Podium

news commentary

Hasta la vista ――再見

2022-10-29 23:30:02 | 国際

心が冷える映像だった。

10月22日の第20回中国共産党大会閉幕式で習近平総書記の隣にすわっていた胡錦涛・前総書記が場内の係員に腕をとられて退場を促され、いやがるようなそぶりを見せつつ、習近平氏に向かって短く言葉を発し、李克強首相の方をポンとたたいて、退場した。

気味の悪いTV映像だったが、この政治寸劇の意味するところは、いまのところ、世界のどのメディアも説明できないままだ。

チャイナウォッチャーやペキノロジストの憶測は次の3つに大別できる。

習近平は総書記在任中の10年をかけて中国を米国の覇権に挑戦する強国に育ててきた。将来の政治的競争者になりそうな幹部を反腐敗運動でつぶし、江沢民に近かった上海閥の非力化に努めた。残る競争相手の共産主義青年団については、李克強氏を政治局常務委員から外し、同派のホープだった胡春華も政治局員から降格させた。習近平総書記の一強体制の総仕上げのお披露目が胡錦涛前総書記の共産党大会会場ひな壇上からの剥ぎ取りだった、というのが第1の見方。

そうした習近平のやり方に胡錦涛が身をもって抵抗の姿勢を示したのである、という第2の見方もある。

上記のような生臭い話ではなく、胡錦涛が体調を崩したために、いそいで彼を休憩室に運んだだけのことだ。そういう第3の推測もある。ただ、テレビの映像を見る限り、胡錦涛の隣にいた習近平も、さらにその隣にいた李克強も胡錦涛の体調にはそしらぬ顔だった。椅子から立ち上がって胡錦涛に声をかけるような様子を見せなかった。習近平の指示で、係員に彼を場外に運び出させた。幹部たちは事の成り行きに全神経を集中させる一方で、必死でそしらぬふうを取り繕っていた、ように見えた。

共産党大会終了後の10月27日、習近平総書記は政治局常務委員を引き連れて、陝西省延安を訪れ、毛沢東の旧居などを見学した、と中国からの報道があった。習近平の父親の習仲勲は毛沢東時代に失脚し、16年もの収容所暮らしをした。習近平自身も下放されている。彼は自力で、「太子党」のエースとして総書記のポストを手に入れた。このポストを奪われないようにするためには、毛沢東と並ぶ権威を手に入れなければならない。

 

ジェームズ・フレイザーが『金枝篇』(永橋卓介訳、簡約本、岩波文庫)冒頭で、以下のような興味深い伝承を書いている。

ウィリアム・ターナーが「金枝」という絵を描いている。イタリアの山村にある「森のダイアナ」の聖地である。そこには湖があって、一本の樹が立っている。その木の周りをものすごい形相の人物が、抜き身の剣を引っ提げて昼夜を問わず徘徊している。この人物は祭司であり、また、殺人者でもあった。徘徊する人は自分を殺して祭司の地位を分捕ろうとする侵入者を警戒しているのだ。祭司の候補者は祭司を殺すことで祭司の地位を手に入れることができる。前任の祭司を殺して、新しく祭司となった者は、より強く、より老獪な者がやってきて彼を殺すまでのあいだ、祭司の地位を保つことができる。

(2022.10.29 花崎泰雄)

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hasta la vista baby

2022-10-22 23:35:13 | 政治

ボリス・ジョンソン氏が「あばよ」と議会で叫び、英国首相・保守党党首をやめた。その後任のポストを獲得したばかりのメアリ・エリザベス・トラス氏が党首と首相の椅子から転がり落ちた。背景にあるのが経済不振。その後任の決定に、ジョンソン氏が取りざたされるという笑劇が世界の笑いを誘っている。

ウクライナとの戦争で泥沼に足をとられているロシアのプーチン氏は、兵士の訓練現場で射撃をして見せた。中国の習近平氏は周辺を忠臣たちに守られ3期目の中国共産党総書記・国家主席になろうとしている。毛沢東氏と並ぶ権威の獲得を急いでいる。

