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news commentary

お笑い 東西憲法改正論議

2012-02-25 22:19:00 | Weblog

<ひが~し>
NHKニュースをNHKのサイトから以下に原文通り引用する。

東京都の石原知事は、(2012年2月)24日の会見で、憲法についての考え方と新党が結成された場合の姿勢について話し、「占領のために作られた憲法と称する法律体系を続けることは、歴史的にも例がなく正当性がない。時の政府が破棄して新しい憲法を即座に作ったらいい。改正なんて手間取る」と述べ、みずからが参加して保守勢力を結集した新党が結成された場合、憲法の破棄に取り組みたいという考えを示しました。

引用したこのニュースの笑点が、日本国憲法は「憲法と称する法律体系」にすぎないので、「時の政府が(現行憲法を)破棄して新しい憲法を即座につくったらいい」というくだりにあることは言わずもがなであろう。特別職地方公務員である石原の大いなるナンセンスである(憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)。日本国憲法の変更に関する手続きは憲法が定めている。議会の発議と国民投票である。憲法に定められた手続き以外の憲法変更の方法としては、クーデターが一つの方法だろう。

改正など手間取る、破棄だ、と叫んだ時、石原は我が身をゴルディアスの結び目を剣で断ち切ったアレクサンドロスと同一化させていたのだろうか。それとも、歳はとってもシンタローの○○破り、ということなのだろうか。石原が例のお得意芸・銭湯的「お笑い」を記者相手に演じただけと失笑してすませるには、ちょっと物騒すぎる話だ。

東京都知事には頭のゼンマイのまき直しを勧める。

 <に~し>
同じくNHKサイトのニュースから以下に原文を引用する。

大阪維新の会の代表を務める橋下市長は、(2012年2月)24日夜、記者団に対し、憲法9条について、「集団的自衛権をはじめとする、ありとあらゆる安全保障の考え方の根源は、憲法9条の価値観にあり、国民がどういう方向を取るのか確定しないと、安全保障の議論はできない」と、述べました。そのうえで、「憲法9条については、一定期間を区切って大議論し、国民投票で右か左か方向性を示すことを、日本人全体で決めなければならないときにきている」と述べ、今後の日本の安全保障政策を決めるためにも、憲法9条の改正の是非を問う国民投票を実施すべきだという考えを明らかにしました。

以上引用したNHKニュースの笑点は「憲法9条の改正の是非を問う国民投票」という橋下の表現法である。

橋下は憲法改正の発議を容易にするために、アメリカ合衆国型の発議の条件3分の2の賛成から、フランス型の2分の1の賛成にする憲法改正を唱えている。国会レベルでは2011年6月、与野党の有志議員が「憲法96条改正を目指す議員連盟」を立ち上げている。

したがって、状況から推察すれば、憲法9条や96条の変更の発議と国民投票の実施を、期間を定めて行おうというのが橋下提案であろうか?

ところで、橋下はツイッターが好きらしくいろいろ書き込んでいる。例えば、

「世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ『頑張ろう日本』「頑張ろう東北」『絆』と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」(注1)

「簡単に言えば、憲法9条は色々な政治公約の一つとして選挙で決めるのではなく、憲法9条だけを取り上げる国民投票で決めましょうということです。この問題はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う」

と、橋本がツイッターに書いているので、「憲法9条の改正の是非を問う国民投票」とは、「国会で発議された憲法9条の個別具体的な改正案についての国民投票ではなく、そもそも9条を変更すること自体について是非を問う」国民投票を提案しているようにも解釈できる。

現在の国民投票法は国会が発議した憲法改正案を承認するかどうかを国民に問うための法律である。発議をうけて国民投票がおこなわれる。

「憲法9条の個別具体的な改正案ではなく、そもそも9条を変更すること自体について是非を問う」国民投票の場合、新たな「国民投票法」を制定する必要がある。同時に、その国民投票の結果の法的拘束力についても定める必要が出てくる。

仮にこの国民投票で9条の変更を「非」とする結果が出た場合、「9条は変更できない」とする憲法改正案を発議、国民投票し、反対に「是」と出た場合、具体的な改正条文を発議し、国民投票に承認を求める、という手順になるのだろうか。

橋下のアイディアがきちんと整理されていないのは、ツイッターに思いつきを書きとばし、それをそのまま記者会見でべらべらしゃべっているからだ。ツイッターはものごとを筋道立てて考えるには適当なメディアとは言えない。あなた、携帯のメールでヴィトゲンシュタインを論じることができますか?

