podiumは https://mandalamandala.hatenablog.com へ移転しました。
podium 編集者
podiumは https://mandalamandala.hatenablog.com へ移転しました。
podium 編集者
お知らせ
podiumは https://mandalamandala.hatenablog.com へ移転しました。
編集者
gooblog の閉鎖が近くなりました。
podiumは https://mandalamandala.hatenablog.com へ移転の準備中です。
2025年8月上旬には引っ越しを終えるつもりです。
podium 編集者
米中の首脳同士が関税の引き上げで突っ張り合った。ドナルド・トランプ78歳、習近平71歳。ともに杜甫のいう「人生七十古来稀」を過ぎている。カラ元気かもしれぬが、一見、元気だ。石破日本首相68歳、スターマー英首相62歳、マクロン仏大統領47歳。とんだとばっちりを受けて年甲斐もない奴だ、と嘆いているかもしれぬ。
国債の行方が不安になり、トランプは景気よくぶちあげた高関税を、対中国を除いて90日間の執行猶予にした。決める前によく考えよ、と若手は渋い顔だ。
日本はコメの値段が高止まり、食品も便乗と疑いたくなるほどの値上げだ。食いつめて栄養失調になる人が出るかもしれない。ガザの飢えを見つめ、ここは臥薪嘗胆でしのぶしかない。来年にはアメリカの中間選挙がある。運がよければ、しばらくの我慢だ。
(2025.4.13 花崎泰雄)
第1次世界大戦が終わりベルサイユ体制のもとで国際連盟がつくられた。ベルサイユ体制構築を主導した当時のウッドロー・ウィルソン米大統領は米国の連盟加盟を主張したがモンロー主義を信奉していた米議会が反対し。結局、米国は国際連盟に加入しなかった。
第2次世界大戦後、米国は発足した国際連合に加盟し、常任理事国となって世界を取り仕切った。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、湾岸戦争、イラク戦争を始めた。モンロー主義など忘れてしまったように見えた。共産主義やイスラムの教義の拡大に恐怖を感じたせいである。ベトナムか共産化すれば、勢いを得た共産主義勢力がタイを脅かし、マレーシアに侵入し、インドネシアが共産圏に入り、やがて共産主義がオーストラリアやニュージーランドに迫る。このアジア版ドミノ理論を米国は世界に向けて喧伝し続けた。振り返ってみれば、アジア版ドミノ理論はいま流行のトランプ言説と同じような根拠の乏しい主張だった。
2000年ほど前のパックス・ロマーナ、150年ほど前のパックス・ブリタニカと並ぶパックス・アメリカーナの時代を我々は見たのだが、世評ではアメリカの覇者としてのエネルギーは枯渇し始めているとされる。超大国はその力を世界に示し続けるために財力を必要とする。第2次世界大戦終結から80年、米国が息切れし始めたとしても不思議ではない。パックス・ロマ―ナは200年、パックス・ブリタニカは100年ほど続いただけである。「この世は舞台、人は役者」とシェークスピアは言った。「世は挙げて黄金を慕い 金銀財宝目もくらむばかり されど砂漠に降れる雪のごとく あえなくも溶けゆくを如何せん」とオマル・ハイヤームはつぶやいた(陳舜臣訳の『ルバイヤート』から)。今の世界にはこのような雰囲気が満ちている。
一方で、1970年代から1990年代にかけの世界には民主化を成し遂げる国が少なからずあった。1974年のポルトガルのカーネーション革命に始まるこの時代を、サミュエル・ハンティントンは「民主化の第三の波」とよんだ。東アジアではこの波にのって、フィリピン、韓国、台湾、インドネシアが強権的な政治体制から民主化の道を進み始めた。
もっとも、民主化は一方通行ではなく、国によっては達成した民主化が揺り戻しにあって権威主義的な政治へと後退する局面もあった。タイでは2014年に軍事クーデターがあった。フィリピンはドゥテルテ大統領の腕力政治ののち、現在はマルコス元大統領の息子が大統領に選ばれている。インドネシアのプラボウォ大統領はスハルト元大統領の娘と結婚していたことがあり、反スハルト運動の活動家らを迫害した疑いで、スハルト退陣後に軍籍をはく奪され、一時期レバノンに移住し事実上の亡命生活をしていた。韓国では最近、現職のユン・ソンニョル大統領が、野党の政治活動に対抗して、さしたる理由もなく戒厳令を出し、現在は当局によって逮捕・拘束されている。