円安・物価高騰・低賃金・旧統一教会問題と嵐に見舞われている日本の岸田首相は今のところまだ辞任のそぶりを見せていない。安倍晋三・黒田東彦両氏が組んだアベノミクスの最終成果が1ドル=150円の為替相場である。日本の経済力の国際的なランキングは下降する一方で、教育研究の水準も伸びず、女性の社会進出、メディアの自由度も国際的指標からみると低迷あるいは低下している。

能天気なわたしも最近は寝つきが悪くなった。眠気を誘うために寝床で本を読む。このところは『イーリアス』。読んでいるうちに確実に眠気がやってくる。

昨夜はふと手にした桑原武夫『第二芸術』所収の「短歌の運命」。「第2芸術」で俳句と俳句作家の「思想的社会的無自覚」をからかったのと同じ手法で、短歌と短歌作家を揶揄した論文である。

その「短歌の運命」の中で、桑原氏が心を動かされたと紹介した歌の一つが、

 消(つい)えゆく国のすがたのかなしさを現目(まさめ)に見れど死にがたきかも

                         (釈迢空

老衰期に入って干からび始めているような感じさえしてくるこのところの日本の姿を想起させるが、短歌としての出来はどうだろうか。朝日新聞の西木空人選の『朝日川柳』レベルのギャグにとどまっているように私は思う。

米国のオバマ政権で国務長官を務めたジョン・ケリー氏が、トランプ氏のツイッター趣味を評して「ホワイトハウスで考えることは、ツイッターに許された語数では説明できない」と言ったことがある。

(2022.10.22 花崎泰雄)

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秋は来にけり

2022-09-29 17:14:23 | 社会

住んでいる団地から公園に向かう遊歩道がイチョウ並木になっている。緑濃かった葉っぱが黄色みを増している。その下を歩くとにおいを感じる。生のイチョウの実は独特の強い臭みを発生させる。

はき続けた靴の匂いといわれてきた。気象状況によって異臭の強さが変わる。路上に落ちたイチョウの実が通行人によって踏みつぶされ、そこへひと雨降り、やがて日が差し始め、地表が温まると同時に、異臭がゆらゆらと立ち上る。

東南アジアにはドリアンという木の実がある。珍味ではあるが極度のにおいを発生させるので、高級ホテルでは持ち込みが禁止されている。ドリアンの異臭については、3日間はき続けた靴下をくみ取り便所の中で嗅いでいるような感じだと言われてきた。シンガポールの地下鉄MRTはドリアンの車内持ち込みを禁止している。

その実が強い腐敗臭を放つイチョウを遊歩道の両側に植えたのはなぜなのだろうか。

遊歩道を抜けきって公園に入ると、木立の一角にキンモクセイの群落があった。嗅覚をしびれさせて悪臭を感じさせなくなるような強烈なにおいを発する黄色の花である。この強いにおいはかつて便所の臭い消しにつかわれた。キンモクセイの香りをかぐと、便所花という言葉を思い出す。

(2022.9.29 花崎泰雄)

 

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沖縄――要石か捨て石か

2022-09-15 00:58:45 | 政治

2022年9月11日、沖縄県知事選挙で玉城デニー知事が再選された。沖縄の施政権返還から半世紀にあたる年の知事選挙だった。

玉城氏の勝利は、辺野古の新基地建設反対の民意が変わっていないことを示しており、日本政府は新基地建設を断念すべきだ、と『琉球新報』(9月12日)社説は主張した。松野内閣官房長官は「辺野古移設が唯一の解決策と考えている」とにべもなかった。東京の毎日新聞は、振興予算などを使って辺野古移設受け入れを迫るような「アメとムチ」の手法をやめるように日本政府に忠告した。

政府は金にものを言わせて沖縄の有権者の心変わりをしぶとく待つ。沖縄の有権者は激しい怒りを中央政府にぶつける。この構図は長い間変わっていない。日本と米国は沖縄が安全保障のコーナーストーン(要石)であると認識し、沖縄住民は、日本政府が沖縄を本土の安全保障のための捨て石と考えているという、腹に据えかねる怒りを持ち続けている。この亀裂はどこから生まれたのだろうか。

