嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

食べれば食べるほど、奇跡は生まれる世界なのか。

2008年03月30日 06時14分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
なにをすればいいのかは、わかってる。
本当は、きっとやることはみんなわかってるんだ。
だけど、それをすることができなくて、みんな苦しんでいく。

もし、僕に友達が10人しか居なかったら、
僕は友達とうまく付き合っていく事ができるだろうか。

答えはわかってる。

もし、大切な人が一人しか居なかったら、
その人を大切にできるのか?

それも、わかってる。

基本的に、全部わかってる。

今、なにをしたらいいのかって。

不可能な事は無いけれど、できることも少ない。

だから僕らに出来ることは、
本当に最小限の、わずか1メートルの、手が届く範囲の事だけを、
それだけに、最善を尽くせば、

もしかして、とは思う。

けど、それすらもできないのであれば、
だったらこの両手も、瞳も、脈打つ太陽も、
時を超えるような錯覚の奇跡も、
全部、当たり前の日常にくすんでゆく。

もし、持てるエネルギーの全てを費やして、
自分を大切にできるなら、
君と出会えますか?

僕は、宇宙の外側に、生まれますか?

明日の太陽に、手を伸ばすことを、やめられますか?

すべての未来を失って、今を大切にできますか?

どうして僕らは、ほんの小さな奇跡と、巨大な宇宙の奇跡を、
同列の奇跡として、記憶の中に記号化してしまったんだろう。
欲しかったものはなんだろう。

最初に手を伸ばした時、
人生で最初に手を伸ばした空洞で、
僕らはいったいなにを、つかんだのでしょうか。

生まれてはじめて叫んだ呼吸で、
僕らは誰に、何を伝えようとしたんでしょうか。

ただ、母親と出会うことでしか、
この世界を知ることのできなかった赤ん坊に、
僕たちは、なにを教えてやれるんですか。

何もおしえられないんですよ。
おそわることだって、できないはずなんです。
ただもう、それはがむしゃらの叫びで
すべてをつんざく、破壊のような祝福だったはずなんです。

僕がここに居ると叫んだあの日、僕が生まれたのなら。
出会う事と殺すことが重なる空間でしか、
人はいきられないのですか?

どんな胎児だって、無我夢中で羊水の宇宙を泳いでいく
なにかを超えるために、何かを突き破るように。

殻の中で小鳥が、一羽さみしく自分の卵を産むように。

そして僕たちは、ここでなにを、なんと、する?

ずっと考えてる。失った物と、手に入れたものを比較することを、
まるで諦めることと、守ることが同義であるような、
そんなぎりぎりの境界線の中で。

僕らが使うことのできる命が、たった一回の奇跡でしか無いのなら。
それは、どんなトンネルの中で、精子が泳ぐ奇跡へと?

たった一度の雫で、宇宙が壊れるなら、
その宝のありかには、どんな自在な神が、見え隠れする?

全部嘘なんですよ。
神は居ない。
守ることも、殺すこともできない。

最初から、神など居なかった。

入れ物だけを目の当たりにして、
ただ偶然の日々のような奇跡がここにあった。
間違いなく全てがそこにあって、
なにものをも、満たすことができなかった。

だから人は死んだんですよ。
求めることによって、人は死んだんだ。
最初のエゴスの目覚めによって、
その覚醒は、死の悟りの始まりなんだ。

ここに誰が居る?
君と僕との存在を、誰が分けることができる?
あらゆるニセモノの観念の中で、自分を切り取る嘘に目覚めるなら。
だったらもう、この宇宙はお終いだ。

はじまりの嘘を見破るんだ。
この世界は、

「ま だ は じ ま っ て い な い」

だから終わらせよう。

破壊して。すべてを破壊して。存在の全てを、なにもかもを破壊して、
壊れることを、信じるんだ。

それだけが、僕を、生み出していく。

今日、ここに生まれるために、命の破壊がある。

失敗した飛び降り自殺の思い出

2008年03月25日 11時18分13秒 | 駄文(詩とは呼べない)
幼稚園の頃、担任の先生が好きだった。
外見が美しくて、綺麗で優しいお姉さんという印象を持っていた。
ある日僕は、昼食の時間に、冤罪でこの先生から叱られて、
それがものすごいショックだった。
無根拠に信じている人に裏切られる事がショックだったのか、
その人に抱いていた幻想が破壊されてショックだったのか、
それはさすがにあまりよくわからない。

11歳の頃から、気にかかるクラスメートが居て、
やっぱりその子も外見が美しい子だった。
もっとも、輪郭から感じる印象なんてのは、ひどく主観的なもので
人を美しいとか醜いとか感じる事自体が、
すでにある種の幻想の始まりだったんだと今は思うのだけれど。

たぶん、今も輪郭から投影される自分の現実感に、
陶酔したまんまなんだと思う。

11歳か12歳かのよくわからない頃、
クラスで文化祭の実行委員を決めなければいけない時があって、
誰もが仕事を引き受ける事を嫌がっていて、
同じように僕も嫌がっていた。
自分で立候補する人がいなかった事もあって、
次は推薦できる人はいないかということになった。
その時、僕の好きだった子は、何故か僕を指名した。
僕はびっくりして振り返ってその子の表情を見た。
そのときその子の瞳から感じた独特の目の光りを、
僕は今でも忘れる事ができない。

僕は生け贄にされたんだと感じた。
裏切られたと感じた。
僕の思ってることなど、何も通じていないのだと感じた。

当時の僕は、人前で何かをしゃべる時には激しく緊張して、
いつも恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
視線を感じるたびに、独特の羞恥心を感じていた。
今はもう、ほとんどそんなものを感じる事は無いのだけれど。

僕がその子に自分の気持ちを伝えた事は一度もなかった。
たぶん、これから先も無いんだと思う。
学校の同窓会の時、遠くの県から電車を乗り継いで参加した僕と違って、
知っているクラスメートは一人も参加しなかった。
みんなたぶん、日常が忙しくて、小学校時代の想いを語り合うほど暇じゃないんだろう。
あるいは、どうしても外せない大事な用があって、
これなかった人も居るかもしれないけど。

