Podium

news commentary

日朝秘密接触

2023-09-30 18:21:06 | 政治

9月29日付の朝日新聞朝刊が、日本政府関係者と北朝鮮労働党関係者が2023年の3月と5月の2回東南アジアで秘密裡に接触していた、と報じた。同紙は複数の日朝関係筋が証言した、としている。

日本の岸田文雄首相は北朝鮮のキム・ジョンウン総書記との首脳会談実現に向けた環境整備のため、今秋にも平壌に政府高官を派遣することを一時検討していた。現在では、ウクライナと戦争を続けるロシアが北朝鮮に接近するなど国際情勢の変化もあり、首脳会談の実現に向けた交渉は停滞している、と同紙は伝えた。

ところで、「5W1H」という言葉をご存じだろう。いつ(when)、誰が(who)、何を(what)、どこで(where)、なぜ(why)、どのようにして(how)の事である。学校の社会科でニュースの要件であると習った。

このニュースに登場する行為者(actor)は、日本政府関係者、北朝鮮労働党関係者、日朝の関係者の接触があったと言っているのは複数の日朝関係筋である。接触の葉所は東南アジアの主要都市とあいまいである。

東南アジアのどこかの都市で今年前半に日朝の関係者が秘密裏に接触し、日朝関係の改善に向けて話し合いをしたが、話し合いは挫折、現在は過去の交渉エピソードの1つとして記憶されている。

なぜ、この種の記事が突然浮上したのだろうか? さらに、この記事はソウルの東亜日報が今年7月に伝えた、「日朝が水面下接触」の焼き直しのようにも見える。

東亜日報は7月3日付で、日本と北朝鮮の実務者が6月に複数回、中国やシンガポールなどで水面下の接触を行ったと報じた。複数の情報筋の話として、日本人拉致問題や高官級協議の開催などをめぐって議論したが、見解の差が埋まらなかった、としている。東亜日報のニュースは日本の新聞がすぐさまフォローした。

東亜日報が伝えた7月のニュースを、2か月後に再報道するには、東亜日報のニュースを超える正確な事実が必要だ。だが、朝日新聞の日朝秘密接触報道は5W1Hに関する限り新しい要素は少なかった。東亜日報の記事については、日本の松野官房長官がそのような事実はないと否定した。今度の朝日新聞の記事については、複数の首相官邸関係者が秘密接触を事実と認めた、と朝日新聞は報じている。「複数の首相官邸関係者が秘密接触を認めた」という記述と、「複数の首相官邸関係者が匿名を条件に秘密接触を認めた」という記述では、記事の信頼度に違いが出てくる。

ところで、日本の臨時国会は10月20日に召集される。岸田政権は当面の経済政策として5項目を打ち出した。①物価高対策②持続的な賃上げと地方の成長③国内投資促進④人口減少対策⑤国土強靱、国民の安心・安全、である。岸田首相は9月28日朝、都内の運送会社を訪問してトラック運転手と人手不足や負担軽減について車座で意見交換した。国会議員やその周辺の人たちの間では、臨時国会中に首相が解散総選挙の手に出るのではないかと疑心暗鬼が広がっている。政治を前進させているという印象を国民の間にPRし、解散総選挙を予感させる状況を作り出し、その中で臨時国会の議論を乗り切ろうというのが岸田政権の思惑だ。

日朝が数か月前に関係改善を進める目的で秘密接触をしたが、結果をだすことができなかった。しかし、岸田政権が拉致被害者とその家族の思いを受けて、目に見えないところで拉致被害者全員の帰国を目指す交渉を続けている姿を国民にしめす。日朝秘密接触は結果が出なかったが、岸田政権の「やってる感」を有権者に印象づけ、解散総選挙があるうるという説得力の一助として、挫折した日朝秘密交渉が廃品利用され再報道されたと推測できなくもない。

(2023.9.30 花崎泰雄)

 

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政局報道記者の懺悔

2023-09-23 19:25:56 | 政治

「30年以上、政局取材に身をやつすと、消したい過去は幾つもある」と朝日新聞編集委員の曽我豪氏が「人事で政権が浮揚しようか」というタイトルの論評で書いていた(朝日新聞9月17日付3面「日曜に想う」)。

詳しいことは新聞を読めばわかるが、曽我氏の論旨は①これまでにいろんな首相が人事で政権浮揚を狙うと何度も書いたが、実際に浮揚した例は少ない②世論の関心は「剛腕」や「国民的人気」「党内融和」に頼る人事ではなく、政策や国会対応がいかに改善されるかにあるからだ、と曽我氏は書いた。

長い間朝日新聞を購読している私も同紙の政局記事には飽きあきしている。例えば本日(9月23日)の朝刊4面には木原誠二氏を自民党幹事長代理に据えた岸田首相(自民党総裁)のねらいは、次の総裁選挙で競争相手になる茂木敏充氏を抑え込むためであるという自民党内の政局記事が長々とつづられている。自民党は派閥の集合体であり、派閥は首相や閣僚を送り出す母体である。永田町界隈で国会議員や大臣や秘書官、官僚たちと接している記者の中には、それが日本国の政治報道であると妙な勘違いをしている人もいる。自民党の中の権力争いを伝えることが、すなわち政治報道であると思い込んでいる。