もっとすさまじい例は米国民が選出したトランプ大統領である。①カナダを51番目の米州にしたい②グリーンランドを所有したい③メキシコ湾を「アメリカ湾」と呼べ――記事の中でメキシコ湾と表記したAP通信社は大統領執務室での取材を拒否された④関税を引き上げると近隣諸国を脅す⑤ガザの住民をどこかに移し、ガザを整地して国際的な観光地にするためにガザを所有したい⓺ウクライナとロシアの戦争を停止させるためロシアと交渉を始める、などなど。
民主化の第三の波時代、ロバート・ダール『ポリアーキー』やフアン・リンス『全体主義体制と権威主義体制』といった本が読まれた。民主化の道しるべをさがすためだった。時代が移って21世紀になってから、ヨーロッパの極右勢力の伸長や米国の第1次トランプ政権の登場があって、フアン・リンスが再び読まれるようになった。皮肉なことに読まれている彼の著書のタイトルは『民主主義体制の崩壊』。民主主義体制はいかにしてほころび、むしばまれ、権威主義体制にもどって行くのか。それがテーマである。時代の変化を感じざるをえない。
ハンティントンは著書『第三の波』で、民主化に関係があると思われる要素を挙げている。所得。所得の公平な分配、市場経済、社会の近代化、中間階級の存在、などがそうである。
アメリカ合衆国でドナルド・トランプ氏がなぜ2度も大統領に選出さえたのだろうか。H.D.ラスウェル『権力と人間』は「政治人」のイメージの一つに「政治人は他者から区別される我(エゴ)という意味での自己のためにのみ権力を追求する」を挙げている。そして政治人は「私的動機を公の目的に転位し公共の利益の名において合理化する」と解説する。トランプ氏のねらいはノーベル平和賞受賞の栄誉だと噂されているが、公の目標はウクライナに平和をもたらすためだ、という。だから手っ取り早く、ウクライナの頭越しに米露ボス交渉を呼びかけたのである。
トランプ氏の政治人としての強烈な磁力によって米国の有権者がめくらんだのか、それとも米国社会のタガが外れてそこからトランプ氏が生まれてきたのか。
トランプ氏の無呼吸筋肉政治活動がいつまで続くか不明で、それを見つめる世界の人びとの眼は不安に満ちている。「由良の門を渡る舟人かぢをたえ行へも知らぬ……」という気分なのだ。
(2025.2.20 花崎泰雄)
じゅげむじゅげむごこうのすりきれ……………そもそも桜を見る会は1952年に首相主催の行事として始まったまったもので、各界の功労者の慰労を目的として続いてきました。結果として、今では反社会的勢力の人、選挙カーのウグイス嬢、政治家後援会の皆さま方の参加が増え、選挙目当ての会になっているとのご批判をたまわっていますが、詳細は首相のセキュリティーや参加者の個人情報にかかわるので、詳しいことは控えさせていただきます。また、招待者リストはすでに適正に処分し、電子データも適正に消去し、その復元が可能かどうかについては聞き及んでいませんが、政府としては適正に処理したものと判断し、復元について検討する考えはございません。
かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつ…………それにしても、首相や内閣官房長官の盾になって、苦し気に中身のない答弁をお経のように繰り返している政府委員の高級官僚はかわいそうだ。野党委員に、あなたはいらない、私は総理に聞いているのだ、あなたはいらない、と代弁を制止される姿を国会中継で家族の方が見たらほんとうに暗い気持ちになるだろう。ああ、お、お父さんが……。
くうねるところにすむところやぶらこうじのぶらこうじ…………安倍首相の妻が桜を見る会の招待者について意見を言ったというご指摘もあるが、首相の妻の意見は首相を通じて首相の意向となり、首相の意向は招待する方々を最終的に決定する内閣府によって内閣府の判断となるのであって、首相とその妻による桜を見る会の私物化という言い方は適切でない。
ぱいぽぱいぽのぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけ…………ホテルで開いている安倍晋三後援会主催の桜を見る会前夜祭は、主催者は後援会であるが、会費は参加者がおのおの直接ホテルに支払っており、後援会は金の出入りに関与していない。明細書も領収書もない。安倍晋三首相は夫婦で会合に現れて挨拶し乾杯したが、会費は払っていない。安倍首相は事実上ホスト役をつとめたように見受けられるが、実は、安倍晋三後援会主催の桜を見る会懇親会にゲストとして参加したとみなされる。ロバート・ルイス・スティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』。あれですよ。