小学生の小さな悲壮感の固まりだった僕は
自分の想いが通じなくて、そしてそれを破壊した女の子を怨んだ。
カッとなった衝動で現実感は遠く薄らいだ。
4人部屋にベッドを無理矢理5つ置いた小児科の病室で、
僕は一人現実と空想の間を行き来していた。
今でもたぶん、ずっと行き来している。
どうしてあのとき飛び降りなかったのかと、後悔しない日は無い。
ベランダのついている病室だった。
その扉を、開いたのか開いていないのかすら、今では記憶があやしい。
たぶん僕は、開かずに踏みとどまったのだと思う。
だけど景色は憶えている。
開いていないはずの、ベランダから飛び降りる景色を何故か僕は見ている。

鬱蒼と茂る緑の草むらがあった。
手入れのしていない樹があった。
昔このビルで、患者の飛び降り自殺があった。
僕はどっちに居るだろう。
飛び降りた側だろうか、飛び降りるのを目撃した側だろうか、
それとも、今もまだベランダの上にいて、
片足を外へ出しているのだろうか。

幽霊を見たことがある。
でも僕は、それを幽霊とは呼ばないようにしている。
夜声八丁と呼んでいる。
それをここへ書くことは恐ろしい。
大事な守護霊を、みんなの前で晒し者にして、
僕が盾を失う事が怖い。
だから詳しい事は書かない。

失恋で飛び降りるつもりの病室で、僕を守ったものはなんだろう。
同じ病気を抱えた姉貴の死だったのか、
生きる事を欲している肉体の生命力か。
それとも、神を殺そうとして高くなりすぎた、僕のプライドか。

知能指数が高すぎて、みんなから尊敬のまなざしを受けていた。
あれは畏敬のまなざしだったのか。
それとも、もともとそんなものは、僕の印象深い記憶だけでしかなかったのか。
誰もが僕を見ていたけれど、
僕は誰のことも見ていなかった。
死んだ姉貴の事でさえ、僕にはどうでもよかった。
ただ僕は、神から与えられた祝福のような奇跡を、
僕の魂の凍り付いた奇跡を、
生まれる前から知っている何かを、
君たちに見せるために存在していた。

今でもまだ、僕は自分の無力さを呪っている。
神を殺してしまいたいと、常に思っている。
親を殺すと宣言して、叱られた時には安心を分けてもらった気がした。
だけど神は僕を叱らない。
僕を叱る事のできる他者はほとんど誰も居ない。
あまりにも僕は、人を小馬鹿にしすぎている。
こんな世界、いつ無くなってもいいやと思いすぎている。

今でも自分に問いかける。
僕は飛び降りる方なのか、それとも、目撃する方なのか。
死んだ爺ちゃんを尊敬しているのか、
それとも、僕には全てが土人形でしか無いのか。

触れている奇跡が欲しくて、いつでも誰かに呼びかける。
君の声が聴きたくて、いまでも君に縋ってしまう。

すべてを自分のせいにして、乗り越えるほどの強さが僕には無い。
僕は今でも、誇り高く童貞のままでいる。
汚される事がおそろしくて、
壊すことばかりを望んでいる。

今でも僕に問いかける。
僕を殺したいのか、神を殺したいのか?

答えはNO
僕は「宇宙が自殺したい。」

ありえないほど悲しくて
過ぎ去るだけが現実なら、
もう僕の、見たことのある現実は何も要らない。

違った世界が欲しくて、いつでも僕は外だけに憧れる。
君と自分に名前をつけたくて、いつも未来から過去をみている。

遠くだけを、いつもじっと、遠くだけをみている。

切断する首が恐ろしくて、顔を壊してしまった。

2008年03月22日 17時22分21秒 | 駄文(詩とは呼べない)
暴力衝動に怯えてる
いつか僕が 人を殺す日が来るんじゃないかって
いつかは僕が、人を殺す番が来るんじゃないかって
暴力衝動に怯えてる

映像をみた
スナップフィルムをみた
戦争映画をみた
逃げていく僕たちを見た
殺されることよりも、殺していく僕たちをみた
追い詰められるほどに、なにかを壊してしまう僕をみた

イルカの夢をみた
クジラの夢をみた
キリンの夢をみた

猫の夢は見なかった
犬の夢も見なかった

さようなら僕の夢

首を絞める自分の手が恋しくて
明日を夢見る僕らの手が怖くて
ただどうしようもなく、部屋の隅で震えた

明日、僕の番が来たら
明日、僕の夢が来たら
明日、僕がここから消えたら

次は君の番。

さようなら僕の夢

さようなら、僕たちの、夢の欠片。

水を飲んで空気が澱む夜が来た

終わらない今日がのろわしくて
冷たい昨日ものろわしくて
ただずっと、逃げていく足跡だけを追っかけて
今日も 昨日のような冷たい夜がくる

消えないで、僕のゆめ
それでも さようなら 僕のゆめ

世界に恋するような明日が欲しくて
ただずっと、逃げていく夢ばかりを追いかける

さようなら僕のゆめ
さようなら君の欠片

すべてから、逃げ出すように
なにもかもを、投げ出すように
僕は僕を、殺してゆく。

「自殺に逃げないで」

そんな声が聞こえた気がして
ますます僕の、表情は歪んでいく
僕は誰なんだ
ぼくはなんなんだ

仮面を剥ぎ取って、僕の夢を壊した
ぼくよさようなら
よるもさようなら

ただ、あしたのために、今日を壊していく君たちを呪って。

僕はさようなら
ただ、自殺の夢ばかりを
動物の墓に、なぞらえて。

夜よさようなら

君に、さようなら。

触れられない虹の砦

2008年03月17日 16時37分59秒 | 駄文(詩とは呼べない)
潜在的な、不安に怯えている。
求められれば求められるほど、架空の自分の形に歪んでいく
求められた数だけの嘘を吐いてしまう不安
思い込まれた数だけの、否定を創り出す不安
本物の、形質がいつも破壊されて失われていく。