この手の政局記事は読み手である私は長い間うんざりしてきた。書き手である記者の方も政局記事を書き続けることに、実は倦んでいたことがわかったのは収穫だった。

曽我氏は論考の末尾で次のように語っている。「私たち政治記者の本務は、主権者の審判に資する確かな情報の提供にある。……自分は政局の勝者にまんまと利用されたのではないか。世論をたきつける旗頭の思惑と、政策効果や実現可能性など旗印の難点を政局と同時並行でもっと伝えるべきだった。……一種の罪ほろぼしだと思って私はこのコラムを書いている」

曽我氏のこの述懐は重要である。主権者の審判に役立つ情報を得るのが仕事である政治記者が、政治権力を持つ側の思惑にまんまとはまって政局記事を書いてしまう。有権者の側の側は政治権力を持つ人々が何を考えているのか、それとも、いないのかを知らねばならない。政権が選挙結果に従って出来上がる社会では当然の情報だ。それと同時に、現在政権を握っている政党や政治家にとっては、その地位を守るために有権者を靡かせるような情報をメディアで流布させる必要がある。有権者に必要な政治的情報と、政府首脳に必要なプロパガンダの双方を仲介するのが政治記者と政局記者である。

ベテランの政治記者が政局報道を悔いて、この先うかつな政局記事は書かないと示唆したのだが、一編集委員の懺悔だけで政局記事の過剰流通が収まるわけでもなかろう。

新聞報道が社会に与える影響力に関しては、マス・コミュニケーションの理論書でもそのインパクトの強弱について定説はない。とはいうものの、朝日新聞がかつて連載した『新聞と戦争』(https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=1378)を読めば、マス・メディアが権力に取り込まれた時の悲惨な社会がわかるだろう。日本社会がこのようなおぞましい時代を再来させる愚は避けなければならない。

新聞は利益を追求する私企業である。新聞社の収入は企業と従業員を守り、新しい時代の報道態勢を整えるための資金となる。したがって、新聞は読者がどんな記事を読みたいかを考えねばならない。新聞はニュース産業として社会に対する責任を負っている。ストレートな政治記事は読者を退屈させる。スポーツ報道のような政局記事は社会の論理的思考力を弱体化させる。

政治担当の著名な編集委員の懺悔を機会に、政治ニュースのバランスのとれた伝え方を、記者の心構えだけでなく、編集上のシステムとして新聞社が構築することが望まれる。

(2023.9.23 花崎泰雄)

 

 

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残暑お見舞い

2023-09-16 16:17:13 | 政治

今は昔。内田魯庵がこんなことを書いていた。「大臣が平凡なのは古来から定つてる。畢竟属僚の傀儡に過ぎないのだ。僕に一策がある。弾機(ぜんまい)仕掛の人形を作って大臣の服を着せ大臣の印を持たせて大臣室に置き、属僚恭やしく公書を献ぐれば人形殿は首肯いて印を押す、といふ仕掛にしたら第一内閣を変える手数もなく小十萬の俸給が助かるといふものだ。……世の中に何が楽に出来るかと云って、異形な凬體をして無言で歩く廣告屋と頭数を揃へた伴食大臣位容易なものは無らふ」(内田魯庵「變哲家」『社会百面相 上』岩波文庫)。

『社会百面相』が出版されたのは20世紀の初め。日本が日清戦争で勝利し、日露戦争が始まる数年前である。日本が資本主義にまい進し、アジアの遅れてきた帝国主義国家への道へ向かう頃だった。労働働運動が始まり、ストライキが起き、一部の運のいい社会階級が金と権力を求めて狂奔する埃っぽい時代だった。魯庵の『社会百面相』は当時盛んだった社会小説の代表作の一つとされた。

           *

2023年9月13日、岸田首相が内閣を改造した。「新しい資本主義」を唱えてみせたが、その言葉で何を実現しようとしているのかは、はなはだ不明瞭で、人気はかげりを見せている。内閣支持率の低迷を何とかしようと5つの閣僚ポストを女性に割り当てた。そのあとの記者会見で岸田首相は「女性ならではの感性や共感力も十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」と語った。「女性ならではの感性」「女性ならではの共感力」とは具体的にはどんなものなのか。

朝日新聞9月15日朝刊社会面は「典型的なジェンダーバイアス内面化おじさんの発想。この政権でジェンダー平等は進まないと、絶望的な気持ちになった」と、社会学者の水無田気流氏のコメントを伝えた。

日本国の岸田氏はこんな調子だし、米国のバイデン氏は息子のことで困っている。中国の習氏は政府や軍の高官の首をちょんちょんと切ってはいるが、本人は国際会議への欠席を繰り返し、中国国内に籠りきりだ。ロシア国のプーチン氏も海外出張を嫌って国内にとどまっている。ロシア極東部の宇宙基地で北朝鮮国の金氏と会ったのが最近では唯一の遠出である。

東京はまだ長い残暑が続いている。

(2023.9.16 花崎泰雄)

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!?デジタル・コネクティビリティ?!