宮内庁『昭和天皇実録 第十』(東京書籍、2017年)の1947年9月19日の記録には以下のような記述がある。

「午前、内廷庁舎御政務室において宮内府御用掛寺崎英成の拝謁をお受けになる。この日午後、寺崎は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルトを訪問する。シーボルトは、この時寺崎から聞いた内容を連合国軍最高司令官(20日付覚書)及び米国国務長官(22日付書簡)に報告する。この報告には、天皇は米国が沖縄及び他の琉球諸島の軍事占領を継続することを希望されており、その占領は米国の利益となり、また日本を保護することにもなるとのお考えである旨、さらに、米国による沖縄等の軍事占領は、日本に主権を残しつつ、長期貸与の形をとるべきであると感じておられる旨、この占領方式であれば、米国が琉球諸島に対する恒久的な意図を何ら持たず、また他の諸国、とりわけソ連と中国が類似の権利を要求し得ないことを日本国民に確信させるであろうとのお考えに基づくものである旨などが記される」

 

シーボルトの報告書は国際政治学者・進藤榮一教授が米国の国立公文書館で見つけ、『世界』1979年4月号で公にしていた。文書のコピーは沖縄県公文書館にも保存されている。次のURLで読むことができる。https://www.archives.pref.okinawa.jp/uscar_document/5392 この文書は国際政治学者・進藤榮一教授が米国の国立公文書館で見つけ、『世界』1979年4月号で公にした。文書のコピーは沖縄県公文書館にも保存されている。また、進藤教授の『世界』掲載論文は進藤榮一『分割された領土』(岩波現代文庫)に収められている。

昭和天皇が寺崎に会った。同じ日に寺崎がシーボルトに会った。シーボルトが寺崎から聞いた天皇のメッセージを本国に連絡した。この3つの事実を並列させ、その間の脈絡を消し去ることで、昭和天皇と沖縄の米軍基地化の関係を薄めようとした宮内庁の作為がにおう。ちなみに、『実録』の同じ日の記事に、昭和天皇が外務大臣芦田均と会ったと書かれている。芦田は天皇に「日本の安全保障を米国に依頼する代わりに、日本本土の一部を米国に軍事基地として提供する」と米国に通知したと語った。こちらの方は誰が何をしたかがはっきりと書かれている。

1947年5月3日に施行された日本国憲法で天皇の国事行為はすでに厳しく限定されていた。にもかかわらず、戦後の混乱期とはいえ、政府とは別のルートで天皇が直接米国に占領政策を語りかけ、沖縄を米国に差し出す姿は異様である。進藤榮一『分割された領土』が言うように「日本保守派が、宮廷をひとつの核として、反ソ、反共主義を説き、米日軍事提携のなかに復権のための外交政策を見いだした」とする見立てに説得力がある。敗戦と戦後改革の中で旧保守派は政治的復権と国体護持を目指して、米国の知日派に応援を求めていたと、進藤教授は書いている。

また、1951年初頭、吉田茂首相は講和条約交渉で東京に来ていた米特使ダレスに対し、講和後の沖縄の取り扱いについて租借方式を提案し「バミューダ方式(99年間の租借)」でどうかと言った。昭和天皇もシーボルトに25年から50年、いやそれ以上の租借を提案していた。吉田の99年租借案はダレスに拒否された。吉田は99年租借案を本気で言ったのか、アイロニーだったのか、いずれにせよ、沖縄の人にとっては不快きわまる発言である。

サンフランシスコ講和条約が発効し、アメリカの沖縄直接統治が始まった4月28日は沖縄の人々にとっては「屈辱の日」である。2021年4月28日付『琉球新報』は沖縄の屈辱の源流には天皇メッセージと吉田茂の99年租借発言があると社説で指摘した。

沖縄を軽んじる態度は、日本の権力者にとりついた病である。矢部貞治『近衛文麿』(読売新聞社)によると、戦争末期、袋小路に追い詰められていた天皇とそのグループはソ連に戦争終結の仲介を依頼しようとした。昭和天皇が直接近衛に特使の役目を依頼した。近衛は周辺に「自分一身はどうなっても構わぬが、ただ皇室だけは安泰にしたい」と漏らしていたという。