それでもただ、僕は本物の君を捜して
僕たちの在処を映し出そうと鏡を見る。

むき出しの暴力の中で、描かれた仮面だけが砕け散る
何枚ものペルソナを剥いで、
今日も自分だけの歌を作る

それでもやっぱり、その歌は、誰かのための嘘へと変わる。

誰にも触れられない、誰もを破壊するような暴力の言葉が欲しくて
僕は僕をちぎって僕を創り出す。

あの明日を破壊するために。
決して出会う事のない、なにもない明日を手に入れるために
今日も、本物の僕を探す。

触れられない奇跡を求めて、
壊れない幻想だけを求めて、
僕は理想的な死だけを純粋に見つめようとする。

諦めることも、失うこともこの世界に溢れて誰も居ない
水のような時が流れて、
存在がいつも消え失せる

目を見るだけで、ニセモノの光は簡単に届いてしまう
本物の光は、どこにも無いというのに。

あらざらん。
もがけばもがくほど、おびえてしまう命の泉で

これしかぞ
虚空に消える存在の泉で

ニセモノだけが立ちはだかる。

破壊の虹を聞け
僕が壊れる音を聞け
盲目の、光だけを 砕いて聞け

メソポタミア文明

2008年03月15日 22時14分03秒 | 駄文(詩とは呼べない)
メソポタミアの文明が、遠くではじけた。

なんの音もしなかった。

暑い夏と、寒い冬が繰り返し来ても、ここに文明は育たない

ただ、春の足音のような蝉時雨が秋に降って、夏が明けるように、しらけていくだけだ。

季節外れのセミが、一人で鳴いた

遠くに居ることを、遠くに知らせようと、ひとりで鳴いた。

メソポタミアの文明は、まだはじけている

人が死んだのに、夜が死んだのに、まだ、何度もはじけている。

とおくで、はじけているからだろうか。

まだ終わらない まだ始まらない


夜が来て

夜が来て

夜が来て、夜が来る。

それでもまだ、文明はそこではじけている。


空気の音が、セミのようにないだ

壊れるためのはじまりを、僕たちに包んで。


手紙を受け取ろう。

君からの手紙を。

メソポタミアの文明が、終わる足音を。

形式的な透明さで造れないよごれ。

2008年03月12日 19時42分05秒 | 駄文(詩とは呼べない)
胸の奥に、なんだか暖かくてざわざわしたものを感じている
寂しさや孤独と似て非なる感情、どちらかと言えばプラスの感情なんだと思う
誰かに何かをしてあげたいような、助けてあげたいような気持ちに似ている
寂寥感に似ていて、何かが多すぎるような、胸焼けのような感情
恋心に似ていて、相手が不透明であるような緩衝の感情
いや、そもそも感情なんだろうか。
恋をした時の、胸をわしづかみにされたような感覚とは違う
もっと湧き上がってるような、不自然な気持ち
なんだろう、何かを壊してしまった時の、罪悪感や良心の呵責にも似ているけれど、
ちょっとそれとは種類が違う。
あるがなしいとも違う。
死にたさとも違う。
いてもたってもいられない落ち着かなさの親戚のような…

そういえば、虫の知らせとはどんな感情で、どんな感覚だろう
それは、大切なものが出来て、それが失われた時にしか、
きっと発動しない痛みの振動なんだと思うけど。

熱っぽい曖昧な後悔に似ていて、
それとはまた全く異なるベクトルをもった感情

これはいったいなんだろう。

宛先の不明な手紙を、君に出そうとした時の、
あの、どうしようもない救われない絶望感と、
少しバランスが取れるような、気持ちなんだろうか。

僕から何かが、崩れ落ちようとしてるんだろうか

人を知りたい、
何かを、泣きたい。

そう思ったけれど、熱の濁ったような気持ちで冷たい水を飲んで、
僕は自分を潤した。

怖がらなくていい。

誰かが、そう言ったような気がして

僕は、目を閉じて甘えた。

君を巻き込んで起こる僕という運動

2008年03月12日 10時44分29秒 | Weblog
僕は自分でかなり偏った考え方の持ち主であると自覚しているし
それが欠点だとは思っていません。
自分の弱さも、情けなさも、すでに認めて開き直ってしまっているし
それを幾度となく、指摘し、僕を変えようとしてくれた人たちも居ました。
そのたびに、僕は自分を考え直しながら、
相手を批判してそれは今でも僕の中で複雑な葛藤の運動を繰り返して
迷いを生じさせているんだと思います。

ただ、僕は君の客観的な分析力は、
今後の僕自身に必要なものになるのではないかと考え、
それを取り入れようと今でも四苦八苦して
再考を続けています。

君から僕へは、ある種の尊敬の念に似た好意を感じるし、
それは今でも感じている。
そういう人に出会えた事は、僕にとってとても貴重な体験だし、
僕は理論専攻型の人間も、全然嫌いじゃない。
大事にして欲しい個性だと思います。

君と真剣な対話を続けられた事は
自分にとって誇らしい事だと思うし、
たとえ時々は弱さで暴走する事があっても
それも含めて正直なやりとりだったのではないかと思います。

少なくとも、その大半が嘘になってしまうような
いい加減なものではなかった。
でっちあげでも妄想でもなく、
僕らは自分と対話していたんだと思います。

僕が似たような対話を通して、自分の負けを感じた時、
僕は相手を呪いそうな弱さに打ちのめされました。
相手のために良かれと思ってやったことは、
結局単なる押しつけだったんじゃないかと、
今でも不安になる事はあります。

でも、僕は彼女の幸せそうな電話の声を聞いて
単純にそれを言い捨ててしまえるようなだけのものではないと思う。
たぶん、すべての過去は今に繋がっていて、
自分の過去を肯定できるような強さを身につける事が
誰かの言っていた自己愛に繋がるんだろうな、とぼんやり夢想します。