2023-09-09 22:57:51 | 国際

岸田文雄・日本国首相がインドネシアのジャカルタで開かれたASEAN関連の東アジア首脳会議に出席し、李強・中国首相と立ち話をした。白眼視し合っている2国の首脳が15分間ほどの立ち話で何を語り合ったのか。日本の新聞やテレビの報道では詳しいことはわからない。中国からのレポートでも詳細は分からない。報道に値するような両国間首脳の意思疎通がはじまりかけたのかどうか、いまのところ何とも推測しようがない。とはいえ、2人がそっぽを向いてすれ違ったわけではなく、立ち話しすることに同意し合ったわけだから、それなりにめでたいことかもしれない。

東京は天候不順だったので家にこもっていた。退屈しのぎに、福田首相がASEANインド太平洋フォーラムで行った selamat pagi で始まり terima kasihで終わる短いスピーチを、首相官邸のインターネット配信映像で見た。岸田首相はこのスピーチで「コネクティビリティ」という聞きなれないカタカナ語をつかっていた。(https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg27259.html

なんだろう、これ。疑問に思って首相官邸や外務省のホームページを見ると、 “Japan-ASEAN Comprehensive Connectivity Initiative”  (日本―ASEAN包括的連結性イニシアティブ) がこの日の岸田スピーチのテーマだった。首相のために用意されたテキストでは「日本―ASEAN包括的連結性イニシアティブ」と書かれていた。ただ、一か所だけ「デジタル・コネクティビティ」という言葉が使われていた。岸田首相はスピーチでこの「コネクティビティ」を「コネクティビリティ」と読んでしまったようだ。(https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100548764.pdf)

凡ミスのようでもあり、スピーチの中心テーマの理解に手抜かりがあった深刻なミスでもある。「デジタル技術の連結性」とテキストに書き、きちんとした用語は専門家の通訳に任せればよかった。スピーチのテキストを書いた側近の失策でもある。

ふと思い出したのが米国大統領だったブッシュ(子)氏の国連演説草稿。(https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-28062720070926

                                    *

ちなみに、日本がASEANと連結性をもたせる分野は①交通インフラ②デジタル・コネクティビティ③海洋協力④サプライチェーンの強靱化⑤電力の連結性⑥人・知の連結性であると岸田氏は力説した。

(2023.9.9 花崎泰雄)

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水掛け論のその先は

2023-09-02 21:48:24 | 国際

野村農林水産大臣が東京電力福島第一原発の処理水を「汚染水」と言ってしまった。8月31日の事である。9月1日付朝日新聞朝刊によると、岸田首相が野村農水相の発言について謝罪し、農水相に発言の撤回を指示した。野村氏は「言い間違った」と陳謝した。

国連は8月24日のUnited Nations News で、 “Japan has begun discharging treated radioactive wastewater from the disabled Fukushima Daiichi Nuclear Power Station into the Pacific Ocean, 12 years on from the major meltdown there, the International Atomic Energy Agency (IAEA) confirmed on Thursday. “ と表記している。「処理済み放射能廃水」を短くして日本政府は「処理水」と表現を統一した。中国政府や日本共産党のように「汚染水」と呼ぶ勢力もある。

日本政府と東京電力は「処理水」を次のように定義している。「トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」。処理水にはトリチウムが残っている。日本政府(復興庁)のサイトには、浄化処理を重ねてもトリチウムを除去できないが、海水で希釈することで「トリチウムも含めて規制基準を満たすようになります。この処置によってトリチウム以外の放射性物質もさらに希釈されることとなるため、より安全性を確保することが可能です」とある。ということは、ALPSを使ってもトリチウム以外にも除去できない放射性物質が微量ながら残っているわけだ。そこで中国は、普通の原子力発電所が放出する冷却用の水と、原子炉内で燃料デブリに触れた福島の水は性格の違う水であるとして、日本政府の言う「処理水」を「汚染水」とよぶ。日本共産党の志位委員長は①アルプスで処理した水にトリチウム以外にセシウム、ストロンチウムなどの放射性物質が基準値以下とはいえ含まれていることを政府も認めている②漁業者など関係者の理解なしにはいかなる処分も行わないとする約束に違反する、などの理由をあげて「汚染水の海洋放出を中止せよ」と表明していた。

処理済み放射能廃水の安全性の議論や海洋放出の安心・不安の議論の手間をさけて、中国が日本産水産物の全面輸入禁止に踏み切ったのは日本に対して外交的な圧力をかけたかったからだ。

