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news commentary

またも朝日新聞のおそまつ

2014-09-13 23:47:01 | Weblog

2014年9月12日の朝日新聞朝刊1面に大きな謝罪記事が載った。福島原発事故関連の記事である。その核心部分を引用する。

「本社は政府が非公開としていた吉田調書を入手し、5月20日付紙面で『東電社員らの9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発に撤退した』と報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、『命令に違反 撤退』という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」

記事の表現の間違いがこれほどまでに大々的な記事削除・謝罪の記事につながるのは異例の事態である。

記事の表現はどのように間違っていたのだろうか。朝日新聞の謝罪と同じ日に公表された『吉田調書』を読むと、吉田氏の発言は以下の通りである。

回答者「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGMクラスは帰ってきてくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

質問者「そうなんですか。そうすると、所長の頭の中では、1F周辺の線量のひくいところで、例えば、バスならバスのなかで」

回答者「今、2号機があって、2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、ここから外れて南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで、一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んじまうよねとなって、よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して」

(注:回答者は吉田所長。2Fは福島第二原発。GMは東電の用語で管理職のグループマネジャー)

吉田氏が言っていることは、①福島第二原発へ行けと指示してはいない。福島第一の近辺で退避し、指示を待てと言ったつもりだ②その指示が伝言の途中であやまって理解された③そこで要員を福島第二から呼び戻した④だが、福島第二に移動したことは結果として正しかった、の4点である。

所長の指示が適切に部下に伝わらなかったことをもって、朝日新聞は「命令に違反」とし、福島第2に移動したことを「撤退」と表現した。この表現の誤りが記事を書いた記者の錯覚・誤解によるものなのか、記事をセンセーショナルに仕立てるための加工だったのか、それは知る由もない。ただ、第一原発から10キロはなれた第2原発への移動を、「退避」なのか「撤退」なのか、議論しても結論は出ないだろう。敗北による撤退が「転進」であるのは、日本人と日本語のならいである。

たがって、問題の核心は「命令違反」という表現の不適切さの度合いである。

福島第一原発メルトダウンの対応の真っただ中で、所長の業務命令が何らかの理由で所員たちに正しく伝わらなかった。そのため原発で対策作業をする要員が、所長が指示していない場所に移動し、所長が呼び戻さねばならなくなった。修羅場における原発関係者のコミュニケーションの齟齬が招いた事故対応作業の基本的意思疎通のちぐはぐ。放射能汚染恐怖を思えば、それだけでもう十分センセーショナルだろう。

従軍慰安婦関連記事をめぐる謝罪に続く原発関連記事の謝罪は、美しい国の原発維持路線を支持する人たちを大いに喜ばせたことだろう。朝日新聞の高慢も一因となって招いた今回の自業自得だが、一般論としてジャーナリズムのこれからを思うと、同紙のお粗末な所行が悔やまれる。

(2014.9.13 花崎泰雄)

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朝日新聞のおそまつ

2014-09-04 10:10:31 | Weblog

「池上さん コラム掲載します――朝日新聞が8月初めに掲載した過去の慰安婦報道に対する特集記事について、池上彰さんがコラム「新聞ななめ読み」で取り上げました。本社はいったん、このコラムの掲載を見合わせましたが、適切ではありませんでした。池上さんと読者の皆様におわびして、掲載します。19面」

2014年9月4日付朝日新聞1面題字下に、上記のような案内が池上彰氏の顔写真とともに掲載されていた。池上氏のコラムの掲載を拒否したことを他のメディアに報じられ、あわてて掲載することにし方針転換したのである。

さっそく朝日新聞を開いて、池上氏のコラム「慰安婦報道検証――訂正、遅きに失したのでは」を読んだ。池上氏の言わんとすることは、①吉田清治証言の虚偽性に気付きながら朝日新聞は検証作業を少なくとも22年間も放置した②なぜ放置したのか、その点の検証が記事に書きこまれていなかった③誤りを訂正する以上、同時に謝罪もすべきだ、の以上3点に尽きる。この他には、慰安婦問題についての新しいデータや見解が書き込まれているわけでもない。いうなれば、凡庸な感想文にすぎない。

したがって、このコラムの掲載を朝日新聞が嫌がって拒否したのか、その理由がさっぱりわからない。

池上氏のコラムは朝日新聞のオピニオンのページに掲載されている。オピニオンと銘打っているからには、異論や批判に対して同ページの編集者は寛容でなくてはならない。とくに、自社の編集方針に対する批判を拒否するような態度は、同ページの自己否定につながる。

コラムに添えられた「池上さんと読者の皆様へ」という朝日新聞の弁解には、当初掲載を見合わせたが、「その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断した」とだけ、書かれている。

社内での検討、池上氏とのやり取りの内容については具体的な説明がない。

いったん掲載を中止した記事を、外部からの批判を受けて掲載したのであるから、朝日新聞の判断の変更がどのような議論の基づいてなされたのか、ジャーナリズムの生態に関心のある読者としてはそこが知りたいところである。

ところで、インドネシアを占領した日本軍がオランダ女性を強制的に慰安婦にした記録がオランダの公文書館には残っている。連合軍の日本占領に備えて、特殊慰安施設協会という名の、連合軍兵士向けの売春施設が当時の日本政府の肝いりでつくられている。

国家の恥辱と自尊心と、個人の恥辱と自尊心――これを同一視したがる一部日本人の論理は以下のように展開される。

①日本が国家として物理的強制力を使って慰安婦をかり集めたという吉田証言は嘘だった②国家の強制を裏付ける記録は見当たらない③従軍慰安婦は個人が自発的に性を商品化したにすぎない④したがって、国家の関与を認めた「河野談話」は撤回されるべきだ。

戦争と性と国家の問題を忘却させるための突破口として、朝日新聞による吉田証言の虚偽報道が利用されてきた。朝日新聞のおそまつは、今回、その突破口をさらに大きく広げたことに尽きる。


(2014.9.4 花崎泰雄)


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