近衛は「和平交渉の要綱」を作成、その中に①国体の護持は絶対にして、一歩も譲らざること②国土についてはなるべく他日の再起に便なることに努むるも、止むを得ざれば固有本土をもって満足す――の2点を書き込んだ。近衛は「国体」とは「皇統を確保し天皇政治を行う」こと、「固有本土」とは「最下限沖縄、小笠原、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度」と説明した。天皇政治維持のためなら沖縄は切り捨てても構わないというのが昭和天皇との近衛の考え方だった。

しかし、終戦工作は失敗に終わる。1945年2月のヤルタ会談で、ソ連はサハリン南部、クリル諸島が引き渡されることを条件に、日本と開戦することをすでに米英に約束していた。近衛特使の終戦工作については1945年7月13日、日本は近衛派遣を申し入れたが、18日にソ連が受け入れを断った。7月のポツダム会談で、スターリンが近衛特使の件を情報として米英の首脳に披露しが、ポツダム会談のメンバーは日本の和平工作に関心を示さなかった(茂田宏他編訳『戦後の誕生――テヘラン・ヤルタ・ポツダム会談全議事録』中央公論新社、2022年)。

 スターリン この(申し入れ)文書に新しい点はない。日本は我々に協力を提案している。我々は過去にそうしたと同じような精神で回答することを考えている。

 トルーマン 我々は反対しない。

アトリー首相 我々は同意する。

 スターリン 私の情報は終わりである。

 

(2022.9.15 花崎泰雄) 

 

 

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司会者

2022-09-10 23:45:50 | 政治

やっていたのは結婚披露宴ではなく、時事問題についての政治討論会だったのだから、司会者は出席者の発言内容について敏感であるべきだった。

9月4日のNHKの番組「日曜討論」を見ていたら、自民党の茂木敏充幹事長が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連の霊感商法をめぐる問題の議論の中で、「左翼的な過激団体と共産党の関係、ずっと言われてきた」と発言した。戦後間もなくのころの共産党については、暴力革命路線が話題になっていたし、共産党は現在でも公安調査庁が破壊活動防止法に基づく調査対象団体にしている。

おやおや、共産党はどんな種類の左翼過激団体と感がるのだろうと聞き耳を立てた。討論に参加していた共産党の小池晃書記局長が即座に全く事実無根であるとして、茂木氏に発言の撤回を求めたが茂木氏は無言のまま。

小池氏は翌5日月曜日の記者会見で、茂木発言の撤回を求めたが、茂木氏は発言を撤回する必要を認めなかった。

茂木はどんな証拠をもとに、共産党が左翼過激団体の関係を持っていると言ったのだろうか。公安調査庁から何か重要情報を聴いているのだろうか。興味深い議論になると期待したのだが。NHKの司会者はNHKの解説委員であり、ジャーナリストなのだから、茂木氏に発言をきちんと問い直し、それに対する小池氏にきちんとした反論の時間を与える、討論番組を生き生きと盛り上げるべきであった。

しかし、司会の伊藤氏は茂木・小池発言に興味を示さず、そのままするすると次のテーマに移った。物足りないディベート番組だった。

 

(2022.9.10 花崎泰雄)

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ゴルバチョフ

2022-08-31 23:49:16 | 国際

ミハイル・ゴルバチョフが8月30日死去した。

朝日新聞8月31日夕刊1面の解説記事に次のような記述があった。

「ゴルバチョフ氏の評価を巡っては、欧米や日本では『冷戦を終結させ、核軍縮を推進した』と肯定する声が多数を占める一方、ロシアでは『ソ連解体の張本人』という否定的な意見が支配的だ。ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