中国が日本や米国と国交を樹立した1970年代、中国はまだ貧しい国だった。中国が米国や日本に接近したのは隣国のソ連に脅威を感じていたからだ。同時に中国は、米国の影響力が東アジアから後退することも当時から望んでいた。経済力をつけた日本がアメリカの核の傘から出て、核兵器を持つのではないかと心配もしていた。経済力をつけた日本が再び1930年代のような侵略的な軍事国家になるのではないかという不安を抱いていた。そうした不安を感じながらも中国は資本主義国と結び、資本と技術を呼び込み、価格の安い製品を輸出して稼いだ。この時代の中国の政策は日本の明治政府の富国強兵策に似ている。中国は粒粒辛苦のすえ世界に通用する経済力と、米国に太刀打ちできる軍事力を獲得した。「能力を隠し時を待つ」中国指導部の政策が功を奏し、いまでは中国共産党と人民解放軍の幹部が、世界に対して中国対して敬意を払うように求めるようになった。大国になるというのはそういうことであり、それによって中国人民の共産党の政権維持が強まり、結果として党首である総書記の在任期間が自在に延長できるようになった。

一方で日本は2010年代の安倍政権時代に保守的なナショナリズム路線を突っ走った。毛里和子『現代中国外交』(岩波書店、2018年)は、安倍晋三『新しい国へ――美しい国へ 完全版』(文春新書、2013)で安倍氏が述べた「外交交渉の余地などありません――尖閣海域で求められているのは、交渉ではなく、誤解を恐れずに言えば物理的な力です」という言葉を引用し、安倍にとっては「積極的平和主義」とは力を行使する安全保障であり、武力放棄は消極的平和主義にすぎない、と評している。現在の岸田政権も安倍氏の言った「力を行使する安全保障」の路線を進んでおり、防衛予算の積みましに余念がない。

富国強兵が進んだ中国は日本に対して強腰の態度をとるようになった。いまや、エコノミスト誌の特派員だったビル・エモットが『日はまた沈む』に書いた夕陽国家になった日本が中国相手に必死で突っ張っている。

福島の原発汚染水は地下水の処理が難しいので日ごとに増え続ける。汚染水を処理して海に流す作業はこれから30年も続く。中国の日本産水産物輸入禁止は短期間で収拾できないだろう。むしろ、突っ張り合った両国がさらに関係を悪化させる可能性がある。

(2023.9.2 花崎泰雄)

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お毒見

2023-08-26 00:52:37 | 政治

8月25日付朝日新聞朝刊(東京)1面は

 福島第一 処理水放出

 国産全水産物 中国が禁輸

 日本政府抗議、撤回求める

という3本建ての見出しで「東京電力は24日、福島第一原発の処理水の海への放出を始めた。増え続ける汚染水対策の一環で、少なくとも約30年は放出が続く。これを受けて中国政府は24日、日本産の水産物輸入を同日から全面的に停止すると発表した」と伝えた。

24日前後のいくつかの英語ニュース・メディアのサイトをのぞくと、

*Japan began a controversial discharge of treated tritium-laced water (Japan Times)

*China retaliates as Japan releases treated nuclear water(BBC)

*After months of controversy and anticipation, Japan is set to begin releasing treated radioactive wastewater from its Fukushima nuclear plant (CNN)

*China bans Japanese seafood over Fukushima nuclear waste water release(South China Morning Post)

と報道されている。

 

福島第一原発敷地内には放射性物質に汚染された水と、62種類の放射性物質をほぼ除去できるALPS (多核種除去設備)を通した処理水の2種類の水を貯めたタンクがある。東電と政府はALPSでの除去が難しいトリチウムが残る処理水を海水で希釈したうえで福島沖に排出するとしている。処理水は環境中に放出するにあたって基準値を下回っており、安全であるというのが、東電と日本政府の説明である。日本国内で発行される日本語新聞の多くは東電・政府の説明を受け入れて、「処理水」という言葉を前面に出した。東電や日本政府の立場を擁護する必要を感じない英語ニュース・メディアは “treated tritium-laced water” “treated nuclear water”  “treated radioactive wastewater”  と「処理済み放射能廃水」という名称にこだわった。日本政府に不信感を持つ人たちにとっては、こうした名称は恐怖を呼び起こし、日本政府に不信感を持たない人をも不安な気持ちにさせる。

中国政府の日本産全水産物輸入措置は想定外だったと25日の朝日新聞は伝えたが、岸田・日本国首相はその直前に米国を訪れてバイデン大統領、ユン韓国大統領との3人で、対中国安全保障強化の相談をしていた。日本国は北京に大使館を置いており、大使館の機能が空転していない限り、中国の対抗措置の強弱については感触を得ていて当然だから、「想定外」という表現には理解しにくいところがある。

中国の輸入禁止を日本政府は科学的根拠をないがしろにした措置であるとして撤回を求めた。そういうことであれば、これは大口の風評被害第1号である。東電・政府はきちんと対応・補償しなければならない。