西の方、橋下発言のいまひとつの笑点は彼がツイッターに書いた

「この問題はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う」

というくだりである。

①この問題(憲法9条)はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う(橋下のツイッター書き込み)

②「議論はし尽くすけれども、最後は決定しなければならない。多様な価値観を認めれば認めるほど決定する仕組みが必要になる。それが『決定できる民主主義』です。有権者が選んだ人間に決定権を与える。それが選挙だと思います」 「弁護士は委任契約書に書いてあることだけしかやってはいけないけれど、政治家はそうじゃない。すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。あんなに政策を具体的に並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできないですよ。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」(朝日新聞のインタビューでの橋下発言)

どっちやねん? え、市長はん、弁護士はん。

注1 余談だが、橋下のこの書き込みはツイッターの世界では大いに受けているらしい。「あたいの胸が小さいのも全ては憲法9条が原因だと思っています」「AIJが2000億円を損失したのも全ては憲法9条が原因だと思っています」「オレの頭の毛が薄いのも全ては憲法9条が原因だと思っています」などのナンセンスごっこでにぎわっている。


(2012.2.25 花崎泰雄)





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今度は小学生の留年制度化ですか!

2012-02-24 02:16:23 | Weblog

橋下徹・大阪市長が目標の学力水準に達しない小中学生を留年させる制度を提案した。

ジバン、カンバン、カバンを持たない橋下にとって、集票のたよりは人気だけだ。人気者だからこそ永田町の既成政治家にちやほやされる。メディアに取り上げられる頻度も高くなる。この人気を持続させるためには、切れ目なく大衆の視線を集めるパフォーマンスを続ける必要がある。

アメリカの赤狩りで一躍政界の大物にのしあがったジョゼフ・マッカーシーがいい例だ。大衆がそのパフォーマンスを見飽きてしまった時が彼の凋落の始まりだった。落ちるときは一瀉千里だ。

橋下はこれまで教員に国歌を強制する条例、維新塾・船中八策という中身のないかけ声、大阪市の労組に対する不当労働行為、職員のメール検査と、パフォーマンスを演じ続けてきた。

義務教育での留年の実施検討という今度の提案は、どうも世界的な流れと反対の方向だ。

2月23日夜の毎日新聞電子版によると、OECDが学校教育で留年を廃止するよう求める提言をしている。同紙の記事によると、OECDは、「教育の公平性と質――恵まれない生徒や学校に対する支援」と題する報告書で、学校教育での留年について「コストがかかるうえ教育成果の引き上げでも効果的ではない」と結論した。

OECDが、 少なくとも1年留年した経験のある15歳児について39ヵ国を比較したところ、OECD加盟国の平均は留年経験者が13%、留年のためにかかったコストが4.05%。フランスなど7ヵ国では留年経験者が30%を超えた。スペインなど3ヵ国ではコストが10%以上になった。日本、韓国、ノルウェーはいずれも留年ゼロだった。

「留年の欠点はコスト増に加え、学習到達度の生徒間格差の拡大、自尊心への悪影響、問題行動に出る傾向を高めることなどを列挙。留年より効果的な代替策として学習支援や自動的な進級を推奨した」と毎日新聞はOECDの報告書の要旨を伝えている。

NHKによると、森文部科学副大臣が記者会見で、留年については制度上問題がなく、学力を身につけることについて問題提起をすることは、非常に意義があることだ、と橋下留年提案を歓迎する意向を示した。