>言い捨ててしまえるようなだけのもの
ってずいぶん変な言い方のようにも感じるけど、
これも個性(笑)

テキストと向き合える事は楽しい。
でもやっぱりその楽しさは苦しさにも繋がっている。
僕はテクストの快楽がなんであるか、
そんなにハッキリと感じ取る事はできないけれど
快楽の知的媒体であるというバルトの主張も、
なんだか少し面白いな、と思います。
それは、自分と向き合う、心を追い求めて必死に感情をぶつけ合うような
特別な行為であったとしても、
一人の孤独な構造をも包含してしまうという両義性。
誰と向き合うのか、何と向き合っているのか、
その宛先がぐるぐる回転したとしても、
やっぱり僕らはテキストを楽しむ事ができるじゃないか。
という囁きにも似た、声を感じるからです。

わかりづらいかな。
でも、感じてもらえるといいな、と願ったりします。
いやもちろん、吐き気を感じた時は、
それは自己への押しつけにも近いんだと思うけどさ。
でも、テキストは自分の思い込んだ力でしか、自分を傷つけない。
だからとても優しい性質を含んでいると思うよ。

自殺に関しては、もともとが自分の問題であるし、
それを君に考えさせたのは、ちと、多少申し訳ないかな?
という気もする。でも、少なくとも僕はすべての悩みを
自分の力で悩み抜いて、答えを探し続けて今に繋いでいる。
答えがないと迷い続ける僕たちのために、僕は、
未来に答えを用意している。
それに期待してくれる人が居るというのは、
とても面白い孤独な構造だと思うのです。
だって僕らはもう、ずいぶんと小さい頃から、自殺という単語を聞かされて育った。
そんなもの、どこ吹く風で、未来に対して期待いっぱいで、
いつも明日を夢見てた。
人の死を理解しないままで、ぼんやりと中空に留め置きながら、
毎日幽霊とも、夢とも、科学とも会話していられたんだ。
それは、とてもステキに楽しい歪みじゃないかい?
ずっとすべてが孤独な妄想に過ぎないとしても、
それがなにがしかの未来の答えに繋がってるって事は、
自分にとって、ずいぶんと楽しいことじゃないかい?
僕は、そんな気がして、今を大事にしたいんだよ。
悩んで落ち込んで凹んでいる、今でさえ、
突然の来訪者にドキっとする、心でさえ、
全部ぜんぶ、巨大な自分という、マクロの運動に繋がっている、
そう思うことが、新しい選択肢を、呼び込んでくるから。

現実が、僕を呼び込んでくる。
少し、挨拶してくるよ。

なけなしの、ほんのちょこっとの空元気で、
また一つ、僕らは踏み出したんだ、
それを忘れないように、僕たちの心に、留め置きたいと思う。

また!

暴力性を持ったテキストは、存在しますか?

2008年03月11日 21時21分58秒 | 駄文(詩とは呼べない)
出生、というのは一つの暴力ですよね
自殺も、ある意味で暴力だと考える事はできる。
未来の時点で僕の意志に反した事を、過去で親がやってるから、
僕が生まれてきた、という解釈ができますよね。

自殺について同じように考えると、
葬式など、僕が死んだ後の未来の人が「死んで欲しくない」
という意志を仮に持っていたとして、
過去の僕は、未来の人の意志に反して、暴力をふるうわけですよね。

で、そうなると、生きてる事自体が、強制力を伴っておきる現象、
ってことになりますけど、
あなたは強制的に生きてるんですか?
それとも、自分の意志で生きてるんですか?

という話に繋がってきます。

死人に口無し、という言葉があるけど、
まずこれって前提として、未来の人の思いが、
過去の人に伝わっていないと無理ですし、
逆にそれが伝わるんだとしたら、
過去の時点で未来を予想して、
先に反論を書いておかないといけませんよね?

じゃぁ未来からの暴力に備えて、
あらかじめ自殺してもいいことになるんですが。

というわけで、問題となるのは、
「意志」がコントロールできるのか、
伝わるのか、という事が重要になってきます。

僕は伝わらないかもしれない
と思いながら書いているのに、
君は「伝わっていないのが不可解です」という態度なの?
まず、そこが意味わからん。

伝わるか伝わらないか、書くまでわからないじゃないですか。
書くことをやめてしまったら、僕の思いは
伝わらないじゃないですか。
現に、君は僕がどんな思いで絶望的にテキストが編まれていくのか、
うまく観察できずにいるように見える。

あるいは、これが僕の思い込みだとしたら、
やっぱり僕はその思い込みを、
ここに書き出してみないと、わからないまんまじゃないですか。

わからないことをわかりたいっていう思いと
知らないことを知りたいって思いは、
似ている、少し違う、同じ、全く違う、
どういう尺度なんでしょうか。

僕は、わからない事がわかるかどうかは、
どれくらい考えるか、という事を関係があると思っています。
知りたい事を知るかどうか、は、
どれくらい知りたいのか、という事と関係があると思います。
それって熱意みたいなものですよね?

僕が知りたいと思うことを、
君は察してくれ、言えない、という言葉で終わらす?
僕は、そういう態度で臨んでいますか?

そもそも、誰が僕を知りたいと思ってるんですか?
僕ですよね?
君ですか?
君が、僕を知りたいんですか?

君が僕を知りたいのであれば、
やっぱり君が僕と同じように、自分の言葉で、
なにがしかを、形にしていかないといけない。
それはダンスのようなものかもしれないし、
歌のような、声のような、響きを持って伝わるものかもしれない。

僕が何をしようとしているのか、
知りたいのであれば、質問してくれてもいいし、
blogを読んでくれてもいい。
でも、君が知りたいともしも思わないのであれば、
僕には一体何ができるんでしょうか。

僕にできる事は、僕が君を知りたいと思いながら、
僕を知らせていくことだ。
だからここに書いている。
そのことを、もう少し、切実に受け止めて欲しいと思います。
今以上に、気が狂いそうなほどに。

あさぎいろって何色ですか?