福島の放射能ほぼ除去済みの処理水が排出される前日の23日には、西村経済産業大臣が全国の水産物などを集めた催しで、東北地方の魚介類を使った海鮮丼などを試食してみせた。この種の風景は過去よく見かけた。1991年にペルーでコレラが流行し、ペルーでとれた海の魚が輸出しにくくなった。保健担当の大臣は生の海産物を使ったペルーの名物料理「セビーチェ」を食べないようにと訴えた。一方で、水産物の輸出不振を解消しようと、当時のフジモリ大統領がテレビの前で何度もセビーチェを食べて見せた。

それから10年ほどたった2002年にはリー・クアンユー首相退陣後、子息のリー・シェンロン氏の首相就任までのつなぎ役だったゴー・チョクトン・シンガポール首相がNEWaterを試飲して見せた。シンガポールは小さな島の都市国家でダムが少ない。水を隣国のマレーシアから長期契約で輸入している。これはシンガポールにとっては国家安全保障上の大きな問題である。シンガポールは海水の淡水化処理施設をつくり、廃水を浄化して利用する方法を試みていた。2002年にこの下水浄水化システムが完成、処理水を “NEWater” と命名、ゴー首相以下この水で乾杯した。

職務とは言いながら、お役目ご苦労さんなことだ。ところで、福島の廃水処理は全タンクが空になるまでに30年かかるという。似たような風景が繰りかえされないことを祈る。

日本には、東京都が太平洋戦争をはさんで1935年から1999年までの間、くみ取り便所から出た糞尿を船に積んで東京湾をぬけ外洋に運んで海洋投棄してきた過去がある。海洋投棄を禁止するロンドン条約が改正され、一般廃棄物である「し尿」も海洋投棄できなくなることから、東京都は64年間にわたる糞尿の海洋投棄をあきらめた。

「黄金のジパング」の国柄はそんなものである。

(2023.8.26 花崎泰雄)

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酷暑の読書

2023-08-20 00:34:33 | 政治

岸田文雄首相が夏休みの友に都内の書店で10冊の本を購入した。それらの本の中から、『地図でスッと頭に入る世界の資源と争奪戦』『まるわかりChatGPT&生成AI』『アマテラスの暗号』といったタイトルをあげて8月18日付の朝日新聞・天声人語が「やぼは言うまい。首相と言えどもすべての分野に精通できるわけではなかろう」と揶揄した。すると、同紙の8月19日付「朝日川柳」に「麻生氏が何読んでるか知りたいね」という句が載った。つい最近、訪問先の台北で血気盛んぶりを見せた八十翁の麻生太郎氏の元気の秘密となった本を知りたいね、というわけだ。麻生氏の現在の愛読書については情報がないが、以前は『ゴルゴ13』が贔屓だった。麻生氏とゴルゴ13の話は新聞に何度も載った。

読書歴は個人情報であり、図書館の貸出記録保存について何度もそのあつかいが議論されている。今はむかし、スハルト時代のインドネシアでは左翼関連の書籍は禁書に指定されていた。マルクスの『資本論』は大学図書館を含め、たいていの図書館で鍵のかかる本棚におさめられていた。資本論を読むためには責任者の許可が必要だった。したがって、前途ある若者は禁書には近づかず、留学先の英語圏の大学院で、社会科学の教師からインドネシアの学生はマルクスから詠み始める必要があり時間がかかる、と評されていた。

時と場所によっては、書物は危険物になる。ナチスの焚書、戦前日本の思想警察の暗躍などの例がある。いまの日本ではそうしたむき出しの危険はないが、ある国の首相が購入した本のタイトルをあげて、その人の読書傾向をあげつらうのは、趣味が悪い。

とはいうものの、岸田首相の書店巡りは人気とりのパフォーマンスの面もある。岸田首相は今年8月15日、夫人同伴で(もちろん秘書官や警護の警察官同道)で大名行列ふうに本屋へ行った。ついでに購入した本のタイトルを記者たちに披露した。昨年の12月には本屋にゆき、『忘れる読書』『80歳の壁』『カラマーゾフの兄弟』など約15冊の書籍を購入した。去年の8月にも本屋へ行き、『街とその不確かな壁』など10冊の書籍を購入した。

アジア太平洋地域の安全保障や新しい資本主義に取り組む岸田首相が、ツキディデスのペロポネソス戦争の歴史や、シュムペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』といった本を購入すれば、なんとなく脈絡はある。だが、首相が『地図でスッと頭に入る世界の資源と争奪戦』を買おうが、ツキディデスを買おうが、結局はどうでもいい話しだ。新聞で首相の動静を見ると、平日は官邸で10分刻みで人に会っている。週末はどっと疲れが出て、本を読み始めると眠気が襲ってくるだろう。

岸田首相は8月18日(現地時間)キャンプ・デービッドで、バイデン米大統領、ユン・ソニョル韓国大統領と会談、日米間の安全保障協力関係の強化で合意した。中国・北朝鮮・ロシアのグループに対する新封じ込め作戦だ。既存の覇権国家と新興の大国との反目が戦争に発展することが多い、とする「ツキディデスの罠」論が数年前話題になった。だからといっていまさらツキディデスを読もうという気にならないのが政治家である。学者じゃない、実務家だと自負する人が、日本の政治家には多い。

