曽野綾子氏が2月11日付の産経新聞のコラムに書いた文章が、アパルトヘイトを許容するもだとして、駐日南アフリカ大使が産経新聞社に抗議した。いくつかの新聞で読んだ。
そこで、産経新聞が定期掲載している「曽野綾子の透明な歳月の光」というコラムの「『適度な距離』保ち受け入れを」という文章を読んでみた。
その文章の論理構成は以下のようになっている。
①他民族の心情や文化を理解するのは難しい。
②日本は労働移民を認めねばならない立場に追い込まれている。
③高齢者介護のための労働移民の条件から、資格だの語学力だのといったバリアを取り除かなければならない。
④高齢者の面倒を見るのに、日本語の能力や衛生上の知識は必要ない。
⑤しかし移民としての法的な身分が厳重に守られるような制度を作らねばならない。それは非人道的なことではない。
⑥外国人を理解するために、居住を共にすることは至難の業である。
⑦20~30年ほど前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、居住区だけは白人、アジア人、黒人というふうに分けて住むほうがいい、と思うようになった。
労働移民受け入れの条件を緩和して労働力を確保する一方で、労働移民の居住の自由には条件を付けよ、という提案である。
そのような方式で労働移民を受け入れている国は、確かにある。
かつて、シンガポールにある東南アジア研究所で短期訪問研究者として調べ物をしたことがある。研究室のコンピューターを、研究所のサイトが使えるようにセットしてくれたのはインド系の顔をしたコンピューター技師だった。
シンガポール生まれですか、と私が聞くと、ボンベイ(いまではムンバイに呼称が変更された)から働きに来たと返事があった。シンガポール人は中国系、マレー系、インド系の人々で構成されているが、街を歩いていると、道路の清掃や道路工事をしている人にはアラブ系の顔をした人が多かった。
コンピューター技師のインド人は高度熟練労働者・専門職としてシンガポールに入国している。道路掃除などに従事する外国人は非熟練労働者として働きに来ている。シンガポール人に代わって、当時日本でもいわれていた3K労働をになうため、非熟練労働者として「労働許可」の枠でシンガポールに来たのだ。彼らには家族を呼び寄せることも認められず、シンガポール内で住居を変える自由も認められていなかった。シンガポールに働きに来る家事労働移民や介護労働移民もこのカテゴリーに入る。女性の家事労働者・介護労働者は6か月ごとに妊娠検査を受けなければならない。妊娠とわかると帰国を求められる。シンガポールで家庭を持たせないようにするためである。
曽野氏はシンガポール方式の労働移民管理を提案しているのだが、彼女は小説家出身だけあって、その主張はフィクションとしての小説の登場人物の根拠のないセリフのレベルである。その主張は、日本という国では実現不可能なことである。
日本国憲法はその22条で「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と定めている。日本国籍を持たない人でも、日本国内に居る限り、日本国憲法のもとで、少なくとも「居住」の自由は認められる。最高裁の判例がある。
曽野綾子氏は憲法上不可能なことを制度としてやれと大手の新聞を使って勧めているわけだ。日本のジャーナリズムには、小説家に社会評論をやらせたり、数学者に社会・政治評論をやらせたりして読者のご機嫌を取り結ぶという悪癖がある。
万一、そうした論評が世間の批判の的になった場合は、今回の曽野綾子氏の場合のように「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」(小林毅産経新聞執行役員東京編集局長)と逃げをうつだけのことである。
(2015.2.17 花崎泰雄)