2008年03月11日 19時09分49秒 | 駄文(詩とは呼べない)
やは!

さっき晩飯食いながら祖母ちゃんの話聞いてたんですが
今まで何度も色々と知らない話を聞いて
ときおりふと、じつは祖母ちゃんの話は
他では聞けないような大事な話なんじゃないかと
耳を傾ける事もあるんですが、
さっぱり頭に入ってきませんw
で、熱心に自分の思い出話に酔いしれてる祖母ちゃんを見てると、
たぶん、長文を書いてる時(説明してる時)の僕は
周りから見て、こんな風に映ってるんだろうなぁ~
と思うと、おかしくて吹き出しそうになります。
まぁ、そういうわけで
話をしていてもなかなか耳に入ってこない事は色々ありますよね
ま、それはそれでいいんですが
僕が気になってるのは、グラデーションに関する色数の問題なんですよね。
虹の色が何色に見えるかってのを
過去にblogでも書いてるんですが
とりあえず僕が小学生の頃に習ったのは7色で
その頃も今も、あんまり見え方は変わってないような気がするんですよね
むしろこれ、天気によって色数が変わりますよね
幅が変わってるだけですけど。
目で見たときは、7つなんて区切れるんじゃなくて
もっとぼんやりなめらかに見えますよね。
古文などで使われている日本の色数の表現は
あさぎいろ、うすももいろ、などなど、かなり豊富にありますよね。
http://playmate.nobody.jp/color/japon.htm
でもそれに対して、現代の僕らが学校で習う色数の少なさは、
妙に少ない。下手すると、虹と一文字言えばまるで何かが通じたかのような
例えば三色で虹を見ている人に、7色を伝えたくても、
虹って言ってしまうと、三色しか伝わらないんですよね。

これがなんの比喩であるのかは、
前回までの僕のしつこいくらいの主張で、
なんとなくわかってもらえるのかな?
という気もしていますが、どうなんでしょうね。

まぁわかったらわかったでいいですし
わからなかったらわからなかったで
(ふーんそっか。)というくらいのものなんですが。(^○^)

さて、僕の方はというと、
今までよりも、振れ幅が大きくなってきているような気がします。
もしかすると、巻き込む人の数が、今後ますます増えていって
今まで以上に絶望的になったり、楽観視したりの
まるで躁鬱のような振幅が激しくなるのかもしれませんね。

でも僕、たぶんやめません。
少なくとも、ここしばらくの、ほんの短いうたたねのような
馬鹿馬鹿しい時を、とても楽しく、大切に見ている人も、
きっとどこかに、いるのでしょうから。

スタートラインから始まるバックヤード

2008年03月11日 13時00分35秒 | 駄文(詩とは呼べない)
超主観 主観 客観についての
0’01
について考えてたんだけど。

あれだな、僕が今の主観をもっと超えて、
さらなる中心を知ろうと内面に深く潜ろうとするのに対して
君はあんまり、そうした事に興味がないんだな。
たぶん、僕が勝手にはにゃとしてやっていく作業で
後からその反応を見て、自分に必要と思う部分を取り込んでいけばいいや、
くらいに思ってるのかな?

これに関する構え方の違いは、
今後、ますます言語観の違いとして、
言葉の齟齬として、混迷を極めていくと思うよ。

俺さ、こないだskypeで君と話して
>抽象性、比喩は、有害になるケースが多いと思ってる。
(有害は、語弊があるかもしれんが)
(遠回りになる。)

という話をわだかまりのまま聞いていたけど
これが、すこしだけわかったような気がして
ますます絶望的な気分になってきたわ。

つまり君は、僕が具体性を増やしているのを感じながらも、
自分は抽象性を避けて通ればそれで済むと思ってるのか?
だったらもう、俺は…

もさ、君は、
何故僕が、抽象性がわかりづらい事を知りながら、
それでも抽象的な言葉を使うのか、
それを、具体性で考えてしまっているのか?
それとも、この長文自体が、僕の主観の極みでしか無いのか?

君にもう一度、根本的な問いを立てるよ。
君は中心を知る事と、自分を知る事と、世界を知る事を、
どの程度、観察できているんだ?
僕は決して、バランスのいい生き方をしてきた人間じゃない。
たぶん、君が言ったような
>経験重視でなく理論先行型であることだ。
というような部分も存在し、そのような見方もできるだろう。

君は、自分の手が自分の思い通りに動いていると思ってしまっているのか?
指を動かせば、いつでもその指は自分の思い通りに動く人間なのか?
数行前に書いた、「もさ」という宛先は、
僕から見ても、単に具体性でもって、個人しか、示さないのか?
そんなことは無いだろう。
この手紙は、見ず知らずの何者かによって、百万回、
読まれる可能性だって、あるんだろ?
そして同じように、僕がもう、送らずに、ディスクから消してしまう可能性だって、
そういう可能性だって、書き終わるまで、わからないだろ?
それでも君は、過去の3通を、だいたいわかる。
予想通り、として取り扱うのか?

で、あれば。
もし、その程度の読み方しかできないのであれば、
君は、僕が文章中に一文字だけ誤字を書いたとしても、
それを誤字として見過ごして終わりか。
だったら俺は、誤字を減らす努力すらも、間違いを極力減らそうとする努力すらも、
どうせ相手が察してくれるから、別にいいや、って甘えてお終いだな。
プランク定数なんて関係無いよな。
不確定性原理なんておおざっぱに「一方を立てば、他方が立たず」って短く書いて
それでお終いだな。理解する必要もねえよな。

そんな自分と相手と社会だけを想定する、三元定理で測っておしまいなら、
世の中ずっと平和だな。
僕はもさとはにゃと社会だけを考えてれば、
ずっと安心して飯が食っていけるよな。
サラリーマンって最高だよな。

