嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

サリンジャー生きてたんだな。

2009年06月02日 20時55分28秒 | 読書
一滴の雫が、ときに世界を滅ぼす事もある。
聖者の涙。悪魔の汗。遠い国からやってくる、絶望の雨。

僕はそういう生き物を知っているし、僕自身、そういう生き物かもしれないと思うことはある
子供たちを滅ぼしてしまいたいほど、絶望にうちひしがれることもあるし、
大人たちを皆殺しにしたいと思うこともある。 僕自身の汚さの内に込めて。

景色に映り込まない遠さに憧れるのは、
太陽の光とともにある、まぶしさに美しさを感じるのと似ている。
誰も届かない、何者も汚すことのできない、圧倒的な敗北の光.
たとえグレーなのか白なのか判別できなくとも、
そこから色を読み取ることができなくとも、真っ直ぐに目を開けて立ち止まっていたいと願う恐怖。
存在の喜びが、痛みに変わる感覚。

JDサリンジャーは、そういう曖昧な何かを、アメリカの文化を土壌にしながら、
まるで日本的な美学を知って生まれた作家のように、
自身の呪いをテキストに埋め込み、敗者への手紙とすることのできる
貴重な作家であったと思う。
それ故に、犯罪者から尊敬される作家でもあったと思う。

僕はサリンジャーの本を一冊読み終えるのさえ、四年もの歳月を要した。
日々が忙しかったと言えばそれで終わるような話だが、
内容が濃すぎて倦怠感を覚える本だったからだ。
それ故に一日数ページしか読むことはできなかったし、
たくさん読めば、しばらくの間陰鬱さが抜けきらない日々を送ることになる、
毒のある薬であった。
だが、決して読むのをもうやめようなどとは、全く思わなかった。

僕はライ麦を読んでも泣かなかった。
胸を掻き毟られるような気持ちにもならなかったし、
感動が喜びの色に染まることもなかった。
ただ間違いなく、これはヒット作であるだろうとは思った。
読者の道を、少しだけずらしてしまうような力を持っていたとしても。


作者については、なんとなく思いを馳せるだけで、
詳しく調べることはなかった。
せいぜい検索エンジンやWikipediaの情報を調べる程度に終始していた。

どこかでちらっと読んだテキストや、噂話のたぐいから、
彼はもうとっくに田舎の農場かどこかで死んだのだと思っていた。
もっとも、このニュースとて、彼が本物かどうかなんて、僕にはわからないのだが。

でもきっと、現実は冷たいから、淡々と事実を語る冷たい機械だから、
きっとこれは本物のニュースなんだろう。
そんな感じがした。

 「僕はニュースを閉じた。」