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自助・共助・公助そして絆

2020-09-24 20:32:42 | 政治

新しく内閣総理大臣になった菅義偉氏は「自立・共助・公助そして絆」を強調した。

この発想は2010年の自民党綱領に基づいている。綱領は、次のように言う。

我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。

家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。……我が党の政策の基本的考えは次による…… 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する。

自民党は憲法修正案第24条に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という文言を追加している。

菅氏も自民党も時代にずれている。世界の多くの国が、資本主義国、社会主義国を問わず、人間の生存権を憲法で認めている。

日本国憲法第25条は言う。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法が国民の権利として認めているものは“最低限度の生活(the minimum standards of wholesome and cultured living)”であるが、フィィンランド憲法となると“人間の尊厳ある生活(a life of dignity)”を国民の権利として認めている。

第 19 条 ①人間の尊厳のある生活に必要な保障を得ることができない全ての者は、不可欠の生活 手段及び保護に対する権利を有する。 ②失業、疾病、労働能力の喪失及び老齢並びに子の出産及 び 扶養者の喪失による基本的生活手段の保障に対する権利は、何人に対しても法律で保障される。

スウェーデン憲法は多岐にわたって詳細に公権力の義務を定めている。

第 2 条 公権力は、すべての人の平等な価値並びに個人の自由及び尊厳を尊重して行使しなければならない。 個人の個人的、経済的及び文化的福祉は、公的な活動の基本的な目標とする。特に、公的機関は、労働、住居及び教育に対する権利を保障し、社会扶助及び社会保障並びに健康 に対する良好な条件のために努めなければならない。 公的機関は、現在及び将来の世代のために、良好な環境をもたらす持続可能な発展を促進しなければならない。 公的機関は、社会のすべての領域において、民主主義の理念が指導的たるべく努め、個 人の私生活及び家庭生活を保護しなければならない。 公的機関は、すべての人が社会における参加及び平等を達成できるように、及び子どもの権利が保護されるように努めなければならない。公的機関は、性、皮膚の色、国籍若しくは民族的出自、言語的若しくは宗教的帰属、障害、性的志向、年齢又は個人に関係する 事情を理由とする差別に対抗しなければならない。

イタリア共和国憲法(第38条)は規定する。

労働の能力をもたず、生活に必要な手段を奪われたすべての市民は、社会的な扶養と援助を受ける権利を有する。……本条の定める任務は、国によって設けられ、または支持された機関および施設が行う。

欧州連合(EU)は「基本権憲章」で言う。

社会からの排斥及び貧困と闘うために、連合は、共同体法ならびに国内の法令および慣行が定める規則に従い、十分な資力を持たないすべての人に品性ある生活を確保するように、社会扶助および住宅支援に対する権利を認め尊重する。

かつてのソビエト社会主義共和国連邦(1977年)第43条にも同様の規定があった。

ソ連邦の市民は、老齢、疾病、労働能力の全部または一部の喪失ならびに扶養者喪失の蔡に物質的補償を受ける権利を有する。

中華人民共和国憲法第50条は言う。

勤労者は、老齢、疾病または労働能力喪失の場合は、物質的援助を受ける権利を有する。

アメリカ合衆国憲法には、こうした生存権に関する規定はない。アメリカが日本占領中に作ったGHQの憲法草案、いわゆるマッカーサー案にも、生存権を認める条文はなかった。日本国憲法に第25条を書き加えたのは日本人で、彼らはワイマール憲法を参考にした。

その日本国で、ふくれあがる社会保障費の重圧に耐えかねた政府が、公助の負担領域を減らして、その分を自助に回そうとしている。菅内閣総理大臣や、その与党である自民党が口先で「自立」「自助」「絆」を持ち上げているのは、何のことはない、社会保障関連費の支出引き下げ宣言なのである――国民は勤勉に働いて国に税金を納め、何かあったときは、よろしく自身と家族の絆でしのぎなさいと、彼らは謳っているのである。

(2020.9.24  花崎泰雄)

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秋の日の釣瓶落としに呆然と

2020-09-17 03:10:41 | 政治

毎日新聞が安倍首相陣表明後の9月8日、安倍内閣支持率を世論調査で調べた。内閣支持率は50%に跳ね上がった。前回8月22日の辞任表明前の34%から16ポイント急増した。

安倍氏がいる内閣よりも、安倍氏がいなくなる内閣を支持する、という辛辣な冗談なのだろうか。死者を鞭うたない東洋古来の道徳観がもたらしたものだろうか。政治家がよく使う「禊ぎ」を辞めてゆく安倍氏に与えたのだろうか。「いずれにせよ」は安倍氏をはじめとする安倍内閣の面々の口癖だったが、いずれにせよ、日本の有権者はそのような考え方をするのである。日本の政治家はそのような日本の有権者の中を遊弋している。