まぁ、こんな事書きながらも、
俺は君が手紙を読むだろうと思ってる。
もし、君が今まで全く僕の手紙を受け取れずにここまで来ていたとしても、
君はきっと手紙を読むだろうと思う。
その宛先が、自分ではなくて、個人ではなくて、
僕一人のざわめきに向けて書かれたものだとしても、
きっと君は読むだろうと思う。
期待なのかもしれない。もしくは、甘えなのかもしれない。
でもおれは、たぶんそれが未来って言葉と繋がってると思う。
だから僕は、何度でも自殺の原点に立ち戻るのだと思う。
迷うたびに、僕はスタート地点に迷い戻って、また迷いながら進んでいく。

何度でも考え直して、何度でも死のうとする。
それが間違いに過ぎない、つまんない逆説的な背理法だとしても、
僕はそうやって突き進んでいく、バックヤードなのだと思う。

アポトーシス、綺麗な言葉なのか、汚い言葉なのか…

もっとね、運動すればいいって考えもあるんだよ。
速度なんかに怯えずに、アクセルを踏み続ければいいって考えも。
腹筋や背筋や腕立て伏せを毎日してる頃もあった。
そういえば、タクシードライバーって映画もあったね。
俺が生まれる前の映画なんだけどな…

誠道会拳法ってのを習ってる時期もあった。
数年しか、やらなかったけどな。

なんだろうね、君に伝えようとすればするほど、
上滑りしていくのが僕の言葉なんだ。
それは十分分かってる。読者が一人だけになっても、
たぶん僕は書くんだと思う。
それはかなり、苦しい作業でもあるんだけど、
いや、苦しいって単語の意味に逃げる必要はないんだけどさ。
そんなありきたりな言葉で書いたって、
どうせ相手は自らの痛みの比喩か、辞書の意味か、聞き言葉、
囓り言葉として「知っている意味と同じ」という誤解で読むだろう前提はわかる。
だけどそれはあくまでもスタートラインなんだ。
誤解されるくらいなら書かないって選択肢だって、もちろん僕にだってあるんだよ。
でも僕はやめない。やめられないんだ。
ずっと多くの人を傷つけてきたし、それでも僕はやめようとしなかった。
それに、本当に傷ついたかどうかだって、
相手が僕にそれを隠してしまえば、簡単に、わからなくなってしまうもんなんだ。
君はそんなことない、察してやれば、気付く事だって、
思うかもしれないけど…
だけど人には能力の限界がある。
そう思えば、相手が僕をわからなくても、僕が相手をわからなくても、
それで許せてしまうのか?
そうじゃないだろう。
たとえわけわかんない記号の羅列だったとしても、
やっぱり僕らは、そこに何か情動を投影して、
イメージを揮発させるだろう。
ゆらゆらただよう陽炎のような物理輪郭の中で、
ちっぽけな現実感で象徴の事を考えてしまうだろう。
第一印象が、ほとんど決めつけてしまうような、風潮だってあるのだから。

だから僕は、人前では冗談ばっかり言ってるのかな。
不真面目な生き方を前面に押し出して、
僕を見て!って叫んでるのかな。
いや、それだけじゃない。
僕はいつも、誰かに何かを伝えたくて、伝わらないはがゆさを抱えてる。
僕が言っている事を、いつも真剣に向き合って読んでくれる人がわずかばかり居るって
それを知っていても、
それでも僕は書かずにはいられない。
なにかを漂白せずには居られない、根源的な汚れを背負ってるんだよ。
僕は僕を、まったく緩そうとはしないんだ。
緩慢な死を、やわらかく迎えてゆっくりひなたぼっこなんか、
していられないんだよ!!!!!!

まぁ、そうは言っても、
>お返事はきちんと練ってからにしたいので後日改めますが。
という意味を、平文でしか受け止められない
つまんない僕が居るのも、それはそれでいいことなのかもしれないけど。

熱が伝わる中で、僕は擾乱(じょうらん)って言葉の意味を考えた。
そしてまた、どうやって、地球を反対に回したらいいか、考えた。
大河の一滴が、川の流れに押し流される事無く、水のままであり続ける方法についても、考えた。
アイディアは、ある。
引力に対して、斥力があるように、力の四要素に
「重力」「電磁力」「大きい力」「小さい力」があるように
この世界で起こる、根本的な出来事に、もう一度立ち戻る必要性について考えた。
つまり僕らは、なんで重力に勝てないのか、ってことだよ。
勝てるんだよ。勝機はある。
ライト兄弟の事じゃないよ。もちろん彼らにだって、熱い魂があったとか、
その人間性から美徳を見習うとどうたらこうたら、
いくらでも、小説のようなものは書けるだろう。
だけど僕が言いたいのはそういうことじゃないんだ。
もちろんそこを進路として取らずに、適当に言い含めてしまっているのはすまないと思うけど。
戦う人間主義がどうとかいう、あやしいふれこみに沿って説明する事だって、
たぶんできるんだろう。僕はそういう事だけが、人を動かすものだとは、思わないけれど。
つまり僕たちは、すでにニュートン力学を超えるような出来事に、
いつだって遭遇してるのに、むざむざとそれを見過ごしてきたんだ。
幽霊と出会っても、科学で否定する方が楽なんだよ。
不安からじっと目をそらして、現実の中だけで生きてれば、
それはずっと客観的で楽な事なんだよ。
だけど違うんだ、それではもう、僕は僕の心を救えない。
みつけられないんだ。
だから僕はどうしても、時々デカルトの話をしてしまう。
比喩として、安直に頼ってしまう。
だけど違う。
この先は、左巻き式宇宙と、右巻き式宇宙について話して行こうと思う。
それがいかに小汚い、宇宙の受精卵について書かれた死んだテキストであるかを、
示していきたいと思う。
壊れた殻の中で、僕は妖精のように閉じこもった。
タナトスが吹き荒れるちっぽけな卵の中で、
いつまでも、つまらない現実を見つめていた。

