Podium

news commentary

デマゴーグと三百代言

2013-05-21 23:24:57 | Weblog

朝日新聞5月21日付朝刊でこんな記事を読んだ。

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は5月20日、同月17日に「やめる」と表明した囲み取材を再開した。「市長を辞めるまで受けないわけにはいかない。期間があくと、(再開に)自分のメンツを気にしていろんな理由をつけなければならない。早く再開してしまった方がいいと(思った)」と理由を説明した。

ま、そうだろう。メディアに対する不満が爆発して、囲み取材を受けない、とは言ったものの、たとえその発言が “outrageous and offensive” といわれようと、彼の言葉をメディアが流さなくなってしまえば、それは橋下にとって致命的だ。一介の茶髪の弁護士が、あっという間に衆議院で50以上の議席を占める政党の共同代表になれたのも、メディアにのって大衆の空気をつかみ、それを政治的浮揚力に使う才覚があったからだ。だが、ここにきて、気分も発言もあまりにハイになり、ついにイカロス的失速を招きそうになった。軌道修正するにしても、やはりメディアが必要だ。

むかしアメリカ合衆国に、もっと愚劣で、アメリカ民主主義の歴史に深刻な汚点を残したデマゴーグがいた。

お察しの通り――そう、赤狩りのマッカーシー上院議員だ。あのころのアメリカのメディアはマッカーシーの共犯者だった。アメリカではマッカーシーとジャーナリズムについて、多くの本が書かれてきたが、その中の1冊、R.H. ロービア『マッカーシズム』(岩波文庫)にこんなことが書かれている。

マッカーシーは無から新聞記事を生み出す方法を知っていた……午後に記者会見をするという予告の発表を午前中に行う。すると、新聞は「新しいマッカーシーの暴露、首都で期待」と書く。午後になって発表するような材料がない場合は、必要な文書の入手が若干難航しているという。それが翌日「マッカーシーの新事実おくれる模様」という記事がちゃんと朝刊にでる(同書215ページ)。上院議員であるマッカーシーが反逆、スパイ、汚職といった批判をすればそれは報道せねばならないニュースである。どの「事実」が本当に「事実」で、どの事実はそうでないということを読者に教える権限を新聞記者に与えることは出来ない。メディアが彼をうそつきと呼ぶためには、誰かが彼を嘘つきと呼ばねばならなかった。対策は読者にとってもらう以外にない(同書218-219ページ)。

産経新聞(電子版)によると、橋下は在日米軍に風俗業の活用を求めた発言に関し「米軍の性暴力が米国でも問題になってきた。結果が良ければそれでいい」と発言したそうだ。

「米軍の性暴力が米国でも問題になってきた」という橋下の指摘が、具体的に何を指しているのか新聞記事では不明だ。

ひょっとすると、ペンタゴンが発表した「米軍内の性暴力統計」のことだろうか。

調査によると、2012年度中に米軍内部での性暴力の被害者になった軍関係者が26,000人に達したという報告である。ワシントンの地元紙の報道によると、被害者はほぼ男女半々だそうだ。この軍の内部調査は以前から続けられており、問題になったのは被害者数が前年度に比べて急増したからだ。米軍内部の兵士同士の性暴力の話で、橋下の沖縄風俗業活用提言とは何のかかわりもない。

もしそうだとすると、三百代言的言辞である。

昨今、新聞は眼光紙背に徹する気構えで読まねばならない。

<関連記事>

●産経新聞「橋下徹研究」

●しんぶん赤旗「橋下・『維新の会』の虚像と実像」


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

侵略の定義

2013-05-14 00:12:37 | Weblog

5月13日の毎日新聞デジタル版によると、日本維新の会共同代表・橋下徹が、「銃弾が飛び交う中で、精神的にも高ぶっている集団に休息をさせてあげようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰でも分かる」と述べ、第2次大戦中の日本の慰安婦制度は必要だったとの認識を示した。また、「侵略の定義が学術上ないことは、安倍晋三首相の言われているとおり」とした上で、「敗戦の結果として、侵略だとしっかり受け止めなければいけない」と話した。

朝日新聞によると、橋下は同日、今月初めに沖縄県の米軍普天間飛行場を訪問した際、司令官に、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールするために「建前論じゃなくて、もっとそういうところ(風俗業)を活用してほしいと言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになって『禁止している』と言った。『行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう』と打ち切られた」という。

時事通信によると、自民党幹部は「論外だ。致命的な発言になるだろう」、民主党の海江田万里代表は「慰安婦制度は必要ない」と強調、共産党の市田忠義書記局長は「戦慄を覚えた。市長や党首の資格はない」と橋下の発言を批判した。

1945年8月18日に日本の内務省が占領軍向けに性的慰安施設設置を指令し、同月26日に接客業者らが東京・銀座に株式会社特殊慰安施設協会を設置した、という記述が『日本近代史年表』(岩波書店)にある。協会発足に必要な資金の半分を日本政府が出資したと戦後史の本にある。

橋下に風俗業活用論を持ちかけられて凍りついた司令官は、以上の日本戦後史のエピソードも交えながら、日本人の指導層の中にはいまだにあのころと同じような発想をする者がいて驚いた、と米国防総省に報告していることだろう。

さて、安倍、橋下のいう「侵略の学術上の定義はない」という説だが、「学術上」となると、たいていの事柄がただいま論争中である。学問の自由は、また、バイアスを語る自由でもあるからだ。このことはテレビの『ハーバード白熱教室』における、マイケル・サンデルの「正義」についての講義をお聞きになった方はよくお分かりいただけると思う。

国連は実務的な侵略の定義を1974年に決定している。「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」(総会決議3314)ということなのだが、現実に起きている事態がこの定義に当てはまるかどうかという点で、国際社会の見解がなかなかまとまらない。

つまり、侵略の定義はわりあいはっきりしているのだが、諸国間の利害得失がぶつかり合って、侵略の認定が難しくなっているのである。どうも日本の政治家の認識や言葉遣いは粗雑にすぎる。

それとも、国連の侵略の定義は1974年に出て来たもので、それ以前の日本のアジアに対する行為を、進出か、進攻か、侵攻か、侵略か、どう判断するかにつては、学問上定説がないと言っているのだろうか?

(2013.5.13 花崎泰雄)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加