「政治はいまや立身出世の方便である」といったのは、イギリスのサミュエル・ジョンソンである。安倍氏の後任総裁に菅氏を選んだ自民党内の選出過程は、一般の会社の役員選出風景と変わることがなかった。総裁選に出た3人の自民党議員の中で、政治のグランド・デザインを語ることが最も少なかった菅氏が圧倒的な勝利を収めた。自民党国会議員の集団は日本で最も根深いムラ型政治の体質を引きずる永田町のクラスターである。自民党国会議員は大臣の椅子を目指して派閥に所属し、大臣や党の役職を経ていつの日か総理大臣のポストを手に入れようと、虎視眈々、機会をうかがっている。それが彼らにとっては自分らしく生きることなのである。

安倍氏が掲げた「美しい日本」の旗も、ほぼ居ぬきのかたちで内閣をひきつぐ菅氏が受け継ぐのであろう。「きれいはきたない」「美しいは醜い」――国家だの、国だのと叫び散らす政治家は油断ならない。なぜなら、サミュエル・ジョンソンに言わせると「愛国主義は悪党の最後のよりどころ」であるからだ。

副総理として菅内閣に残留した麻生氏の悪党ぶりはものすごい。彼は2013年、当時の新聞記事によるとこんな風な発言をしている。

ヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、出てきた。ドイツ国民がヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下でヒトラーが出てきた。憲法はよくても、そういうことがありうる……憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね……

翌2014年安倍内閣は、内閣法制局を人事を通じてねじふせ、それまで集団的自衛権は憲法に違反するとしてきた法制局見解を「合憲」に変更させた。

そういう人たちが2012年の暮れからこの国の政治を牛耳ってきた。したがって、功績よりも弊害が目立った。

国連関連団体が毎年発表している「世界幸福度ランキング」によると、2019年の「美しい国」日本の住人たちの幸福度は104か国中ランキング58位だった。上位には例によって、フィンランドを筆頭に北欧諸国とオセアニアのニュージーランドやオーストラリアが入った。日本は2015年46位、2016年53位、2017年51位、2018年54位、と幸福度世界で中位をさまよっている国である。

幸せをもたらすのは、もちろん金だけではないが、極貧の中でも幸せを感じることができのは、少数の哲人だけだろう。日本の1人当りGDPは2010年の統計では世界第2位で35,534ドルだった。安倍政権が続く中、2018年には39,304ドルで世界26位までに後退した。同年シンガポール64,574ドル、オーストラリア51,334ドル、香港48,451ドル、ドイツ46,667ドル、カナダ46,290ドル。日本が足踏みするうちに、多少の幸運と多少の才覚・工夫と努力で、諸国が日本を追い越して行った。

だが、安倍政権は安倍のミックスは成果をあげたと誇らしげに言いつのった。安倍政権最後の日の9月16日、朝日新聞の「天声人語」は「景気対策に限れば安倍政権は満点には遠いが及第点だったと筆者は考える」と書いた。一方で、13面のオピニオンのページでは原真人記者が「アベノミクスを経済界がもてはやしたのは、円安・株高・堅調な雇用のせいだった」と書いた。だが、円安はドル高とユーロ高が急速に進んだ結果の裏返しにすぎず、雇用が堅調なのはここ10年で生産年齢人口が640万人減ったせいであり、株高は日銀のマイナス金利政策と、上場投資信託の巨額買い入れが相場を支えただけである。アベノミクスは雨乞いのようなものではなかったか。そのおかげで「政府の借金はもはや一朝一夕には解消できないほどに膨らみあがっている。その半分近くは、日銀が輪転機をぐるぐる回してお札を刷ってしのいでいる」ど同記者は書いた。

株価は市井の人々の経済生活と関連が薄い。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでノーベル経済学賞受賞者であるポール・クルーグマン氏は最近の同紙に “Gross Domestic Misery Is Rising” という評論を書き、その中で「株式市場は経済ではない。アメリカ人のわずか1パーセントが株式の半分以上を所有し、所得中位以下の人々が持つ株式は市場の0.7パーセントにすぎない」と説明した。雇用もGDPも経済であるが、経済の1点に過ぎない。エコノミストの一部や政治家の多くが忘れているのは、経済はデータでなく人々の暮らしの問題であることを指摘した。

日本証券業協会の2019年のデータによると、2018年度末の個人金融資産残高は1,834兆円で、現金・預金が全体の53.3パーセント、上場株式は5.6パーセントだった。

スーザン・ストレンジが実体経済とは関係なく動くマネー・ゲームをカジノ資本主義と名付け、その金をマッド・マネーと名付けたのは前世紀の終わりごろだった。株価の堅調と人々の堅調な暮らしは連動しない。

実際に人々の暮らしにかかわる指標を見ると、

  • 日本の子どもの貧困率は15.7パーセント(2017年のOECD統計)で世界のワースト23位。
  • 日本の教育への公的支出は38か国中37位(OECD調査、2020年)
  • 日本の男女平等指数は世界135か国中121位。120位はアラブ首長国連邦。中国106位。韓国108位。
  • 国境なき記者団の2019年調査によると、日本の報道の自由度は世界72位だった。自由度の上位はノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国が占め、アジアでは韓国が42位、台湾が43位である。順位はともかく、深刻なのは日本の自由度のランキングが年を追って落ちていることである。2010年に世界11位だったランキングが、安倍政権の2014年に59位に落ち、2015年には61位。2019年には72位まで落ちた。プレスには民主主義をまもり、政治的腐敗をかぎつける番犬役が期待されるのだが、プレスの牙を抜き「歯なしの番犬」に仕立てようとする動きが背後にある。