なーんだ、もう会期末かぁ。
(2019.11.27 花崎泰雄)
ヨーロッパ連合(EU)からの離脱をめぐって、この3年ほど政治的漂流を続けてきたイギリス議会下院がついに11月6日に解散した。12月12日投票の総選挙を目指す。ジョンソン政権はそれまで3回にわたって解散の動議を下院に提出したが、ことごとく否決されてきた。4度目の解散動議で、野党労働党が賛成に回ってついに解散が議決された。
イギリスでは、その昔、国王が議会解散権を握っていたが、その伝統が首相に引き継がれ、首相が与党に都合のいいように、恣意的に議会解散と総選挙をおこなってきた。
そういう慣行は時代錯誤だとの批判を受けて、イギリス議会下院は2011年に議会任期固定法を成立させた。この法律によって①内閣不信任決議の可決された場合②下院で3分の2以上の多数で解散を決議した場合を除き、議員の5年間の任期を固定した。
イギリスでは解散はもはや首相の専権事項ではなくなっていたのである。
自動車の道路左側通行と議院内閣制をイギリスにならって採用している日本だが、この時以来、日本国首相の専権事項とされる「解散権」に批判的な意見が目立つようになった。
日本の衆議院は戦後20回以上解散しているが、そのほとんどが「7条解散」である。憲法第7条には、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」とあり、その第3項で「衆議院を解散すること」としている。
これは、内閣が衆議院解散を決断してこれを天皇に告げ、国民の象徴である天皇が国民に告げる儀礼を定めたものである。また、憲法第7条は憲法改正を交付することを天皇の国事行為の一つとしているが、公布にあたっては内閣の助言と承認が必要であり、内閣が助言と承認を行うには、国会での発議と国民の承認が前提になっている(憲法第96条)。
同様の論理をたどれば、第7条にもとづいて衆議院を解散するには、その前提として、衆議院で内閣不信任が可決された場合は、10日以内の衆議院解散か、内閣総辞職をしなければならない、という第69条の条件を満たす必要がある。69条の定めによって内閣が衆議院解散を決意し、これを天皇に告げ、天皇が衆議院解散を発表する手順となる。
かつて、第7条による解散は政府の憲法違反行であると訴訟を起こした例があるが、最高裁判所は「統治行為」であるとして、判断を避けた。国会あるいは国民が判断すべきだという考え方である。だが、統治行為論という重い言葉にふさわしい7条解散はさほど多くなく、多くは首相と与党のご都合による解散だった。それを許したのは、解散は首相の専権事項と与党幹部が音頭を取り、解散権を行使する首相を、印籠を振りかざす誰かさんを見るような何の疑いも持たない、お祭り気分の有権者が多かったからだ。
日本国憲法で政府が衆議院を解散できる条件を定めた条文は69条しかない。論理的に欠陥があり、政治的には恣意的に利用される7条解散であっても、議員たちは議場で「バンザイ」を叫んできた。議席を失う議員たちの悲鳴であり、やけくその叫びだと解されてきたが、それにしても、なぜ、このような7条解散がまかり通っているかといるのだろうか。
大日本帝国憲法の第7条は「天皇ハ帝国議会ヲ招集シ其の7開会閉会及衆議院ノ解散ヲ命ズ」としていた。日本人の心証はここらあたりからまだふっ切れていないのであろう。
(2019.11.10 花崎泰雄)
5月下旬、トランプ米大統領が国賓として日本を訪問し、相撲を見たり、日本の天皇に会ったり、安部日本国首相とゴルフをしたり、暇をみて首脳会談をしたりした。
そのあと、6月に入って安倍首相が、おそらくトランプ大統領の意を受けて、イランを訪問して、ロウハニ大統領や最高指導者のハメネイ師とあった。かっこよく仲介の旅と銘打ったのだが。
そのさなかの6月13日、ホルムズ海峡付近で日本のタンカーが攻撃を受けた。襲撃の犯人は誰か。正確なことはまだわかっていない。安倍首相のイラン訪問の最中に日本のタンカーを攻撃して、そのことで得するのは誰か。それもまだわかっていない。
そのあと、トランプ米大統領がイラン攻撃を命じた。しかし、攻撃開始の10分前にトランプ大統領が攻撃を中止する命令を出した。イラン攻撃は本気だったのか演技なのか、それもまだわからない。
安倍首相がイランを訪問して2人のイラン指導者と面談して、どのような結果になったのか、詳しいことは明らかになっていない。安倍首相が2人のイラン指導者から感じた、対米交渉についてのニュアンスは、もちろん公に語られていない。
