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news commentary

終わりの始まり

2011-01-31 22:44:00 | Weblog
ムバラク大統領の退陣と民主的な政治改革を求めているエジプトの民衆デモで、その中核となっている「4月6日青年運動」が、2月1日の火曜日、首都カイロで100万人規模のデモを計画している、と『アルジャジーラ』が1月31日伝えた。

1月31日、オバマ米大統領がトルコ、イスラエル、サウジアラビア、英国の各首脳と電話で会談し、エジプト国民の願望に応じる新政府への秩序ある移行を支持する考えを伝え、協力を求めた、と伝えた。

同じ日の『ワシントン・ポスト』によると、「移行(transition)」と言う言葉は、クリントン国務長官が米テレビのインタビューでも使った用語で、9月に予定されている大統領選挙までエジプトの国政を預かる民意を代表する暫定政府樹立への期待を示したものだ、と米政府高官が説明した。

ムバラク大統が領辞任すれば、大統領に昇格することになるオマル・スレーマン現副大統領による後継暫定政権でアメリカとエジプトの政権同士の交渉がまとまった可能性がある。アメリカにしてみれば中東の要であるエジプトで権力の真空という事態は避けねばならない。その意味で、アメリカは、ムバラク大統領からスレイマン副大統領への権力の移行がorderly transit=秩序ある移行であると考える。

一方で、抗議行動を繰り広げている反ムバラク側は、ムスリム同胞団を含めて、エルバラダイ前IAEA事務局長を軸に、野党勢力を結集した暫定政権の樹立を模索している、と『ニューヨーク・タイムズ』や『朝日新聞』をはじめとする各メディアがカイロから伝えている。アメリカの意向をうけた後継政権を受け入れるつもりはない。

もし、2月1日の百万人デモが実現すれば、それは、後継の暫定政権の主導権をめぐる、スレイマンとエルバラダイの綱引きの場になるだろう。

そのあと、暫定政権の構成をめぐって、現政府側のエリートと反政府側エリートとのイスのとりあいになる。

いずれにせよ、もはや、誰かがムバラク大統領に辞任を求め、引導をわたすだけの段階になってきているようだ。1998年5月、インドネシアのスハルト大統領が、反スハルトの民衆デモのなかで30余年にわたった大統領の座から滑り落ちたのは、当時のオルブライト米国務長官から辞任を勧める電話が入って数時間後のことだった。今回も同じような電話を、クリントン米国務長官がムバラク大統領にかけることになるのだろうか。

(2011.1.31 花崎泰雄)

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第四の波?

2011-01-28 17:08:24 | Weblog
チュニジアの「ジャスミン革命」に続いて、エジプトでホスニ・ムバラク大統領退陣要求デモは、場合によっては、「民主化の第四の波」とよばれる歴史的な出来事に発展する可能性がある。あるいは、ムバラク退陣をめぐる政治的混乱の虚を突いて、エジプトをイスラム神政国家へ向かわせようとする勢力が主導権を握る可能性もある。

サミュエル・ハンティントンは1990年代初めに出版した『第3の波―20世紀後期の民主化』で、民主化の第1の波はアメリカ合衆国建国やフランス革命に始まり第1次世界大戦後に至る期間に発生し、第2の波が2次大戦後から1950年代に起きてドイツ、イタリア、日本、ラテン・アメリカで民主化が進み、第3の波が1974年のポルトガル革命から始まり、スペイン、東欧諸国へ広がっていった、と説明した。アジアでは、アジアでは韓国、台湾、フィリピン、タイ、インドネシアの民主化がこの時代に起きている。

政治的な動乱、変化、革命は伝染性があるように見受けられる。ただ難しいのが民主化が起きる理由だ。経済発展、近代化、中産階級、その国の歴史的特性など、さまざまな要因が絡み合っていて一様ではない。極度に単純化すれば、民主化の要因は、社会経済的発展が民主主義を推し進める圧力を生み出し、時の権力者の政治スタイル、政党、地域紛争、軍、国際的な圧力などの強弱によって、民主化の流れが起きたり、起きなかったりするようである。