安倍政権の7年余りの間、日本人の暮らしの質は劣化し続けた。あらゆることを「問題ない。問題ない」と、理由を説明することなく退けてきた菅氏が率いる自民党政権に、先にあげた日本の長期劣化指標を巻き返す能力があるか。期待できる要素はどこにもない。

(2020.9.17  花崎泰雄)

 

 

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病める宰相

2020-09-09 23:38:00 | 政治

最初は悲劇、二度目は茶番、とマルクスは書いた。

正確に言えば次のようになる――世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるとヘーゲルは言ったが、一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と書き添えるのをヘーゲルは忘れた。『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭にそんなことをマルクスは書いている。

世界史的な事件でも大人物でもないが、日本の“永田町政局史”の中で、マルクスのこの御託宣を演じて見せたのが安倍晋三・日本国首相(2020年9月9日現在)である。

安倍首相は2007年9月12日に一度目の辞意を表明し、首相の座をおりている。政治とカネをめぐる閣僚らの不祥事、年金記録問題が起きて、2007年7月の参院選で自民党が惨敗するなどの逆境に立たされた。

この時の辞任表明にあたって、安倍氏は持病の潰瘍性大腸炎には触れなかった。安倍氏は辞意表明の翌日の9月13日に入院、9月24日に入院先で記者会見を開き、体調の悪化によってこのままでは総理としての責任を全うし続けることはできないと辞任を決断した、と理由を語った。

周恩来氏は1976年に国務院総理(首相)在職のまま死去した。

元フランス大統領のフランソワ・ミッテラン氏は1995年に前立腺がんで死去した。

周恩来氏は毛沢東に対して忠実にふるまい、同時に、中国の将来を睨んで毛沢東路線の行き過ぎの調整にあたった。文化大革命で揺れる中国のかじ取り役をこなした。重篤な病をおして、病院から指示を出していたそうである。壮絶な死であった。

ミッテラン氏が死去したのは退任から8か月後の1996年の事だった。のちに公になったことだが、ミッテラン氏は1981年から1995年の任期の早い時期に前立腺がんを発症し、ひそかに治療を続けながら大統領職を務めていた。2期目の終りごろには大統領の職務遂行が困難な状況だったといわれている。ミッテラン氏が生命を賭して仕事を続けなければならないほどの課題があの頃のフランスにあったのだろうか。あるいは、ミッテラン氏にとっては権力者の座にい続けることが命より大切なことだったのだろうか。

さて、安倍晋三首相だが、彼は2020年8月28日二度目の辞任を表明した。辞任の理由は潰瘍性大腸炎が悪化し、国政に支障が生じるのを避けたい、ということであった。2007年の辞任のさいは、病気であったことは数日間語られぬままだった。2度目の辞任あたっては、検査のために病院へ行く姿をあらかじめメディアに報じさせ、潰瘍性大腸炎再発を辞任の理由の前面に持ち出した。

なぜ、安倍氏は二度目の辞任にあたって潰瘍性大腸炎再発を喧伝したのだろうか。安倍氏は首相の座にとどまることにうんざりし、一方で、無責任な政権投げ出しの批判を避けるために、潰瘍性大腸炎を理由にしたのである。評判最悪だったいわゆるアベノマスクを、安倍首相は執拗なまでに着用し続けた。他の閣僚はアベノマスクとは異なる大判のマスクを使っていた。テレビで見る限り、アベノマスクを使っていたのは首相以外には、少数の熱烈な首相取り巻きだけだった。

ところが、辞任表明の少しまえから、安倍首相はこだわりのアベノマスクの使用をやめた。首相官邸に入る安倍氏がアベノマスクに代えて普通の大型のマスクを使っている姿を、テレビのニュースカメラが映し出すようになった。

今にして思えば、ちょうどあのころアベノツッパリの腰が折れたのだろう。

第2次安倍政権も閣僚や与党議員の不祥事が相次ぎ、さらに加えて、森友問題、加計問題、桜を見る会をめぐる安倍氏自身の疑惑が取りざたされた。安倍氏を擁護しようとする行政官庁の首相に対する忖度ぶりが世間の評判になった。

安倍首相は職を投げ出したくなっていたと想像される。彼は何か志があって国会議員になったわけでも、首相になったわけでなく、家業の議員職を継いだだけの身だった。首相のポストへの執着も義務感も、ミッテラン氏や周恩来氏ほど強烈ではなかった。一度目の苦渋を飲まされた潰瘍性大腸炎が、二度目は政権投げ出しの格好の隠れ蓑になった。

辞任表明後も9月16日の臨時国会まで、彼は首相の座にとどまる。余裕しゃくしゃく、首相の仕事をこなしている。9日朝刊の「首相動静」をみると、8日は朝10時前に官邸に入り、分刻みのスケジュールで大勢の人と会い、午後6時まで官邸で働いていた。

(2020.9.10 花崎泰雄)

 

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