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news commentary

マッチポンプ

2015-12-31 23:13:06 | Weblog

日本と韓国の間で繰り広げてきた従軍慰安婦をめぐるいさかいを、ここらでもうやめようと、日本の岸田文雄外相と韓国のユン・ビョンセ外相が、2015年12月28日、要旨次のような共同記者発表を行った。

日本の岸田外相は①慰安婦問題には当時の日本軍が関与しており、日本政府は責任を痛感している②安倍首相も、心からおわびと反省の気持ちを表明している③日本政府は、日本政府韓国政府が設立する財団に日本政府の予算で資金を拠出し、日韓両政府が協力し元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復などの事業を行う④日本政府はこれらの措置を着実に実施するとの前提で、今回、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。あわせて、日韓両国政府は、今後、国連等国際社会において、慰安婦問題について互いに非難・批判することは控える⑤日本政府の拠出金は、10億円程度である、と表明。

韓国のユン外相は①日本政府が表明した措置が着実に実施されるとの前提で、今回の発表により、日本政府と共に、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する②韓国政府は、在韓国日本大使館前の少女像について、可能な対応方向について関連団体と話し合いを行い、適切なかたちで解決するよう努力する③韓国政府は、日本政府と共に、今後、国連等国際社会において、慰安婦問題について互いに批判することを控える、と表明した。

慰安婦問題に、①旧日本軍が関与していたことを日本政府が認めてその責任を痛感し、日本国首相が心から反省とおわびをしたことで、日韓関係は1993年の河野談話のころと同じ状態に戻ったことになる。ただし、日本政府が表明した事柄を着実に実施することが「最終的かつ不可逆的解決」の前提になるので、韓国政府が日本政府の態度を約束違反だと解するような事態になれば、当然、解決は最終的でもなく不可逆的でもなくなる。

日韓の相互嫌悪がここまで悪化し、米国政府が東アジアの安全保障環境の観点から、腰を上げて日韓関係の修復に乗り出すまでになったのは、一つには、1993年の河野談話を安倍政権が見直そうとしたことにその原因がある。米国が言うところの安倍晋三首相および日本の歴史修正主義者たちの言動と、韓国の内政と外交のリンケージによる対日強硬路線との、その相互作用による関係悪化だった。

安倍晋三首相もパク・クネ大統領も関係悪化に大いに一役買ったが、その両者が今回、和解の手打ちをやったわけである。米国から相当に強烈な説得があったのか、日韓において背景にどんな政治事情があったのか、メディアが徹底的に掘り下げてくれるのを楽しみにしている。

日韓政府間の手打ちはすんだが、日韓両政府と韓国の元慰安婦やその支援組織とのあいだのわだかまりや、安倍政権やパク政権に煽られて、嫌韓・嫌日で気分を高揚させてきた両国の街の人たちの近親憎悪のメンタル・ケアをどうするか、残る課題は少なくない。

日本政府が拠出する10億円はソウルの日本大使館前におかれている少女像の撤去が前提になっている、と日本の複数の新聞が伝えた。朝日新聞は12月30日付朝刊1面で次のように書いている

 「『合意されたことは、しっかりフォローアップしないと』。安倍晋三首相は日韓両国が慰安婦問題で合意した翌29日、滞在先の東京都内のホテルで帰国報告した岸田文雄外相にこう告げた。首相の念頭には、ソウルの日本大使館前にある「少女像」の移転問題があったと見られる」

 「首相は、岸田氏に24日、年内訪韓を指示した直後、自民党の派閥領袖と電話した。少女像の移転問題について、『そこはもちろんやらせなければなりません。大丈夫です』と語ったという。

「見られる」「という」という朝日新聞の伝聞体の報道が事実であれば、日本の愛国保守政権は、10億円は少女像の撤去費用である、ととれる物言いをしており、次の日韓亀裂線拡大の原因になりうる。

Much Ado About Nothing はシェイクスピアの喜劇だが、このたびの日韓和解は、1960年代に流行語になった、元代議士田中彰治の「マッチポンプ」がピタリの寸劇だった。パク・安倍の2人が火をつけて炎上させ、その2人が歴史的和解を演出した。

(2016.1.1  花崎泰雄)
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第九は聴かぬ

2015-12-25 00:04:32 | Weblog

ドイツにお住いの小野フェラー雅美さんから、歌集『とき』(短歌研究社、2015年)を頂いた。

 哲学者マノンに注ぐ Silvesterpunsch モンク、ブルーベック。第九は聴かぬ

『とき』におさめられている大晦日の短歌である。「ジルヴェスタープンシュ(大晦日のパンチ):辛口赤ワイン3本、紅茶500ml、無農薬レモン・オレンジの皮1個、ニッキ2本、砂糖60g、ラム酒100mlを煮立てず熱くして」と歌集の注にある。