ゴルバチョフの評価で、欧米では肯定的、ロシア国内では否定的意見が多いことはかねがね指摘されてきた。だが、次の一文、

「ソ連解体から続くロシアの国際的地位の低下がウクライナ侵攻を引き起こしたとの見方もある」

これは大風が吹けば桶屋が儲かる式の言葉遊びに過ぎない。ゴロバチョフによるソ連の瓦解で、ロシア人は大国の市民としての自信を失い、その喪失感の埋め合わせにロシア・ナショナリズムに溺れ、それをプーチンが権力永続化に利用してウクライナ侵攻を企て、不安になったNATO諸国が防衛費を増加させ、日本の保守勢力が防衛費のGDP2パーセントを声高に叫び、来年度の防衛予算を大幅に増やそうとしている。もとをただせば、世界的な軍備増強の大波はゴルバチョフの改革に始まることになる――といった銭湯的国際政治学に発展する。

ゴルバチョフがソ連の最高指導者になった1985年、ソ連の政治・経済・社会はすでに行き詰っていた。だからアンドロポフがソ連立て直しのための切り札としてゴルバチョフを国家指導者に引きたてたのだ。そもそもソ連はつぶれかけていたのである。

ゴルバチョフとレーガンは1987年にINF(中距離核戦略)全廃条約に調印した。米ソがINF全廃条約に縛られていた30年ほどの間に、中国が中距離弾道ミサイルの配備を着々と進めた。それに怒ったトランプがINF全廃条約の廃棄をロシアに通告した。

核兵器削減と東西冷戦の終結は、ゴルバチョフの主要な政治的功績だが、そうした平和への明るい貢献も、国際政治の闇の中にいつの間にか沈んでしまう。ふりかえると歳月のむなしさが感じられてならない。

(2022.8.31 花崎泰雄)

 

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反古

2022-08-22 00:50:18 | 国際

承前。沖縄返還交渉にあたって当時の首相・佐藤栄作の密使の役を演じたのは、京都産業大学教授・若泉敬だった。

密使役をおえた若泉は郷里の福井県に居を移し、やがて大学も退職した。1994年になって、密使の役割と沖縄核密約について『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文芸春秋)で公にした。そのような密約文書はない、と政府は言った。沖縄の世論は政府の背信行為であると怒った。

佐藤・ニクソンの沖縄核密約問題は、しばらくジャーナリズムの話題になり、1995年にはNHKが若泉に焦点を当てた「沖縄返還・日米の密約」を放映した。密約があったと考える人と、密約はなかったという政府の言を信用する人、この2派に国民は別れた。だが関心は長続きせず、やがて沖縄核密約問題は世間のトピックとしては色あせた。翌1996年に若泉は死んだ。

若泉死去から3年後の2009年になって、故人となっていた佐藤栄作の机の引き出しから見つかったとして、佐藤の家族が秘密文書をメディアに公開した。ここでまた沖縄密約問題が世の中の話題になった。その年に政権が自民党から民主党に移った。

民主党政権の外相に就任した岡田克也が外務省に密約関連の資料探しを命じた。また、外部の有識者で有識者委員会を組織し、調査を依頼した。外務省事務当局の資料探索では、機密文書「合意議事録」は発見できなかったが、佐藤栄作が自宅に持ち帰ったいわゆる密約文書は、若泉の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』にある文書とほぼ同一であることが確認された。

有識者委員会は討議の結果、密約文書は「共同声明の内容を大きく超える負担を約束するものではなく、必ずしも密約といえない」「密約が無くとも別途の方法で沖縄返還実現は合意されたのではないかと思われる」と結論した。

日本の政府は佐藤栄作が残した密約文書の政治的インパクトを弱めようとした。沖縄返還交渉の実務で若泉の相手役をつとめたモートン・ハルペリンが2014年に来日して、共産党が発行する『しんぶん赤旗』のインタビューに応じた。密約は存在し、現在も有効である、とハルペリンが明言したと同紙が伝えた。

「私は、日本国の最高責任者である内閣総理大臣から、『核抜き返還』について米国政府とその最高レベルで公的に交渉するすべての権限を直接に付与されたのである」と若泉は佐藤栄作から密使役を依頼された時の高揚感を『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』に書いている。後藤乾一『「沖縄核密約」を背負って――若泉敬の生涯』(岩波書店)は、若泉は晩年、国家機密を暴露したことの罪悪感、核持ち込み容認という沖縄への自責の念、末期のがんという苦しみに取り巻かれていたと説明する。同書は訪問客が若泉が何かを飲み込んだような気配を感じ、そのあと若泉が倒れ、医師を呼んだが死亡した、と書いている。

