーーーーーーーっと
                みつめるの。

そしたら、いろんな色に見えてくんの。
要素がね、拡大される感じ。
虫眼鏡っていうか顕微鏡っていうか、むしろズームだですね。
だですねってのは
「だ。」とか「ですね。」って言い切れなくて混ざったのね。

そんでね、CRTとか電子装置の類なら、そういうデバイスなら、
ややこしい説明とかで、三原色のドットがどうたらこうたら…ってまーぁそういうしちめんどぅくさい
どうでもいい話になるんだけど、
そうじゃなくて、紙でも起こるの。
雲はわりと起こらないんだけど、これは遠いからかもしれん。

んでね、話を戻すと…ってどこまで戻していいのかわからんくなってきたけど、
いやもちろん最初の記憶とかすでに霞がかってきてんだけどw

なんかこう、ずっと見ていたり、ずっと書いていたり、
何かに集中して、なにかを思い込んだりナニカを意識したりすると、
もうなんかそういうのに束縛と拘束と閉塞と甲殻と…
とにかく世界がカチカチに固まってくんだよ。

たぶんね、世界とは思い込みに過ぎないっていう、寂しいあれと似てると思う。
疑心暗鬼哲学のたぐいとか、
映画や占いやまやかしのたぐいとか、そんなんにきっと似てる。

けど、なんかこの、絶望的な障壁が、なかなかどうにもならんのよ。

たぶんそういうとき、きみのこと忘れてる。
どうでもいいやってくらいに、きみのことなんか。ことなんか、すっかり忘れてる。

キレイさっぱり、わすれてる!

けど、書いてるうちに、君が現れたり、消えたりするから、
なんか、こう、手を伸ばしたくなるんだ。

みえないんだけどね。

うかんでくるっていうか

念頭にあるっていうか、

なんて言うんだろ?


…もう何が言いたいのか、自分でもよくわからナいんだけど

たぶんね、不在の足がかりなんだと思う。
君がそこに居るかもしれないってのが、希望や救いのたぐいじゃなくて
そんなへんな光や存在に近いものじゃなくて、

君がもし、そこにいるのなら、僕はこっちには居ませんよ、っていう、
その事なんだと思う。


どうしたら、伝わるんだろう。

不在って、どうやったら伝わるんだろう。

死ってなにかわかる?

死んだ人、みたことある?

人が死ぬとこ、みたことある?

自分が死ぬところ、みたことある?

死んでいる自分の死体とか、鏡の向こう側にある死体を入れた人形の形の入れ物うつわ、
みたりみなかったりする?


ジッとみつめてると、不思議な気分にならない?
鏡に映った自分を見るのと、
自分が書いたテキストを書いてる瞬間に読むのと、
すごくその行為が、ひとりぼっちであり”続ける”ことが。

もしかすると、感じてることと、考えてる行為とが、一体化してるからなのかもしれないな。

いや、よーわからんのだけどさ。

集中力と証明って、結構にてるし。

誤解に達する事でしか、世界を証明できないんなら。

僕らの居るここも、どっちかっていう両方とか、
全部っていうひとつとか、そういうこともありうるわけだし、
形の定まらない永遠ってのが、あるのかもしれんし。

けどまぁ、確かな事は。

間違いは誰にでもあるっていう、その生命の本質的な失敗作に依拠したところかもしれないな。

今日はもうやめよう。

続きが、書けそうに無い気がしてしまうから。

気がしてしまうから。

少し疲れた。


なんだか今日は、書いてる事にも、この時間にも、すこしつかれた。

ごめんよ。

ながいながいエネルギーの糸は、ほどくことができない。それでも、辿る事はできるのか.

2007年08月19日 05時07分57秒 | 駄文(詩とは呼べない)
人と話していると、無意識のうちに相手に理解を求め、
そしてそのこと自身に僕が気付き、意識化されてしまう問題が
どうにも解せない領域で硬質化しつつある。

話していると、誰かわかってくれるんじゃないか?
このまま話し続ければ、なにか、ちょっとくらいは、
もしかしたら、この人なら、何か僕の事をわかってくれるんじゃないか?
そうした変な期待がだんだんと膨らんできて、
そして、思っている事の全部を、わかってくれる事を期待してしまう。
僕自身は、相手の事を、何もわかっていないのに。

理解され得ない会話を、
ひたすら不毛な会話を、
どこまでも続いて、終わりの無さそうな会話を、
続ける事を望みながら、断ち切れずに、それに傷つく。
その事自身に。
終わりのない、延々とした行為に、絶望して、
【途中で諦める。】