哲学者マノン? 私の知らない人である。

モンクはセロニアス・モンク。異端のジャズ・ピアニストで、代表作品は評者によってさまざまである。私は彼がマイルス・デイヴィスと組んだBag’s GrooveのBag’s Groove Take 2のピアノ演奏が好みである。Bagとはこの曲でヴァイブラフォンを演奏しているミルト・ジャクソンの綽名で、目の下に袋のように目立つたるみがあることからそう呼ばれた。Bag’s Grooveはそのミルト・ジャクソンが作曲した作品。モンクを聴くときは、彼がたたく鍵盤と鍵盤の間の秘められた音を聞けと、禅問答風のリスニングを求められるピアニストだが、ここではモンクが強烈なリズム感で一風変わった音を紡ぎ出している。

ブルーベックはTake Fiveで一世を風靡したジャズ・ピアニストだが、わたしは彼の演奏を好まない。

第九は日本の年の暮れの定番、ベートーベンの交響曲第9番のこと。私も「第九」は聴かない。今年の大みそかに聴く曲は決めてある。Billie Holidayの “Fine and Mellow”である。

数日前、ビリー・ホリデイの某アルバムのディスコグラフィーを検索していて、偶然、この演奏の動画(youtube)に行き当たった。1957年12月8日の日曜日の米国東部時間で午後5時から放映されたCBSテレビのThe Sound of Jazzと言う番組の中の一部である。この時の演奏はレコードやCDになっている。私のi Podにも入っている。ビリーの歌と、ベン・ウェブスター、レスター・ヤングのテナー・サックス、ヴィック・ディッケンソンのトロンボーン、ジェリー・マリガンのバリトン・サックス、コールマン・ホーキンスのテナー・サックス、ロイ・エルドリッジのトランペット。それぞれの短いが中身の濃いソロが聞ける。

だが、映像つきのセッションは、さらに一味違った。

スツールに腰かけたビリー・ホリデイがバックのアンサンブルにのって自作のFine and Mellowを歌い始める。

  My man don’t love me
  Treats me oh so mean
  My man he don’t love me
  Treats me awfully mean
  He’s the lowest man
  That I’ve ever see

ここでテナー・サックスのベン・ウェブスターが前に出て、力強くブルージーなソロを聞かせる。ベンのあとを継いでソロをとるのがレスター・ヤングだ。聞きなれた懐かしいレスター節なのだが、音には往年のはりがなくなっている。レスターの健康は陰りを見せていた。その失われたレスターの音を、ビリー・ホリデイのアップされた横顔が補っている。レスターの演奏に合わせてビリーは軽く上半身をスウィングさせている。顔には微笑みを浮かべ、とろけるような、つまり、mellowなまなざしで、何かを見つめている。

ビリー・ホリデイの公式ウェブサイトにある、Fine and Mellowのページは、その時の模様について、番組の企画に参加していた作家で音楽評論家のナット・ヘントフの次のような言葉を紹介している。

レスターが立ち上がって、私がこれまで聞いた中で最も純粋なブルースを演奏した。レスターとビリーはお互いを見つめ合っていた。彼らの視線は離れがたく結びついていた。ビリーはうなずき、微笑していた。ビリーとレスターの二人はかつてのことを思い出しているように見えた――それがどのような思い出であったとしても。それは調整室の中にいた私たち皆の涙を誘う光景だった。

ビリー・ホリデイとレスター・ヤングは若い売り出しのころ、気の合うミュージシャン同士だった。ビリーはレスターのテナーをバックに歌うのが好きだった。二人して多くの曲を残した。ビリー・ホリデイには、人種差別、麻薬、売春といった暗い記憶がからみついて離れない。そうしたビリーにとって、レスター・ヤングはほっとできるような心の許せる友、soul mateだった。

やがてビリーは麻薬漬けになり、かつてのつややかだった声を失った。レスターは徴兵されて、軍で人種差別にあったのがきっかけで、酒と麻薬におぼれるようになった。1957年のCBSテレビの番組は、人生の終末へと下り坂を転がっていたビリーとレスターの2人にとって、久々のreunionだった。

レスター・ヤングは1年余り後の1959年3月に死去した。レスターのお弔いの帰りのタクシーの中で「次は私の番よ」とビリーは知人に言った。ビリー・ホリデイはレスター・ヤングに遅れること4ヵ月、同年7月に亡くなった。

          *

以上の講釈をお読みいただいたうえで、冒頭の短歌のジルヴェスタープンシュでも作って飲みながら、 “Fine and Mellow” をご覧ください

いや、上記のような因縁話などどうでもよろしい。もしあなたが男性であれば、このような身も心もとろけてしまうまなざしを向けてくれる女性が身近にいることの愉悦について、若し女性であれば、このような笑顔とまなざしを向けるたくなるような男性が身近にいることの愉悦について、それぞれ哲学者マノン風にビリー・ホリデイの表情から考察していただくのも、クリスマスから大みそかにかけての息抜きの一つではないでしょうか。