密使・若泉が奔走してまとめ上げた密約は「密約」ではなく、密約が無くても他の方法で沖縄返還交渉は合意できた、という有識者委員会の結論を信じるとすれば、若泉の行動は滑稽に見える。一方、若泉の実務的交渉相手だったハルペリンの言葉を信じるとすれば、日本政府は国民に対して嘘をついていることになる。

佐藤栄作の机の引き出しから出てきた密約文書はいまどこに保管されているのだろうか。そこが日本という国の不気味なところである。

(2022.8.22 花崎泰雄)

 

 

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機密文書

2022-08-10 02:21:00 | 国際

米国のドナルド・トランプ前大統領のフロリダ州パームビーチの家をFBIが急襲した。「まるで第三世界の破綻国家の出来事だ。FBIは私の金庫も開けたのだ」と前大統領は怒った。8月9日のニューヨーク・タイムズ紙などの報道によると、FBIのトランプ私邸の捜索は、トランプが大統領退任のさいホワイトハウスから自宅に持ち帰った機密文書を探すのが目的だったという。

トランプ前大統領が自宅に持ち帰った公文書は米国立公文書記録保管局が返却を求めていたもので、15箱に上る量だ。大統領が退任のさいホワイトハウスから機密文書を持ち帰り、その返却をさぼっていたわけだが、ドナルド・トランプという人は、論理構造に人並みをはずれたところがあり、行動様式も奇矯なところが多々見られていたので、いかにもありそうなことに思えた。米国の元首である大統領をつとめ、公務と私事の境界があいまいになっていたのだろうか。それとも、もともとそんなことなど頓着しない人だったのだろうか。

米国政府の公文書管理は日本政府のそれに比べて段違いに整備されている。日米関係を専門にする研究者は、日本の政府の公文書管理の不備に辟易して、もっぱら米国に出かけ、公文書館にこもって記録文書を読む。

日本に長らく住んできた私はこの程度の事では驚かない。かえりみて日本の公文書管理がでたらめなのは、長期にわたる自民党政権の宿痾のようなものだ。

「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核3原則でノーベル平和賞をもらった故・佐藤栄作氏はニクソン大統領と交わした沖縄返還に関係する核密約文書を首相退任のさい自宅に持ち帰っていた。

その文書はニクソン大統領と佐藤首相の署名がある沖縄核機密文書で、日本を含む極東防衛という米国の責任を遂行するためには、米国政府は、日本政府との事前協議を経て、核兵器の沖縄への再持ち込みと沖縄を通過させる権利を必要とする。日本国首相は、そのような事前協議が行われた場合には、これらの要件を遅滞なく満たす、という内容だった。

この機密文書は、佐藤栄作が官邸から持ち帰った机の引き出しにあったという。佐藤栄作の死後、遺品の整理中に見つかったと遺族は言う。佐藤栄作は1975年に死去。この密約文書を佐藤栄作の次男・佐藤信二氏が公表したのは2009年12月のことである。

沖縄返還をめぐる対米核交渉では、日本の大学教授が佐藤栄作の密使として対米工作をしていた。この大学教授は1996年に死去したが、死の2年前に著書で沖縄の核をめぐる日米密約があったことに触れていた。日本のジャーナリズムは密約問題を話題にし、世間も密約があったらしいと感じていたが、日本の政府はそのような密約はなかったとしてきた。

佐藤栄作の死後三十余間、この機密文書は隠匿され続けたのだった。

(2022.8.10 花崎泰雄)

 