何かしら重要なヒントでも得ていれば、安倍首相は仲介者として米国に飛び、トランプ大統領に直接説明していただろう。それがなかったということは、アメリカ・イラン仲介の旅は空振りに終わった可能性が高い。
彼はイランへ何をしに行ったのだろうか? 例によって、外遊に決まっている。
(2019.6.23 花崎泰雄)
先ごろ秋田市で行われた「イージス・アショア」の住民説明会で、防衛省の職員が居眠りをしていたととがめられた。
東北防衛局長が謝罪し、防衛大臣が「不適切だった」ことを認め、内閣官房長官が「緊張感を持って」と叱咤した。防衛省は居眠りをした職員を口頭で注意した。
秋田県知事は新屋演習場を「適地」とした防衛省調査に誤りあったことで、「話は振り出しに戻った」と述べた。
過去の黒海の予算委員会審議国会中継で、野党議員の質問を子守唄にして、大臣席でウトウトしている姿が何度も写しだされている。
不適切だったと認めた人はいなかった。緊張感を持ってといった人もいなかった。厳重注意した人もいなかった。
(2019.6.10 花崎泰雄)
トランプ米大統領への饗応接待のドタバタ4日間で、「鹿鳴館外交」という明治のエピソードと、 “There is nothing to eat, but please eat the next room.” という笑い話を思い出した。何の脈絡もないのだが。
米大統領が日本を去った5月28日の朝日新聞朝刊4面に、面白くもばかばかしい囲み記事が載った。
「トランプ大統領は、ツイッターで日米貿易交渉について『多く(の成果)は7月の選挙後まで待つ』と投稿した際に、『選挙』を『elections』と複数形で表記した。これに対し、野党からは『衆参同日選を意味しているのか』との臆測が飛び出した」
永田町の面々は夏の衆参同日選挙があるのではないかとピリピリしている。緊張感がたかまり、ちょっとした物音で暴走が始まりそうな気配である。
朝日の記事によると、共産党の小池晃書記局長は、いつから解散が米大統領の専権事項になったのか、とこれまたツイートしたそうである。Elections なら衆参同日選挙ということになり、衆院が解散されていることになる。
立憲民主党の枝野幸男代表は、もし首相が、誰よりも先にアメリカの大統領に解散するかどうかを話していたとしたら、おかしな話だ、と指摘。
国民民主党の玉木雄一郎代表も、複数形になっているので参院に加えて衆院か、という話が出ている。7月と明確に言っているので、国会会期の延長はないのかな、と語った。
議員たちのドタバタを紹介したあと、朝日の囲み記事は最後に「英語の表現では、国の議会選挙は単数形のときも複数形のときもある」とタネを明した。
一犬虚を吠ゆれば万犬実に伝う。
ツイート政治は危ない、危ない。
(2019.5.28 花崎泰雄)
ドイツ、イタリア、日本で、ナチズム・ファシズム・軍国主義が政治権力を握った1930年代に、アメリカ合衆国の政治学者チャールズ・メリアムが『政治権力――その構造と技術』(邦訳は東京大学出版会)を書いた。
メリアムは同書の中で、権威主義的政治権力は2つの基盤に立っていると説明した。「ミランダ」と「クレデンダ」である。
ミランダは国家、国旗、巨大な記念碑・構造物、権力にまつわる神話や荘重な儀式、軍服のような画一的な制服といった、理性を超えた崇拝心をかき立てる装置の事である。ヒトラーが世界に冠たるドイツ民族とその頂点に立つヒトラー自身の優越性を誇示しようとした1936年のベルリン・オリンピック大会がミランダの好例である。
クレデンダは「イデオロギー」のような理論的な(合理的であるかどうかは別にして)装いをまとった信条をいう。軍国主義時代の日本の「八紘一宇」やナチスの「アーリア民族の優越性神話」などがこれにあたる。権威的政治権力はミランダとクレデンダを巧みに使って、国民の崇拝感情をあおり、権力維持に利用してきた。
1930年代には時代を反映した政治理論だったが、現在ではマイナーな理論になっている。というよりも、権力者が用いるシンボル操作のなかの初歩的な技術の1つになっている。
訪米した日本の安倍総理大臣がアメリカのトランプ大統領に、新しい天皇の即位はスーパーボウルの100倍以上の行事だと言ったそうだ。天皇交代、元号変更、トランプ大統領訪日という一連のイベントを日本の首相は「ミランダ」として利用する。
このようにミランダとクレデンダは、政治権力が自らの権力基盤の強化や永続を目的に利用するものであるというのが政治学の通念だが、これとは逆の理論もある。
クリフォード・ギアツというアメリカの文化人類学者が書いた『ヌガラ――19世紀バリの劇場国家』(邦訳、みすず書房)は米国で出版された1980年から日本語訳が出た1990年以降にかけて、大きな話題を呼んだ。この本の第1章に、当時あまりにも有名になった次の言葉がある。