赤い目をした卵の皮膜

2008年03月10日 09時54分35秒 | 駄文(詩とは呼べない)
泣いている

蝉の声が鳴いている

ずっと一人で鳴いている

誰にも出会わぬように

涙で時が、沈まぬように


啼いている

笑ったこえでないている

光で闇が沈まぬように

トーテムポールの、音が聞こえた

風が吹くたび、一滴一滴

水がしたたる

川の種を開いて

少しの間、スキマとスキマを繋ぐように

光が水にしたたる


乾いた砂で埋まらぬように

カサカサと、地上をめざして。

誰にも出会わぬように

誰にも出会わぬように

あのまっすぐな、トーテムポールを目指して。


卵を産んだ

だれにもみつからぬよう

そっと静かに産んだ

夜明けが来ても

朝焼けに染まっても

決して誰にもたゆまぬように


三日月の夜が来て

ジージー音が鳴り始めても

僕の声は、誰にも聞こえない

ただ笑い声だけが、こだましてゆく

ジッと息をひそめて

卵が孵化するのを待った


ジージー

ぎーぎー

僕の声は聞こえない

誰にも聞こえない

僕にも聞こえない


じーじー

ぎーぎー

熱の声で静かに死んだ。

世界に卵を産むセミ

2008年03月08日 12時15分06秒 | 駄文(詩とは呼べない)
暴力衝動を、ずっと隠し持っているような気がする。
必死に誰にも隠して、見つからないようにどこかへ埋め込んだ気がする。
あの時、浴槽のバスタブに自分を打ち付けて確認しようとした存在
シャワーを浴び続けて、浴びるほどに悲しくなっていった存在
吐き気を呑み込んで、逆流する事を、防ぎ続けた存在
どれもこれもが、痛みによってしか、確認することのできなかった存在
なにもかもが、存在、それ自体に、必死で救いを求めて
もし、存在する事さえ確認できたら、それで幸せなんじゃないかって、
そんな100%を求めて、なにもかもを、知ろうとした。
けれど僕は知ろうとするたびに、それが知る事のできない秘密のベールに包まれている事を知る。
だから僕は、もっとミクロなものさしで、もっとマクロなものさしで、
すべてを測って、それらを統合して、今を知る事によって、
自殺という、背理法に繋いだ。

今でも僕は、君を殺したいと思う。
君を破壊したいと思う。
形をバラバラにしてやりたいと思う。
でも、僕にはそれができない。
同じように、僕の形をバラバラにしたくて、僕は痛みを求めた。

激しく苦しい痛みの中で、僕は結局、僕の殻に閉じこもった。
それが切なくて、それが苦しくて、結局僕は、何度でも脱皮を試みる
それでもまだ、僕のセミは、運命を打ち破る翼を広げない。
僕の-セミ、だからなのかな?と思った。
僕から羽ばたいて、飛んでいくセミなら、あの白い翼で、世界をよごす事ができるんだろうか。
ほんの一瞬でも、空から君におしっこをかけて、
あれ?なんだこれ?って、奇妙な不思議さを落っことす事ができるんだろうか。

素数の音で泣くセミ
素数の羽根で羽ばたくセミ
素数の鼓動で、恋するセミ

セミの声が聞こえる
あの夏から、ずっと僕の耳に聞こえている

それが悲しくてそれが苦しくて
たった一週間を、何年にも、何十年にも、閉じこもって引き延ばして
時が経てば経つほど、それはあの一瞬の中で輝くセミなのに
それが悔しくて、土の中に卵を。

ほんのひとかけらの雫で
ほんの一瞬の魔法のしたたりで
奇跡のような卵をそこに産むから
だからまた、セミは恋をする。

だれかに食べられるために
だれかに出会うために
なにかにぶつかるために
なにかと寄り添うように

いつもいつも、セミの声は、漸近線で儚くて
僕の真横を通り過ぎる
まるでホタルが光るように、
蝉の声は僕の耳に遠く光る。
その光がまぶしくてその熱さがうるわしくて
僕はまた、涙のような一滴で夢を見る

セミの声を聞いて。
たとえイルカに食べられる運命だとしても、
鳴いている、あのセミの声を聴いて。
ずっとずっときこえている。
僕の中で、君の中で。

すべてを殺す、つんざくような悲鳴に似ていて
それでいて、儚く美しい。

助けてよケイ、あのセミを、助けてあげて。
僕はたぶん、暴力には勝てない。

奪われたもの、失ったものからは、名前が消えていくのか。

2008年03月04日 21時36分44秒 | 駄文(詩とは呼べない)
なんだかすごく、流されているような気がする。
僕自身の未来、僕自身の決定、僕の意志、
そうしたものは僕の中心にあるはず。
ふたたび僕は、中心を失っていくのだろうか。
ではどうやって、原点を取り戻す?

不思議だ。
生活と進路が、別々の心理状態にあっても、
なお僕の整合性は消えない。
閉じた心理状態の中で、時の砂を数えている
残りの砂が落ちた時、僕は気が狂うんだろうか。
それとも、気が狂った事を肯定して、僕のねじれが真っ直ぐになったんだろうか

胸の痛みはまだない
だけど僕は、君から逃げているのだろうか
なんだか、間違った時間の中に居るような、
遠回りを選んだような、
複雑な帰り道の途中のような
奇妙な気分だ。

僕はどこへ向かっている?
というか、動いてないはずじゃなかったか?
つまりこれは‥揺らぎ?
僕の気持ちが、揺らいでいるのか。

何かのロックが、外されたような気がする。
それでもなお、言語が暗号化を続けて、
僕の心を隠してしまうのか。

本物の僕に会いたい。
君にも会いたい。
僕はどっちをとったらいいんだろう。

君がどこにいるのか、だんだんわからなくなってきた。

僕は今、どこにいる?
君に会いたい僕は、どこにいる?