相手が思い込んでいる何かと、
自分が話そうとしている何かに、
違いを感じ取ったとき、どうしようもなく、
切実な苦しみが始まる。

それが元々は同じものだと思う事が出来たのなら、
もう少し、人と円滑なコミュニケーション、
あるいは表情の連鎖が、成り立つのだろうか。
喜怒哀楽の共有、その程度の事なら、僕にもできるのだろうか。

話を迂回する事なら簡単だ。
問題は、わかってもらえないと思いつつ、
それを真っ直ぐ繰り返していく行為なのだ。
僕が僕らしく真っ直ぐ直線的に思考を走らせる限り、
相手にとっては、それがゆがみにしか映らない。
それを、相手はどうやって直接的な何かだと、理解するのだろう。

机の上に物を置くとき、
何度か置き直してしまうことがある。
酷いときには、何度も何度も置き直してしまう。
それがどんな意味があるのか、僕自身にもわからない。
とにかく自分の中で、しっくりくる配置に
感覚的な、自然な位置はどこなのかを、探しながら再配置してしまう。

たぶん、記憶も同じように、
自分にとって矛盾のない位置に、
あるいは矛盾していても自然と思われる位置に、
【再配置されている。】

たぶん、このズレが「忘れる」と呼ばれる現象と、
記憶の捏造という行為に、なにかしら結びついているんだろう。

犯人と検察と裁判官が同一人物だったとき、
正しさは、果たしてそこにあるんだろうか。
自分を弁護する言い訳のほとんどが、どこかよそから借りてきたもので
ニセの功罪として自分を防護しているなら、
いつかその防火壁は燃えてなくなる。
今という感覚が、やがて燃え尽きる不思議のように。

人と話すたびに疲弊する。
話しても話しても、僕の中心にそれが触れられそうにない時、
ますますそれは絶望的な障壁として、
僕の迷路をつくり出す。

何度も僕の話をしようとした。
相手がじっと黙って聞いてくれる時もあった。
けれど途中で僕は相手の事に目を向けてしまい、
ことごとくそれは失敗した。

本当に自分の話をしようと思うなら、
それはやっぱりひとりでやるしかない。
それしか、今の僕らにはやりようがない。
それが、僕らの持つ孤独と、どれほど関係があるのだろうか。
人を信じられない猜疑心と、どれほど関わっているのだろうか。
相手の不在を疑う心と、どの程度ぼくの話そうとしてることは、
関係性があり、波動を産むのだろうか。
この伝わらない想いが、どれほどの波を持って、相手に遠ざける距離として
注がれているのだろうか。

宇宙の一番遠くにある星。
見えている何かでさえ、僕はまだ、達する事が出来ていないというのに。

今がどこにあるのか、変動する曖昧で相対な空間ではわからない。
僕は僕が死んだ位置にそれを固定する。
カメラをしっかりと、僕が死んだ場所に固定する。
強い強い引力で、僕らの間違いは絡み合う。
この糸は、まだ君に、届いてもいないのだろうか。
それとも、長すぎて、伝わる事にあまりにも永い時間と喪失がかかりすぎているだけなのだろうか。

僕はまだ、君に話したい事があるのに
僕の言葉は、もうこちらの端から燃え始めている。
燃え尽きる前に、君に伝わればいいのに。

痛がる今日と、醒めない夢で

2007年08月09日 00時41分52秒 | 駄文(詩とは呼べない)
閉じられた場所に、想いを募らせる
運命論の水槽の中で泳ぐ魚のように
自分の中に閉じ込められた殻核水がしたたる時の中で
誰にも覗かれる事の無い場所で
一滴ずつの殺意を溜める

あとほんのすこしの、
衝動的な干渉が起これば
たぶん、あちら側と、こちら側が繋がって
濁流のような痛みが流れ込んで
非日常で、僕の未来が満たされる

形のない世界
自分が消失した世界
我が我を殺した世界

無限の痛みと
際限のない眠りと
全く届かない隔絶

死の障壁と、生への憧れ

輪廻のない、嘆き。

死にすがりつく生者に似ている。
強さを認めない弱さに似ている。
存在を認められない妄者に似ている。

ほんの少しの痛みに気付けば
ほんの少しの感覚が生まれる

どんな他者の痛みも伝わらない世界なら
それはもう、死者の世界と同じ水準にある
同じように、自分の痛みも、誰にも伝わらないのだから。

隔離病棟 自分の世界
標準妄想 誰かの世界
同伝振搬 僕らの世界

からだを丸めて縮こまって眠る
触れられない想いだけを、抱えて眠る
未来と出会えない今日だけを、
大事に大事にだいじに抱えてねむる

ぼくだけを、みつめつづけるみらいがきっとありますように、と。

終了する瞳の瞬き。

2007年08月07日 23時13分30秒 | 駄文(詩とは呼べない)
終了する瞳の中で
僕は会話している
あれと、こちらのほうと、ゆらゆらと、
なんとなく会話している