OECDの国際的な知見に基づく提案などどこ吹く風だ。外国と日本は違うと言わんばかりだ。

とはいうものの、実は、日本でも明治期には初等教育に落第制度「原級留置」が行われていた。学年ごとに一斉試験をし、及第しなかった児童を進級させなかった。国立教育政策研究所の斉藤泰雄の「留年・中途退学問題への取り組み――日本の歴史的経験」(広島大学教育開発国際協力センター『国際教育協力論集』第6巻1号、2003)によると、こうした初等教育での試験進級制度は、ひとつには「文明開化」「富国強兵」をめざす明治政府が欧米の近代技術や知識を国民につめこむ必要にせまられていたからだ。だが、厳格な試験進級制度によって落第児童が全児童の2-3割に達したという。

落第児童が中途退学者になり、社会問題になった。そういうわけで日本は1900年に初等教育での落第制度を廃止し、自動進級制度に切り替えた。以来1世紀以上、初等教育では自動進級制度が続いている。

教育環境や教員の質を向上させることで、標準的な義務教育の達成に落第制度が必要なくなったからだ。

2012年の今日、いまさらに初等教育での留年制をもちだすのなら、その必要性と効果について相応の知見に支えられた論拠を添えて提案すべきであろう。ことは将来の市民をそだてる教育の問題だ。軽々しく人気とりのタネにするには重すぎる問題である。

(2012.2.24 花崎泰雄)

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Carte Blanche

2012-02-12 22:26:04 | Weblog


2012年2月12日付朝日新聞のオピニオン・ページに話題の人・橋下徹大阪市長のインタビュー記事が掲載されていた。

1ページのおよそ3分の2を使ったこのインタビューで、橋下が言ったことは以下の2点に要約できる。

①今の日本人の生活は5つ星ホテル級の贅沢なものだ。教育や医療のレベルは高く、失業保険、年金生活保護もある。コストがかかっている。今以上の日本を無理に目指す必要はないが、東アジアや東南アジアに追い上げられている日本が今のレベルを維持しようとすれば、それには「国民総努力」が必要だ。競争で勝たなければならない。国民にはその覚悟が必要だ。その号令をかけるのが政治だ。

②「決定できる民主主義」のためには、選んだ人間に決定権をあたえる。それが選挙だ。マニフェストを並べて政治家の裁量の範囲を狭くしたら、政治なんかできない。選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任だ。

あいかわらず元気のいいことだ。

論旨の順を逆転させて、まず要旨②から筆者なりの解説を始めてみたい。

「ある種の白紙委任」がどのような白紙委任である、インタビュアーが橋下にそのことを聞いていなので読者にはよくわからない。委任とは一定の条件のもとで権力を移譲することである。そうした条件を伴わない権力の移譲を白紙委任という。

ある種の白紙委任とは、ある種の「無条件の委任」である。有権者が選挙で、仮に橋下徹の名前を投票用紙に書き込めば、彼らはそれぞれが持つ権利を橋下に対して、ある種の白紙委任することに同意したことになる、と橋下は主張しているのである。投票用紙は橋下に対する白紙委任状だというのだ。

「マニフェストに書いてないことはやらない」と言った首相が、マニフェストに書いてないことをやっている、と国会では大いにもめている。選挙民は政治家の約束を聞いて、それを条件に代議の権限をその政治家に「信託」しているにすぎない。それが一般人の理解だ。辞職を迫られた国会議員はきまって言う。「支持者の意見を聞いて判断する」。選挙によって有権者は当選者に権利を白紙委任するという橋下理論は、いかなる学説の流れをくむものであろうか?