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ペロシ

2022-08-03 23:31:22 | 国際

毛沢東が天安門の楼上から中華人民共和国の成立を宣言したのは1949年の事である。同じ年に毛沢東との戦いに敗れた蒋介石は台湾に渡った。アジアで中国の影響力が拡大するのを恐れた米国は1954年に台湾と米華相互防衛条約を締結した。周恩来・中国首相が台湾は中国の一部であり、台湾への米国の肩入れは許さない、と言明した。米華相互防衛条約が失効した後、米国議会は台湾関係法を成立させ、台湾との連帯を続けた。中国は武力による台湾解放を否定せず、米国は台湾有事のさいの米国の関与についてあいまいな姿勢をとり続けてきた。このような台湾をめぐる米中の変則的な角逐は以来70年近く続いてきた。

今年5月23日 、訪日中のバイデン氏は同日、日米首脳会談後の記者会見で、中国が台湾に侵攻した場合、軍事的に関与するかどうか問われると、「イエス、それがわれわれの責務だ」と答えた。

台湾武力統一がありうるとする中国と、万一の時は台湾を守るとする米中の口争いは、続いてきたが、それが米中武力衝突(戦争)につながると、本気で考える専門家は多くなかった。この程度なら経済力と軍事力で米国を追い上げる中国と、世界の大国として落日の気配を見せるようになった米国の言葉のチキンゲームのボルテージが上がっただけのことで済ませてきた。

ペロシ米下院議長の台湾訪問で中国は米国非難の音量を一気に引き上げた。米原子力空母・ロナルド・レーガンが時を同じくして、ペロシ下院議長を乗せた米軍機の飛行ルート近くのフィリピン沖を航行した。

8月3日の新聞は中国軍が台湾周辺で大規模な実弾演習を計画していると伝えた。中国軍が発表した演習海域が示されていた。台湾を取り囲んで6地域に広がる。ロシア軍がウクライナに侵攻する前の、ウクライナ包囲演習の図を思い出させるような不気味な演出である。

ペロシ訪台によって台湾の安全保障態勢がそれまで以上に改善されるのかどうか、まだわからない点が多いが、おおざっぱに言えば、改善されるという根拠は見当たらない。この秋の共産党大会で三選を目指す習近平国家主席にとっては、微妙な時期に底意地の悪いアメリカ帝国主義の嫌がらせである。ペロシ下院議長は中国に一泡吹かせることができと喜んでいるかもしれないが、中国は苦り切っており、臥薪嘗胆、今に見ていろと、しっぺ返しの機会を狙うだろう。

台湾をめぐる米中の対立に、中国と米国の軍事力がこれ見よがしに前面に現れたのがペロシ訪台の効果である。こうした米中の力の show-off はしばらく続くことになる。台湾有事は日本の有事と、無邪気にさえずっていた日本の小鳥たちもこれを機に、戦争回避の長期的な外交術の錬磨に励むといい。

(2022.8.3 花崎泰雄)

 

 

 

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国葬

2022-07-19 00:17:22 | 政治

参院選挙応援演説中に銃撃されて死亡した安倍晋三・元首相を、この秋に国葬で送ると岸田文雄首相が言った。国葬令はすでに廃止されているので、閣議決定によって国葬を執り行うそうである。

安倍元首相に国葬がふさわしいかどうかは、今後の国会議論などに判断をゆだねることになる。戦後の国葬は吉田茂・元首相の1例限り。その他の首相たちは国民葬、合同葬といった形式だった。政治権力が執り行う公葬の対象者は、たいてい首相経験者のような政治家である。哀悼してお別れするような集まりではなく、残された政治勢力の影響力分捕り合戦の機会である。

そうした性質の儀式に国庫から費用を出すことを咎める向きもあろう。だが、故安倍晋三氏の場合、アベノマスクに200億円を超える予算を執行しているので、国葬の費用についていまさら議論する気にもならないであろう。

F1レーサーのアイルトン・セナはブラジルで国葬。歌手のテレサ・テンは台湾で国葬。2人とも国民的な人気者だった。

戦前に常設国際司法裁判所長を務めた足立峰一郎氏は、その功績をたたえてオランダで国葬された。ブータンの農業に功績のあった西岡京治氏はブータンで国葬された。2人とも仕事先の国でよく働き、その業績が尊敬された。こういう国葬はわかりやすい。

(2022.7.19 花崎泰雄)

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