話しているかどうか、本当は自信なんてない
話しかけているかどうかさえ、僕にはよくわからない。

君が僕を殺したら、そのときは、本当の事が、何かわかるだろうか
本当は、ここではないどこか
ここにはないなにか
そんなものとつながってるんじゃないかって妄想さえも
妄想と呼び捨てられるほどに、
現実の強烈な痛みを、君はくれるだろうか

ほんとうは、君と会話なんかしてないんじゃないか

本当は、君は僕と会話なんかしてないんじゃないか

ぶらぶらして ゆらゆらして
ただなんとなく、生きてるような気がしてて
それで、それがなんとなく繰り返されて
ただ、誤解ばっかりが
いつもいつも肥大化してないか?

君が僕を、いつか、確かめてくれるのか

僕が君を、いつか確かめられるのか

怖い訳じゃない
僕が思っているよりも、
よっぽどこのセカイは窮屈で弱くて
いつでも崩壊しかかってて

君が何かを話すたび
僕が何かを話すたび
ゆらゆらくたける
くたけてとけてる

目の前の事が
自分の事だって思えても
それが僕の事だって
思えないくらい

僕と自分が
乖離しちまってないか?

僕がどれだけ壊されても
痛い痛いって
誰にも届かないって知りながら
まっくしらやみに泣き叫んでないか

不安と安心を、ごっちゃにして喜んでないか?
耳をつんぼにして、聞いたフリしてないか?

さらさらっと表面だけを根こそぎ掬って
相手の存在を、消滅させてないか?

僕らは、ちゃんとここにいるか?

いつも、ここには何か、意味が宿っていますか?

最初の人が残したものを、最後の人が受け取るのなら、
最後の人が書いたモノは、意味が消滅してしまいませんか?

どんなバトンのような嘘の意味も、、
僕らという読者化された、意識の思い込みの嘘が、
意味をつくり出していませんか?

僕は来ない。
ここに来ない。
もう来れない。

僕は居ない。

それが、現実ではありませんか。?

めくばせ めをふせ きみにまばたき
それが、おわりはじめの合図

ぼくが君に送ったサインは
君を通り過ぎて壁に跳ね返る
存在壁を通り越すように二重に跳ね返って
一つは消えて、
二つは仮説になる。

相手がいるかもしれないということ。
そして、そこに僕がいるかもしれないということ。

相手がいなかったという落胆。
そして、僕は最初から亡かったという事実性。

死の硬度 ← +|+ → 生の軟度

2007年08月02日 01時31分01秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ただひたすらに、がむしゃらに、まっすぐである時代は終わるのか?
もしも世界が、そして数学の持つ正義が、
心が真っ直ぐで有る事を証明できるのなら、
その存在は100%の不気味な完全性を
1が1であることを、
0が0であることを、
確実に僕らの前に示すだろう。

世界はただ確実に存在し、その完璧性ゆえに、必ず終局へ向かうだろう。

けれど、僕らの持つ意思や、心や、複雑な精神活動と筋肉との繋がりが、
自分という曖昧なフレームが、死の硬度と、生の軟度の狭間で揺らいでいる
不安定な波であるのなら、
永遠は心の内にある刹那にも存在し、
全く手の届かない宇宙の果てにも存在する。

多くの柔らかい性の連鎖が、生命活動を、意志を肯定したとしても、
僕の持つ、死に神の透明性が、僕を殺すのならば。
同じように、君たちもまた、存在しないのではないか?
それとも、僕らと君らは、全く混ざり合う事のない、
二つの真理なのか?

読み方の異なる二つの手紙は、
時間を超えるけれど、
その時間の超越は、記号的な鏡の反射を鍛えるため、
清廉潔白な曲率の強度を示すものか?

あるいはまた、円周率の努力とも言える嘆きは、
有限性の丸い宇宙の中で、【果て】を僕らの現実に、
真理の壁として、ただ現実の前に、
確実な終わりをぐるぐるまわる針のような痛みを、
超越して、死を知覚させるか?