(2023.8.20 花崎泰雄)

 

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核抑止論

2023-08-12 20:09:22 | 政治

8月6日の広島平和記念式典で松井・広島市長が「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要があるのではないでしょうか」とよびかけた。続いて8月9日の長崎平和祈念式典では、鈴木・長崎市長が「核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現することはできない……今こそ核抑止への依存からの脱却を決断すべきだ」と言った。

長崎の式典に岸田首相はビデオ・メッセージをおくり「世界で唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界を実現するため、非核三原則を堅持しつつ、たゆまぬ努力を続ける」と言った。

核兵器のない世界を実現するためにたゆまぬ努力を続けるという岸田メッセージの一方で、日本の自民党政権は米国の先制不使用に反対した。米国のオバマ大統領は2016年に、米国が核兵器の先制不使用表明する準備をしていたが、日本政府は米国の核先制不使用の表明に異をとなえた。バイデン政権も先制不使用を表明しようとしたが、同盟国の反対にあって断念した。この時も反対した同盟国の中には日本も入っていた。米国が先制不使用を表明すると中国に誤ったメッセージを伝えることになるというのが、日本政府の考え方だ(2011年11月8日付東京新聞社説)。核兵器保有国の中で「先制不使用」を表明しているのは中国だけである。米国が先制不使用を唱えると、すでに先制不使用を公にしている中国に対してどのような誤ったメッセージを送ることになるのか? 米国の核先制使用表明をおしとどめることが、核兵器のない世界を実現することとどのようにつながっているのか?

「米国は、引き続き、その核戦力を含むあらゆる種類の能力を通じ、日本に対して拡大抑止を提供する」(日米防衛協力のための指針 2015年4月27日)というのが、日本の安全保障のお守りだ。だが、核抑止論の有効性を証明できる証拠はないのだ。ノーベル経済学賞を受賞したアメリカのトーマス・シェリングは2005年12月8日の受賞記念講演「驚くべき60年: 広島の遺産」の冒頭で次のようなことを言った。

「ここ半世紀におけるもっとも劇的な出来事は、ある出来事が起こらなかったことである。われわれはこの60年間、怒りにまかせて爆発する核兵器を見ることなく過ごせたのだ。なんと素晴らしい成果であろうか。いや、成果でなければ、なんと素晴らしい幸運であろうか」

核兵器が60年間使われなかったことの理由の大半は、核兵器が「タブー」になったことにある、とシェリングは説明する。核兵器は呪われた、特別の兵器であると人々が認識していたのだ、というのがシェリングの見立てである。シェリングの記念講演「驚くべき60年: 広島の遺産」はトーマス・シェリング(斎藤剛訳)『軍備と影響力』勁草書房、で読むことができる。

また、シェリングは『軍備と影響力』でこんなことも書いている。「軍事的見地からすれば、日本の工業都市を2つばかり破壊したところで米国にとって得られるものはわずかであったが、日本は多くを失った。広島と長崎に投下された爆弾は、日本そのものに対する暴力であり、原爆の主たる効果と目的は、爆撃に伴う軍事的な破壊ではなく、苦痛と衝撃を与えること、そしてさらなる苦痛と衝撃を確証させることだったのだ」。

米軍が広島と長崎に原爆を投下した時のトルーマン大統領もさらなる原爆使用は合衆国だけでなく、世界に嫌悪と恐怖を拡散さることを理解していた。アイゼンハワー大統領は核を使えばあとは核の大戦争になると言ったことがある。ケネディー大統領は、核兵器使用が決定されたとたんに核のエスカレーションは止められなくなる、と言っていた。アメリカのワシントンD.C.にあるNPO National Security Archiveで史料 “U.S. Presidents and the Nuclear Taboo”をまとめたウィリアム・バーは解説でそのように書いている。

核をめぐる戦略は1960年代から1970年代にかけて主として米国で議論が重ねられた。議論は大量報復戦略から始まって、柔軟反応戦略を経て、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction, MAD)に至った。核戦争を始めれば米ソは共倒れになるという計算式が確立され、米ソはこの数式を共有した。相互確証破壊の考え方を米ソの政治指導者、戦略立案者、軍人が頭の中でこの認識を共有したことで、デリケートな恐怖のバランスによって冷戦が熱くならないですんだ。米ソが暗黙裡に了解し合ったMADの思想の下で核は米ソにとって事実上使えない兵器になった。核兵器は極限的な暴力だが、一方で核戦争を抑止する物神としてあがめるオカルトが核と政治の専門家の間に定着した。