それにしても、選挙を通じてある種の白紙委任を手に入れ、その強大な権限を使って橋下がやろうとしていることが(彼はすぐさま国政に参入するつもりはなく、大阪市長のままでいる。大阪市長の任期が切れることには賞味期限も過ぎている、とインタビューで言っているが)、①で説明しているように、日本国民の生活レベルの現状維持である。

国民の生活レベルの画期的向上ではなく、たかだか現在の生活レベルを維持することと引き換えに、国民に対してある種の白紙委任状を要求したいという政治家の言説は異常ではないだろうか。

現在の生活レベルの維持が相当困難になっていると国民が感じているという橋下の認識が、彼にこの法外な要求をさせているのだろう。国民は権限を白紙委任した政治家に、「もっと努力を」「もっと競争を」と勉励されることになるのである。

危機回避あるは危機克服のためと称して、「ある種の白紙委任」を求めた例が歴史に残っている。ヒトラー政権の全権委任法(授権法)である。

(2012.2.12 花崎泰雄)

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シリアと中国

2012-02-06 20:20:50 | Weblog

国連安全保障理事会がシリア政府に対して反体制派への武力弾圧の停止するよう求める決議案の採決を現地時間で2月4日行ったさいロシアと中国が拒否権を行使した、と2月6日の日本の朝刊が伝えた。

15の安保理理事国のうち13の国が賛成したが、ロシアと中国の拒否権行使で決議案は廃案になった。

朝日新聞は「ビティヒ独大使は『安保理の恥』、ライス米大使は『嫌悪感を感じる』と中ロを名指しで非難」と伝えた。ライスが使った言葉は「disgust」で、状況からすれば「吐き気を催す不快感」という外交官らしくない激しい言葉だった。

6日付の日経新聞は「国際社会が一致して暴力停止を求めなければならないときに、決議案が否決されたことは遺憾である」と社説で書いた。読売新聞はより激しい調子で「決議案に反対した露中両国は、非難されて当然である」と、こちらも社説で強調した。

ロシアの国連大使は拒否権行使の理由を「決議案は反政府勢力寄りでシリアの実情を反映していない」と説明した。中国大使も「安保理の対応は国連憲章の原則を順守すべきだ」と述べ、決議案は内政干渉につながる懸念があったと強調した(朝日新聞2月6日付朝刊)。

ロシアはシリアにロシア海軍の補修基地を持っている。同時にシリアはロシアの武器諭支出の7パーセントを占める顧客だ。加えて、中東に対する影響力をアメリカ勢に独占されたくないという気分がある。

ロシアも各国の例にもれず自国の利益を追求する外交をやっている。諸外国からの批判の声や避難の視線を気にするよりも、シリアのアサド政権を守ってアメリカなどが支援する反体制派がシリアで権力の座に就くことを阻止することの方が、よりロシアにとって重要だと判断している。

それでは、中国はどんな理由からロシアに同調して拒否権を行使したのだろうか?

2月6日の新華通信社の日本語サイトを見ると、「軍事介入への伏線を張ることを拒否」の見出しで、シリア決議案での中国の拒否権行使の理由が述べられていた。

それによると、中国の拒否権行使の理由は①外部の武力によってシリアで政権交代を進めることに反対する②国連安保理にはそのような権限はない③国連憲章の目的と国際関係の準則に反すること、などだ。

だが、これは能書きである。

本当のところは、中東がいまや中国の利害にとって重要なかかわりを持つ地域になったからだ。この地域をアメリカの好き放題にさせることは中国の利益に反するという自覚のうえ、アメリカの鼻先に「ノー」のカードを突きつけるようになった。中国は1990年代から石油の輸入国になっており、輸入先として中東の重みが増している。中国は世界第2の規模のGDPの経済大国になり、軍事大国への道を邁進している。中国自身も自らがグローバルなパワーゲームにできる能力をもつアクターになったとの自信を獲得した。

アメリカから見れば巨大になった中国の影が太平洋地域だけではなく、中東地域にもおよび始めたということである。

かつてロシア帝国が拡張政策でその領土を太平洋沿岸までおしひろげたように、現代の中国がパミールを超えて、領土ではなくその影響力を中東地域に定着させ、さらにそこからチャイナ・パワーの通路をヨーロッパ・アフリカへと延ばしてゆく夢を、大国・中国の指導部が持っていたとしても一向に不思議ではない。かつて歴史上の帝国は例外なくそのようにして版図を拡大してきた。

(2012.2.6 花崎泰雄)


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