「王と君主が興行主になり、(ヒンドゥーの)僧が監督を務め、農民が脇役・舞台装置係・観客になる劇場国家だった」。19世紀のバリでは島内が多くの小王国(ヌガラ)に分れていた。それぞれのヌガラで外国人の目に異様に映ったのは儀礼と祝祭の多さだった。大掛かりな君主たちの火葬の儀式、ヒンドゥー寺院への奉納などに多くの富が費やされた。しかし、それは政治的な目的のためにおこなわれた行事ではなかった。行事遂行自体が目的だった。そのために国家(ヌガラ)があった。社会的不平等・抑圧もあったが、不満は政治に向けられることはなく、壮麗な祝祭のなかで昇華され、浄化されるのがバリのヌガラ社会のありかただった。「華麗な行事のために権力があった。権力のために行事があったのではない」。ヌガラの仕組みをギアツはそう言い切った。
このような権力の地位にある者が壮麗な国家的儀礼をおこなうことで、結果として、支配者たることができるという仮説は、天皇が三種の神器を代々受け継ぎ、国家の祭礼を取り仕切ってきた日本の天皇制にも当てはまるところがある。
2019年4月から5月にかけての天皇の交代とそれに関連する元号の変更という行事は、権力によるミランダ操作なのだろうか。それとも、天皇が興行主、官僚が舞台装置係、マスメディアが囃子方、大衆が観客になる、現代版日本劇場国家のスペクタクルなのだろうか。
(2019.4.30 花崎泰雄)
クレプトクラシー(kleptocracy、泥棒政治)という言葉がある。泥棒政治家なら kleptocrat である。
ベルリンに本部がある国際NGO・トランスペアレンシー・インターナショナルによると、世界の泥棒政治家のワースト10は①インドネシア大統領だったスハルト②フィリピンの元大統領マルコス③ザイールの元大統領モブツ④元ナイジェリア国家元首アバチャ⑤元ユーゴスラビア大統領ミロセヴィッチ⑥元ハイチ大統領デュヴァリエ⑦元ペルー大統領フヒモリ⑧元ウクライナ首相ラザレンコ⑨元ニカラグア大統領アレマン⑩元フィリピン大統領エストラーダだそうだ。スハルトは何兆円もの金を国から掠め取り、エストラーダは80億円ほど盗んだと推定されている。その他のクレプトクラットが盗んだ金額はスハルトとエストラーダの中間。(詳しい資料は
https://www.transparency.org/whatwedo/publication/global_corruption_report_2004_political_corruption
でGlobal Corruption Report 2004 を開いて13ページに進むと読むことができる)
クレプトクラシーという用語はもっぱら20世紀になって使われ始めた。合法的支配という考え方が広く支持されるようになったせいである。旧体制のカリスマ的支配や伝統的支配が行き渡っていた時代には、国家の多くは家産制の形をとり、そもそもクレプトクラシーを問題にするような人はきわめて少なかった。
豊臣秀吉の醍醐の花見のような規模の催しは、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿造営に比べれば可愛らしい無駄遣いだが、今日の目で見ればクレプトクラシーの一種である。なにしろルイ14世は「朕は国家なり」とのたもうたとされているので、その当時のフランスでその支出の正当性を疑う人はすくなかったことだろう。
そのヴェルサイユ宮殿を借りて結婚披露宴を催し、賃借料をルノーに肩代わりさせた疑いでフランス司法当局の調べが進んでいるカルロス・ゴーン氏への容疑など、フランスが合法的支配を掲げる現代国家なったことの証だ。
さて日本では、ゴーン氏の弁護士が、ゴーン氏の独白録画を4月9日東京で記者たちに披露した。画面のゴーン氏は「私は無実」「日産の陰謀」を主張した。
ゴーン氏がCEOだった時代に日産やルノーから会社の金を私的な目的で流用したと疑われている事件の黒白は裁判を待たねばならない。
もしゴーン氏が「黒」の判定を受けることになれば、CEO の「E」は extortion のEということになる。ゴーン氏が「黒」ということになれば、長年にわたってたかり屋のCEOにしたい放題のことをさせてきた歴代の日産取締役の職務怠慢も厳しく責められることになる。同時に、世界的企業のCEOがたまたまたかり屋になったのか、たかり屋がたまたたま世界的企業のCEOになったのか、ノンフィクション『ゴーン一代記』の出版も待たれる。
(2019.4.9 花崎泰雄)