だが、ロシアのプーチン大統領とその戦略参謀たちと米国のバイデン大統領と参謀たちの頭の中にある核抑止の観念は、冷戦時代の米ソ首脳の頭にあったものと同じだろうか。さらに、米国から拡大抑止(核の傘)を受けている諸国に対してロシアや中国はどのような戦略を考えているのだろうか。長くなったので、これはまた次の機会に。

(2023.8.12 花崎泰雄)

 

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ヘゲモニー

2023-08-05 14:21:20 | 国際

ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ前大統領が、ウクライナに対して戦術核を使うことを躊躇しないと強硬な発言をしたり、プーチン大統領が戦術核のベラルーシ配備をしたり、ロシアはウクライナとそれを支援するNATOに対して、瀬戸際政策じみた脅しを続けている。ロマノフ王朝時代の領土拡大や、アメリカと対峙したソ連邦の記憶に促されて覇権国家を目指しているロシアが、ウクライナに対して核使用に踏み切るのだろうか。

米国も朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争で核兵器の使用を戦略のオプションに入れていた。オプションに入っていただけで、ホワイトハウスがその使用を深刻に検討した記録はない。また、核兵器の使用検討を対外的に公にしたこともなかった。日米戦争の末期、米国はそのそぶりも見せず、広島と長崎に突然、核爆弾を落とした。

いつ落ちてくるのかわからないのがダモクレスの剣の怖いところだ。現在はほご同然になってしまったブダペスト覚書では、ウクライナに対して核兵器による脅しはしない約束になっていた。ブダペスト覚書にはエリツィン露大統領、クリントン米大統領、メージャー英首相がサインした。ロシアがクリミアに侵入する3年前の2011年にプーチン大統領がクリントン氏に、ロシアはブダペスト覚書に拘束されないと語った(The Gurdian, 2023年5月5日)。

ウクライナがロシアに侵略されたのは核を手放したからだ、という説は北朝鮮に対して説得力のある歴史の教訓である。先ごろピョンヤンで行われた休戦70年の軍事パレードでは、キム・ジョンウン総書記、ショイグ・ロシア国防相、李鴻忠・中国共産党政治局委員が壇上に並んだ。腹の一物を隠しながら、笑顔をつくるのは外交の常とう手段である。力を持つ側の外交的笑顔はおためごかしである。弱い方の笑いは追従笑いである。

キム総書記、ショイグ国防相、李政治局員はロ朝中の団結を米国に対して示そうとした。朝鮮戦争の休戦協定は国連軍(実質アメリカ軍)と北朝鮮軍の間で締結された。北朝鮮は米国と平和条約を結びキム一族が支配する北朝鮮の安全な存続確かなものにするために核兵器の開発を進め、米国を交渉の場に呼び出そうとした。トランプ元大統領とキム・ジョンウン総書記がシンガポールで面談したが、話はまとまらなかった。

北朝鮮はいまロシア・中国と結んで、米国の覇権(ヘゲモニー)から身を守ろうとしている。「パックス・ロマーナ」「パックス・ブリタニカ」「パックス・アメリカーナ」などという言葉は歴史の教科書で知った。「パックス・ジャポニカ」構想もあった。日本は、満州・中国、インド、ビルマ、タイ、オーストラリアを含む地域を支配する覇権国家になろうとする大東亜共栄圏を打ち出した。日本のアジア侵略に異を唱えたのがアメリカだった。日本は兵員総数や軍艦総数では米国と大差なかったが、軍用機の総数では米国は日本の2倍以上、米国の国民総生産は日本の12倍、国内石油産出量は日本の28万キロリットルに対して米国は22295万キロリットルと圧倒的だった(山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館)。アメリカと戦争を始めても勝てるわけがないと多くのに日本人は思ったようだが、「アメリカの要求に屈服するにせよ対米戦争を挑むにせよ、どのみち日本は亡国を免れないのであれば、敢然と戦うほかない」(麻田貞雄「日本海軍と対米政策および戦略」細谷千博他編『日米関係史 Ⅱ』東京大学出版会)という非論理的な戦略判断をもとに当時の軍国日本は米国と戦争を始めた。

また、パックス・ロマーナほど知られてはいないが、東アジアには中国が率いる「パックス・シニカ」の時代があった。

その中国は清王朝の末期の諸外国の干渉や、その後の国民党軍と共産党軍の内戦が終わって、毛沢東の晩年になったころ、米国と日本と国交を結んだ。

1972年の米中上海コミュニケでは「いずれの側も、アジア・太平洋地域における覇権を求めるべきでなく、他のいかなる国家あるいは国家集団によるこのような覇権樹立への試みにも反対する」と言明した。同じ年の日中共同声明でも「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」と表明した。

そのころ、中ソの対立はいちだんと険しくなり、中国はソ連の軍事力に脅威を感じていた。中ソ国境は7000キロ以上もあり、ソ連も中国を安全保障上の問題としてとらえていた。この頃のソ連の防衛費の2割が中国の脅威にむけて支出されていた(Bruce Russett, The Prisoners of Insecurity, NY, W.H.Freeman)。中ソが武力衝突した珍宝島(ダマンスキー島)事件は1969年の出来事だった。