チュニジアで民主化要求デモがベン・アリ元大統領を亡命させたとき、中東・アフリア地域では急激な人口増、食料の値上がり、高失業率、政治的抑圧、高齢化した権力者とその後継問題など、似かよった諸条件を抱える国いくつかあり、チュニジアの反政府運動がこれらの国に伝染する可能性が高いことが指摘されていた。

それらの国が、エジプト、イエメン、アルジェリア、リビア、モロッコ、ヨルダンだ。すでにエジプト以外にも、小規模ながらヨルダン、イエメンで反政府デモが起きている。

さて、エジプトだが、人口8000万強で一人当たり国民総所得が2000ドル、失業率9.4パーセント(2009年)、人口の3分の2は現在82歳のムバラク大統領が政権を握った1981年以降に生まれている。エジプトの政治がどのようなものか詳しいことは知らないが、サダト大統領が暗殺され、その後継としてムバラク大統領が誕生した1981年以来、非常事態法が30年間継続させて事実上の反政府行動を抑圧し、さらには、高齢のムバラクの後継者として彼の息子のガマルが有力視されていることだけでも、エジプトの政治の雰囲気はわかるだろう。

今回のエジプトの反ムバラク抗議行動の中核になっているのは、「4月6日青年運動」という若者のグループ、モハメド・エルバラダイが組織している反ムバラク「変化のための国民組織」、いくつかの野党勢力、それにイスラム組織「ムスリム同胞団」だと考えられている。

これからの展開は、ムバラク政権を武力で擁護している軍と警察の出方だろう。また、ムバラク-ガマル親子と軍首脳の駆け引き・取り引き、まがりなりもイスラエルと国交を持つエジプトを、中東政策の要の国として大切にし、ムバラク政権を擁護してきたアメリカの態度がポイントになろう。

エジプトの軍・警察首脳もアメリカ政府もいまのところ、ムバラク支持を続けた方が将来のためになるのか、新しい変化の潮流に乗る方が得なのか判断し切れず、模様眺めの様子である。

反ムバラク運動に参加しているムスリム同胞団は、20世紀前半にエジプトで組織されたイスラム国家を目指す宗教団体で、ナセル時代には非合法組織に指定され解散させられた。現在でも穏健な活動は認められているが、非合法組織の指定は解かれていない。ムバラク政権が、合法化するとイスラム国家建設運動に拍車がかかることを懸念してきたためだ。

ムバラク政権が崩壊したあとの権力の奪い合いの中で、ムスリム同胞団が権力の中枢を握る可能性もある。もし、そういう事態になれば、イスラエルをめぐる中東情勢に衝撃的な変化が生じるわけで、このあたりのヨミをめぐって、アメリカ政府は深刻な議論をしている最中だろう。「正義を行わしめよ、たとえ世界が滅ぶとも」という態度は個人には許されるが、国家には許されないと、ハンス・モーゲンソーは『国際政治―権力と平和』で言っている。アメリカの国益を損なわない範囲でのエジプトにおける正義の実現と、あわせて民主主義の主導者としてのアメリカのイメージの確保の道を、侃々諤々、論じあっていることだろう。


(2011.1.28 花崎泰雄)

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さて、今年も

2011-01-01 00:08:39 | Weblog
大晦日の夜のNHKの番組は「紅白歌合戦」とそのあとの「行く年来る年」が半世紀以上続いている。このまま1世紀以上も続くことになるのだろう。不朽の定番というやつだ。

この二つの番組を見なくなって久しい。その罰で、1月1日は12月31日の翌日というだけのことで、お正月という意識が薄れてきた。おせち料理も用意しないし、年始に行くわけでもなく、年始の客が来るわけでもない。お年玉をあげるような子どもも来ないし、私がお年玉をもらえるわけでもない。年賀状も出さないから、当然、年賀状がくることはない。

延々だらだら、まことにしまりのない毎日だ。これではイカンと新しい年にあたってなにか新しいことをやってみようと、これまた毎年思うのだが、思うだけでこれといったアイディアが浮かばない。

What has happened will happen again, and what has been done will be done again, and there is nothing new under the sun (Ecclesiastes 1:9).

今年もまた繰り返しだ。

(2011.1.1  花崎泰雄)

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