僕は、微分と積分を、対等に扱うその間違いが、
真理から不平等を奪い取り、吸い取り、僕らの前に、
神と人との隔たりを突きつけているような気がするよ。

ただ、それでも。
大きさの前に僕らが絶望する心の嘆きも、
小ささがあざ笑う僕らの切実さも、
やっぱりどっちも、自分とは遠い位置にあるような気がするよ。

僕はたぶん、大きさにも、小ささにも、勝つ事も、負ける事も、できない気がするんだ。
それがたぶん、僕の持つ死に神の硬度を支えていて、
君の持つ、読者の嘘を射抜くのだと思う。

複雑でバラバラな世界が持つ、ぎこちない肋のような痛みの奏でる音楽が、
生の欠落を潤すとしても、
今も尚、羊の作った牢屋の中で怯える僕は、
こっけいなほど、いびつな透明人間であると思う。

僕が僕に殺されるのなら、そのとき君の中に、
新しい意志が生まれる。

志を、削り続けて。

鏡の汚れに巣くう、ニセの僕たち。

2007年08月01日 00時38分01秒 | 駄文(詩とは呼べない)
一週間ほど
京都や四国に行ってました。
讃岐うどん食ったり、キャンプファイヤーをしたり、
テント張って山奥でじっと獣の気配と無言の闇と戦って自分一人で疲弊したり、
寝不足でふらふらになったり…
まぁいろいろしてました。

同じステージに立つ方法、残念ながら僕はまだ見つけていません。
というか、それに関しては不可能性をなかなかぬぐいきれません。
どうやったら、自意識と他意識を対等の立場に置く事ができるのか。
どうしたら、死人と生者を対等の位置に並べる事ができるのか。

僕の中で、答えはハッキリとは出ていません。

ただ、時間を逆に流したり、飛び越えたりする事はできると思います。
もちろん、机上の空論であり、妄想のレベルを全く脱していませんが。

基本的に、時間が正の方向に流れる変化って
ミクロからマクロへ向けての四次元ベクトルだと思うんですよ。
逆に、負の方向への変化というのが、
この場合の時間の逆再生にあたるんですが、
それはマクロからミクロへの完全干渉、封印、爆縮にあたります。

どういう事かっつーと
別にタイムマシンがどうとかアインシュタインがどうとか
そんな難しく考えなくとも、
自分を取り囲む外部球体への干渉、それ自体を全く望まない事です。
成長を一切しない事、自分自身の殻へ引きこもり、
決して他人を見ない事、流されない事、自閉症を目指す事、です。

一番簡単な方法は「思い出す事」です。
これ、妄想や空想といった類のイマジネーション現象をも含むんですが
基本的に、形質的現状からの連鎖イメージが
走馬燈のように「過去」と「未来」を生んでいますので
現実、他人、他者、社会の類から一切退いて、
過去だけに意識を徹底集中して思い出せば、
時間の逆再生は起こります。

時間は一定の正方向にしか流れないと思っている考え方が占めている
現状の社会情勢では難しいかもしれませんが、
世の中の常識はハッキリ言って僕の世界ではあまり役に立ちません。
同じように、あなたの世界にも、
単純な死生観、時の流れ、不可能論、絶望論、悲観論は、
ほとんどなんの効果も期待できないと思います。

あなたの進んでいる方向は、ハッキリ言って自分を欺き過ぎています。
みんなが口をそろえて何かを言うかは、
あなたの記憶が喪失している事とは、なんの関係もありません。
あなたが時の流れに身をゆだねてしまっていることが、
何よりもまず一番問われなければならない事だと思います。

要するに、どんな薄っぺらい可能性も、
それは等しくあなたの可能性であり、
世界の可能性であり、あなたのエゴに依存しています。
あなたが世界に対して無力である限り、
世界の意志はあなたを無視して時計の針を進め続けます。

あなたが僕と身体を重ねたいという話は、
一切合切全部拒否します。
僕が望んでいません。
お互いが望む物を互いに模索できない限り、
僕らの間にある架け橋に、未来は生まれません。
それは可能性とは呼ばれない方の、惰性に近い絶望です。

けどまぁ、あなたのそのもの在り方を、
今はあまり否定したいとは考えていません。
それは僕にとっても、切って捨てる事の難しい問題のような気がしてならないからです。

どれだけ他人に縋っても、
自分のエゴを手にする事はできない。
生そのものへの衝動は、もっと汚くて、醜い場所から生まれるものだと思うから。
残酷な場所で産声をあげる、かなしい人殺しの金切り声だと思うから。

そしてまた、どれだけ孤独を叫んでも、
一人の世界を埋める真理を発見する事など、できはしない。

それでもなお、世界そのものを呪い続けて、
嘆きの泉に沈んでいく姿や形は、
現代という空想の中で、一瞬輝く美しさを儚く持てるだろうと思う。

「君の話が聞きたい。」

僕と、何かについて語ろう。
もちろん君は拒否できる。
そしてまた、君は何も知らないままでいることができる。
何者をも、思い出さないままでいることができる。

不思議な泉の中で、顔をあげる妖怪のように、
僕は今日、醜い河童になろう。

皿の水が、砂と共に枯れるまでの間は。