したがって、「このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」という文言はソ連に向けられていた。

中国は1960年代に原爆実験と水爆実験に成功して核保有国になったが、日本ではまだ中国の核兵器に脅威を感じる一般人は少なかった。ソ連と対立していた中国もソ連の核に不安を感じていたのだろう。1972年ころ、総合的な核戦力では米国がソ連を上回っていた。

その中国が今や、軍備を増強し、一帯一路構想を唱えて世界に進出し、かつての東アジアにおけるパックス・シニカを世界に向けて拡張し、戦狼外交を唱えて、アメリカを追い越してヘゲモニー国家になろうとしているように見える。因果はめぐる火の車ということか。

(2023.8.5 花崎泰雄)

 

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力、現状変更、そして維持

2023-07-29 20:50:41 | 国際

2023年版『防衛白書』には、こんなことが書き込まれている。

  • ロシアがウクライナを侵略した軍事的な背景には、ウクライナがロシアによる侵略を抑止するための 十分な能力をもっていなかったことがある。
  • 高い軍事力を持つ国が、あるとき侵略という意思を持ったことにも注目すべきだ。
  • 脅威は能力と意思の組み合わせで顕在化する。意思を外部から正確に把握するのは困難である。国家の意思決定過程が不透明であれば、 脅威が顕在化する素地が常に存在する。
  • このような国から自国を守るためには、力による一方的な現状変更は困難であると認識させる抑止力が必要である。相手の能力に着目した防衛力を構築する必要がある。
  • 日本国の今後の安全保障・防衛政策のあり方が地域と国際社会の平和と安定に直結する。

以上は『防衛白書』をつくった側の論理の一部である。くわえて、軍備増強のために特別に予算の割り当てを増やしましょうと告げられた防衛省首脳が、いやいや、低賃金にあえぐ労働者や、学校給食が生存の頼りになってしまった学童たちを救うために、そのお金を回して下さい、ということは、まず、ないだろう。

ウクライナがロシアからの軍事侵略を抑止できるだけの軍事力を持てば、その軍事力自体がロシアにとって脅威となる。これが安全保障のディレンマである。隣国を刺激しない、ほどほどの抑止力とはどの程度の軍備をいうのだろうか。ソ連終焉にともないウクライナは領内にあった核兵器を放棄した。その代わりに米・英・ロシアがウクライナの安全を保障するブダペスト覚書を作成した。ウクライナの安全を保障した国の一つであるロシアがウクライナに侵攻した。軍事大国はどんな理由で侵略に走るのか。かつての日本帝国はなぜ真珠湾に奇襲をかけ、アメリカと戦争を始めたのか。一言で言えば、あの当時の日本の権力層の「雪隠の火事」、つまりヤケクソな気分だった。

自民・公明による日本の安全保障政策は、将来の核廃絶を視程に入れつつ、当面は米国の核の傘の下にとどまるという奇妙な論理に拠っている。岸田政権が唱えている防衛力増強は、日本国を米国の属国のような存在にしている米国の核の傘から出るための軍事力強化ではなく、核の傘の中で米軍を支援し擁護するのが目的である。「全ての者にとっての安全が損なわれない形での核兵器のない世界という究極の目標に向けて、軍縮・不拡散の取組を強化する」(広島G7コミュニケ)という言い回しは空念仏である。

 

国家としての意思を外部から知りがたい国は中国・ソ連・北朝鮮である。この3か国に侵略を思いとどまらせだけの抑止力はどの程度の軍費によって保障されるのだろうか。これらの国が、日本や在日米軍基地に対して核攻撃を始めれば、収拾のつかない国際的な騒乱になる。米国が核による報復を開始すれば、北半球は壊滅状態になる。米国が核で報復しなかったら、米国の核の傘は破れ傘となって、米国主導の安全保障体系はひび割れる。

このようなSF小説もどきの白昼夢はさておき、力による一方的な現状変更に反対するのは、中国の競争相手である米国の論である。韓国―日本―台湾―フィリピンをむすんで中国を囲い込むラインは、第2次世界大戦の結果として生じた。第1次世界大戦の結果、エーゲ海のトルコ沿岸の島々がギリシア領になったように、第2次大戦の結果、太平洋は米国の池になった。それを中国が東に向かって力で押し戻そうとするのを米国は好まない。中国の論理から言えば、力による一方的な現状維持は、これまた不愉快きわまりないのである。

じゃあ。どうする? 浅学非才の筆者には手に余る問題である。頼みの綱は国会議員の諸氏である。度重なる外遊で国際感覚を身に着け、外国の諸賢人と深く付き合って知識を深めているはずの議員各位にお願いする。選挙区であいさつ回りする時間を割いて、北海道でもいい、軽井沢・蓼科でもいい、どこか涼しいところできちんとした本を読み、諸賢人同士で安全保障を論じてもらいたい。議員報酬は税金から出ているのだ。

(2023.7.29 花崎泰雄)

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