Podiumでは、この1年間というものぎすぎすした話題ばかりを取り上げて来ましたので、クリスマス・大晦日は、心のお浄めのお話といたします。

(2015.12.24 花崎泰雄)





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合憲だとさ

2015-12-16 23:06:13 | Weblog

女性差別を温存する日本の社会システムはながらく国際世論の批判を浴びてきた。

国連が女性差別撤廃条約を採択したのが1979年。日本は1985年に条約を締結した。国連は日本の民法が定めた夫婦同姓、女性の再婚禁止期間、男女による婚姻最低年齢の違いを、差別的な規定であり、民法を改正するよう求めてきた。2003年と2009年。日本は勧告にしたがわなかった。

2015年12月16日、日本の最高裁判所大法廷がたいへん遅まきながら、女性の再婚禁止期間6ヵ月を憲法違反と判断した。刑事裁判ではDNAが証拠になる時代だから、当たり前の常識だろう。

一方で、夫婦同姓を強いる民法の規定は合憲とした。いまや日本は世界で残り少ない婚姻同姓強制国である。世界の絶滅危惧種である。それはないだろう。

面白いのは夫婦同姓の強制を、合憲とした判事が10人、違憲とした判事が5人だったことだ。最高裁判事15人中、女性の判事は3人だけだ。その女性の判事はそろって違憲と判断した。

つまりは、こういうことだ。

結婚で同姓を強制されることの不利益の多くを女性が被り、男性は既得権にあぐらをかいている。最高裁の男社会は、絶滅危惧種・日本の社会となんら変わるところがない。

朝日新聞の電子版によると、最高裁は「ただ、この判決が『選択的夫婦別姓が合理性がない、と判断したのではない』とも述べ、『この種の制度のあり方は国会で論じ、判断するものだ』と国会での議論を求めた」。例によって、意気地のない最高裁は逃げをうったのである。

かつて夫婦同姓を定めていたドイツでは、連邦憲法裁判所が1991年に違憲と判断した。議会は1993年に法改正し、別姓も選択できるようにした。彼の国では憲法裁判が政治に指針を示したのである。

(2015.12.16 花崎泰雄)
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出口のない銃社会

2015-12-06 00:09:55 | Weblog

最近のワシントン・ポスト紙の報道によると、サン・ベルナルディーノであった銃による大量殺戮事件は、この種の事件としては今年(2015年)355番目の発生だという。民間の銃被害調査団体が、銃撃した犯人を含む4人以上が射殺ないしは負傷した銃撃と定義しなおして計算すると、全米の銃による集団無差別殺戮は1日1回の割合で起きていることになる。(FBIの定義によると、大量銃撃事件とは一度の襲撃で4人以上が射殺された事件をいう)

銃の所持にきびしい規制をかけるしかないのだが、アメリカ合衆国ではそれが難しい。憲法修正第2条に「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であり、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない」(A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.)とあるからだ。

この条文はアメリカの内戦・南北戦争より半世紀以上も前の18世紀末に書かれた。当時は銃をもった民兵が戦力になった時代である。世界最強の軍事力を持つ現在の米国に、いまさら民兵の必要はないであろう。全米ライフル協会(NRA)は米国最強の圧力団体で、憲法修正第2条を盾にして銃の流通を守ろうとしている。そういうわけで、米国で市民を丸腰にする政策は望み薄である。

NRAのロビー活動の効果あって、米国は世界で最も銃所有率が高い。人口の約9割が銃を持っている計算になる。

NRAは「銃は人を殺さず。人が人を殺す」をモットーに掲げている。アメリカの銃犯罪の氾濫は、銃があふれていることが原因ではなく、銃を使う人間に問題がある、というわけだ。そのような物騒な人間が徘徊している社会で生きていくためには、銃を持っていない人はすぐ銃を持ち、1丁だけの人は2丁に増やして備えを怠るな、というお説教になる。

統計によると、米国に次いで人口当たりの銃保有率が高い国はイエメンで、50パーセント強、3番目に高いのはスイスで、国民の5割弱が銃を保有している。

だが、スイスでは米国に比べて銃による犯罪がきわめて少ない。「銃は人を殺さず。人が人を殺す」という説にしたがえば、スイス人に比べて米国人は極めて人殺しに走りやすい性癖をもつという理屈になる。米国人がスイス人のようにならない限り、米国では銃犯罪が防げない、という理屈になる。

以上の話には仕掛けがある。スイスは国防のために国民皆兵の制度を敷いており、徴兵期間が終わった国民は予備役に回る。予備役には国家から銃が貸与される。銃は貸与されるが、弾薬は軍が集中管理している。銃を犯罪に使うには、それで人をぶん殴るしかないのだ。

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