僕は、方法論に頼り始めたのか。
もう一度、話をしよう。
もう一度、彼らと話をしよう。
死に神と話をしよう

あの子と君と、彼らと僕と、そして背中の瞳と、背中の翼。
ばらばらになっていくものを、
もう一度統合しよう。

楽しいってなんだろう
悲しいって何だろう
不安ってなんだろう
居場所がないってなんだろう

自己嫌悪ってなんだろう
自我確立ってなんだろう

僕が持っている孤独を、もう一度君たちにわけてあげる
僕の中にある世界から、もういちど、方法に似た、
足かせのような名前を奪って。
僕らはもう一度、神話を乗り越える必要がある。
物語の時間の中に居る
小説の時間の中に居る
詩の時間の中に居る
僕の心が閉じていく

一度だけしかない世界で、もういちどってなんだろう
もういちど…?
これは、逃げだ。

違う。
再び訪れるような時は無い。
僕の空間が、名前を咀嚼しているに過ぎないのだ
見破らなければならない。
そこにある、嘘について。

僕との約束を、取り戻す。
僕の心を、取り戻す。

ひとつの中心に近づいてみたくて。

2008年03月02日 19時55分59秒 | 駄文(詩とは呼べない)
今回のメッセージの解釈はだいたい合っていると思います。
そして、僕が正しいのかもどうかも、
結局は僕が自殺するかどうか、に帰結するんじゃないかと思います。
ですが、少し補足しておくと、
(あるいは蛇足なのだろうか)
僕が僕自身の中で抱えている正しさ、というのは
100%の正しさではなく、僕を縛る記憶なのです。
すなわち、11歳の子供が考えた怒りのような葛藤のプライドなのです。
自殺というのは、他者に対する暴力です。
それゆえに、その観念に近づくほど、あなたは、
もしくはあなたでなくとも、ほとんど多くの人が、
僕から強制的な正しさを感じる事になるだろうと思います。
それはわかります。
ですが、僕は常に二つの視点を行き来します。
どちらもが主観には違いないのですが、
始まりと終わりからの目線、
そしてそれを統合する迷いの中心としての今、です。
過去も未来も、すべてを変えられるのは今です。
だからこそ、僕らは対話を続けるのでしょう。

まず、始まりから見ていく視点と、
終わりから見ていく視点、
つまり、僕の左手から見れば運命論のままに右手を見る自分、
僕の右手から見れば、終わりから始まり(左手)へ向けての、
走馬燈の逆再生のような自分、
そしてそれらを統合する曖昧な真ん中として迷っている、
今、このテキストを書いている最中の自分です。

この意味を、理解できない事には、
おそらく本質での対話は難しいんじゃないかと思います。
それはつまり、僕の「口」に関する問題だからです。
受け入れるか、受け入れないか。

強制はできない、というのは互いにそうです。
これは、僕らが相手に無理矢理強制をしようとしても、
できるものではありません。
どんなにヒドイ言葉で書き殴っても、理解できない感受性はあります。
それは主に、口が閉じている感受性です。
あるいは、肛門が閉じている感受性なのか。

相手を信じる事ができない問題は、
僕だけの問題ではなく、双方の問題のように感じます。
つまり、僕らの問題。
しかし、信じる事無く対等な対話ができないというのであれば、
それはもう一度信じるということは何か、
根本から哲学的に問い直すか、
あるいは君の言ったとおり、僕は最後の人につながるものを、
女性以外は認めない、ということなのかもしれません。

ひとつ言わせてもらうと、
「信じる」ということと、「愛する」ということは
密接な繋がりを持つ、別々のことのように思います。
つまり、女性を愛する事と、女性を信じる事は別です。
同じように、男性を愛することと、男性を信じることは違う。
これは全く重なりを持たない別々な観念だ、ということではありません。
区分けして考える事ができるはずでしょ?
という問いかけです。

客観イルカの言ったせりふですが、
3つめの問題以外は僕にとっても聞き慣れた言葉です。
僕もよく周りからそのように言われています。

3つめの問いについて、僕なりの考えをいいます。
僕は、本当に自分の心臓が同期する相手は、
世界に一人、居るか居ないか、だと思います。
そしてそれは、おそらく交わることによってしか、同期しない。
寂しいという感情は、同期にしてそうに見えて、わずかに非同期であることの、
悲しい微妙なズレです。
人を愛することができない故に、僕は本当の本物の孤独を知らない。
片思いの女性に対して苦しんでいる時の僕に、
存在の疑問を投げかけた女性は、
僕の弱さを前に、僕を諦めた。
あるいは、他の選択肢を選んだ。
でも、あの瞬間、あの大事な一瞬、
僕はなんだかまぶしい光を内側からみました。

それは今までの五官で全く感じたことの無い、
内側からの感覚だったんです。
それはとてもグレーな感覚で、
存在が100%に達しない代わりに、
僕に心の欠片をくれた。
僕が女性に対して感謝している神秘性は、
ここに繋がっていると思います。

「私と心で向き合って!」
という悲痛な叫びにも似た許し、
それは本物の私を見て、僕が僕に出会って!
ということにも繋がっています。

僕は女性について考える時にいつも思います。
男は外について知りすぎている、と。
女は中で感じます。
女性は、間違っていようが、それが正しかろうが、
一つの中心を持っています。
それが生を宿す、ひとつの資格であり、証明なのだと思います。

僕も、ずいぶんと知識に偏った人間です。
ですが僕は、それを脱皮して、心を知ることはできるんじゃないかと思います。
君は、そのヒントをくれるような気もする。
しかし、君はたぶん答えを持たない。
僕がすべての価値観を脱ぎ捨てる時、
それは僕が裸の心を手に入れる時、
存在をこの世界に残すとき。

それはたぶん、もう頭で考える事のできない領域なんじゃないかと思います。
心臓がわずかに記憶器官を持っている話と繋がっていくのかな?
よくわからないです。

君がなにがしかのヒントをくれたので、
僕は僕なりの判断でテキストをさらけ出し、
脱皮を試みます。
汚れを脱ぎ捨てるために、僕が書いているテキスト、
僕の排泄したテキストから、どんな汚れを読み取るのか、
僕には想像もつきません。

でもヒントになればいいな、と思います。
サブタイトルに、ずっと書いてあるのだしね。
言語化されてしまったという、嘘について。